来客の連絡が来たのは、秘書艦を始めて5日が経った日だった。
天気予報では地図のあちこりに傘のマークがつきはじめ、鎮守府の空にも大きな雲のかかる日が多くなった。
工廠での装備開発を終えて、妖精に渡された用紙を持って提督室に戻ると、司令官が電話の受話器を片耳に当ててしきりに頷いていた。邪魔をしないように、ドアノブを回したままドアを閉める。話し終わるのを待ち、受話器を置くのを見てから用紙を執務机の上に置いた。
「誰から?」
このころになると、私も司令官に対してタメ口を使うようになっていた。ある意味『軍』である以上、鎮守府最高指揮官である彼には敬語を使わねばと思っていたが、この人に対して敬語を使うのはどこか似合わない気がしたのだ。
司令官自身も、私が敬語を使わなくなったのを喜んでいた。やっと心を開いてくれた、などと言っていたが大きく的外れだった。頼れる人だというのは分かっているが、だからと言って気を許したわけではないのだ。
司令官は椅子に座り、机に置かれた用紙に目を通しながら、
「今度、来客があるから。覚えておいてね」
「来客?」
「そう。お客さんというよりは、お手伝いさんって言った方がいいかも」
どういうことか分かりかねていると、
「来週から、近海の潜水艦を掃討しようと思っているんだ。それに合わせて、潜水艦を倒すのに慣れた艦娘を他の鎮守府から借りたんだよ。うちには、潜水艦と会敵した子が少なくてね」
鎮守府どうしで艦娘を貸し借りするのは、珍しいことではなかった。艦娘と同じく、深海棲艦には戦艦や巡洋艦など多様な種類が存在している。鎮守府ひとつでそれら全てと対抗できているところばかりではない。もし自分の鎮守府だけでは対処しきれそうにないと判断したときには、他の鎮守府から応援として艦娘を派遣してもらうのだ。
私たちがいる鎮守府は比較的最近に運営され始めた、いわば新人の集まりである。司令官こそ元は舞鶴鎮守府で指揮を執っていた経緯があるが、艦娘に関してはまだ日の浅い子たちばかりである。最も古参である漣でさえ着任して3年と、他の鎮守府の艦娘に比べて経験が少なかった。
「とりあえず、そのことを他のみんなに報せておいて。今日の夜には、またみんな食堂に集まるでしょ?」
「分かった。それで、いつくるの?」
「明日」
「明日!?」
直近のことで思わず目を見開いた。
「なんでそんなギリギリになって教えるのよ!」
「僕だって忙しかったんだ! それに、俺はちゃんと1週間前に連絡返せって言ったさ! そしたらどうだ、前日だ! あいつ絶対、そのうち彼女に愛想尽かされるから」
何やら言い訳していたが、そんなこと私は知らない。素が出てしまったのか、一人称が変わっていた。
取り乱したことにはっと気が付いて、提督は一つ咳払いして調子を整える。
「と、とにかく。みんなに伝えておいてくれ。前日になったことは僕のせいじゃないことも付け加えて」
「秘書艦の仕事に嘘が混じるようなことがあったらダメでしょ。ありのままを伝えるから」
さて、これから食堂の備蓄確認に行かなければいけないのだ。大和さんの手伝いが無くても、ある程度ひとりで出来るようになった。
司令官はあきもせず自分に非はないと説明していたが、聞き終わる前に部屋を後にした。
そして翌日。鎮守府庁舎の扉が開かれ、入ってきた艦娘を見ておやと思った。
彼女とは初対面のはずなのに、その顔を私は見たことがあったからだ。ただ、どこで見たのか全く思い出せなかった。
彼女はメガネを両手でかけ直して、
「初めまして、秘書艦さん。横須賀から派遣されました、夕雲型駆逐艦の巻雲です。どうぞよろしくお願いします」
ピシッと敬礼。えんじ色のジャンパースカートはぴったりなのにシャツの袖が腕より長いせいで、余った部分がだらりと垂れ下がっていた。身長は私の方が高いため、自然と巻雲を見下ろす形になる。
「満潮、です。よろしく」
慣れない敬語を使ったせいでぎこちなくない口調になってしまった。巻雲は相手の機微に聡い子だったようで、
「敬語でなくて構いませんよ。話しやすい口調でどうぞ」
「う、うん。ありがとう」
巻雲の好意をありがたく受け取って、彼女を提督室に連れて行った。
司令官と巻雲が軽いあいさつを済ませる。これから1週間、彼女は私たちと行動を共にする。寝床は寮の空き部屋を使うことになった。
一緒に生活するなら、鎮守府のどこに何があるか案内した方が良いのではと思い、
「鎮守府を案内するわ。短期間だとしても、覚えておけば便利だろうし」
そう提案した。しかし巻雲は、
「以前、演習でこの鎮守府にお邪魔したことがありますから、大丈夫です。お気づかいありがとうございます」
とやんわり断られた。
しばらく休憩をもらったので、巻雲と一緒に庁舎を出る。持ってきた荷物を寮室に運び入れるのを手伝うとちょうど正午になった。ふたり並んで食堂に向かう。
寮の廊下を歩いていると、T字の曲がり角から秋雲が現れた。秋雲の顔を見て、わたしはやっと思い出した。どこかで見たことがあると思ったら、そうだ。似顔絵を描いてもらったスケッチブックだ。
秋雲は私たちの姿を見とめると、ぱたぱたと走り寄ってきた。
「満潮ー……と、巻雲じゃん! 潜水艦掃討の応援って巻雲のことだったんだ!」
名前を呼ばれた巻雲も、秋雲に呼応するようにぱっと笑顔になる。
「久しぶり。相変わらず元気そうだね、秋雲」
「元気が取り柄だからね。電話の声だけじゃなくて、やっぱり顔が見れるのが一番だよ」
秋雲は巻雲の頬をぐりぐりといじくる。「もう、止めてよ~」と巻雲は恥ずかしそうに言うが、嬉しさもあるのか無理に手を剥がそうとはしなかった。少しにへらとした顔が、スケッチブックの1ページ目に描かれていたものと良く似ていた。
「ねぇ、まだ絵は描いてる?」
「もちろん。毎日描いてると言っても過言じゃないね」
「秋雲らしい」
気の置けない間柄というのは、きっとこの2人のような関係を言うのだろう。しばらく、2人は私のことを忘れたように話しこんでいた。こうも自分のことを忘れられると、なんとなく居心地の悪さを感じてしまう。
「あ、ごめんなさい! 秘書艦さんがいました」
気づいた巻雲が私に目を向けた。私は少し唇を尖らせてみせる。
「べっつにー。二人でずっと話していても、私は一向に構いませんけどー」
「もう、拗ねないでよ満潮~」
そんなやり取りをしながら、私たちは足並みをそろえて食堂へ向かった。
事あるごとにパーティーを開きたがるこの鎮守府でも、巻雲来訪の知らせが直前だったため準備ができなかった。食事前に巻雲を紹介し、いつもの食事風景に巻雲が加わる形となる。潜水艦掃討に出撃するメンバーと顔を合わせた後、彼女はほとんど秋雲の側にいたように思う。
***
巻雲が来たからといって日々のやることが変わったわけではない。出撃する子がいれば、遠征から帰ってくる子もいる。新人は相変わらず鹿島の指導を受けていた。
私の秘書艦業務最終日も滞りなく過ぎて行き、夕方には響に秘書艦業務を引き継いだ。翌日からは鹿島の指導を受けられる。いつもよりキツイ練習になるのが目に見えていたせいか、練習に戻れるのにそれほど嬉しく思えなかった。
案の条、練習量はいつもより明らかに多かった。他のみんなは午後になると港に戻っているのに、私と鹿島はそのまま残って練習を続けていた。お腹が鳴るのも構わず、ひたすら航行練習。おなかと背中が文字通りくっつくんじゃないかと思い始めたころにやっと練習が終わる。
こんな日々があと1週間続くのか……。頑張れ、響。そしてその後秘書艦をするみんな。
港に戻る道すがら、気分を変えようと空を仰いだ。清々しい青空が頭上に広がっているが、水平線の向こうでは灰色の雲に隠れていた。明日の午後から本格的に雨が降り始めるらしい。梅雨入りだ。天気予報で取り残されたように晴れマークが続いていたこの地域でも、ついに傘を広げる日がくるのだ。
雷のように鳴り続けるお腹を必死に押さえ、カレーのかおり漂う食堂へと駆け込んだ。