俺の一日は柴さん達の散歩から始まる。
夏休みという学生たちが堕落の粋を極める長期休暇においても、起きる時間は柴さん達のおかげで毎日6時だ。おそらく、柴さん達が居なければ「食費の節約だー」とか言って朝ご飯を抜くために昼まで寝ているに違いない。
散歩コースは毎日若干変えつつも、折り返し地点である最終地点はドッグランと化した空き地である。やはり犬達も人間と同じように毎日同じ道を歩いていると飽きてしまう。それを防ぐためにも散歩コースはチョコチョコ変えるのが好ましいとされているのである。
折り返し地点には大抵ポチのお母さんがいる。おそらく散歩のタイミングがほとんど同じなのだろう……彼女に会うためにわざわざ時間を合わせている変態とかって思われてないよな? もしそうだとしたら三日三晩泣きはらす自信がある。
うん、これは考えないようにしよう。
あ、そうそう。ポチのお母さんはエリカが通っている黒森峰女学園の戦車道チームに所属していることが判明した。どうも彼女は中学生時代からかなり有名な選手だったらしく、戦車道大会の中継でインタビューを受けていた。「エリカが行く学校だから見てみるか」と思ってぼんやり見ていたら知った顔が出てきてびっくりしたものだ。
話を戻そう。空き地で犬達が満足するまで遊ばせたら朝の散歩は終わりだ。
家に帰ればあっという間に昼食の時間である。昼食を食べて、少し勉強する。勉強したらストレスが溜る。俺的にストレスを発散する一番の方法は散歩だ。
自分が住んでいる町でも歩いてゆっくり見まわしてみればいつでも新しい発見があって面白い。途中で本屋に寄ったり、ゲーセンに入ってみたり、偶然見つけた良さげなカフェに入ってみることもある。
外で遊んで家に帰ってしばらくするとエリカが家に来る時間なのだが、その前に二度目の柴さん達の散歩を済ませておく。
夕方の散歩もやはり折り返し地点はドッグランと化した空き地だ。ポチのお母さんは夕方の散歩でこのルートを使っていないのか、この時に会うことはない。
さて、なんでこんなことをつらつらと述べているのかというと、今日はどうもいつもと違うようだからだ。
空き地にポチが居た。
だが、その横に立つ少女はポチのお母さんではない。しかし、彼女に非常によく似ている少女だ。どこか既視感があるのも彼女とよく似ているためだろう。
気になるのは彼女の表情。とても暗い。傍に居るポチもどうしたものかとオロオロしているのが遠目でもわかる。
そこでだ、俺がとるべき行動はなんだろうか。ここで颯爽登場して「どうしたね、そこの彼女?」と行くのは無いだろう。変態だ。
では、空き地に無言で入って、何事も無いように柴さん達と遊ぶ? 向こうからしたら平静を装って自分を観察している変態にしか見えない。駄目だ、変態だ。
となると、ここでUターンして帰るか? 空き地に先客が居るから引き返すというのは比較的自然だろう。しかし、それは男としてどうなんだ? それに、向こうがこっちを既に視認していたら突然引き返す変態だ。
まずい、全てのルートで彼女の中の俺は変態の烙印を押されてしまう。
「ん?」
高速思考をもって自分がとれる最善手を模索していたために気が付かなかったが、ポチがこっちを見ている。
(ど、どうにかしろというのか!? この状況をッ)
ポチの瞳は何とかしろと言わんばかりにこちらに向けられている。
!
そうだ、ポチを話のきっかけにして自然な導入ができればあるいは……
作戦は決まった。となれば後は実行あるのみ。
「もしかして、そちらのワンちゃんポチくんじゃないですか?」
「……え? あ、はい。そうですけど」
よし、ファーストコンタクトはこんなもんだろう。次はポチのお母さんとの関連性を追求していく。
「いつも朝散歩している人とは違ったので」
「それは……お姉ちゃん……です」
あっあっあっあっ
まずい。これは彼女のお姉ちゃんであるポチのお母さんと深く関係していることだったっぽい。いきなり地雷を踏み抜いてしまった可能性がある。
「妹さんでしたか。お姉さんにはいつもお世話になってます」
「あれ? もしかしてお姉ちゃんが良く話してた方ですか? おいしいハンバーグをくださった?」
「俺以外にあなたのお姉さんにハンバーグをおすそ分けしている人が居なければ、それは俺のことだと思いますよ」
実は昨日もポチのお母さんにハンバーグをおすそ分けしていたのだ。彼女も黒高の学生ということで夏休みに入って久々の再会だったのである。それを祝って、と言う訳ではないが、我ながら自信作が出来たのでいろんな人の意見が欲しかった所なのだ。
「あ、昨日もおいしいハンバーグありがとうございました!」
そう言って彼女の表情に少しだけ笑顔が戻ったような気がした。
ハンバーグ! ハンバーグ! ハンバーグ!
やっぱりハンバーグには人を笑顔にする力があるんだよ! 流石だよ! 俺ずっとついていくよ! まあ、そんなことはずっと前から決めてたけど!
「よければまたおすそ分けしますが?」
「え? そんな、申し訳ないですよ」
「いやいや、こうやって喜んでもらえたということが分かるだけでも、またおすそ分けしたくなるのさ。だから、俺のためにももらってもらえればうれしいなって」
「そうですか? それじゃあ、遠慮なくいただきますね」
昨日食べたハンバーグを思い出しているのか、彼女の表情がさらに明るくなったことが分かる。
「おっと、そろそろ良い時間なんで、俺は失礼しますね」
「あ、はい。改めて、ハンバーグごちそうさまでした」
「いえいえ、それではまた」
「さようなら」
そう言ってさっきまでポチと遊んでいた柴さん達を連れて帰路へと着いた。
その時、チラとポチの方を向いて親指を立てる。
出来ることはやった。
上出来だ。
ポチの目はそう言っている。彼もまた、俺に向かって親指を立てている姿を幻視したような気がした。
あ! 思い出した!
ポチのお母さんの妹! 彼女、黒高の例の車長じゃん!
テレビ越しだったから今一記憶に残ってなかったけど、絶対そうだ! そりゃ、既視感もあるわな。だって、見たことあるんだもん。
でもまあ、それを知っていたところで、俺にできることはハンバーグをもって彼女に少しでも笑顔を取り戻すこと位だろうから、何の関係も無い事か。