秋雲の部屋の前に立ち、私は扉を数回ノックした。
「秋雲ー。いるー?」
呼びかけてみたが、一向に返事が来る様子がない。試しにドアノブを回してみると、すんなり回った。巻雲が帰る時に口酸っぱく注意していたのに、また忘れているのだろう。
私は躊躇うことなく扉を大きく開けた。
「秋雲ー。あんた外に出ないと……」
その先を言うことが出来なかった。
扉を開くと同時、部屋の中から無数の紙くずが波のように襲いかかってきた。私は紙くずの中に埋もれながら喚く。
「な、なにこれ」
私は紙くずの一つを手に取って開いてみる。白い背景がいくつかの四角いコマで区切られていて、四角の中に人物や建物が描かれていた。時折はさまれる集中線は、読み手にインパクトを与えるためのものだろう。
他の紙も開いてみる。それらにはいずれも、真ん中に大きく、『ボツ!』という文字が書かれていた。
「あれ、満潮じゃん。何してるの?」
部屋から秋雲がひょっこりと顔を出す。いつもの制服姿ではなく、えんじ色のジャージを身に着けていた。
紙くずに埋もれたままでは話しも出来ない。秋雲に手を引っ張って助け出してもらった。
「この紙くず、漫画のボツ絵?」
「そうそう。あんまり見ないでね、恥ずかしいし」
秋雲は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
目の下には、うっすらと影のようなクマが出来ていた。しかし、体調が悪そうには見えない。私の名前を呼んだことで、記憶がなくなっていないことも確かめられた。
「ずっと部屋で漫画を描いてるの?」
「そうそう。大きいイベントじゃないけど、もうすぐ漫画の即売会があるんだ」
そこで歯切り悪く秋雲は言い詰まった。聞くと、イベントが間近に迫っているにも関わらず、まだ漫画を描き終えてないそうだ。
「何してもいいけど、あんまり心配かけないでね」
「おや、心配してくれてたの?」
「うるさい」
秋雲の額を指で弾く。秋雲はわざとらしく痛がってみせた。
大和さんからのお願いは、秋雲の様子を見てくるようにとのことだった。先ほども確認したが、体調は崩していないように見えるし、実際そうなのだろう。以前のような記憶障害も起きていない。心配は無用だった。
出撃までまだ時間はある。軽く声を掛ける程度で良いと言われたが、私はもう少し秋雲と話していたかった。
「ねぇ、どんな漫画描いてるの?」
興味本位で聞いてみた。秋雲の漫画は、以前ちらっと見せてもらったことがあるが、内容までは把握していない。彼女がどんな漫画を描いているのか、純粋に興味があった。
「お、良く聞いてくれました。今回描いてるのは、なんと満潮が主人公の漫画だよ」
「ほえ?」
思わぬことで声がうわずってしまった。まさか自分が作品の主軸に置かれているとは、さすがに予想していなかった。
「気になるなら、ちょっと見てみる? 普段はめったに見せないんだけど、満潮には恩があるからね。特別に見せてあげる」
もちろん見たいならだけど、と秋雲は言い添えた。
怖いもの見たさというか、そう言われるとなんとなく見たくなってしまう。自分が主人公として描かれていて、秋雲がそれをどんな内容に仕立てているのだろう。描き手の秋雲が見せてくれるというのだ。断る理由は見当たらなかった。私はひとつ頷いて、秋雲の部屋に入った。
部屋の中は相変わらずの散らかりようだった。ボツになった紙くずがそこかしこに散らばり、机の側には背景や衣服の資料が山積みされている。着崩した部屋着や制服は床の一部になったように紙くずの下に埋もれていた。
秋雲は机の上から数枚の用紙を取って私に手渡した。
「今描けてる分だけだから、まだ少ないけど」
私は受け取った漫画の元をぺらぺらとめくっていく。各コマには確かに私が描かれていて、私と他の艦娘の会話がちりばめられていた。
何と言うか、むずがゆさを感じてしまう。
日常系で艦娘同士のほのぼのとしたもの、というのが最初の数ページの印象だ。しかし、読み進めるうちに雲行きが怪しくなっていき、ついに私が鎮守府から飛び出してしまう。どちらが悪いというわけではない、ちょっとした誤解とすれ違いが生んだいざこざだ。
次のページで最後だが、おそらくこの後、私たちは改心して仲を戻すのだろう。
そう思ってページをめくった先には、唐突に私と提督が繋がっている絵が大きく描かれていた。ところどころ規制されたようにモザイクで処理がされていて、どういうわけか甘ったるい表情をした私がコマの中にいた。
一瞬何が描かれていたのか分かりかねたが、内容を理解するや否や私は漫画の両端を強く握りしめた。
「ちょ、待って待って! 何しようとしてるのさ!」
秋雲が慌てて私の腕をつかんで止めた。
「何でこの展開から提督とくっつく流れになるのよ!」
「良いじゃん! リアルにくっついてる訳じゃないんだから!」
「どういう理屈よ!」
片や漫画を引き裂こうと必死になり、片や破かれまいと必死に止める。
しかし、ちらちらと見える甘いシーンのせいで力が緩んでしまい、その隙に秋雲が漫画を取り上げてしまった。胸に抱えるように漫画を守っている。
「もう、今から描きなおすとか嫌だよ。結構描けてるんだから」
「絵がうまいのは認めるわ。でも、その内容だけは認められない」
「似顔絵を描いたときに言ったじゃん。題材に使わせてもらうって」
「まさかみだらな描写にまで使われるとは思わないじゃない!」
どんな内容の漫画を描くのか、似顔絵を描いてもらう前に聞いていれば丁重に断っていたはずだ。百歩譲って、秋雲が似顔絵を描かないといけないとしても、漫画を描くことだけでも阻止していた。
「まさかとは思うけど、響の本も書いたんじゃないでしょうね」
「お、察しが良いね。響にも見せたけど、一冊譲ってくれって、興味津々だったよ」
あの子は……。確かに響なら、秋雲の漫画を見ても特に動じない気がする。むしろ、夜のお酒のお供にして、読みながらグラスを傾けていそうだ。
ふと、目に入った壁掛け時計を見ると、すでに出撃15分前になっていた。まだ秋雲に言いたいことがあったが、あまり悠長にする余裕はなかった。
「とにかく! 響は良いかもしれないけど、私のはダメだからね!」
去り際に漫画の内容を変えるように言い含めて、私は寮を後にした。
工廠にあるメンテナンス用の部屋に入ると、他のメンバーはすでに艤装の調整を終えているようだった。
「なんだか緊張しますぅ」
「ま、ぱぱっと終わらせようぜ」
などと、口々に言葉を交わしていた。
私は艤装を目の前に展開する。背中に直接展開するだけでなく、慣れれば背中以外の場所にも艤装を出すことができた。背もたれの無いイスに腰かけ、艤装を微調整する。
調整している間の私の心は、あまり穏やかではなかった。それはきっと顔にも出ていて、ひどく不機嫌な表情になっていたのだろう。響が私に近づいてきた。
「どうしてそんなにむっつりした顔をしているんだい?」
響は不思議そうに首を傾げる。
「ねぇ。秋雲の本、貰ったんだってね」
「うん、貰ったよ」
「恥ずかしくなかったの?」
「特には。内容は男の子が好きそうなものだけど、実際に私自身がしている訳じゃないしね……あぁ、それで機嫌が悪そうなんだ」
響は察した様子で頷いた。口の端が、いたずらを思いついたようににんまりとしている。
「ああいう本もあるんだ、くらいで流せばいいのに」
「私は響みたいに豪胆じゃないのよ。心は純粋な女の子なんだから」
「そのセリフ、言ってて恥ずかしくない?」
恥ずかしかったので返事はしないでおく。
秋雲に言いたいことはまだたくさんある。この憤りを彼女に直接ぶつけてもいいが、それをしても何も変わらないだろう。この後はちょうど出撃で、敵艦隊との戦闘が予想されている。奴らに打ち込む弾を10発ほど増やすことに決めた。それでスッキリしなければ、食堂でやけ食いしよう。話している間に艤装のメンテナンスは終わり、私たちは足早に港に向かった。
本日は晴天。雲一つない青空に浮かぶ太陽は、暖かな日差しを振りまいている。
初出撃にとって、またとない快晴だ。
私たち新人艦隊は、秋の潮風を切りながら、航路を南へと進んでいった。
次回は12/16(土)投稿予定です。