暑い。
あの日も今日みたいにとても暑い日だったな。
ん? あの日っていつのことだ? なんだか、体がふわふわしているような不思議な感覚。ああ、どうやらいつの間にか縁側で寝ちゃってたみたいだ。
そろそろエリちゃんが来る時間だし。起きておかないと。
今日の分の算数のドリルと漢字練習帳は終わらせたし、夏休みの一言日記は来週分まで既に記入済みだ。あとはもう遊ぶだけ。夏休みは遊ばないとね。
「あ、エリちゃんかな」
ばあちゃんの家のインターホンは古いタイプだからブザーが鳴るだけだ。モニターが無いせいで誰が来たのか確認できないから早く変えちゃいたいってお母さんがいっつもボヤいてる。
それでも、人によってインターホンを押す癖みたいなものがあることに最近気が付いてきた。宅急便屋さんや郵便屋さんは忙しいからか短くブザーを鳴らす。隣のおばさんは三回ブザーを鳴らす。そして、エリちゃんは普通の人よりも長めにブザーを鳴らす。
ほら、今日もまたエリちゃんのブザーはほかの人より長い。玄関に行って彼女を迎えに行くことにしよう。
「エリちゃん、いらっしゃい……って、どうしたの!」
やって来たエリちゃんは、彼女のお気に入りである白いフリフリのかわいい洋服を着ているのだが、所々シミができている。よく見たらいつもきれいに整えられている彼女の髪の毛はボサボサになっており、少し湿っているように見える。
「戦車なんて、大っきらい!!」
突然そんなことを言い出した。しかし、当然そのいきさつを知らない僕には彼女の身に何があったのかさっぱり見当もつかない。戦車が大っきらい、というからには戦車に関する何かがあったということはわかるけど……もしかして、轢かれた!? 流石にそれはないか。戦車なんかに引かれたら人間なんてひとたまりもないからね。
「と、とりあえず、お風呂に入ってきたら? 泥遊びでもしたの?」
「そんなことやるわけないじゃない! うぅ……お風呂入ってくる……」
そう言うとエリちゃんはばあちゃん家の風呂場までまっすぐと歩いて行った。
あ、着替えはどうすればいいんだろう。せっかく体をきれいにしてもあの服をまた着たら意味がない。僕のTシャツと短パンでもいいかな。パンツは……僕のでいいのか? なんだか、それは違う気がする。ああ、なんでばあちゃんは町内会の集まりに行ってしまったんだ。母さんと父さんもデパートに行ったまま帰ってこないし。
うーん……まいっか。とりあえず、ノーパンで我慢してもらおう。
自分の部屋に行ってタンスから適当にシャツと短パンを見繕う。
そして、着替えを脱衣所に置いておく。脱衣所に入るときはしっかりとノックしてそこにエリちゃんが居ないことは確認したぞ!
父さんがよく言ってた。女の子が風呂に入ってる時、どうしても脱衣所に用事があるときはしっかりノックしろと。そうでないと恐ろしいことが起きるらしい。恐ろしい事って一体何なんだろう? あの時の父さんの表情は今でも忘れられない。
「さてと、どうしようか」
声に出して一確認。
どう考えてもエリちゃんが風呂から出た後もご機嫌斜めなのは明らかだ。それは僕としても何とかしたいと思う。
そんなエリちゃんの機嫌を戻すためにはもうアレを作るしかないだろう。だけど、一人で作ることが出来るだろうか? この間ばあちゃんに作り方は教わったけど、はたしてうまく作れるだろうか……
それに、子供一人で火を扱ったらばあちゃんに怒られるかもしれない。うーん……エリちゃんを元気づけるためだってことを説明すれば父さんが味方になってくれる気がする。そうすればなんとかなるかな?
よし、やるぞ!
手を洗い、エプロンを身に着ける。
冷蔵庫から挽き肉と玉ねぎを取り出す。まな板と包丁を用意したら準備完了だ。
玉ねぎを細かく刻んで炒める。
挽き肉をこねて、塩コショウを振ったらまたこねる。
こねた挽き肉に冷めた玉ねぎを合わせてまたこねる!
こねたハンバーグを丸い形に整えて、フライパンで焼く。
「ふう……やれば出来るじゃないか」
フライパンの上でジュウジュウと音を立てて焼かれている未来のハンバーグを見てにんまりと笑う。
それにしても、エリちゃんはまだ風呂から出てこないな。女の人の風呂は長いって父さん言ってったっけ。そういえば母さんの風呂も長い。
だんだんとハンバーグのいい匂いが部屋に立ち込めてきた。
ああ、いい匂いだ。ハンバーグはエリちゃんの大好物だけど、この匂いをかぐと僕も一番好きな食べ物にしても良い気がしてくる。ちなみに、僕の大好物はスルメイカだ。父さんがお酒を飲むときによく分けてくれる。
フフフ……
エリちゃんが風呂から出てきたらびっくりするだろうなぁ。テーブルの上にハンバーグを置いてたらどんな反応するかな?
ん? あれ? なんか、匂いが変わってきたような……
「って、あー!!」
焦げてる! めっちゃ焦げてる!
しまった、油断した。ハンバーグは中までしっかり焼かないといけないけど、火が強すぎると表面はすぐ焦げるってばあちゃんも言ってたな。
うう……折角ここまで順調だったのに……
「ちょっとチズ! ぱ、ぱぱぱ、ぱんちゅ無いんだけど! あれ? いい匂いがする」
どうやらエリちゃんがようやく風呂からあがったらしい。だけど、それどころではない。エリちゃんを喜ばせてあげようとして作っていたハンバーグを真っ黒に焦がして台無しになってしまった。そして、食材をダメにしてしまった自分が何よりも許せない……
「ごめんね、エリちゃん……本当はもっと上手く作れるはずだったんだけど……こんなもの食べさせてあげられないよ……」
「食べるよ、ハンバーグ。私お腹すいちゃった」
そう言ってエリちゃんはイスに座る。
作ったハンバーグをさらに盛り付け、彼女の前にナイフとフォークも合わせて置く。
「……どうぞ、召し上がれ」
「いただきます」
焦げたハンバーグをナイフで小さく切り分け、それを口に持っていく。
モグモグとハンバーグを噛みしめているエリちゃんはしばらくするとそれを飲み込んでこう言った。
「うん、びみょう」
「ひっどーい!」
僕のハンバーグは散々な評価を受けたが、エリちゃんは食べるのをやめない。そして、あっという間に完食してしまっていた。
「ごちそうさまでした」
その頃にはエリちゃんの顔に笑顔が浮かんでいた。もう僕の家に来た時のような雰囲気はどこかへ行ってしまったようだ。
ハンバーグには人を笑顔にさせる力があるんだ。
僕はそのことを実感した。
とりあえず、絶対いつか僕のハンバーグを「美味い」とエリちゃんに言わせて見せる!
その日のハンバーグはエリカには散々な評価を受けたし、家に帰って家に漂うハンバーグの匂いに気が付いたばあちゃんにはしっかりと叱られたけど、俺はあの時のハンバーグとエリカの笑顔は忘れないだろう。
☆
「起きなさい」
「んあ?」
どうやら、縁側でぼんやりしていら、そのまま眠ってしまっていたらしい。
目を開けたらエリカが立ち位置の関係上見下すような視線で俺のことを見ていた。いつものことだな。
「お~エリカ、闇に飲まれよ~」
「はいはい、闇に飲まれよ闇に飲まれよ」
エリカも大分違和感なく『やみのま』を言ってくれるようになった。完全な『やみのま』を聞ける日もそう遠くはないだろう。
「アンタが全然起きないからお腹がすいたわ。早く晩御飯作りなさい」
「おお、そいつは悪いな。うん? もしかして、しばらく前から家に来てたのか?」
「い、良いから早く作りなさいよ」
ふう、相変わらずお姫様は我がままだぜ。
俺は立ち上がって晩飯の準備に取り掛かることにした。
あれ? そういえば、エリカが俺のハンバーグを初めて美味いって言ってくれたのっていつだったかな?
何故かそのことが気になったが、今日も言わせれば良いだけの事だと結論付けて、今日もハンバーグを焼く。