秋の夜は冷え込んだ。子どもたちのあとにお湯をもらい、温まった体で廊下に出ると引き締まるような寒さにぶるりと震える。あてがわれた客間に入ると暖房が効いていて、室内は程よい温かさに調節されていた。
「水もしたたるいい女だ」
「バスタオルで拭いたから、水なんて一滴も垂れやしないわよ」
後ろ手に襖を閉める。白露は寝間着姿で、掛布団の上に大の字に寝転がっている。彼女の荷物は下着と寝間着、それと財布のみ。いつの間に用意したのか分からないが、わたしの着替えも荷物に含まれていた。
白露の隣に腰掛けて着替えた制服を丁寧に畳む。それを見て白露が言った。
「几帳面だね」
「服を畳むくらい当然でしょ」
「そうかな? あたしはいつも適当に放り投げてるよ」
「皺がつくじゃない」
「深海棲艦とドンパチやり合うのに、皺なんて気にしてもしょうがないよ」
「だからって、身だしなみに気を付けない理由にはならないわ」
畳み終えた制服を枕元に置いておく。洗っていない制服を着まわすのは少し気が引けるが、仕方ないだろう。鎮守府に帰ったら丁寧に洗おう。
今頃、朝潮たちはどうしてるだろう。南西諸島だから、あの近辺の鎮守府で一泊して、翌日に帰投する算段を付けたに違いない。南の海。木組みの桟橋に腰掛けて、満天の星を眺める――いいなぁ。朝になればガラスより透明な海が望めて、そこかしこに珊瑚や色とりどりの海の花が波に揺らめいている――いいなぁ。
私はといえば、茶髪のおてんば娘とふたり、田舎のお家で枕を並べている。彼女は私の内心なんて察する気もないようで、枕を抱えて楽しげに転がっていた。
せめて朝潮たちと夜空だけでも共有したくて、奥の障子戸を開ける。縁側は秋の夜風がもろに吹き付け、長居すれば風邪をひいてしまいそうだった。縁側のふちに腰かけ、塀の向こうの空を見上げた。雲一つない夜空いっぱいに、所せましと星が輝いていた。陳腐な表現しか思い浮かばないけど、宝石箱の中身を夜空にばらまいたみたい。光の強弱がコントラストになり、それがまたうっとりと心を揺らしてくる。
「ほほぉ、これはまた風情ですなぁ」
寒そうに身をかがめて白露がやってきた。相手にしないでおこう。私はいま、感傷に浸っているのだ。せめて星空くらいゆっくりと眺めさせてほしい。
と思っていたが、ふと、昼間のやりとりが思い出された。
「ねぇ。そろそろ説明してよ」
「うん、なにを?」
きょとんとした顔を向けてくる。本当に分かっていないのだろうか。イラつく胸を押し殺す。
「わたしを引っ張りまわした理由よ。意味もなく連れてきたわけじゃないって、あんたが言ったのよ」
「あぁ、そうだったね。この家に来てから言おうとしてたけど、すっかり忘れてた」
ごめん、と片手を上げて謝る仕草をした。
私は黙って、彼女が話しだすのを待った。りーん、りーん、と間延びした虫の声が空へ上って行く。近くに草むらがあるのだろうか、さわさわと風に揺れる音が潮騒のように響いていた。澄み切った夜風に、私と白露の息遣いが溶けていく。
もし、と白露がきりだす。
「もし、満潮がさ。艦娘じゃない普通のひとだったとして。艦娘が存在していることに賛成する? それとも反対する?」
なんだ、その質問は。
「賛成するに決まってるでしょ。でないと、そこらじゅうの海に深海棲艦が野放しになるじゃない」
そうだろうね、と白露は言った。
「でもそれは、深海棲艦がどんな生物で、どれほどの被害を与えるか知っているから言えるんだよ。この国の人、その中でも特に、深海棲艦の恐ろしさを知らないひとたちがどう考えるか。ズバッと言っちゃうと、あたしたち艦娘は害でしかないんだよ」
その答えに驚く私をよそに、白露は話し続けた。
「この国は戦争に負けて、自衛以外の目的での武器を捨てた。でっかい爆弾を落とされて、その物々しさに核を持たないとも約束した。晴れて、国は平和大国をめざし、その平和は静かに続いていた。そこに現れたのが、深海棲艦だよ。そしてそいつらを撃滅するために生まれたのが、艦娘なんだ」
白露は、遠く、夜空を見上げた。瞳に映る星々が煌めいている。
「艦娘ってなんだと思う、って聞いたよね。その問いに明確な答えは出ていない。あたしたちを人間っていうひともいるし、武器って言うひともいる。その両方を持ち合わせた存在だって言うひともいる。議論は堂々巡り。現に、深海棲艦を撲滅した先の、艦娘の処遇については何も決まっていない――と、話が逸れたね」
白露は一拍置いて唇を湿らせる。その顔からは、いつの間にかあの憎たらしい笑みが消えていた。
「深海棲艦の恐ろしさを知らない人たち。彼らは海から遠く離れた内陸地、こういう田舎に多いんだよ。あたしの主観じゃないよ? ちゃんとデータが出てるの。
危険地帯から離れ、ある意味隔離されたところにいるひとには見境がない。偏見なんて当たり前。あたしたちがいることで、また国どうしの戦争が起こるんじゃないか、何かの陰謀じゃないか、即刻排除すべきだ、って。まぁ、そういうひとはどこにでもいるけどね。あくまで、田舎に“多い”ってだけ」
そんな、と私は思わず言った。
「そんな。自分たちがどんなふうに守られているか知らないで、異議だけ唱えているひとがいるの? 深海棲艦から守られているのに、それを守る存在を邪魔だなんて」
「だから、知らないんだって。深海棲艦のことも、艦娘のことも」
「でも、ニュースでも新聞でも報じられているでしょ」
「紙に書かれた文字と写真、テレビの映像を見て、そのときには思うところもあるだろうね。でも、それですべてを知るなんて無理だよ。動物園でパンダの赤ちゃんが生まれましたっていうほのぼの映像を見れば、思っていたことなんて一瞬で消える。
それに、考えてみて。深海棲艦が街をずたずたにしていく映像を見て、実際にその現場を見に行こうとするひとが、一体何人いるの? 何人が本物の深海棲艦を見て、何人が戦う艦娘を見たの? 敵の砲撃は? 艦娘の傷ついた身体は? ドックに入れば治るけど傷にしみるよ。あたしたちがどれだけ頑張っても、それが伝わっていないんじゃ話にならない」
白露は大きく、長い息を吐いた。そして、口元を小さく持ち上げる。その微笑みは悲しげにも見えたし、大仕事をなした後の満足顔にも見えた。
「だから、あたしは伝えることにしたの。何も知らないまま、艦娘が非難されないように。敵は何か、あたしたちは何者か。どの国でも保有されている、得体のしれない武器ではないこと。全部ね」
白露が空を仰いだ。つられて、わたしも視線を移す。そこには変わらず、輝かしい星々が散りばめられていた。
次回は2/17(土)投稿予定です。