旅に宿というものは切っても切り離せないものだ。
遥か遠くからの旅人を癒す、一晩の宿。
その日の溜まった疲れを霧散させ、柔らかな寝床を提供してくれる。
疲れた体に提供されるご飯は、その体に活力を与え、宿の主の親切なサービスは孤独な旅人に一晩の母の優しさを思い出させる。
同じ宿に泊まったもの同士での、一期一会の静かな晩酌。互いの旅の思い出を、交換し共有する。
その名称は、古事記、日本書紀にも駅という字で登場している。つまり古事記が記された奈良時代には宿屋のシステムが定着していた、ということだ。
次に鎌倉時代、寺社に参拝する信者のために『宿坊』馬の飼料を可能とした『旅籠屋』庶民向けの『木賃宿』とよばれる施設が出始める。
時は流れ江戸時代、三代目将軍 徳川 家光により武家諸法度に参覲交代が制度として定められると、各地方の街道街道に各地の大名に対しての宿が設立されている。
なにが言いたいかというと、古事記に記されていることが事実であるなら、この時代にも人間による宿があるはずなのである。
そう、はずなのである…………
「みっかんなーいっ!」
虫の鳴く森林に大声が轟く。
声の主はイナバノシロウサギ。
叫ぶ彼女の頭上には、まん丸に輝く薄い金色の月。
そう、月である。
時刻は今、大体11時を回った頃だ。
そんな中、私たちは森を行進しているわけだ。
前置きからなんとなく察せるだろうが、簡単に説明すると。
人里見つかんない。
たったそれだけだ。
しかし、それは私たちにとって大きな障害であり、割りかし死活問題だ。
いくら、体力が強化されたからといって、一方的に溜まって行くこの疲れは体にこたえる。
この時代にはもう人間がいるので、人里ぐらいあるはずであるが、もしかして滅んだのかと思うほどにいない。人も人の痕跡も。
「ここまで探してないなんて……予想外。」
「これじゃあ、今夜は野宿ですか?うぅ、辛いですよ〜……」
「サーバルは大丈夫?」
「だいじょうぶ、私夜行性だから!」
……昼間も行動してたのに?
サーバルの休んでいる時間が気になったりしたが、今はそれどころじゃないかもしれない。
選択肢は二つ、このまま人里を探し続けるか、野宿か。
もし人里を探し続けたら、結局休めないまま朝を迎えそうだ。しかし、ふかふかの寝床が…美味しいご飯が……
野宿にすれば準備が整い次第直ぐに休息が取れる。しかし野盗や妖に襲撃されるかもしれない。
しばらくその場で思考。
頭の中で雑穀が踊り、真っ白な布団が踊る。
いや、しかし、まてよ、と思考が同じところを低徊する。
「……あ。」
小さく声を漏らす。
何故か。それは、もっと良い選択肢を編み出したから。
「叶華ちゃん、何か思いついたの?」
「もしかして、人里のいい探し方とかあるんですか!?」
「うん、やっぱり野宿のほうがいいかな、なんて。」
「えぇ〜!?」
長々と思案した挙句に、己の望まざる選択肢が選ばれたイナバノシロウサギは、絶望の叫びをあげる。
当然だろう。人里を探そうといったのは私だし、イナバノシロウサギはわたし以上に布団というものに包まってみたいと思っていたからだ。
しかし、私の手法でいけば、布団も食べ物も手に入る。
「どうしてですかぁ、なんでそこで諦めるんですか、もうちょっと頑張ってみましょうよぉ。」
「私もおフトンで寝てみたかったなぁー。」
悲痛なイナバノシロウサギの声に続き、サーバルも残念そうに声を落とす。
ここまで歩かせて申し訳ないとは思うものの、この新しいアイディアなら二人ともきっと納得してくれるはずだ。
「フッフッフ、二人とも、唯の野宿じゃないぞ。いや、野宿と呼べるかもはや怪しいレベルだよ。」
「なになにー?一体なにするの?」
「もったいぶらないで教えてください。」
二人が詰め寄ってくるので、得意げに人差し指を上にピンと伸ばし提案する。
「ずばり、家を作る!」
「………は?」
「……作る?」
キメ顔で言ったので、イナバノシロウサギのその沈黙からの、『なに言ってんだこいつ』的な目はキツい。
サーバルに至っては『作る』という言葉の意味を理解していない。
「あの?今まさか作るなんて言いました?聞き間違いですよね?」
「あぁ、大丈夫。私がパパッとやっちゃうから。」
現に今だって、手をぴこぴこ動かしている。
こんな時のために能力ってあるんだなと思う。
「作るってなにそれ〜?」
「手を加えて、もとと違ったものに仕上げることだよ。まぁ、今回は
「?」
サーバルは説明してもクエスチョンマークを浮かべている。イナバノシロウサギは「もうダメだー」その場に座り込み頭を抱える。裏切られた心の反動と疲労が、無気力を誘い込んだらしい。
あ、和風にしようかな、洋風にしようかな?それともアメリカの西部みたいな感じにしようかな。
「ねぇ。何か欲しいものある?」
「もー!いいから宿探しましょうよぉ。今ならまだ間に合いますって。」
「サーバルは?」
「話を聞いてくださぃぃぃい!」
「えーっとね、面白いのー!」
イナバノシロウサギが涙ながらに訴えてくるのを傍目にサーバルに家に対しての要望を聞く。
そーかそーか、すごいのか。
一晩のうちに楽しめる、凄いものかー。サーバルって夜行性だから遅くまで起きてそうだなぁ。
あ、いいの思いついた。
あとはここを設定して、と……よしおっけー!
「はーい、じゃあ、やりますか。」
「もう!うさは手伝わないですからね!」
と、いってイナバノシロウサギはそっぽを向いてしまう。
いいよ別に、直ぐに出来るし。
と、心の中でこの後のことを想像し笑う。
ふぅっ、と息を一旦整える。
そして命令するような口調で一声。
「【創造魔法】」
特に外国語の技能があるわけでもないので、日本語で簡潔に。
しかし、その効果は絶望だった。
あっさりと、驚くほどあっさりと、パッと出てきたような感じで、煉瓦造りの家が前から鎮座していたかのようにそこにあった。
「わぁ〜!すっごーーい!!」
「ふふーん、でしょでしょ?」
目を輝かせ、飛び跳ねているサーバルに自慢げに鼻を鳴らす。
赤煉瓦造りの外観の家は、中流家庭の家の広さと大体同じかそれ以上だ。何処と無く洋館を彷彿とさせる外観と間取りである。
神代は割となにが起こるかわからないので、頑丈な造りに防護魔法による特殊加工が施されている。
建築学には詳しくないため、安全な建築などは知らないが、上記の防護魔法などから倒壊する恐れはほぼない。
イナバノシロウサギはそっぽを向いているため、未だに家が出来上がっていることに気づいていない。
「入ってみようよ!」
「うん(……?なんだこれ、あそこらへん盛り上がってないかな……?)」
「ほら、シロウサギちゃんもいくよ!」
「何を言ってーーーーーーえぇぇぇぇええぇぇええっ!?」
私が不自然な立地に首を傾げているその隣で、テンションが上がったサーバルがイナバノシロウサギの背を叩く。ちょっと泣きそうな目でこちらを向いた途端、瞠目して叫び出す。彼女、今日叫んでばっかりだな。
「な、な、なんで……!?」
「ほら、早くしないと置いてっちゃうぞ〜」
「どうして、家がもう出来上がってるんですかぁ〜!?」
あるきながら、しかし未だに驚愕しているイナバノシロウサギに早く来る様に促す。
口を半開きにしながら追いかけて来る彼女は、理解不能といった感じで私に問いかけて来るが、私が答えるより早く。 「……まぁ叶華さんだからか、驚いて損した。」
このウサギ、割と辛辣である。
白い毛並みのくせして、腹黒いらしい。
そういえば、怪我で忘れてたけど、ワニを騙してるからなぁ。獣もほんと見かけによらないなぁ。
と、何はともあれ一人と二匹は早速、中に入っていく。
「おー出来てる出来てる。」
「……えぇぇ……」
「あれ?なんでなんで!?すっごーい!」
いった順番は私、イナバノシロウサギ、サーバル。
私は感心し、イナバノシロウサギは呆然とし、サーバルは大興奮。
なぜか、
「なんで、見た目より広いのー!?」
それは中流家庭程が持てるほどの家の広さとは裏腹に、豪邸もかくやと言う程のエントランスホールが目の前に広がっている。
なんとなく中世のお屋敷の様な静かな雰囲気が素晴らしい。自分で作っておきながら惚れ惚れする。ほら、この玄関横の花瓶なんてチョー可愛い。
「実は考えているうちに、やりたいことがたくさん出て来ちゃって。だけど、全部入れてたら流石に大きくなりすぎて、物の怪が襲って来そうだから拡張魔法を使って外見を小さめにしたんだ。」
「よくわかんないけど、すっごーい‼︎」
「………(そう簡単にできるはずない、ですよね?)」
「部屋見て回りたい人ー!」
「はーい!私見て見たーい!」
例の如くよく分かってない(あんな適当な説明で、わかんなくて当然だが)サーバルが、部屋を見てみたい様なので、特に荷物もないし、先に部屋を見に行くことにする。
実はこの屋敷、中は相当広いといったが、本当は拡張魔法でなく無限膨張魔法を使ったので、中は本当に無限の広さをほこっている。
元ネタはDr.wh○の○ーディスである。おっと最初が伏字になってない。これで、ワープ航法とタイムトリップ機能があったら最高なのになぁ。
サーバルは天井に飾ってあるシャンデリアに興味津々な様子で見つめている。またイナバノシロウサギは壁に掛けられている絵画をまじまじと凝視している。
「早く寝たほうがいいから、さっさと見に行くよ。どうせ次回からもお世話になるだろうし。」
「あ、ごめんごめん。上からぶら下がってるあれが気になっちゃって。」
「あぁシャンデリアのことね。ちょっとオシャレな室内灯、かな?あれに電球とかを取り付けて、部屋を明るくするんだ。」
「へぇ〜、あんなのも作れるなんて叶華ちゃんってホントすごいね!」
ありとあらゆる未知との遭遇にサーバルは、常に目をキラキラさせっぱなしだ。ここまで喜ばれると、次の創作意欲も滾る。
「……この絵って?」
「ん?どれ………!?」
絵を見ていたイナバノシロウサギがこちらに振り返り、絵がどの様なものか聞く。
しかし、その絵を見た途端、私は予想だにしていなかったことに顔を凍りつかせる。
ーーー壁に掛けてる絵、ゴ○ホのじゃない!?
他の絵も見てみれば、歴史の教科書や美術の資料集などでよく見るものだ。
別に焦ることでもないが、なんだか私はとんでもないことを犯してしまったのでは、という気になる。
「な、なんでもないよ。偶然生成されただけだから。うん、ホントなんでもない。」
「目が泳ぎまくってますよ、叶華さん。」
なんでもないふりをして誤魔化そうとするが、イナバノシロウサギの洞察眼はしっかりと捉えていた様だ。
まぁ、なんでもいいですけどね、と嘆息される。追求されなくてよかった。
「何はともあれお屋敷探索、いってみよ〜!」
「おぉ〜‼︎‼︎」
「まあ、少し楽しみですね。」
かくして、私達のお屋敷探索が始まった。
入って玄関奥右の部屋、食堂。
「広すぎません?」
「……ですよねー」
「広〜い!」
凡そ横幅四十メートル、縦七十メートルの大食堂。
天井には星空をかたどったモザイク画、それを邪魔しない様にキャンドルが宙に浮いている。
四方には東西南北に中国の四霊獣をかたどった壁画が。
適度に配置されている観葉植物が目に優しい。
実は季節によって観葉植物は変わる。
一通り物色し、次の部屋へ進む。
食堂奥、厨房。
「一体何人雇えばフル稼働するんですか?」
「自動調理システムあるからそれについては大丈夫。」
「料理ってなんだろ〜?楽しみだなぁ〜。」
調理具の銀、銀、そして銀。
フル稼働させるには五十人はスタッフが要りそうな大厨房。
小学校の給食を作りそうな大きな鍋。大人一人入りそうなオーブン。
大企業が使ってそうな業務用冷凍庫。
包丁も出刃庖丁や中華包丁、肉切り包丁、果物ナイフまで非常に様々なものを取り揃えている。
果ては足りない人数を補う、自動調理システム。
主に白を基調としているため、なんらかの異常、汚れは目立つ。
厨房にはさすがに奥に続く扉はなかったので、引き返し、玄関奥左の扉に引き返す。
玄関奥左の部屋、大図書館
「すごーい!いっぱいハコみたいなのが置いてあるー!」
「(エイボンの書、ネクロノミコン、クタート・アクアディンゲンまである。今度、禁書の棚みたいなの作っとかないと……)って、イナバノシロウサギ、それ触っちゃーー」
「アヒャヒャヒャヒャヒャ!」
「わー、イナバちゃん楽しそー!」
「あぁ、言わんこっちゃない……」
貯蔵冊数、無限。
高い天井のすれすれまで本棚は続いており、ありとあらゆる本が貯蔵されている。
果てはなく、決して反対側の壁が現れることはないだろう。
しかし、そんな読書家には天国の様な場所は、所々狂気の散りばめられた我が家、屈指の危険エリアだ。
パッと見た限り、かなりの数の狂気的な魔導書があり、封魔本などの危険な代物も存在している。
早速、イナバノシロウサギがその狂気の犠牲となった。
が、この後私がすぐに治療したので問題はなかった。
本人曰く、啓蒙が溜まったらしい。
大図書館、入って一番目の扉、シアター。
「まんま映画館だね。」
「白い幕に、沢山の席?叶華さん、ここ欠陥ですよ。」
「映写機はないけど、うん使えるみたい。」
パッ、と色のなかった画面に光が灯り、画面には○07という文字が。あ、また伏字になってない。
「わぁ!なにあれ、急になんか出てきたよ!?すっごーい!」
「あ、欠陥じゃなかったです。スミマセン。」
突然の出来事に一匹と一羽は目をまん丸にする。
映画なんてこの時代には当然ないし、サバンナのど真ん中に施設なんてあるはずないので、もちろん二人とも初めましての方だ。
この後、時間も押しているので、早々に切り上げ映画館を出る。
あ、ポップコーンなどのオプションは自動生成だった。すっごーい!
大図書館、入って2番目の扉、バー
「わー、キラキラしててキレー!オシャレー!」
「ここは……」
「私、未成年だけどお酒いいのかなぁ?」
ややムーディーな店内は、目に優しいライトを使用しており、落ち着ける店内となっております。
AIがあなたの望むお酒を提供、休日のひと時の優雅なひと時をここで過ごして見てはいかがでしょうか?
大図書館、入って三番目の扉、植物園
「葉っぱがいっぱいあるよ!ここでお昼寝したら気持ちいいだろうなぁ〜。」
「見たこともない植物がたくさん、太陽光も入ってくるし最高じゃないですか!」
「うん、そうだね。あ、まってサーバル!それ、大鬼蓮ーーーーーー」
『ゴボボボボボボボ』
「「あぁぁぁぁあぁぁあ!?」」
酷い音を立てて水中に一瞬で消えるサーバル。大鬼蓮を地面の延長の様に踏んだらしい。特に疑問に思わず大鬼蓮を踏んだためか、その場でパッと消えたかの様な速さだ。なかなか深いのか一気に足の届かない域に突入した様だ。
「み”や”あ"ぁ"あ"ぁ"っ!?」
狂った様に水面で暴れるサーバルを急いで魔法で引き上げる。
サーバルは毛皮から滴る水滴をそのままに、地面に突っ伏す。
とまぁ、こんなことがあった。
この植物園も相当な広さがあり、向こうの壁は一キロも先だ。
さらに気候状況などはほぼ変化せず、モデルとなった土地の気候を真似し、植物の健康を守る。
因みにサーバルはちょっとの間、水恐怖症になったという。
ここで一同は引き返して、大図書館を出て、二階に上がる。もちろん他の部屋もあると思うが、言ってたらいつの間にかオールすることになりそうだ。
二階、登ってすぐの右の扉、無限回廊、一つ目の扉、プラネタリウム。
「すっごーい!星がきれー!」
「すごい、綺麗……」
2人が感嘆の言葉を口にする。
確かにそうだ。
天球を模した半円状の天井には、鏤む無窮の星々。まるで宝石の様に赤、青、白、橙にそれぞれ輝いている。
元々明るい星はさらに明るく、普段は見えない様なくらい星も、このプラネタリウムは映してくれる。しかもこのプラネタリウム、リアルタイムで現実とリンクしているのだ。例えば、外で蠍座が南に輝いていたら、このプラネタリウムでも同じ場所に光り輝いているのだ。
時間や日にちだけでなく、年、世紀単位で動かすことも可能であり、太古の時代に輝いていた星が確認できる。観察点はどこにでも動かせる。
また、床は現在、芝生にしてあるが、設定すれば全球を夜空にすることが可能だ。
しばらく眺めたのち、部屋から退出する。
無限回廊、二つ目の扉、トイレ
「いかにも普通なトイレだねぇ」
「トイレ、なんですかこれ?」
「トイレってなにー?」
サーバルに使い方を教えて退出。別に長居するところじゃないし。あ、サーバルは毛皮が脱げることをまず知らなかったです。
無限回廊、三つ目の扉、コンサートホール
「また、用途が全く見えないところですね。」
「よく声が響くよ〜♪」
「コンサートホールって言って、演劇やオーケストラとか、簡単にいうと見世物をやるところだよ。」
当然ただのコンサートホールではない。観客の人数によって収容人数を増やし、用途によって内装を大改変できる。オペラのアイーダだって、ロックのコンサートだってできてしまう。
使う時が来るのかは謎だが、歌を歌ったりするのが好きな娘がきたら、きっと使うだろう。人数が集まったら催し物のために使うのもいいかな。
さて、そろそろ探索を打ち切って、お風呂を探しに行かないと。そろそろ眠たいし。
「みんな〜、そろそろお風呂に入るよ。」
「え!?ほんとですかっ!?やったぁー!ここにきてもお風呂に入れるなんて感激です!」
「?」
湯、と書かれた暖簾。女性しかいないので当然女湯しかないが。崩して書かれた湯という文字は、日本人の和の心を想起させる。
流れて来る湿った熱気は、少しの懐かしさを煽る。
イナバノシロウサギは温泉が好きな様で、先程からうさ耳をピコピコさせ、足取りも軽い様だ。隠岐の島で人間の作った銭湯もどきに入っていたらしい。
暖簾をくぐり中に入れば、温泉の更衣室特有の湿り気が体を包む。
「みんな服脱いで、カゴに入れといてね。」
と言って、棚から温泉によくある籠を見せる。
「はーい!」
「隠岐にはこのカゴもなかったのですけどね。」
2人はそれぞれ自分の服を脱ぎ始めたので、叶華も脱ぎ始める。
叶華はちょうど十五歳、二次性徴の真っ最中だ。身長は162Cで、胸は大きくもなければ小さくもなく、痩せ型だが、バランスの良い体系である。そのためか客観的に見ても整ってる相貌と相まって、学校の男子から言い寄られることはあったりしたが。
それに対してイナバノシロウサギは、十二、三歳程度の体系であり、膨らみかけの胸は
「むーー……、んーー………」
早くもタオルを巻いた私たちとは対象的に、サーバルは先程、毛皮が脱げることを知ったので、手古摺っているようだ。
「ほら、ちょっと貸して。」
「あっ」
困っている様子だったので、服の肩の部分を掴む。
「ほら、万歳して。」
「はーい。」
サーバルは私の言葉通りに両手を耳の横まで上げたので、それに合わせて肩の部分を上に引っ張り服を脱がせてやる。
常人より少し大きめのお胸が私の目の前で露わになる。さて、次はブラのホックを外して、と。
「スカートは脱げる?」
「さっき教えてくれたからわかるよー!」
そう言って自分のスカートに手を伸ばすサーバル。しかし、その手はすぐに止まってしまう。
「わ、忘れちゃったよ!」
「は、ははっ」
焦ったように笑い、取り繕うサーバルに、苦笑いを送るイナバノシロウサギ。
仕方ないからスカートも脱がせてあげる。
脱ぎ終わった服をカゴに入れる私にサーバルは、「パンツは流石に脱げるからだいじょーぶ!」と言う。流石にか、と思いカゴに服等を入れていたのだが、ゴンッと音がして隣を見たら、足を縺れさせて前のめりに倒れているサーバルの姿が。
大丈夫だよ、と言いつつも頭を抑えているサーバルは無事ではないがちゃんと脱げたようだ。
さて、いよいよ温泉だーーー!
立ち上る白い湯気が体を包む。
ジャポジャポと陶器製のライオンを象った蛇口から、温泉が注ぎ込まれる。
体を洗い、汚れを落とした私たちはいざ温泉に入ろうということである。
温度は40.5度、長風呂するにはいい湯だ。
いつ入ることもできるこの一歩分の距離、私たちはしかし、入れないでいる。
何故か。
思い出して欲しい。
私たちの中には、水の恐怖というものを味わわされた人物、いや獣が一匹いる。植物園で大鬼蓮に乗っかり、水中に消えて言った獣だ。
「ねぇ、サーバルさん。一緒に温泉入りましょうよー。きっと気持ちいいですよ。」
「う、うん。大丈夫だよ!」
サーバルである。
どうやら先程の水没事故が、彼女自身の相当なトラウマとなったらしく、暑いはずだというのに、膝が震えているらしい。
「別にキツイなら無理しなくてもいいよ?」
「だいじょーぶ!さ、はいろ、2人とも?私は大丈夫だからさ。」
「ほんとに?」
「うんっ!」
「ならいいんですけど……」
そういって、サーバルは覚悟を決したのか、温泉へとそろりそろりと歩く。その姿からは今日、日本の森林の中を疾駆していた姿は想像できない。
「……」
案の定、お湯の目の前まで来て、足が止まる。
彼女のお湯を見る目は、まるでサバンナにおいての点滴を見るが如くである。
しかし、ここまできて退けぬという思いがあったのか、片足を上げ、ゆっくりと先を浸からせようとする。
しかし、指の先端が当たった辺りで、
「うにゃぁぁぁ!?」
ピョーン
「うわぁぁぁあぁぁあ!?」
ドスン
文字通り飛び上がり、あっけにとられている私の上に着陸。
サバンナ仕込みのサーバルのジャンプは、特別強力だった。
なんてジャンプ力ぅ、結界がなかったら即死だった……!
「ぐ、サーバル、ちょ、退いて……」
「あ、ごめんね叶華ちゃん!」
私を下敷きにしていることに気づいていなかったサーバルに、苦しげな声をかけると驚いた様子で飛びのいてくれる。
相当なトラウマみたいだなぁ。
「これはかなり苦手みたいですね。ここまで来るとどうしたらいいのか……」
隣で一部始終見ていたイナバノシロウサギが、打つ手はないと言わんばかりに首をかしげる。
確かに短時間で根付いたトラウマにしては強力である。
「そんなぁ、私もみんなとお風呂入りたいよぅ……」
イナバノシロウサギに言外に諦めろと言われたサーバルは、落ち込んで若干涙目になる。
そのウルウルとした瞳は、私の心に訴えかけるには十分なものだった。そこで私は単純な意見を提案する。
「……分かった、分かったよ。私がサーバルを抱っこして入れば、少しは恐怖も安らぐでしょ。」
「わぁい!叶華ちゃん大好き!」
「わぷっ!?」
その提案にサーバルは大喜びのようで、すぐさま私に抱きついて来る。
まって、何も見えない何も見えない柔らかい柔らかい!?
そんな光景を見ていたイナバノシロウサギは、
「なんだかよくわかんない感情が湧いてきました。」
と、圧倒的に自分には欠けているものを摩って、そして彼女たちのやりとりを見て、ため息を吐いていたのだった。
「それじゃあ、入るよ。」
「う、うんっ!」
最終手段、サーバルを正面でがっしりホールドして抜け出せないようにする。
荒療治だが、サーバルがどうしても入りたいというので、こうして幼い子供を抱くような感じで一緒にお風呂に入ろうということだ。
サーバルもサーバルで私の頭をギュッと抱きしめている。可愛く見えるかもしれないが、実際は野生の膂力できつーく抱きしめられているし、目の前はパフパフ状態で大変だ。が、その前にチャレンジしてみたときに窒息しかけたので、無呼吸でも生きれる体に一時的に改造中だ。息をしなくても苦しくないというのは奇妙な感覚である。
ゆっくりとまず私がお湯の浅いところに脛まで浸かる。
次に深いところまで行くのだが、些か心配だ。
が、今更迷ったところでどうしようもない。意を決して深いところへと歩を進める。『大丈夫、大丈夫』とサーバルは自分自身に暗示をかけて恐怖をごまかしているようだ。
「みゃっ!?」
ポカッ
「ぃてっ!?」
しかしそれに伴い、今まで水に着いていなかったサーバルの足が着水する。
それと同時に驚いたサーバルの手が、ひゅっと振り下ろされ私の頭に着弾する。
しかし、必死なサーバルはそれに気づいていない。
しかしここで引き下がるわけにはいかない。強い意志を持って目標を完遂するべく、腰を下ろしていく。
しかし当然、サーバルの体もそれに伴い段々と沈んでいくわけで………
「みゃみゃっ!?…みゃみゃーっ!?ミャァァァ!?」
ポコスカポコスカポコスカッ
「あ、ぐっ、くぅ、あっ、だっ、ふぐぅ!?」
動物時代の鳴き声と共に、連続であげては振り下ろされる手。最後の一際鋭い悲鳴は、彼女の尻尾が水につかったときのものである。
痛みはないはずなのに反射的に漏れ出る声、ポスポスポスポスと叩かれ続かれる。
さすがにこのままだとかならない。
「さ、サーバル、おちつイダッ、落ち着いてふぐぅっ!?」
ギュッと抱きかえし、スベスベの背中をナデナデしてあげる。猫科の動物には詳しくないので、ここがいいのかわからないが、とりあえず何かアクションを起こさなければ。
「あっ!?叶華ちゃんごめーーーーみゃぁっ!?」
「おうふっ」
「さ、サーバルさん落ち着いて、落ち着いてくださぁーい!大丈夫です、叶華さんがもう完全に座り切ったから、もう大丈夫ですよぉ!」
やっとこお風呂の底にペタンと座り込めたが、サーバルの攻勢が勢いを衰えさせない。
一瞬だけ正気を取り戻したが、背中の半ばまで水に浸かった事によってパニックに。
イナバノシロウサギも止めに来るが、動きが未だ激しく、動けないでいる。
どうすれば。
そうだ、彼女のトラウマの原因を解明しなければッ!
彼女が水没したときの状況を思い出す。
(確かあの時は、予期していなかったタイミングで、一瞬にして水没。いや、この条件はクリアしている。他の原因が………そうだ、あの時も今も、サーバルは底に足をつけていない!あの時は着くはずもないが、今ならっ!)
そしてサーバルの背中を優しく撫でていた腕で、彼女の脇腹をしっかりホールドする。そして、
「そぉぉぉい!」
「……え?みゃぁぁ!?」
「え、ええぇぇぇえ!?」
掛け声と共にサーバルを温泉の中の方まで、ぶん投げる。ザッパーン、と大波と立てて着水するサーバル。唖然とするイナバノシロウサギ。私の突然の凶行に、サーバルはおろか、イナバノシロウサギも叫びをあげる。
「な、何やってるんですか!?叶華さん!おふざけにしても度を超えてますよ!?」
「まぁまぁ、落ち着いて?私だって考えもなしにあんなことしたわけじゃないから。」
「えぇい!落ち着いていられるもんですか!あなたあれでしょう?結構ドSなんでしょうそうでしょう!じゃないとあんなことーーー」
「むぅぅ!酷いよぉー、叶華ちゃん!」
「え?」
プンプンと私を責め立てるイナバノシロウサギの虚をつくように、背後から放たれる声。
もちろん、先ほど投げ飛ばされたサーバルだ。
全身に水を滴らせながら、ぷぅーっ、と頬を膨らませて私に抗議してくる。
きちんと
これにはイナバノシロウサギも絶句する。なぜなら、先程まで少し見ずに触れただけで、ビビりまくっていたサーバルが、ちゃんとお風呂に水に動じないで入られていたからだ。
「サーバル、水克服できたじゃん」
「なにがーー、え?あれ?ほんとだ私なんともないよ?どうして?」
私がそう言うと先程までの憤りはどこへやら、ケロっとした顔で頭に疑問符を浮かべる。
「足がつけば、怖くないと思ってね。少し手荒だったけど、やった価値はあったみたい。」
「ほんとだ!足がついていればなんとなく怖くない!やったぁ、これでみんなでお風呂に入れるね!」
サーバルのトラウマの原因、それは突然、足のつけない状況で溺れたこと。
つまり、足がつくのがわかってしまえば、そのトラウマは克服できる可能性が高かった。
Qもしもそれでダメだったら?
Aもう記憶改竄してた。
「お風呂ってきもちーね〜♪」
「何はともあれ、これで落ち着いて入れますね。」
「あぁー、なんかすごく疲れた〜。」
改めて温泉の湯を意識してみれば、肌の隅々に行き渡るような極上のお湯だったことに気づかされる。肌を包み込むような優しいお湯だ。気を抜けば寝てしまいそうな。
実はこの入り心地の良さにも秘密がある。
この温泉は通常の温泉のものとは違い、私の魔力が相当溶けている。それは肉体にはとても良く、疲労回復や肩こり解消、冷え性改善等といった様々な効能を備えている。
また、この地の山野の瘴気をこの館は吸い取り、そして本来であれば有毒であるはずのそれを濾過して抽出した、自然の魔力というものも混ぜてある。直接、生命力、平たく言えば魂を直接治癒するような働きを持ち、例え片腕を欠損し、目は抉られ失明し、脳に損傷があるような急患でも、忽ちにしてこのお湯に浸かれば回復するであろう。
暫く皆無言でそのお湯をそれぞれ堪能する。
そして、その長い休符の後に、音を発したのはサーバルだった。
「叶華ちゃんってすごいね〜!いろんなこと知ってて、なんでも出来て。ねぇねぇ、叶華ちゃんって、なんの獣だったのかな?」
単純な賞賛、からの問い。
しかし、その問いに彼女は答えることができなかった。
なぜなら、人といいかけた彼女の頭にこんなことが思い浮かんだからである。
(確かに人だけど、能力が人の範疇に収まってないし、いや、この作られた体が、本当に人なのか怪しいし……。)
「ぁ、えっと、その……」
「?」
彼女らしからぬ言い澱み方に、首をかしげるサーバル。特殊な事情があるが故の懊悩を彼女は知らない。
そして、イナバノシロウサギもまた彼女の挙動に不審さを感じていた。
(やっとこ、不明な点ばかりであった叶華さんの正体がわかる。それに、彼女のこれまでの経緯のヒントも落としていくかもっ!)
それぞれの思惑が次の行動で何をすべきか、何を聞き出すべきか、最善の一言を探そうとする。
「あー!それうさも知りたかったです!私たちってまだお互い知らないことが多かったですし、ここでお互い交流を深めましょう!」
取り敢えず、サーバルに便乗して、叶華の次の発言を促す。
叶華は自分の経緯を大まかにしか伝えてない。妹を失ったことも、どの様な環境で育ったかも、神々のどの様な理由でここに来たのかも、能力に関しても。
「えぇと、多分人間、かな……?」
「なんですか、その中途半端な答え。」
歯切れ悪くそう答えた叶華にイナバノシロウサギはツッコミを入れる。しかし、イナバノシロウサギは彼女が人間であることになんら疑いはない。知識や発想力、骨格構造からして間違えようはない。
「ほら、私の体って神々のハンドメイドで、新種の可能性があるし……」
「成る程です。しかしなぜ神々は、人にこんなことをさせたんです?」
話の流れから自然に紡がれた様に見える言葉は、しかしイナバノシロウサギが意図したことを聞き出すための言葉。
「それは、神のみぞ知るってやつでしょ?あれ?イナバノシロウサギって兎神じゃあ……」
しかし、そんな思惑に気づいているのか気づいていないのか、叶華自身は知らないと間接的にこたえる。
いや、理由自体は聞いている。
しかし叶華自身はそれが嘘だとも本当だとも言い切れないのだ。多分、アテナさんが言ったことに偽りはない、とは思うが何者かの意図が含まれている様に感じたのだ。あくまで勘であるが。
そして叶華は逆に神々サイドのイナバノシロウサギに探りを入れて見たのだ。
「いえ、そんな未来のことまでは……」
「そっか、そうだよね。」
やはり遠い未来のことすぎるらしい。
イナバノシロウサギ自身は神無月の神々の集会に参加することを許されているのだが、一度も行ったことはないらしい。
取り敢えずこの情報の調査は早すぎると断定し、叶華とイナバノシロウサギは再び論点を探し始める。
「そういえば、叶華ちゃんの能力って他に何ができるのかなー?」
だが、サーバルが2人が考えているすきに、発言する。
彼女に思惑はなく、策略もない。
ただ、新しくできた『家族』のことを知りたいだけ、仲良くしたいだけ。
単純だが、サバンナで孤独に生きていたサーバルにとっては自然な欲求だったのかもしれない。
だからみんなの事をもっと知らないといけない、と彼女なりに判断したのだ。
「んー、それが私も全容を把握できてないんだ。家とか城とかは余裕で作れたんだけど、まだ闘ったりとかもしてないしなぁ。」
「え、叶華さん、それホントですか?いけないですよぉ、自分のことはもっと知っとかないと!」
「なんたって、無理やり詰め込まれたからなぁ。この能力。」
「あぁ成る程です。」
そう言って叶華は神々による数時間の討論による、自分に詰め込まれた能力を頑張って思い出す。魔法が使えたり、それっぽいこと言ったら技が出たり、どこでも最高品質のコーヒーが淹れれたり。とにかく、ガチのものからネタの様で嬉しいものまで幅広い。
イナバノシロウサギも神々のいい加減さに納得した様だ。
「で、これからどうするんですか?私たちの旅は。」
「うん、取り敢えず日本中を回っていこうと思うよ。日本にも神秘的な事例は多いし、妖怪に困っている人を助けるのもいい。」
それに、新しい『友達』に会えるかもしれないし、ね?と笑顔で言う。これは偏に今まで友もいないサバンナで生きてきたサーバルへの優しさだった。
しかし、サーバルは何故か今のセリフに寂しさを感じた。
それは叶華とサーバルのお互いの認識の違いである。
サーバルは『家族』を望んでいるのに対し、叶華は『友達』と言った。もしかして叶華は自分とはお友達のつもりなのだろうか、という一抹の不安が頭に浮かぶ。
それは、叶華が密かに見せていた瞳の奥の色と合わさって無視できない不安の要素となっていた。
「一つ、叶華ちゃんに聞いて見たいことがあったんだ。」
「?なに?」
だからサーバルは聞いてみることにした。
彼女には叶華ほど発想力はないから。
彼女にはイナバノシロウサギほど洞察力はないから。
彼女には有り余る元気と愚直さがあったから。
彼女は優しかったから。
真っ直ぐと叶華の瞳を見て、その色を捉えようと。
「どうして、私を見る時そんな悲しそうなの?」
「…………ふふっ」
しばらくの沈黙の間、そして彼女は右下に視線を逸らし、そして笑う。
サーバルにはその瞳の色を捉えることはできなかった。
彼女は人型になって1日も経ってないから、人間の複雑な感情を読み解くことはできなかった。
「サーバルは心配しすぎ。大丈夫、私は大丈夫だから。それよりも私は危なっかしいサーバルの方が心配だよ。ね、私はきっとずっとサーバルのそばにいてあげるから、絶対に寂しい思いをさせないから、だからサーバルも私のとこからいなくなってほしくないかな。」
そう言って、サーバルに近づいて愛おしいく彼女の頬を撫でる。
サーバルにはその手がとても心地よく、自分を満たしてくれる様な優しさと、叶華のなにか絶対的な意思がこもっている様に感じた。
殺伐とした状況に生きていた彼女に安心感を与えるのにはそれで十分だった。
「…….………うんっ!叶華ちゃんもシロウサギちゃんも私はだーい好きだから、絶対にいなくなったりしないよ!」
だから、彼女は誓った。
叶華を縛っている何かを、悲しみの原因である何かを、きっと自分が断ち切ると。
いまは全て見せてくれなくても、いつかはきっと見せてくれると信じて、彼女の側にいようと。
心は幼くとも、決してこの約束は違えることのないように胸に刻んだ。
それはイナバノシロウサギも同じように感じていた。サーバルとは考え方が違っても、彼女を家族のように思う気持ちはあったのだ。イナバノシロウサギは最早、叶華から情報を聞き出そうという気持ちはなかった。サーバルの言葉に押され、叶華を信じて待つことにしたからだ。
お風呂場は先ほどより少し騒がしく、あったかくなったのだった。