艦船の生まれ変わりとはいえ、艦娘の身体は人間のそれである。一日動き続ければ疲れもたまるし、夜になれば眠くなる。雨風から身体を守り、休むための場所が艦娘寮だった。1階をエントランスをとして、各階の部屋は大まかな艦種別で分けられている。2階には駆逐艦、3階には巡洋艦という感じだ。
秋雲に連れられて、私と響は寮の2階にある秋雲の部屋に案内された。
似顔絵を描いている間は本人だけが入ることになり、私は秋雲の部屋の前で順番を待った。簡易チェアに腰掛けて待つ間、何人かの艦娘に声を掛けられた。軽いおしゃべりをして別れた後、しばらく一人でぼーっとする。それを数回繰り返すと、部屋の扉が開かれた。
「終わったよ。思っていたより早かったけど、ずっと同じ姿勢でいるのは結構つらいね」
響が大きく伸びをする。
「実は、この後工廠に行かなくちゃいけないんだ。満潮を置いて行くことになるんだけど……」
「仕方ないわよ。私は秋雲と楽しくデートさせてもらうわ」
冗談めかして言うと、響は頬を緩めた。そのまま響と入れ替わりで、私は秋雲の部屋に入った。
寮の部屋はどの部屋も同じ造りだ。8畳の部屋で、着任するときに和室か洋室かを選べた。部屋を決めたあとで寝具と本棚が運び込まれる。この2つがあれば鎮守府での生活は事足りると朝潮から聞いた。後は各々好きなように部屋を飾ればいい。艦娘の中には内装にこだわりを持って、街へ出かけてインテリアを買い込んだ子もいるそうだ。そのために1月分の給料を使い切ったとかなんとか。
艦娘の数だけ部屋の特徴が違う。そんな艦娘寮において、秋雲の部屋もまた独特な内装をしていた。
入ってすぐに目に入ったのは、白い壁を覆い隠す本棚の数々だ。木製や金属製の本棚がほぼ隙間なく隣りあい、大小さまざまな本が所狭しと並んでいた。本棚がないのは窓の前だけで、そこには幅の広い机が置いてある。
床に目を落すと、そこかしこに丸められた紙くずが散らばっている。そんななか、ひとが通るところだけ取ってつけたように掃除されていた。
本と紙で埋め尽くされているだけでも十分特徴的だ。それに加えて、もうひとつ気になることがあった。
「いらっしゃい。じゃあ、真ん中の椅子に座って」
秋雲に促され、私は部屋の中央に置かれた木製の椅子に腰を下ろした。私が座るのをみて、秋雲はイーゼルに置かれたスケッチブックのページをめくった。
私は気になって尋ねる。
「ねぇ、秋雲。あなた、いつもどこで寝ているの?」
「え? そりゃ、この部屋に決まってじゃん」
「でも、どこにもベッドが見当たらないんだけど」
秋雲の部屋には寝具がなかった。布団はおろか、まくらすら見当たらない。
秋雲は恥ずかしそうに頬を掻き、
「いやぁ。わたし、何か描いてないと落ち着かなくてさ。いつも窓際の机で作業してるうちに寝ちゃうんだよね。それに、ベッドを置くスペースはないよ。背景用の資料とか、今までに描いたものとかを置くだけで一杯いっぱいだしね」
そう言って本棚から一冊の本を取り出した。受け取って開いてみると、1ページをいくつかの『コマ』で区切って、その中に描かれた人物の側には吹き出しが付けられている。漫画だった。
「わたし、艦娘のデッサンもするけど、漫画を描くのが主なんだ。描いた漫画は定期的にイベントで売ってる。稼いだお金は自分の懐に少しと、鎮守府の運営の足しにしてる」
「鎮守府の予算って、そんなに切迫してるの?」
「そんなことないよ。描いたものを印刷するのに鎮守府のコピー機を使わせてもらうこともあるから、そのお礼だよ」
本を閉じて秋雲に返す。
秋雲はイーゼルを前に座り直し、鉛筆を取った。
「それじゃ、ちゃちゃっと描いちゃいますか」
秋雲から指示されたようにポーズをとる。
「じゃあ、そのまま動かないでね。30分くらいで終わるから」
「はーい」
私の返事を合図に、秋雲はスケッチブックにペンを走らせ始めた。さっきまでの軽い雰囲気が消え、真剣な眼差しをスケッチブックに向けている。
彼女の言ったとおり30分ほどで絵は描き終わった。秋雲はペンを置いて、ふーっと長い息を吐いた。
「終わった~。もう恰好は崩していいよ」
私は椅子から立ちあがって大きく伸びをした。軽くストレッチをして、固まった筋肉をほぐしていく。
秋雲がスケッチブックを抱えて私の側にやってきた。
「どんな感じに出来上がったか、見てみる?」
少し悩んで、私は首を横に振った。
「やめておく。なんだか恥ずかしいし」
「そう?」
「ええ。見る勇気が出たら、そのときに見せて」
「分かった。見たくなったら、いつでも言って」
秋雲は持っているスケッチブックを、同じようなスケッチブックが並んでいる本棚に収めた。
「新しいスケッチブックを用意しないと」
「全部埋まったの?」
「そう。満潮がトリを飾ったんだよ。喜べ」
「どう喜んでいいのか分からないわ」
へへへ、と秋雲が笑う。
カーテンを閉めると、部屋を照らすのは電灯の明かりだけとなった。
「ねぇ、何かお礼をしたいんだけど」
秋雲は振り向いて、ぱたぱたと手を振った。
「いいよ、わたしが勝手にやっているだけだから」
「でも……」
「気にしなくていいよ。お礼をしたいって言ってくれた子は他にもいたけど、感謝されるために描いている訳じゃないから」
そうは言われても、私は絵を描いてもらったのだ。お礼をしてしかるべきだと思うのだけど。何かないかと左右を見渡しているのを見て、秋雲が肩をすくめた。
「じゃあ、貸し一回」
「貸し?」
そう、と秋雲は頷いて見せた。
「もしわたしが困ったら、そのときは手を貸して。それでどう?」
私としては今すぐお礼をしたかった。でも無理に恩返しをしても、かえって迷惑になるかもしれない。それで不快に思われたら、私もいい気はしない。
私は秋雲の提案を飲むことにした。
「いいわ。助けが必要ならいつでも声をかけて」
「はーい。ありがとう、満潮」
秋雲の笑顔を見て、まだ何もしていないのに、何だかうれしくなってしまった。
部屋の電気を消して、私と秋雲は寮室を後にした。
寮から出ると、まぶしい午後の日差しに目がくらんだ。手をかざして陽を避けて空を仰ぐと、果ての無い大空の青が目に染みた。
鎮守府での生活。硬い金属でできたあの時とは違う、温かいヒトの身体となった艦娘として過ごしていく。 深海棲艦との戦いがいかなるものか、今の私には解らない。けれど、つらく厳しい戦いになるだろうなと想像できた。
午前に行われた鹿島の指導。あのとき、水の上を滑っている感覚はあの頃と似ていた。水面を切り、波が立ち、風を受けて走る感覚がとても懐かしかった。潮の香りが懐かしかった。
戦いたい。砲撃を放ち、魚雷でとどめを刺す。あの頃にドックでおとなしくしていた分、今の身体で存分に海を駆け抜け、一発でも多く敵の腹に弾を撃ち込んでやる。
そして、その闘争心と同じくらい、この鎮守府での仲間を大切にしよう。あの頃はみんな平等に無機物で、互いに話すことなんてできなくて、テレパシーで心を通わせることも叶わなかった。言葉と打電で心を通わせていたのは、私たちの背中で戦っていた戦士たちだ。私たち自身が会話をしていたわけじゃない。
しかし艦娘となった今、私たちはいくらでも思いを伝え合うことができる。
「素直が一番だよ。素直な気持ちでいれば、みんながあなたのことを分かってくれる。好き、嫌い、嬉しい、悲しい、怒っている、寂しい。真っ直ぐな心で伝えれば、伝わらない思いなんてこの世に存在しないよ」
誰かがそう言っていた。誰だっただろう。そう言ったひとの顔はぼんやりと霞んでいた。
気づけば秋雲はかなり先を歩いていた。私が遅れているのに気付いて手を振ってくる。慌てて後を追う。この後は秋雲に鎮守府を案内してもらう予定だ。
港に広がる海を右にして、潮風の後押しに答えるように歩幅を大きくした。