行動するには、それなりに時間を要した。航行練習のある日は疲労で動けなくなり、雑多な用事を済ませるころには気づけば夕方を過ぎることがほとんどだった。思い立ったが吉日というのは、時間に縛られず十分に余裕のあるひとが言ったに違いない。ようやく2日の休みを言い渡されたときは、喜びよりも安堵の方が大きかった。
雨の降らない日はいつ振りだろう。灰色の雲は怪しげな影を落しているが、雨の色は見えなかった。昼間の薄明かりのもと、私は図書館に向かった。図書館は鎮守府庁舎と渡り廊下でつながっている。木製の厚い扉に手を掛けた。
柔らかいインクと紙の独特なにおいが図書館を満たす。自然とはやる気持ちが落ち着いた。
私より頭2つ分ほど高い本棚が等間隔に並んでいて、その中に文庫本や新書などが分類されていた。私はそれらの本を無視し、本棚の間を迷いなくすり抜ける。図書館を奥へ進む。すると、突き当りの壁に冷たい銀色の鉄扉が現れた。暖かな室内でそこだけが異空間のように、異質に鈍く輝いている。扉の側には『書架』と書かれた表札が掛けられていた。
出来るだけ音を立てないように、きしむ扉を開く。扉の向こうは暗い。壁伝いに明かりのスイッチを押すと、白熱灯に照らされた金属の本棚が見えるようになった。
この書架には、過去の出撃記録や鎮守府の財務関係の書類など、外部には持ち出せないものが収められていた。
入口の扉から数えて3列目と4列目の本棚の間。そこを進んで、3列目の本棚の方を向く。びっしりとファイルが並べられている。50音順に並べられたそれらの「か」行を私は探した。思ったより多くの数が収められていたため、見つけるのは至難かと思われたが、案外あっさり見つかった。「艦娘建造記録」と名づけられてるそれを棚から引き抜いた。
この記録ファイルは艦娘が建造されたときに使われ、いつ、だれが、いくつの資源を投入して建造されたかがまとめられている。建造して艦娘が生まれてくる場合、そのとき使用する資源の量にある程度法則性があった。たとえば、駆逐艦娘が欲しいときには燃料弾薬等をどれも少なめにとか、空母艦娘が必要なときにはボーキサイトを多めにとか。それらを記録して法則を見つけ出し、今後必要な艦娘を建造するのにこの記録を元に資源量を決めるのだ。
記録されることは資源量に合わせて、艦娘の艦種、当然ながら艦娘の名前も記載されていた。
ぱらぱらとページをめくり、建造記録の真ん中あたりで手が止まった。
『陽炎型駆逐艦・秋雲 ○○年3月27日 建造』
見つけた。秋雲の建造記録だ。
書かれている内容に目を通していく。もしかしたら、秋雲の記憶を取り戻す手がかりがあるかもしれない。特殊な条件で建造されたとか、身体のどこかにハンデを持っているとか。それらがどんなものかは分からないが、とにかく情報が欲しかった。
私は今、あのとき感じた「直感」を信じて行動していた。信じて、とは言うが、それでも半信半疑だ。あの「直感」が間違いだったら……無駄足になるかもしれない。少しだけ背中に汗をかく。
秋雲の建造記録を読み終わり、ファイルを元に戻す。試しに他の記録を開いてみるが、別の艦娘のことが同じように書かれているだけで、結局秋雲に関することは最初のファイルにしかなかった。
気づけば夕方もいい時間になっている。私は書架を出た。鉄の扉を閉め、それを背にもたれかかる。制服越しにじんわりと金属の冷たさがしみてくる。
成果はなし。秋雲は他の駆逐艦と同じ資源量で建造されており、何か特別なハンデを背負っている訳でもない。舞風が言っていたように、本棚と一緒に建造されたということが特記されていただけだ。建造記録を当たれば、何か手がかりが得られると思ったが、当てが外れた。
来た道を戻りる。
他にはないだろうか。秋雲のことが分かる何かが。
渡り廊下に出ると、いつの間にかぱらぱらと小雨が降っていた。雨で白む景色を窓越しに望める。工廠近くに見えるクレーンが雨に濡れて暗緑色に代わっていた。工廠の中では、晴れも雨も気にしない妖精たちがせっせと身体を動かしているのだろう。
「妖精なら、何か知っているかな」
私は置き傘を借りて工廠に向かった。
工廠内は重い機械音と屋根を叩く雨音が合わさって騒々しさを増していた。相変わらずよくわからない機械や段ボールなどがごった返していて、その奥でちょこちょこと動き回る妖精たちを見つけた。
彼ら(彼女ら)のなかで見知った顔があったので、その子を呼び止めた。私が秘書艦をしていたときに声を掛けた妖精だった。
「ねぇ、お願いがあるんだけど。いいかな」
私は屈んで、出来るだけ妖精と目線を合わせた。
何を思っているのか分からないが、ぽーっと私の顔を眺めている妖精。しばし間があって、妖精はひとつ頷いた。時間は貰えるようだ。私は簡単に秋雲のことを説明する。
「それで、書架の建造記録を見たけど、何も分からなかったの。だから、もしよかったら、秋雲の詳細をまとめたものがあれば見せてほしいんだけど」
書架にある建造記録は秘書艦がつけるのが常だった。建造記録用のフォーマットがあり、秘書艦はそれに沿って記録をつける。つまり、建造主である妖精が書くわけではないのだ。ひょっとしたら、建造主であるこの子たちでなければ分からない情報があるかもしれない。
妖精は少し悩む仕草を見せる。今は秘書艦ではない上に、提督から指示を受けている訳でもない。装備の調整以外でのお願い、しかも個人情報に関わることだ。躊躇って当然だろうと遅れて気づいた。
「やっぱりいいよ」と断ろうと口を開きかけたとき、妖精は一度頷いた後、工廠の奥へと行ってしまった。そしていつかのように、一枚の紙を小脇に抱えて戻ってきた。
身体をいっぱいに使って、持ってきたものを差し出してくる。それを受け取ると、妖精は敬礼をして仲間の中に戻って行った。私は心の中でお礼を言い、しばし躊躇って、丸められたものを広げた。
『陽炎型駆逐艦・秋雲』
縦長の書類のてっぺんに大きく見出しがされているそれは、妖精がまとめた建造記録だった。
見出しの横には秋雲の顔写真。下に目を通していくと、使用資源や建造日時などが記載されている。書架にある建造書類と似ているが、それより詳細な建造時の様子が書かれていた。
ひとつひとつ、点で区切られた文を追っていく。そして、記録の最下部。『注意』と書かれた項目に目が吸い寄せられた。そこには秋雲が本棚と一緒に生まれたということが、いくつかの追記事項を伴って赤字で強調されていた。
書類を読み終えると、私は無意識に天井を仰いでいた。私の求めていたものがここにあった。しかし、これほど思いを巡らせることになるとは思っていなかった。鎮守府のシステムを呪う。今度から建造記録は妖精にまとめてもらった方が良い。建造主である妖精が書くのだから、間違いも情報の漏れもないはずだ。
希望はある。秋雲の記憶を戻すことが出来るかもしれない。舞風について来てもらって、秋雲の部屋のどの本棚が目的のものか教えてもらおう。いや、舞風がいなくても大丈夫か。秋雲が忘れるのは艦娘に関することだけだから、今の彼女でもどの本棚か分かるはずだ。
ただ--私は眉を潜めた。同じ艦娘を疑わなければならなくなった。秋雲が自分で失くしたとは思えない。私はあの後、秋雲の行動を見ている。それはもう一杯になったから新しいものを用意しないと、と言って仕舞っていた。誰かが秋雲の部屋に忍び込んで、アレを盗んだのだ。
工廠を出る前に、隅に置かれたままのスケッチブックを手に取る。あれから誰も手を付けなかったのだろう。表紙の厚紙には少し埃をかぶっていた。小さくはたいて、雨に濡れないようにビニール袋に入れる。
傘を叩く雨は少し強さを増していた。明日は今日よりも降水量は多くなる。本格的に長靴が必要になるかもしれなかった。
***
ひとつ理解してほしいことがある。私が見ている景色、私が感じている温度、私の中に起こる感情。それに嘘も偽りもない。私が直接経験している世界は真実だ。誰かに騙されていたとしても、誰かを騙すにしても、フィルターで歪んでいたとしても。
世の中のすべてを知っているわけではない。むしろ、知らないことばかりだ。鉄の塊から人の身体に生まれ変われば、あらゆることが艦船のころと違う。それでも、ひとつ確信できたことがある。
私のいる世界は、ミステリーにはなりえないということだ。
工廠から戻り、食堂で夕食を食べる。何人かを連れだってお風呂に入り、じっとりと湿る空気の中を寮に向けて足を進める。そして、10時きっかりに消灯を言い渡された。
深夜。トイレに行こうと寮の廊下を歩く。その帰りしな、秋雲の部屋の前に人影を見つけた。声を掛ける前に、その影はあわてたように身を翻して、呼び止める暇もなく走り去ってしまった。明かりは足元を照らすフットライトだけ。それでも胸元までならぼんやりと見ることができる。人影は何かを胸に抱えていた。その何かが分かったとき、遠くで扉を閉める音がした。
さっきまでぬくぬくとしていた私の胸は一瞬で冷まされた。無理やり部屋に入って問いただすのもいいが、今は夜だ。真夜中に騒ぐほど常識外れではない。明日でいいだろう。今日は頭を使って疲れてしまった。
部屋に戻り、ふとんに身体を埋める。これからのことに考えを巡らせていると、いつの間にか瞼が落ちていた。
彼女が何を思ってそうしたのか、私には分からない。それでも、許されることではない。
明日だ。明日、全てが解決する。
秋雲のスケッチブックを盗んだのは、巻雲だ。
次回は10月7日(土)投稿予定です。