Sub 無題
From エリカ
本文 ご飯作りに来て。
大会決勝戦直前のミーティングとやらで帰りが遅くなるエリカを置いて一人で帰った俺は家でのんびりとしていた。そんな時にメールの受信を知らせた携帯電話にはそんな文章が映し出されていた。
「ん、いつものやつだな」
俺がこっちに来てからはや3カ月。ご存知の通り、その間に戦車道全国大会の試合が何度かあったわけだが、そのたび試合の二日前にエリカは俺を招集して彼女の家で夕飯を作って食べるのがいつの間にか恒例となっていた。なぜ二日前なのかというと、試合前日に重たいものを食べて万が一エリカの胃の調子が悪くなったら大会に支障が出るからである。まあ、普段からハンバーグばっかり食べてるエリカがその程度で胃腸の調子を悪くするとは思えないが、思わぬタイミングで体を壊すのもまたエリカである。
念には念を、ということだ。
メニューはエリカの家に行ってから彼女の希望を聞くことになっているので、俺が食料を持ちこむ必要もない。そのため特に荷物を持って行くことは無い。すぐに家を出るとしよう。
「決勝戦か……」
何だかんだと黒森峰女学園戦車道チームは順調にトーナメントを勝ち進み、明後日が決勝戦となっていた。全国大会の決勝戦が終わればすぐに夏休みだ。2年生の一学期が終わる。俺の黒高生活も終わる。
「早いもんだな……ホント」
柴さんに「行ってくる」と一声かけてエリカの家、黒森峰女学園女子寮へと向かう。
☆
「それじゃ、ここにあなたの名前と学籍番号、訪問先の部屋番号と名前を記入してね」
「はいッス」
勝手知ったる女子寮管理人室の窓口。
ガラス越しに対面に座っている管理人のお姉さんとはもはやちょっとした世間話を交わす間柄になっていた。まあ、世にも珍しい女子高に通う男子高校生という特徴的過ぎる人間が何度も訪れていたらそりゃ顔も名前も覚えられるわな。
「そういえば、もうすぐ戦車道大会の決勝戦ね」
「ええ、そのおかげでこうして自分が呼び出されたわけですね」
「あはは、ホントにあなた達は仲がいいわね」
「そうッスかね」なんて答えながら必要事項を記入し終えた。
「はい、確かに。わかってると思うけど」
「心配しなくても問題なんて起こしませんから」
「あら、残念」
いやいや、何を残念がってるのかは知らんが、そんな怒られるようなことするわけないだろ。ここは学生しかいないとはいえ共同生活空間。周りの住人の迷惑になるようなどんちゃん騒ぎなど言語道断である。
管理人さんに挨拶をして別れてからエリカの部屋へと向かう。
廊下を歩いていると3年生の先輩とすれ違う。お互いに「こんにちは」と言って何事もないかのように過ぎ去っていく。転校したばかりの頃に女子寮を歩いていると不審者を見るような目で見られたものだが、みんな随分慣れたものだなぁ。
と、そんなことを考えていたら目的地へと到着した。
「おっすー」
インターホンもノックもせずに部屋のドアをガチャリと開ける。この辺は本土に居た頃の習慣が抜け切れていない。曲がりなりにも女子が一人で住んでいる部屋に何も言わずに入るのは良くないことだとは思うのだが、エリカなら、まあ……ねぇ? いいんじゃないかな。
エリカも嫌なら鍵かけてるでしょ。
「?」
と、いつもなら何かしらの返事を返してくれるのだが、今日に限っては何も返ってくることは無った。
玄関から廊下を抜けリビングへと向かうとエリカはそこに居た。
こちらに背を向けたエリカは机の上のノートPCとにらめっこをしている様子。画面上にはどこぞの掲示板サイトが表示されていた。
ふむふむなるほど、どうやらスレは決勝戦での黒高の対戦校、大洗女子学園についてのものらしい。我らが副隊長は相手校の情報収集に努めているという訳か。俺が部屋に入ったことにすら気付かないほど集中している。
「ぬるぽ」
「ガッ……ッ!!」
勢いよくこちらに振り返るエリカ。
「よ」
趣味『ネーットサーフィン』は伊達ではなく、一種のお約束にもしっかりと返してくれるよく訓練されたネラーだ。
「ちょ、ちょっと! 来たのなら来たって言いなさいよ!」
「言ったよ。エリカがID真っ赤にしてて気が付かなかっただけ」
「し、してないわよ!」
ははは、またまた御冗談を。
「それはそれとして、今日のご注文は?」
「話を逸らすな……はぁ……まあいいわ。そうね、今日はとんかつが食べたい」
「とんかつ? 珍しいな。ハンバーグは?」
てっきりエリカは景気づけのために最高に美味いハンバーグを要求してくるかと思っていたために、その注文は予想外の物であった。
完全にハンバーグ作る気でいたから俺の腹はもうハンバーグモードになっていたのに……
まあいいか。たまには、ね。
「とんかつか。流石のエリカでも決勝戦ともなると験を担ぎたくなるのか?」
「……まあね。今回は絶対に負けるわけにはいかないのよ……絶対にね」
そういうエリカの目は何かを思いつめるかのようだった。
こんなエリカを見るのは初めてかもしれない。鬼気迫ったものを感じる。
「そうか」
「そうよ。ハンバーグは決勝戦が終わってから楽しむことにするわ」
「任せろ。最高に美味いのを作ってやんよ」
ああ、想像しただけで……それは……最高だろう。
「材料は?」
「心配しなくても学校の帰りに買ってあるわよ」
「はいよ」
流石だね~、我が幼馴染は。
さてと、作るとしますかね。
手を洗い、エプロンを身に着けた俺はキッチンに立つ。
豚肉、パン粉、卵に油の準備。
付け合わせのキャベツを切り、みそ汁ももちろん俺製だ。
白いご飯も炊き忘れない。
俺がジュウジュウととんかつを揚げている間もエリカはPCをにらみ続けていた。ここからではよく見えないが、なにやら戦車道の動画を見ているらしい。相手校の試合とかであろうか。
しかし、エリカは随分本気だな。
「そういえば……」
かつて、エリカは戦車に興味が無かったどころか、嫌いと宣言していたような気がするのだが、いつから戦車道をやろうと思ったのだろう?
その昔、俺はハンバーグをこねる技術向上のためにマンガで見た
何か心境の変化でもあったのかな。
ちなみに、マスターした
と、良い感じにこんがりととんかつが揚がっていた。
揚げ物は出来立てが一番。
さっさと皿に盛りつけて出来るだけ熱いうちに食べるべく、素早くテーブルへと運ぶ。
「ほらよ、出来たぜ」
「ん」
ノートPCを閉じたエリカは食事用のテーブルに向かう。
「さてと、食べるとするか」
俺も湯気が立ち上るとんかつの前に座る。
ハンバーグモードだった俺の腹も、これを前にしては切り替えざるを得ない。
「黒森峰が勝つことを祈って」
俺が言う。
「「いただきます」」
二人が言う。
決勝戦だ。
次回、最終回