*前2話分のサブタイトルを変えました。ご確認、ご注意ください
*再びサブタイトルに名前を付けました。(9/3)
金縛りという現象をご存じだろうか。
朝、目覚まし時計の音を聞く前に目が覚めて、少しうきうきしながら布団を出ようとする。しかし、動かそうにも両手足が岩のように固まっていて動かせないことに気が付いた。寝返りも打てず、誰かが自分に乗りかかっているような息苦しさを感じる。意識ははっきりしているにも関わらず、身体が言うことを聞かないのだ。何か身体的な病にでもかかったか、はたまた霊的な超常現象かと自己問答したところで思い至る。これはもしや、金縛りというやつを経験しているのではないか。と、こんな具合だ。
世間的には幽霊現象だと言われていた時期もあるが、実際にはそうではない。不規則な睡眠習慣による睡眠障害や過度な運動によるストレス・筋肉の疲労によって引き起こされると言われている。ある意味、霊的存在を科学で否定した一種の例かもしれない。
さてここで、私の今の状況を考えてみよう。目は覚めているのだが視界が真っ暗だ。両手足は固まって動かせず、寝返りも打てない。その上誰かに馬乗りされているような息苦しさを感じる。手首と足首だけは辛うじて動かせるが、十中八九金縛りで間違いないだろう。
私は昨日の行動を思い出してみた。昨日着任したばかりで、パーティーに参加しただけで、運動らしい運動はしていない。今は一人部屋のベッドで横になっていて、ひとの身体に生まれ変わって寝るのは昨日の夜が初めてだった。特にストレスを感じるようなことはしていないはずだ。
そう言えば、朝潮が「満潮は建造された」と言っていた気がする。どのようにひとの身体を「建造」するのかは分からない。もしかすると建造による制約のようなものがあるのだろうか。そうだとすれば、早いうちに朝潮に聞いておく必要がありそうだ。
息苦しさは相変わらず続いていて、ついに幻聴もし始めた。小鳥のさえずりとともに誰かの息遣いが聞こえてくる。これはもしや、幽霊的な何かが馬乗りしているのだろうか。しかし、目を開けることも出来なければ身体を動かすことも出来ない。対抗手段がなかった。
しかし、金縛りは時間が経てば解けるのが常なはず。着任早々に寝坊したと思われるのは癪だったが、金縛りにあったと正直に言えばいいだけだ。身体が動くようになるまで寝ていても、罰は当たらないだろう。
私は起き上がることを諦めて、張りつめていた全身の力を抜いて再び布団に身体を沈めた。
「ふふん、ようやく大人しくなった。じゃあ早速、アレとかコレとかを試させてもらおうかな」
その幻聴(?)を耳にして、私は布団をはねのけた。こんな空恐ろしくなるような幻聴のする金縛りがあってたまるか!
乗りかかっている重みを持ち上げるようにベッドから床に落とす。そのとき、膝に何か硬いものが当たる感覚がした。幽霊ではない、実体のある何かが私のお腹に乗りかかっていたのだ。
ベッドから落ちた布団は中央が盛り上がっている。もぞもぞと忙しなく動き、布団の下にいる「それ」はうめき声も上げていた。
気味が悪くてベッドの端で身を縮めていると、朝潮が部屋に入ってきた。
「満潮、起きてる?」
朝潮の声を聞くやいなや、ベッドから飛び降りて彼女の背中に身を隠した。
「どうしたの?」
いきなり盾のようにされて戸惑った朝潮は、私の指差す先を見て深いため息をついた。床に落ちた何かは、いまだに布団をかぶったままうごめいている。
何を思ったのか、朝潮が布団に近づくのを見て、私はあわてて止めようとした。
「ち、近づかない方が良いわよ。なんだか得体が知れないし」
不審者か。不審者なのか。だとしたら憲兵は何をしていたのか。こんな朝っぱらから不埒ものを鎮守府内に侵入させるなど、警備体制が甘すぎる。
ひとり戦々恐々としていると、
「大丈夫よ。ちゃんとした艦娘だから。得体が知れないのはこの子の頭の中なだけ」
そう言って、朝潮は躊躇うことなく布団を剥がした。そこにはお腹を押さえてもだえている女の子がいた。余程痛むのか、背中を苦の字に曲げている。胎児のよう、と表現するには、その表情はあまりに苦悶に満ちていた。明るい髪を後ろで小さく束ねていて、活発な印象を受ける。お腹に当てている両手は白い手袋で覆われていた。
「舞風、いい加減にしないと嵐に怒られるよ?」
もだえる少女の顔を覗き込んで、朝潮は言う。私は恐る恐る近づいて、朝潮の背中越しに覗き込む。
舞風、と呼ばれた少女は涙声だ。
「だ、だって! 舞風は昨日の夜に、遠征からやっと帰ってきたんだよ。歓迎会に参加してないんだよ」
むくりと身体を起こす。姿勢を正して、すがるような顔で朝潮を見上げた。
「新しく来た子の顔は眺めたくなるじゃん。でもまじまじと見る機会なんてないから、こうやって寝ている間に忍び込んで――」
「それは、膝を入れられても仕方ないよね」
「そうです……」
かくん、と首を落す。いつも注意されているのだろうか。朝潮の口調も、どこか言い慣れた感じがあった。
私は舞風に話しかけた。
「え、えっと。初めまして」
「あーっと! 自己紹介がまだだったね」
先ほど間での反省した表情は計去り、舞風は顔を明るく立ち上がった。まるで紳士がダンスを申し出るかのように、右手を胸に当てて滑らかな動きでお辞儀した。
「初めまして、舞風です! 陽炎型駆逐艦のひとりだよ。よろしくね!」
頭を少し上げて、胸から離した右手をそっと差し出してくる。私は寝間着で手汗を拭いて、同じく右手を出して、差し出された手を取る。白い手袋がされた手は、私と同じか少し大きく感じた。
「満潮、よ。朝潮型駆逐艦。よろしく」
握る手に軽く力を込めると、それに答えるように舞風も手を握り返してくる。
「満潮ね、うん! 柔らかくて気持ちいい手だね」
反射的に手を引っ込めて、後ろに隠した。手を握り返したのではなく、ただ感触を楽しんでいただけだったらしい。
自然と苦笑いが出てしまう。確かに、この子は少し変なのかもしれない。頭の中がお花畑というか、どこか提督と似たような「におい」がした。
「おーい、舞~。どこ言ったー?」
そういえば、部屋の扉を開きっぱなしだった。扉の向こうから誰かを探す声が聞こえてきた。閉めようと思って扉に近づこうとしたとき、先ほどの声の主らしき人物が、ひょこりと顔を覗かせた。
紅い髪を揺らし、視線を舞風に向けた。
「あ~あ~。やっぱりここにいた。新人に迷惑かけてないだろうな、舞」
男の子っぽい口調。赤髪の男の子は、髪を掻きながらこちらに歩み寄ってきた。その雑っぽい行動から、男の子と判断する。私はまた、さっと朝潮の背中に隠れた。
「ねぇ、艦娘って、男の子もいるの?」
「え? なんで」
朝潮がきょとんとした声で訊き返してくる。
「だ、だって。そこの人、男の子でしょ。なんで男の子がスカートをはいてるの」
私が、たとえ昔は無機物の艦船だったとしても、今は女の子で、考え方も感じ方も女の子なのだ。男の子が不躾に部屋に上がり込んで来れば、警戒してしかるべきだろう。
その上、この少年は女の子用のスカートをはいているのだ。特殊な趣味を持ち合わせている子なら、出来る限りお近づきになりたくなかった。
それなのに、慌てているのは私だけで、舞風に至っては、「嵐、男の子だって」と吹き出していた。
「おいおい、さすがの俺でも傷つくぜ」
嵐と呼ばれた少年は、ため息交じりにそう言った。そして何を思ったのかズカズカと歩み寄ってきて、あろうことか私の手を掴んだではないか。乱暴に引っ張られて、朝潮の影から出されてしまう。
「ちょ、ちょっと何を」
「いいから、ほら」
嵐は私の手を、そのまま自分の胸に押し当てた。反射的に目を閉じてしまう。
私の意思とは無関係に、掴まれた手はしっかりと嵐の胸板の感触を感じ取っていた。男の人特有の、厚くて硬い胸板が……なかった。平らな木板のような硬さは無く、男の子にはないふくらみがあった。少し力を入れると、フニフニと柔肌に指が沈みこんだ。
私は、恐る恐る嵐の顔を見上げた。そこには不機嫌そうな表情が浮かんでいた。
「俺は、女だ」
そう言って嵐は胸を張った。しばし呆然としてしまう。
鎮守府着任して初めての朝は、驚きの連続で幕が上げられた。