戦姫絶唱シンフォギア 雷光の大人達   作:ファルメール

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第07話 もうひとつの”雷”

 

「……明日は流れ星ですか……」

 

 広げていた新聞から目を放さずにふと呟いた律のその声に、二課の面々はぴくりと反応する。

 

「そう言えばここ最近、落ち着いて空を見上げる余裕もありませんでしたね」

 

「仕方無いですよ、ノイズはこちらの都合など、お構いなしですし」

 

 オペレーター二人、朔也とあおいのコメントはそれぞれ二課の職員らしいものであったが……

 

「本当に、そうだろうか?」

 

 彼等の長たる弦十郎の意見は違っているようだった。

 

「……と、言うと……?」

 

 律はここで新聞を持つ手を下げた。弦十郎は友人のこの反応に一度首肯すると、

 

「それについては今日のミーティングで話すさ。翼や響君も交えてな」

 

 そう言ったきりだった。

 

 

 

 

 

 

 

「遅れてすいません!!」

 

 息せき切った響が二課本部に駆け込んできたのは、このやり取りから数時間後の事だった。ミーティングルームには弦十郎や了子、朔也にあおい、翼と表向きには彼女のマネージャーを務めている慎次といった面々が揃っており、正式な二課メンバーではないが完全聖遺物の所有者である律も列席している。彼女はソファーに腰掛け、膝の上に寝転がったラエラプスにブラシを掛けてやっている所だった。

 

 翼がコーヒーを飲みつつ響を一瞥したが、曲がりなりにも共に戦う仲間に対して彼女が見せた反応はそれだけだった。

 

「それじゃあ、仲良しミーティングを始めましょ♪」

 

 そんな気まずい空気などどこ吹く風と、いつも通り脳天気なほどに明るい了子がぱんと手を叩き、場を取り仕切った。彼女がコンソールを叩き、まずモニターに表示されたのはこの二課本部があるリディアン音楽院を中心とした、周囲一帯の地図だ。更に彼女の指がキーボードの上で躍ると、地図上に大小無数の輝点が表示される。その数は軽く十を越えていた。

 

「……どう思う?」

 

「はい、一杯ですね」

 

 響のどこまでも単純なその回答を受け、弦十郎は思わず吹き出してしまった。だがすぐに表情を引き締める。

 

「これはここ一ヶ月の、ノイズの出現地点だ」

 

「……頻度としては多過ぎ、範囲としては密集し過ぎていますね」

 

 と、律。ノイズの発生確率は東京都心の人口密度・治安状況・経済状況等をベースに考えた場合、そこに住まう人間が一生涯の内に通り魔事件に遭遇する確率を下回るとされている。無論、未だノイズの行動パターンや存在には謎が多くこのデータがどこまで信用出来るかは怪しいものだが、しかしノイズがそうそう頻繁に現れるものでないというのは響も含めここに居る全員にとって共通の認識である。

 

 画面に表示された地図は、東京都心よりもずっと小さな範囲でしかない。にも関わらず、その狭い領域の中でしかも一ヶ月という短期間でノイズの出現が十以上。

 

「……異常、としか言い様が無いな」

 

「誰の目から見ても明らかにね」

 

「……何らかの作為が働いているという考えが自然……ですか」

 

「作為……って、誰かの手によるものだと言うんですか?」

 

 司令、技術主任、完全聖遺物所持者それぞれの意見を聞いて、信じられないという風に響が呟く。ノイズとは認定特異災害。つまり地震や台風と同じで何の意思も目的も無く、ただ現れては人に害をもたらすだけの存在ではなかったのか?

 

「中心点はここ私立リディアン音楽院高等科、我々の真上です。サクリストD”デュランダル”を狙って、何らかの意思が向けられている証左となります」

 

 ここで翼が初めて口を開いたが、彼女の言葉が響の疑問に答えたものでない事は明白だった。正確には、務めてそう取られないように言葉を選んでいるように思える。響への当てつけ……と言うよりも「彼女を認めない」という思考が完全に先に立ってしまっている感じだ。

 

 律はそんな翼を見て、嘆息しつつ苦笑する。全く、意地っ張りと言うか石頭と言うか……

 

「あの……デュランダルって?」

 

 と、未だ二課に所属して日も浅く、知識も十分ではない響の質問を受けた了子が再びコンソールを操作すると、モニターの一角に見事な装飾が施された一振りの剣が表示された。機械製の台座とでも形容すべき仰々しく複雑怪奇なオブジェに安置されている。

 

「この本部最奥で管理されている第6号聖遺物にして完全聖遺物よ。数年前、EU連合が経済破綻した際に不良債権の一部肩代わりを条件として、日本政府が管理する事になったのよ」

 

「完全聖遺物……って事は、律さんの”エウロペの首飾り”みたいな?」

 

 響がそう言って、律の胸元へと視線を落とす。そこには第1号聖遺物が、貴賓ある光輝を湛えていた。

 

「知っての通り、翼ちゃんの天羽々斬や響ちゃんのガングニールは適合者の歌によって起動、シンフォギアとして再構築しなければその力を発揮する事は出来ませんが……完全聖遺物は一度起動さえしてしまえば適合者でなくともその性能を100パーセント発揮出来るのが最大の特徴でありシンフォギアとの相違点です」

 

「デュランダルもその例に漏れないわ。起動すれば無限にエネルギーを放つ聖剣よ」

 

「完全聖遺物それ自体が恐ろしく貴重という事もあるが……その特性と合わせて考えれば合法・非合法、公的機関・アンダーグラウンド問わずデュランダルを欲しがる連中などダース単位でウジャウジャしているだろうな」

 

 現にアメリカが安保を盾に再三のデュランダル引き渡しを迫っていると、朔也が補足する。あおいによれば本部のコンピューターにも数千回のアクセスが試みられた形跡が確認されているらしい。流石にその出所までは不明だそうだが。

 

「別にそれ自体は今に始まった事じゃないんだけど……」

 

 これは了子の発言である。デュランダルだけではなく、二課が保有するシンフォギアの力はアンチノイズのみならず通常戦力としても近代兵器を凌駕する。残念な事だが……その力を人の為に役立てようとする者よりも、それを我が物として自らの欲望を叶えようとする者の方が圧倒的に多いのだ。それだけならば醜い事だがそれも人間であろうと諦める事も出来る。

 

 だが、問題なのは……

 

「その中に、ノイズを任意に発生させる能力を持った者が居る……?」

 

 律は得心が行ったと頷いた。だとするならばこれは容易ならざる事態である。成る程、何時間か前に弦十郎が言っていたのはこの事だった訳だ。こちらの都合などお構いなし、どころの話ではない。こちらの都合の悪い時を狙ってノイズが発生しているとすれば……

 

 ただ単に偶発的に発生するノイズであれば、それを倒して人々を守護する事こそ二課の存在意義でありシンフォギア装者の役目だ。そして人間の悪意から翼や響を守るのは、弦十郎達大人の役目だ。だが人間の悪意が本来は破壊衝動しかないノイズを支配し、指向性を持たせて動かしているのなら、これはある意味でどんな強大なノイズよりも、地球上の如何なる権力者よりも脅威となる。それこそ二課が一丸となって立ち向かわねばならぬ程の。

 

「……しかし、現時点ではそれが何者なのかは……分からない、と」

 

 続いての律の言葉に、弦十郎は頭を掻きつつ溜息混じりで頷いた。

 

「調査部も総力を挙げて動いてはいるんだが……今の所、見るべき情報は皆無だ」

 

「ラエラプスじゃ探せないんですか? 律さん、確か前にその子はどんな獲物でも捕まえられるって……」

 

 名案を思い付いたという表情で発言する響であったが……しかしこの程度の発想は、既に検証が行われていたらしい。二課の面々の表情は少しも晴れやかなものにはならなかった。「……あ、あれ?」と表情を引き攣らせる響を見て、律は愛犬にブラシを掛ける手を止めて、穏やかに首を振った。

 

「残念ですが響ちゃん……この子は確かにどんな獲物でも捕らえられる最高の猟犬ですが、そこまで万能ではないのですよ」

 

「……そう……なんですか?」

 

「ええ、追跡の為には”情報”が必要……具体的にはターゲットに直接接触して臭いを覚えるか、その相手の臭いが付着するなどした品物が必要なのですよ。逆に言えば髪の毛の一本、服の切れ端の一片でもあれば獲物がどんな遠くに逃げても、どこまでも追跡する事が可能なのですがね」

 

 今回のケースでノイズを操る能力を持った者……仮にこれを「X」とすると、「X」のものと見られる痕跡が無いので、ラエラプスも自慢の追跡能力を発揮できないのだ。

 

「……まぁ、単純に今はその子が働く段階ではないって事でしょう。諜報部が何か証拠を掴みさえすれば、後はイモヅル式に犯人を見付けられますよ」

 

 慎次のフォローに、律は微笑を返す。彼女の膝に寝そべった猟犬も気を良くしたのか、ぱたぱたと尻尾が動いていた。

 

「……兎に角、もし敵の狙いがデュランダルだとすれば今後も本部周辺でのノイズ発生は続くと予想される。翼に響君、そして律。ノイズと単独で戦う事は可能な限り避けるように。他の者も出来るだけ複数名で行動する事を心掛けてくれ」

 

 伝えるべき情報が全員で共有された事を確かめた弦十郎がそう言って締め括り、この場は散会となった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして流星雨の夜。次なるノイズの発生が、やはりリディアン音楽院の近郊にて起こった。

 

「ポイントは二箇所。学院近くの地下鉄駅と、近隣市街地周辺です!!」

 

「どちらにも、同程度の大きさのノイズ出現パターンを検知しました!!」

 

 モニターの地図に表示された二箇所はかなり離れている。幸い、と言うべきか地下鉄の方には全くの偶然ながら響がすぐ近くに居るようだ。既に翼も命令一つで現地へ向かう準備を整えているが……しかしこれは思案のしどころである。

 

 先日のミーティングでも学院近郊に於けるノイズ出現の多発には、何者かの意思が介在している可能性が示唆されている。もし今回のもそうだとすれば、これは……

 

「二箇所同時のノイズ出現……弦十郎君、これは……こちらの戦力の分断が目的では?」

 

「うむ……」

 

 すぐ傍らに立っていた律の意見に、同じ考えに至っていた二課司令は難しい顔で頷く。もし裏に居る黒幕「X」の狙いが二課本部で保管されているデュランダルだとすれば、それを奪取する為にまず二課が保有する戦力であるシンフォギアとその装者を叩こうとするのは自然な流れだ。それも、より確実を期するなら戦力を分散させて一人ずつ。戦術の基本だ。

 

 二課という組織の性質上、ノイズが出現した以上は静観・放置するという選択は有り得ない。よって出撃は大前提なのだが、しかし切れるカードは限られている。シンフォギア装者が二人、完全聖遺物所有者が一人。果たしてこれらの戦力を、どのように運用する事が最善か。

 

 ノイズに対する防御力が無い律は一人では戦わせられない。定石通りなら地下鉄駅の近くに居る響が周辺のノイズを足止めしつつ、その間に市街地近くに出現したものには経験豊富な翼と律を当てて迅速に殲滅、その後に二人が響と合流して三人で駅に出現したノイズを倒す。もしくは響の所に律を向かわせて持ち堪えさせつつ、翼の到着を待つか。

 

 このどちらかが民間人・二課共に被害を最小限に収める事が出来る最善の戦術であろう。だが……こちらが考える事は向こうも考えていると見るべきだ。

 

 この場合、単独で戦う方が狙われる危険がある。だからと言って3人を一箇所に集めてはもう一箇所に出現したノイズに好き勝手に暴れる事を許してしまう。それは悪手であろう。

 

「むう……」

 

 思わず、弦十郎は唸り声を上げる。

 

 これらの条件を視野に入れた上で、自分達が採り得る最良の戦術は……?

 

 じっくりと考えたい所だが、時間が無い。こうしている間にもノイズ達は実体化を終えて動き出す。決断が一秒遅れる毎に、守るべき無辜の民の命がそれだけ多く喪われていく。

 

「これはまるで……あの時の……」

 

 律としてはそうした戦術的な思考は勿論だが、もう一つ頭に引っ掛かっている事があった。

 

 脳裏にオーバーラップするのは二年前、奏が響を初め多くの人々を守る為に命を散らしたあの日の光景だ。あの時、自分は別の場所に出現したノイズ討伐の為にライブ会場を離れていて、その隙を衝く形で会場にノイズが出現し、更にそれと前後してネフシュタンの鎧が暴走を起こした。

 

『あれは最初から、私と二人を引き離す為に仕組まれた事だった……? だとしたらまさか、実験の失敗も……?』

 

 完全聖遺物たるネフシュタンの鎧が失われたのも、単に出現したノイズと戦闘の混乱によるものではなかったとしたら……? 混乱に乗じて誰か、「X」が『鎧』を持ち去った……?

 

 ノイズの出現と聖遺物の暴走。関係性の無い二つの出来事の連続性にあれは事故ではなく事件、紛失ではなく強奪だったのだと、そうした陰謀論は関係者間で今尚根強く残っているが、証拠が無い為にあくまで可能性の一つとしか扱われていなかった。律の中でもそうだった。これまでは。

 

 だが今回のシチュエーション。二度の偶然は無い。

 

『……だとしたら「X」の、今回の狙いは……?』

 

 ひょっとすると、根本的な所から自分達は間違えているのかも知れない。

 

 一月前からのノイズ頻発はてっきりデュランダルを狙ってのものだと思っていたが、だとしたら何故もっと早くに行動を起こさなかった? デュランダルが二課の手に渡ったのは数年前だ。その間沈黙を保っていたのはどうしてだ?

 

 単純に「X」が二課本部にデュランダルが保管されているという情報を掴む、二課を相手として戦う準備が整うなどしたのが一月前だと考えられなくもないが……どうにも、しっくり来ない。

 

 では、他に狙いがある?

 

『……もっと単純に考えるべき……?』

 

 ノイズの動きが活発になった、一月前にあった事と言えば……? ”それ”が、「X」が動き始めた理由だとしたら……?

 

「あっ……」

 

「よし、作戦を説明する!!」

 

 思考の「線」が繋がり思わず律が声を漏らすのと、弦十郎が腹を括った顔で立ち上がるのは同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

「だあああああああっ!!!!」

 

 学院近くの地下鉄「塚の森」駅構内に猛戦する響の雄叫びとガングニールの歌が密閉空間の音響効果もあっていつもよりもより強く、大きく、響いていく。

 

 響の戦い振りはやはりまだまだシロウト丸出しでお世辞にも華麗とは言えないが、それでもこの一ヶ月の実戦経験と付け焼き刃ながらも戦闘訓練を経て、翼のように当たるを幸いとは行かないものの、群れて襲い来るノイズ達を一体また一体と倒していく。

 

 特に今日の響は恐ろしく、と形容詞が付くほどに気合いが入っており、その鬼気迫る戦い振りには心を持たぬ筈のノイズですらもが怯えているようで、後退るような仕草を見せる個体もあった。

 

「見たかった……!! 未来と一緒に……!! 流れ星、見たかったああああああっ!!!!」

 

 怒りと共に吼えつつ壁に拳を撃ち込んで、巨大な亀裂を走らせる。

 

「あんた達が……誰かの約束を侵す!!」

 

 出現場所が地下鉄の駅という狭く限定された空間である事もあってか、現れたノイズ達はどれも小型の個体ばかりだったが、その中で一体だけ比較的デカイ奴がいる。恐らく、そいつが親玉だ。

 

 良く観察してみると、まさにそいつは”親”と言える事が分かった。そいつの体は悪性の腫瘍細胞のようにゴボゴボと膨れ上がり、肥大化して異形となったその部位は一定の大きさにまで達すると本体から切り離されて、単一のノイズとして独立して動き出す。

 

 この分裂増殖によって、響の猛攻によって数を減じていたノイズ達はすぐさま先程に倍する数にまで増えてずらりと彼女を取り囲む。だが、無駄な事。

 

「嘘の無い言葉を、争いの無い世界を、なんでもない日常を……剥奪すると言うのならああああっ!!!!」

 

 今の響は理性を忘れ、胸の奥から湧き上がる衝動、憤りに身を任せ暴走する狂戦士。獣が自らを捕らえようと仕掛けられた網を食い破り、逆に狩人を餌食とするように。本来は一方的な獲物でしかない筈の人間である彼女が、逆にノイズ達を炭素の粉へと砕いていく。

 

 戦い方もどこかぎこちなさを残した格闘術から一転、力任せに拳をぶつけ、掴んだノイズを引き千切って、ぶん投げて、闘争本能のままにデタラメで滅茶苦茶な暴力を振るう。局地竜巻を思わせるその暴威の前に、増殖して数を増やしたノイズ達はほんの数十秒で、親玉の一体だけに戻ってしまった。

 

 これは、敵わない。

 

 ……と、親玉ノイズは考えたのかも知れない。眼前の戦姫から背中(に相当すると思われる部位)を見せて、逃走に転じた。ホームから線路に降り立って、トンネルを次の駅へと走り始める。

 

「っ!! 待てっ!!」

 

 大暴れの快さに少しは頭に上っていた血も引いたらしい。いくらか冷静な思考を取り戻した響がそのノイズを追おうとするが、その時だった。ノイズが走っていく前方の暗闇から、光が見えた。

 

 電車が来た? 一瞬そう思ったが、既にノイズ出現の報を受けて周辺の交通機関は全て止まっている筈だ。だが前方からは光だけではなく、レールを鳴らすけたたましい音も聞こえてくる。しかも音と光はどんどんと近く、強くなってくる。この音を警戒した親玉ノイズと響は共に動きを止めてしまう。

 

 ほんの僅かな、数秒ほどのタイムラグ。だがそれだけの時間で、近付いてくる音と光の正体が分かるようになった。

 

 光はライトのそれではなく、紫電。音は車輪ではなく巨大な蹄が、レールを踏み締める音だ。

 

「これは……!!」

 

 漸く響がこの音の正体を理解したのと、幾筋もの雷光がトンネルの壁や天井、レールを這って走るのはほぼ同時だった。

 

「ひゃっ!?」

 

 思わず、上擦った声を上げてしまう。それも無理からぬ事。雲も空もない地下空間に、本物の雷と錯覚するほどの電火が迸ったのだから。そして響が知る限り、このような真似が出来るのは唯一騎。

 

「律さん!!」

 

 弾んだ声は、牛蹄の響と紫電の轟音によって殆ど掻き消されてしまった。電車の代わりにトンネルを走ってきたのは雷を纏う、勇壮にして美麗なる白き牡牛。律が持つ完全聖遺物の力によって召喚される幻獣”アルデバラン”。その背にはやはりと言うべきか、姫のように腰掛ける律の姿があった。

 

 逃亡しようとしていた親玉ノイズは電火に焼かれて炭素化し、崩れ去るより早くその前肢で砕かれた。

 

「来てくれたんですね!!」

 

 頼もしき援軍の到着に、響は笑顔になって駆け寄っていく。しかしアルデバランのすぐ傍まで来て、違和感を覚える。

 

「……無事ですか? 響ちゃん……」

 

 律の声はいつも通りの静謐さ、穏やかさ、丁寧さを保っていたが、しかし顔に笑みは無い。表情は厳しく、引き締められたままだ。響ははっとして、慌ててファイティングポーズを取ると周囲を見渡す。これは武道で言う「残心」がなっていない事を咎められたと思っての行動だ。まだ敵が残っているのに、油断してしまったから……

 

 と、思ったがいくら目を凝らし、気を尖らせても周囲にノイズの姿や気配はどこにも無い。地下鉄に現れたのはたった今アルデバランが文字通り蹴散らしたのが最後の一体だったのだ。では律は何をそんなに警戒しているのだ? 視線を下げれば、ラエラプスもまたアルデバランのすぐ傍まで来ていた。完全聖遺物所有者自慢の猟犬は、今は一方向を睨んで、低い唸り声を上げている。

 

「……えっ?」

 

 反射的に響は自分の背後を振り返った。ラエラプスが向いている方向、アルデバランに乗った律が現れたのと逆の方向。もう一方の地下鉄トンネルの闇の中を。

 

「弦十郎君の判断は、正しかったようですね……」

 

 律も、同じ方向を睨んでいた。

 

「出て来たらいかがです? ラエラプスを前に、姿を隠しても無駄ですよ?」

 

 そう、闇の中へと声を掛けて。

 

「へえ? 流石は完全聖遺物の力。見破られちまったか」

 

 応える声が駅構内に反響していく。人語で以て返答が来るとは思わなかったのか、響は「えっ?」と間の抜けた声を上げてしまう。一方で律は緊張した表情を崩さずに闇の中を睨んだままだったが……しかし次の瞬間、彼女の瞳は大きく見開かれる。響が見せた反応もほぼ同じだった。

 

 先程アルデバランが現れた時と同じように、暗闇から蜘蛛の巣のような雷が走って、無差別に駅内を灼いて融かし、砕いたのだ。一筋の紫電が足下を抉ったのを見た響は思わず飛び退いて、漏電したような火花に灼かれ、律の髪の一房が弾けた。

 

「この雷は……!!」

 

 響は驚きを隠せない。律さん以外に、こんな事が出来る人が居るなんて……? 同様の感情は律も抱いていたが……だがこんなものはまだ序の口であったのだと、彼女はすぐに思い知った。

 

 先程の響とノイズの戦闘、それに二度に渡って迸った雷火で照明の八割方はオシャカになっていたが、辛うじて役目を果たしていた二割ばかりの蛍光灯が放つ薄暗い光の中に進み出てきて、声の主の姿が見えるようになった。

 

 体つきや胸元の膨らみから女性だと分かる。それに先程の声の高さから恐らくは少女と言うべき年頃である事も。

 

 その少女のすぐ傍には、一匹の山羊が嘶きもせずに控えていた。見ればその体の各所には未だ火花がバチバチと走っていて、先程の雷撃はこの山羊が起こしたものと分かった。

 

 完全に光の下に現れて、少女の全体像がはっきりと分かるようになる。

 

 彼女の全身を覆うのは、薄手の衣装のように見えるがしかしおよそ響も律も見た事も触った事も無い素材で作られている。響はそれそのものを見た事は無かったが、しかし少女が纏う物が放つ、そのオーラには見覚えがあった。この輝きは、律が持つ”エウロペの首飾り”と同じもの。

 

 二年前の混乱の中で喪われた筈の、第五号聖遺物にして完全聖遺物。

 

 ぐっと鋭い目付きになった律が、可能な限り感情を抑えて抑揚のない声でその名前を呟いた。

 

「……ネフシュタンの、鎧……」

 


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