辛かったよ、白露は言った。
「あてもない旅に出た感じだった。頼れる仲間の元を離れて、疑心に満ちた町に行くんだもん。陸じゃあただの女の子とたいして変わらないから、大人の手にかかったら簡単にねじ伏せられちゃう。知ってる? 海が近くないと艤装展開できないんだよ。怖かったなぁ。武器を持ってないとここまで不安になるんだって。もしかしたら、あたしは海外のほうが性に合ってるのかもね」
茶化した声音。しかし、私にはそれが、強がりの言葉にしか聞こえなかった。ここで疑問が浮かんでこなければ、私はずっと白露の話を聞くロボットになっていただろう。
司令官は、と声を出したけど上手く舌が回らなくて、ひとつ咳払いする。
「司令官は、なんて言ったの?」
「うん?」
「だから。あんたがその、旅に出るって言ったとき。相談くらいしたでしょ」
「そりゃね」
「そのとき司令官は、なんて?」
司令官は頭の中身をお花畑に置き去りにしてきたような人だ。それでも、指令系統を滞らせることはない。駆逐艦一人減るだけで、戦力は大きく損失する。それが分からないなんてことがあるだろうか。
白露は過去を思い出すように視線をさまよわせ、やがてわたしの方を向いた。
「何も」
「え?」
「何も言われなかった。ただ一言、『任せた』とだけ」
なるほど。それも、確かにあの人らしい返事かもしれない。
縁側の下には子ども用のクロックスが置かれていた。白露はその片割れを手に取り、懐かしむように目を細めた。
「この家はね、あたしが初めて、自分のやっていることが間違いじゃないって知れた最初の場所なんだ」
障子を通して届く客間からの明りに、手に持った履物をかざした。全体を焦げ茶色で塗って、側面には白と黄色の縞模様が描かれていた。
「わたしが来るまで、この家のひとたちはみんな、艦娘のことを忌まわしい兵器を見る目で見ていた。兄妹がいたでしょ。あの子たち、わたしを見るなり近くにあった石を投げてきたんだ。余所者を排除するみたいに。あんな、時代劇でしか見たことないようなことをする世界が本当に存在するんだって、ちょっとおかしくなっちゃった。
もちろん避けることなんてできなくて、こめかみにぶつかって……気づいたらあたし、その場にうずくまってた。血がかなり出てね、さすがに子どもたちもびっくりして顔が真っ青になってたよ。たとえ相手が得体のしれない存在でも、自分達と同じように血を流すことを分かったからかな。この家まで連れてこられて治療してもらった」
なんとなく、その状況が目に浮かんだ。熱い陽の下、バイクにまたがり白露はこの町に来た。しかし、歓迎の言葉はなく、誰も彼も白露から距離を取る。笑顔で接しても、それがかえって胡散臭さを増してしまう。やっと話せたと思った家族は偏見の塊で、子どもたちに至っては塩をまくかのように石を投げつけてくる始末。
この家に来るまでにも様々な土地に出向いたに違いない。何度も何度も説得を試みる。だけど、凝り固まった認識を変えるのは容易なことじゃない。やや豪胆とも思える白露の性格や行動は、彼女の目的を果たすための副産物なのかもしれない。
白露は続けた。
「そのときに話したよ。艦娘がどんな存在か。艦娘がいることで、新しい争いに発展することはない。ただ、昔の海を――穏やかで、海鳥が飛んでいて、キラキラ輝く大海原を取り戻すために、あたしたちがいるんだってことを、ね」
そこで言葉を切り、再び秋の静けさが戻った。夜虫がりーん、りーんと間延びした声で鳴き始める。夜風は思い出したかのように冷たさを伴って草木を揺らし、葉擦れする音が宙に溶けていく。
白露が続きを語る必要はない。その結果を、私はすでに目にしているから。
ただ、どうしてもわからないことがある。
白露の今の話は、わざわざ遠出して話さなければならないことだっただろうか。わたしひとりに聞かせたかったのなら、夜にでもこっそり呼び出して話せばいい。わたしの性格なら聞き流すかもしれないが、全く信用しないなんてことはないだろう。実在する家を訪れることで、語って聞かせる以上の説得力はあるが、それでも鎮守府から外に出る必要性を感じなかった。
そんな私の心を読んでか、白露は、
「満潮は聞いていた通り、血の気の多い艦娘だった。かといって冷静さがないと言えばそうでもなく、敵を倒すことで救われるひとがいることも知っている。自分の義務に忠実だ」
だけど、
「艦娘の理解者は少しずつだけど増えている。そのひとたちが、あたしたちにどんなふうに振る舞ってくれるか見てほしかったの。でも、この家みたいに優しいひとたちばかりじゃない。自分の行動が誰かのためになっていると思っているひとほど、世間の冷たさに当てられたときの絶望感は耐え難いものだからね」
「随分達観しているのね。まるで無茶する子どもをたしなめる大人みたい」
「嫌な言い方しないでよ。これでも心配して話してるんだから」
白露はわざとらしく唇を尖らせた。そしてふいに間抜け顏になり、「くしゅん」とくしゃみをした。
話し込みすぎた。暖房が恋しい。私が立ち上がると、促されたように白露も腰を上げた。足早に客間に戻る。
「でも、思うんだけど」
鼻声で尋ねる。わたしも風邪をひいてしまったかもしれない。
「あちこち回るんなら、バイクより普通車の方が圧倒的に効率的だと思うんだけど」
「あぁ、なんだそんなこと」
白露はひとつ鼻をすすり、いつもの憎たらしい笑みを浮かべた。
「だって、バイクの方がかっこいいじゃない」
次回は2/24(土)投稿予定です。