夜更けとなり、里のたいまつに火がともる中、誰もが静まり返っていた。
犠牲者の出た家族はその亡骸かその一部を火葬していて、僧侶が彼らのために経を唱える。
神殿ではあるものは死んだヤヤクの冥福を祈り、あるものは神仏の手で人食い火竜が死ぬことを、あるものは絶望して来世への望みを祈っていた。
その中で、エルバ達は神殿の奥にあるヤヤクの自室に入っていた。
「すっかり暗くなっているな。武者とかいうやつも、住んでいる奴らもみんな…」
「無理もないわ。大勢が死んでしまった上に、ヤヤク様まで…」
「くそ…!せっかく力を手に入れたというのに、なんてザマだ!!」
「だが、確かに人食い火竜をあと一歩のところまで追いつめた。あとはじいさんのグランドクロスが当たれば、奴を倒すことができた。なのに、どうして…」
エルバの脳裏に人食い火竜をかばい、救いの手を断ち切ったヤヤクの姿が浮かぶ。
どうして彼女は里の仇敵といえる人食い火竜をこうも守ろうとしていたのか。
その真実を聞き出そうにも、既にヤヤクは火竜の腹の中だ。
「…」
泣きつかれたテバはエルバ達とともにここに来たが、座り込んだ状態で顔を下に向けている状態だ。
何度か声をかけたが、やはりショックが大きいためか、返事をする気配がない。
「ヤヤク殿に話を聞けない以上は、これから探すしかあるまい…」
ロウは部屋にある本棚から出した書物をエルバ達の前に置く。
ヤヤクの日記で、墨で書かれたそれを広げ、ロウはゆっくりと読み始める。
時折、無性に大声で叫びたくなる。
わらわが犯した、里長として許されぬ罪を。
その罪を決して忘れぬよう、ここに真実を書き残そう。
キジをはじめとした多くの武者が命と引き換えに、我が息子、ハリマは人食い火竜を退治した。
ただ一人の生還者となったとはいえ、里の皆が帰ってきたハリマを称えた。
わらわもうれしかった、これで里は安寧を取り戻し、死んでいったものも報われると。
だが、ハリマはすぐに体調を崩し、寝込むようになった。
戦傷だけが原因かと思ったが、それだけではなかった。
ハリマは言ったのだ、人食い火竜を殺したとき、その肉体が黒い瘴気となって自らを襲ったのだと。
すぐに瘴気は消えてしまったため、何ともないと思ったがそれは誤りだったと。
わらわは必死に看病したが、病状は徐々に重くなっていった。
ある時、真夜中にハリマが一人、家を抜け出していた。
追いかけ、止めようとしたが、ハリマは私に刃を向けてまで来させようとしなかった。
なぜ行くのかと必死に聞くが、答えてくれない。
里の外まで出たハリマはやはり、体が限界だったのか、その場で倒れてしまった。
家へ連れ戻し、ハリマはようやくそこで教えてくれた。
人食い火竜と戦う武者たちにのみ、伝えられる秘密を、里長に対しても誰に対しても本来なら決して伝えてはならぬことを。
…この手記はわらわの罪、だがこの秘密を伝えることはたとえ里長であったとしても許されることではない。
故に、もし奇跡が起こり、ハリマが生き延びることができたならば、もしくはハリマが死んだのであれば、この手記は灰となろう。
だが、仮にハリマの身に危険が及んでいるというなら、そしてその状態でわらわが死んでしまったというなら、ここから先を開くことができよう。
「ハリマ殿…」
ここから先のページからは確かに強い魔力が感じられて、開けないように封印されていることがわかる。
だが、次第にその魔力が失われていき、ページもゆっくりと開いた。
ハリマが受けた瘴気は人食い火竜が死ぬ時に発する呪いの瘴気。
それは己を殺した憎き人間に襲い、その人間を次第に人食い火竜へと変える。
たとえ死のうとしても、その瘴気が生かし、人食い火竜となるまで死ぬことすら許さぬという。
故に、人食い火竜を殺して瘴気を受けた武者は一人、ヒノノギ火山に残る。
いつか人食い火竜となって、里の者を食い殺す可能性を少しでも抑えるために。
そのものが人食い火竜となり、里を襲うまでに狂暴化するまでの時が短くて40年、長くて100年以上のこと。
そして、その話が正しければ、あの時ハリマが殺した人食い火竜の正体…それはわが最愛の夫であるキビマロだと…。
そして、ハリマはその禁忌を犯してまで里に戻ったのは、せめて…一人残されることになるわらわに最期の別れの言葉を伝えたかったからなのだと。
あれから何度もハリマは願った。
どうか、ヒノノギ火山に捨ててくれ、殺してくれと。
だが、わらわにはできなかった。
たった一人の最愛の息子であり、里を救った英雄であるハリマをなぜこのような仕打ちをせねばならぬ。
わらわは必死にその呪いをとき、この因果を断ち切る手段を探した。
その間もハリマは徐々に呪いにむしばまれ、人食い火竜の本能にあらがうために、何度も何度も自らの腕に嚙みついておった。
だが、ついにハリマの体は人食い火竜のものへと変貌した。
わらわはハリマをヒノノギ火山に隠し、必死に探し続ける中で、あるものの情報を手に入れた。
真実の姿を映すという八咫鏡。
これに映ったものは真実の姿へと戻るという。
方々に手を尽くし、ようやく手に入れることができたが、いくら映しても真実の姿は映らず、ハリマも元に戻らない。
そうしている間にも、とうとうハリマは人の血を求めるようになってしまった。
悩み悩んだ結果、わらわが下した決断は…生贄を出すことじゃった。
どうしても、わらわにはハリマを殺すことなどできなかった。
たとえ、ハリマを殺したとしても、また時を経て、人食い火竜が里を襲うのじゃ。
そうして1人、また1人といけにえを捧げ、その血肉を食らうことで、ハリマはおとなしくなった。
そんな中で、ある男が現れた。
黒い頭巾のついた布で身を包んだ男が教えてくれた。
八咫鏡が反応しないのは、その魔力が長い時の中で弱まってしまったからじゃと。
そして、その魔力を蘇られる手段として、紫の玉石を渡してくれた。
魔竜の魂と呼ばれるそれを使うことで、八咫鏡は力を取り戻すことができる。
じゃが、それをなすまでの魔力とするためには、真竜の魂を成熟させる必要がある。
その日が来れば、ハリマを取り戻し、この里の血の連鎖を断ち切ることができる。
そうすれば、わらわの罪のせいで死んだ者たちにも、人食い火竜のために死んだ数多くの魂にも報いることができる。
その日が来るまで、八咫鏡は肌身離さず持つこととし、魔竜の魂は床の下に封印するとしよう。
じゃが、ここまで読む者がいたとするならば…わらわはもうこの世にいないということじゃろう。
恥を忍んで、その者に…もしくは人食い火竜と戦えるほどの猛者に請う。
もし仮に、八咫鏡が失われていないのであれば、この手記の最後に成熟が終わる日を書いている。
その日に魔竜の魂を八咫鏡に宿し、ハリマをもとに戻しておくれ。
じゃが…もし八咫鏡が失われたというなら、その手でハリマを殺しておくれ。
これ以上、我が子に罪を重ねさせるくらいならば、その手であの子を殺しておくれ。
そして、勝手なことを承知じゃが…その呪いを受け継ぎ、里にしばしの安寧を与えてくれ。
それがわらわの最後の願い、恥知らずな長の、無力な母の最後の頼みじゃ。
「ハリマ…殿…」
読み終えたロウの手が震え、手記がバタリと床に落ちる。
開かれているページに刻まれている日は明日、あと一日で彼女の言う魔竜の魂が成熟する日だった。
何も言わずにエルバは部屋にある布団をどかし、その下にある床を開ける。
そこには木箱があり、それを開けると、そこには手記にあったように、魔竜の魂が入っていた。
(この魔竜の魂…まさかとは思うが…)
「あと1日…ほんの1日だったなんて…」
「人食い火竜の本能に耐えることができなかったのじゃな…。それに、この手記の内容が正しければ、八咫鏡は…」
ヤヤクともども人食い火竜の腹の中、おそらくは消化されている可能性もある。
もはや、八咫鏡によって人食い火竜の連鎖を断ち切るというヤヤクのせめての願いも消し飛ぶことになった。
「今の人食い火竜は手傷を負っている。ヒノノギ火山に戻ったなら、手加減する必要もない。終わらせよう…」
「終わらせるって…エルバ、わかってるのかよ?人食い火竜の瘴気を受けた奴は…」
エルバ達の中で、一人がハリマが受けた呪いを受け継ぐということになる。
「俺が受けたらいい。俺のは勇者の力がある。もし、勇者の奇跡というものがあるなら、それで…」
「やめろ、エルバ!奇跡をあてにするな!それに、万が一お前が人食い火竜となったら、それこそ世界の希望が消える!そうなっては、ペルラ殿とエマ殿にどう詫びればいいのだ!」
「…悪い」
都合のいい力ではない勇者の力を過信し、己のことを二の次にした発言を詫びたエルバだが、ほかにどのような手段があるのか、誰も思いつくことができない。
結局は誰かをこの連鎖に組み込むことでしか、里を救うことができないのか。
「だったら…だったら、オイラがなる…」
「テバ…?」
「父ちゃんは里を守るために命をささげたんだ…。オイラだって、オイラだって…!」
まさか、人食い火竜による災厄から里が守られたのはこのような事実があるとは知らなかった。
もしかしたら、ハリマではなくキジが人食い火竜となっていた可能性だってある。
そんなことを知ってしまった以上、テバにはその事実から目を背けることも、今陥っている里の脅威に目を背けるわけにはいかない。
「…あの、倒すのではなく、封印するのはいかがでしょうか?」
「封印…?」
セーニャの言葉にエルバ達の視線が彼女に向けられる。
セーニャは袋から出したのは以前リーズレットが封印されていた魔女の禁書だ。
「数百年にわたってリーズレットを封じることができた禁書です。人食い火竜を弱らせたうえで、この書物を使えば、人食い火竜を封じることができるはずです」
「そうか…人食い火竜を殺さなければ、呪いの瘴気は発生しない。火竜になってしまったハリマさんには悪いが、それで少なくとも百年は持つはずだ。あいつの力がリーズレットと同じくらいなら、という話にはなるが…」
根本的な解決にはならないかもしれない。
だが、禁書の作戦が成功すれば、少なくとも誰かが呪いを継承する以上の時間を稼ぐことができるはずだ。
それに、リーズレットが解放されたのはホメロスの介入があったためで、そういったイレギュラーがなければ、彼女は外に出ることさえできなかった。
「禁書の呪文はわしに任せてもらおう。一言一句、頭に入っておる」
「なら、早く動いた方がいいわね。もう、彼にこれ以上罪を重ねないように…」
「ハリマ様…」
「テバちゃん、辛いけれど…今打てる最善の手はもう…」
「わかってる、わかってるけど…ハリマ様は…父ちゃんたちは…いつになったら報われるんだろう…」
テバ達がいた洞穴へと続く細い道とは違う、本来通るべき広い道を歩き、その先にある洞窟への入り口に足を踏み入れる。
入ってすぐに伝わるのは体中の水分が吹き飛ばされるかのような熱気、そしてそれに紛れるように伝わる血の匂い。
「こいつは…人食い火竜って奴はよほどの悪食みてえだな」
足場に転がる数多くの魔物の死体に思わずげんなりする。
本来なら魔物がかろうじて食べることができるであろう身が金属のように固い殻の中に隠れている、かつて戦ったデスコピオンに似たモンスターであるエビーメタルはその殻ごと食らいつかれたようで、あるのは抜け殻だけ。
ごく珍しい現象だが、エビーメタルが時折脱皮して、殻だけが残ることがあり、その殻を扱うことで強靭な防具を作ることができるのだが、血の匂いのひどいこの殻はたとえ実用性があるとしてもそれを使った防具を着ようとはとても思えなかった。
ほかにも、体が溶岩で構築されたスライムであるスライムタールや豪傑熊らしき死体もあり、火山の環境で判断が正しいかはわからないが、まだ新しい死体もある。
「こいつらを食らって、回復を早めるつもりか…。これ以上時間はやれない…」
まだ襲撃から日をまたいでいないが、それでもこれだけの魔物を捕食したことでどれだけ回復しているか、想像がつかない。
「もしかしたらだが…供物で人を食わせたのは悪手だったかもしれないな」
「どういうこと…?」
「昔、テオじいちゃんから聞いたことがある。魔物の中でも恐ろしいのは人の味を覚えてしまった魔物だとな。人間は食べれると学習してしまうからな。そして、人食い火竜にもそれが適切かどうかはわからないが、供物となった人を食べたことで、人間の味を覚えてしまった。火山の中の魔物だけではそれを味わうことができないとなると…」
「里にいる人間を襲う…」
「あくまでも、俺の予想だけどな…。できれば、外れていてほしい」
あくまでも願望でしかないが、今はそうするしかない。
ヤヤクの行いが結局は里と息子を守ることにつながらないなど、あってほしくないから。
「なぁ、エルバ…。こいつを、テバを連れてきてよかったのか?ここから見せるものはどんな形であっても、こいつにとっては残酷だぜ?」
グレイグとシルビアに守られながら、テバもエルバ達と同行していた。
強がって歩こうとしているのはわかるが、やはりまだまだ子供で、魔物の死体を見たときの凍り付いた表情や手足に生じている小刻みな震えはごまかしきれないものだ。
「…。オイラが見てない中で、全部が終わっちゃうなんて、いやだから…」
「…そうか」
「見届けたいんだ。父ちゃんと、ハリマ様の戦いの…結末を…」
魔物がろくにいない山中を歩いていき、次第に奥底の広間へと近づいていく。
あの時に聞こえた気持ちの悪い咀嚼音が耳に届き、こみ上げる吐き気を我慢しながら先へと進んでいく。
グルルルとうなり声が聞こえ、そこにはちょうど豪傑熊の腸を食らっている人食い火竜の姿があった。
完全にとは言わないものの、体中についていた傷が消えていた。
「ハリマ様…」
正体を知ってしまったためか、今目の前にいる人食い火竜からはなぜかハリマの面影が感じられる。
食べ続けていた人食い火竜だが、エルバ達が来たことに気づいたのか、食べかけの豪傑熊を放置し、エルバ達に視線を向ける。
自分に手傷を負わせ、食われなかった人間に人食い火竜の血のような赤い瞳が光る。
こいつらを殺さなければ、最高の肉を味わい尽くすことができない。
自分の食事の邪魔をする奴らを殺してやる。
その気持ちはもはやハリマのものなのか、死んだ先代の人食い火竜の呪いによるものなのか、もはや判別をつけることもできない。
身も心も、すべてが人食い火竜となった目の前の魔物はもはやハリマではない。
「よいな!絶対に殺してはならぬ!こやつは生きて、禁書に封じるのじゃ!」
「ああ…!!」
「かわいそうだけれど…里を守るためよ。許して…」
人として会うことのなかった英雄へこれから行うことになる仕打ちを詫びたマルティナは鎧をまとい、なぎなたをふるいながら接近する。
接近しようとするマルティナから発するプレッシャーを感じた人食い火竜は彼女を排除すべく、口から炎の弾丸を放とうとするが、真上から感じる冷気に気づくと、両翼を羽ばたかせる。
セーニャが放ったマヒャドの冷気が強い熱風によってかき消され、マルティナも足を止めて耐えざるを得なくなる。
セーニャのバギクロスとシルビアのバギマが風を阻み、自由となったマルティナが再び駆け出す。
風を抑え込まれた人食い火竜は刃が届く寸前に大きく飛行し、地上にいるエルバ達をにらむ。
住処とはいえ、高度や空間に制限のかかるヒノノギ火山で相手をすることは人食い火竜にとっては里にいるときよりも不利な状況だ。
相手は里で自分を抑えた相手。
ならば、それ相応の手段をとる必要がある。
そう考えた人食い火竜が口から次々と火炎弾を地表に向けて打ち込んでいく。
「まずいわ…みんな、散って!!」
「君はここだ!!」
テバを守るグレイグはグレイトアックスから炎を放ち、さらにはデルカダールの盾を構えて炎をしのぐ。
数多くの炎からグレイグとテバを守る鎧と盾は焼けていき、その暑さがグレイグを襲う。
(恐れるな…デルカダールメイルの盾も、生半可なものではない!だが、なぜ奴はこのようなことを…!)
確かに炎の何発かはエルバ達に当たるコースにあるが、どちらかというとあてずっぽうに放っているように見える。
そして、その間エルバ達はどうしても人食い火竜よりも炎に気を取られてしまう。
ある程度炎を吐いた人食い火竜は何を思ったのか、翼をたたんだ状態で溶岩の中へと飛び込んでいく。
飛び込むとともに溶岩が打ち上げられていき、それが雨のようにエルバ達を襲う。
「頼む…水竜の剣!!」
両手で水竜の剣を握り、力を込めたエルバの両手のアザが光り、それをふるうと同時に水の壁が生まれて溶岩の雨からエルバ達を守る。
ロン・ベルク流剣術の中にあった技、かつて自身が武器を託した者たちが立ち向かった巨大な敵が使っていたとされる、己の前方にいる敵を粉砕するエネルギー衝撃波であるカラミティウォール。
彼が力尽き、ロン・ベルクもまたとある理由で療養する中で彼の一番弟子の協力の元に再現することに成功した。
エネルギーは闘気でも魔力でも生み出すことができるならば、水竜の剣の水の力を合わせることで、破壊の衝撃波を守りの盾へと変えることができる。
確かに溶岩の雨は水の壁に阻まれ、流されていく。
だが、それは脅威を去ったことを意味するのではない。
溶岩の中から、何か恐ろしいものが感じられた。
ゴポゴポと溶岩から泡が出てきて、ゆっくりと溶岩で赤く燃える翼を閉じた人食い火竜が出てくる。
翼を広げた人食い火竜は焼けつくような溶岩を全身に身にまとい、咆哮するとともに強烈な熱風がエルバ達を襲う。
「こいつ…溶岩の力で、力が増した!!」
「ハリマ様…ハリマ様を、自由にしろよ…この野郎ぉぉぉぉぉぉおお!!」