春休みも後半戦に突入し、あと一週間もすれば高校に行かなければならなくなる。高校生活が不安というわけではないが、今の悠々自適な生活を続けていたところにまた朝から夕方まで勉強勉強体育勉強の生活は正直面倒くさいと感じてしまう。
縁側に腰を掛けた俺は庭にいる柴さん達にボールを投げては取って来させて受け取り、またボールを投げては取って来させるという動作を延々と繰り返していた。
単調な動作ではあるが、柴さん達は結構楽しいらしい。彼らの尻尾はブンブンと振り回され、ボールを投げる構えをとると前脚を伸ばして頭を低く下げる。この動作は犬にとって遊んでほしいという気持ちの表れなのだそうだ。ピッチングマシーンの役をお役御免になるにはまだまだ時間がかかりそうである。
まあ、楽しいから全然かまわないんだけどね。
「またアンタは枯れたような生活してるわね」
頭上からあきれたような声が聞こえてきた。
エリカである。
確かに、縁側に座って飼い犬にボールを投げては受け取り、投げては受け取りをしている姿を後ろから見たらそれは特にやることもなく日々をのんびりと過ごす老人のよう見えたかもしれない。
「エリカ、闇に飲まれよ」
「闇に飲ま……って、やんないわよ」
ふむ、もう少しでエリカも『やみのま』してくれそうだな。
「出来ることならずっとこんな枯れた生活がしたいね」
縁側に座った状態からそのまま仰向けに寝るような体勢に変えると、そこには俺を見下すエリカが居た。
ああ、そんな目で見られたらゾクゾク……しないな。もう慣れちゃって何とも思わないや。
当然といえば当然だが、学校もないためエリカの服装は私服である。
ベージュのジャケットに白のインナー。スカートは割と短めのものでアクセントとしてリボンの意匠が施されている。そこからスラッと伸びる足をパンストが包み込んでいる。
エリカの普段の立ち振る舞いや若干キツメの性格からよく勘違いされるが、彼女の趣味嗜好は決してクール系ではない。どちらかというと少女趣味であり、かわいいものが好きなのだ。完全に家でしか着ない寝間着なんかはフリッフリのネグリジェだという話をおばさん、エリカのお母さんから聞いたこともある。
……
そういえば……
「……白か……」
「ッ!? アンタ! どこ見てんの!」
「グフッ!?」
呟いた瞬間にエリカは俺の顔面を踏んできやがった! 一応加減しているようで頭がザクロのようにゴシャアって感じに弾け飛ぶことはなかったが、それなりに痛い。
「エリカの上のインナーだよ! そういえば昔白のゴスロリ服着てたなって思いだしただけだよ!」
「……本当? まあそういうことにしておいてあげる」
そう言うと顔の上からエリカの足がどけられる。
ん? はたから見たら今の情景はかなりすごいことになっていたんじゃないだろうか? まあ、深くは考えないでおこう。
「もうあの服は着ないのか? かわいいかったのに」
「か、かわいいですって? ふんっ、もうああいう趣味は卒業したわ」
嘘つけ。
今のエリカの服装を見るだけでも未だ微妙に卒業しきれてないことが丸わかりだぞ。
「でも寝間着はフリフリなんだろ?」
「なっ! 誰からその話を!」
「おばさん」
「うぐぐ……母さんめ……」
もしかして秘密だったのだろうか? おばさんから口止めされてた訳では無かったらしゃべってしまったけど、問題ないよね? 無いはずだ。
「そういえば、エリカが来たということはもうすぐ夕飯の準備を始めないといけない時間か」
「そうよ、早く作りなさいよ。食品は冷蔵庫に入れておいたわよ」
「助かるねぇ」
本当に、助かる。
エリカがいなかったら今頃餓死しているか、ポチのお母さんの好意に甘えまくっていただろう。
あ、そうそう。
野菜の煮つけのお礼として俺特製スタンダードハンバーグをポチのお母さんにお返ししておいた。翌日の反応を見るに好評だったらしい。自分が作ったものを食べて喜んでもらえるのは嬉しい限りだ。
「さて、じゃあ作り始めるとするか」
俺はボールを持ってこちらに来ていた此上と木下の頭を撫でて今日はここまでだという意図を伝える。
さっきまで軽快に振られていた二匹の尻尾はその速度を落とし、しょんぼりとしているように見える。
くっ……、許せ。
犬を触った直後ということもあり、しっかり手を洗うために洗面台へと向かう。
料理を作る前に手洗いは基本だ。
口に入る料理を、それも他人の口に入るものを作ろうというのに手を洗わない、というわけにはいかない。
洗面台からキッチンに向かう途中、チラと見えた縁側では、座ったエリカがボールを投げて柴さん達と遊んでいた。遠めに見えるエリカの表情はニヤニヤとしていて、おそらく「意外と楽しい」とか考えているのだろう。
ハンバーグを食べている時のこの世で最も幸福な時間と言わんばかりの緩み切った顔も面白いが、こんな表情をするエリカも面白い。
☆
「あら、今日はホワイトソースのハンバーグなのね。珍しい」
「たまにはこういうのも良いだろう。幸い家にあるものだけでホワイトソースが作れそうだったんでな」
相も変わらず我が家の食卓を囲むのは俺とエリカの二人。
テーブルの上に置かれた今日のハンバーグは白いソースがキラキラと輝くホワイトソースハンバーグだ。
いつもは基本的にデミグラスソースで食べているが、時々こうして趣向を変えてみるのも良いものである。
「あら、おいしいわ」
「久しぶりに食べるけど、やっぱりホワイトソースもありだな」
俺とエリカはハンバーグをパクパクと食べていく。
ホワイトソースのハンバーグを思い立ったのは昔のエリカのゴスロリファッションを思い出したというのもあるが、あの時一瞬見えたパンツの色から着想を得たということは黙っていることにしよう。
この記憶は脳内ハードにバックアップを三つとって永久保存VTR No.82として保存しておくとする。
「……いいわね、これ」
「ああ、いいものだ」
二つの意味で。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
二つの意味で。