バイクに揺られること2時間。温かみのある茜色の光は静かにフェードアウトして、仄暗い紺色が空を覆った。
ちらちらと灯り始めた街灯の下を、緩いスピードでバイクが通過する。白露はまばらに建つ家々を通り抜け、町の小高いところにある家を目指した。ライトで照らされた表札には達筆な字で、「佐倉」と書かれていた。
「白露のねーちゃん! 今度はこっちであそぼーぜ!」
「だめぇ! おねえちゃんはわたしたちとあそぶのー!」
バイクを敷地に停めるなり、白露の周りには子どもたちが群がった。
「後で遊んであげるから。お父さんかお母さん……それかおばあちゃんはいるかな?」
白露が子どもたちの相手をしている間、わたしは家の前で手持無沙汰になった。家から目を離し、辺りを見渡す。まだ空に明るさが残っているため、町全体がうっすらとした明りで照らされているようだった。
鎮守府近くにある街とは対照的な、田舎の町だ。瓦屋根の家屋同士は広い間隔を開けて、まばらに建てられている。それなりの数があり、ひどい過疎状況にあるとは思えない。しかし、歩いているひとを見ると、そのほとんどが高齢者だった。
白露が子どもたちをあしらうと声をかけてくる。
「よし、じゃあ上がらせてもらおう」
そう言って白露は荷物を持って玄関へと向かって行った。後を追うため、わたしは再び家屋と向き合う。
タールの塗られた大きなトタン屋根が、すっと暗い空に伸びている。木目の揃った外壁は年代を感じさせるが、脆いという印象は全く受けない。わたしはこの家に、がっしりとした体格の厳格な老父を見た。しかし、彼は来るものを拒まない。横開きのガラス扉がからからと軽い音を立てて開けられた。
中に入ると、外観に似合う広い玄関に出迎えられた。玄関の幅に合わせたように横広な廊下の中央には、家の中心である大黒柱が重鎮している。漆が塗られているのか、表面は滑らかで、てらてらと光って見えた。
白露が子どもたちに手を引かれて奥へと進む。それをぼーっと眺めながらついて行く。突き当りを左に折れる。
暗い廊下に細い光の線が斜めに走っていた。光の元をたどると、右手のふすまが少し開いている。目的地はそこらしい。先行していた男の子がふすまを開けた。
8畳の和室。両側は白塗りの壁で挟まれ、障子の張られた横開きの2枚扉が入口と対面している。右側の壁には襖があり、下3分の1ほどのスペースに紺色で波のような線がまばらに描かれていた。
部屋の中央には、すでに2組の布団が隣り合わせで敷かれていた。白露が事前に、家主に連絡していたのだろう。
荷物を置いて和室を出る。わたしと白露は食卓に通された。和の雰囲気で満ちた家屋で、ここだけが洋式の内装だ。大きなダイニングテーブルには、サラダや肉料理が大皿一杯に盛りつけられていた。
テーブルの上座におばあさんが座っている。子どもたちがそれぞれの席に着く。子どもたちに言われ、わたしと白露は彼らの反対側に着いた。
「お父さんたちは?」
白露が聞くと、女の子が答えた。
「パパは出張だから、今日は帰れないって。ママはもう少ししたら来るよー」
「そかそか、じゃあ待ってよーねー」
それから1分も経たずに、奥の勝手口からエプロン姿の女性が現れた。
「白露ちゃん、いらっしゃい」
柔和な声で女性は言う。口調だけでなく、態度や纏う雰囲気も落ち着いている。立ち振る舞いからも「母親」ということが伝わった。
「お邪魔します」
「約束を守ってくれる子は大好きよ。隣の子はお友達?」
「そうです。ふくれっ面はデフォルトだから、気にしないで」
テーブルの下に隠した拳を太ももに押し当てて、パンチを飛ばさないように何とか我慢した。子どもの目がなければ、今すぐ殴り飛ばしたはずだ。鼻で大きく深呼吸して、白露の脇腹を小突くにとどめた。
女性が私の近くまで寄ってきて、
「サチといいます。白露ちゃんのお友達なら、我が家も大歓迎よ。いつでも遊びに来ていいからね」
自然な笑みを向けられる。「友達じゃないです」と訂正すべきだろうが、言いだせる空気ではなかった。食卓の空気を壊しかねない。
わたしは出かけた言葉を飲み込んで、
「満潮です」
おずおずと頭を下げた。
お腹が空いて仕方なかったのか、サチさんが席に着く前に子どもたちは箸を手に取った。大皿に盛られた料理が小さな口の中にぱくぱくと吸い込まれていく。白露の友達(という設定)だが、かといって子供たちのように食べ物にがっつくのも気が引ける。盛られたご飯を食べ切れる程度に、小皿に料理を取った。
隣を見ると、白露はすでにご飯を平らげていた。
「おかわり!」
「あ、ねーちゃん速すぎ! かーちゃん、ぼくにもおかわり!」
「あ、わたしも~」
サチさんは困ったように「はいはい」と口では言っているが、その口元には微笑みが浮かんでいた。それまで一言も話していなかったおばあさんが、しわがれた唇をもごもごと動かして、「ガキは、ぎょーさん食え」と呟いた。
「白露、あんたもう少し遠慮しなさいよ」
「でもお腹空いてるし」
「ひとの家でしょうに」
それでも、白露はこの食卓の雰囲気になじんでいる。他人ではなく、最初からこの家の子どもでしたと言わんばかりだ。
なぜだろう。
この場所がアウェーだと感じているのは、わたしだけのような気がした。
赤い縁のお椀を手に取り、みそ汁をすする。土地によって赤みそか白みそかという違いがあるらしい。この家は穏やかな白だった。
みその芳しい香りを口の中に含みながら、食卓の光景を眺めた。子どもたちのはしゃぐ声。それに混じる白露。微笑みを携えて3人を見守る母親に祖母。これが「団らん」というものなのか。喧騒とは違う。不快な感じはしない。家の音。そう表現すると、すとんと胸に落ちたように思えた。
以前、朝潮に連れられて近くの街に繰り出したことがある。あまりの音に、耳を塞いだのを今でもよく覚えていた。
ビル間を吹き抜ける風の音。信号機の点滅音。車のクラクション。たくさんの靴がアスファルトを踏む音。それらが合わさって、ひとつの街の音を作り上げている。それは、自分には直接無関係なものたちが奏でていて、わたしにとって「雑音」でしかない。これよりも間違いなく激しい砲撃音では、うるさいと感じることはない。
しかし、この食卓で生まれている「音」は、決して耳を塞ぎたくなるようなものではなかった。聞いていると安心する。タオルケットにくるまっているような安心感だ。
ふいにこの食卓と、鎮守府の食堂の風景が重なった。広い食堂に朝潮がいる。荒潮がいる。嵐も、舞風もいる。遅れて大和さんが入ってくる。徐々に食堂に仲間たちが集まってきて、各々好きな席に座る。あちこちで笑い声が上がり、ときには周りを憚らず口喧嘩までする子も出てくる。その様子を同じ席に座った子たちと「またやってる」などと言いながら眺める。
そんなとき、わたしは今と同じようなものを感じている。
この家族にとって、この家の、この団らんは安全基地なのだ。帰る場所。全てを失っても、必ず味方でいてくれる場所。ここに来れば、恐れるものなんて何もない。
「満潮?」
名前を呼ばれてはっとする。
「な、なに?」
「どうしたの。箸を持ったままぼーっとしてさ」
「……何でもないわ」
白露が不思議そうな顔を向けてくるが、構わずご飯を口にする。お米は口の中でほろほろと崩れ、噛むとほのかな甘みが広がった。
前回のあとがき通り、次週の投稿はお休みいたします。
次回は2/10(土)投稿予定です。
お間違えの無いよう、よろしくお願いいたします。