005
「怪異を探してほしいのよ」
突如呼び出された空々空は、脈絡もなくそう言われた。場所はとある民家の一室。少なくとも空々は知らない町の、空々の知らない家だった。言った相手は彼のほぼ直属の上司、
最早いつものことではあるが、彼女の真意の読めない発言に、空々は悩みながら言葉を選ぶ。
「怪異――って一体なんですか?」
「都市伝説、道聴塗説、街談巷説――まあ要するに、実在するかもわからない、御伽噺みたいなものね。妖怪だとかがわかりやすいかしら」
なら初めからわかりやすく教えてくれ――そう言いたくなるが、この天才に何を言っても大抵は無駄であるので空々は閉口した。代わりに別のことを言う。
「左博士ってそういう非現実的な物の存在を肯定してるんですか?」
「いいえ、全然?」
あっけらかんとそう言って笑う左に、空々は困惑するしかなかった。
「でも魔法少女が実在するんだし、あってもおかしくないわよね?」
「まあ、それはそうかもしれませんけど……」
とはいえ魔法少女――もとい『魔法』は、地球撲滅軍と同じ秘密組織の一つ、絶対平和リーグの元で研究され続けてきたテクノロジーであり、言うなれば出処のはっきりしたオーパーツである。対して、左博士の述べた『怪異』は聞いている限り非現実的で実在の証明出来ないものである。
(あるかないかは別にして、少なくとも簡単に見つかるとは――とても思えない)
そう思う空々。しかし彼女が本気でそれを探しているとも思えないので、性格から見ても駄目元で依頼しているのだと推察する。つまりはまあ、そこまで緊迫したミッションではないということだ。
「じゃあそんな感じでよろしく。空挺部隊、今は暇だしいいでしょ?」
「まあ構いませんけど……左博士の方で、何か目星とかはつけてらっしゃるんですか?」
「一応ね」
彼女は、とある地方都市の名前を言った。明確には知らないが、何度か聞いたことがあると言った感じの場所だった。
「わかりました。じゃあそこに向かって、吸血鬼を探してくればいいんですね?」
「ええ。血液だとか髪の毛だとか爪の垢だとか、何でもいいから体の一部を採取してくれればベストね」
「了解しました」
006
――吸血鬼。
御伽噺に出てくる不死身の怪物であり、僕、阿良々木暦は、地獄のような春休みの副作用で、そのなりそこないといった状態になっているのだった。影の中には常に、幼女と化した伝説の吸血鬼の搾りカスが潜んでいる。業界内(怪異の専門家というとてつもなく狭い世界だが)では名の知れた存在であり、一時期危険指定され抹殺されかけた身としては、空々くんの動向の一挙一動に目を光らせなければならない。
表情が読めないので分かりづらいが、恐らく空々くんは分かっていてこちらに質問したわけではない。鎌をかける意味合いさえない。ただ、駄目元で質問を投げただけだ。彼からのざっくりとした説明を聞いて、それはわかった。
「ということで、上司からの命令で吸血鬼を探しに来たんです」
「ほうほう、なるほどな」
吸血鬼という馴染み深い単語を聞いてしまった以上、首を突っ込まないわけにもいかず、公園のベンチで空々くんに、かいつまんだ経緯を聞いた。そんなもの突っ込めば吸血鬼的に、咬まれることが確定事項になってしまうが、なりそこないとはいえ、幸い不死身の怪異である、傷が浅いことを祈ろう。何処かの請負人よろしく吸血鬼を討伐しにきた、というわけではないはずだ。そうなると、程よい落としどころを見つけるのが大事だろう。
「地濃ちゃんもその手伝いで来たの?」
「……はい、一応そうです」
感情の見えない少年ではあるが、今の間には少し感情が見えたような気がした。来ないほうがマシだ、という思いがひしひしと伝わってくるようである。改めて地濃ちゃんの才能に感服させられてしまう。
「嫌ですねえ阿良々木さん、そこはこの私に屈服していただかないと」
「ち――地濃ちゃん!?」
滑り台の上空。恥ずかしげもなく決めポーズを決めた魔法少女の姿がそこにあった。ジョジョ立ちのようなそのポーズだとスカートの中身が丸見えなのだが、この町で紳士として知られる僕としては、教えてあげるべきだろうか。でも進行に滞りが生じちゃうからなあ。伸びてきちゃってるから、巻きでいかないと。
「何が紳士ですか。コラボ先の女子に手当たり次第手を出していたというのに。もちろんこの私も含めて!」
「この町の神に誓って僕は不埒な行いをしてないし、君に出したのはむしろ助け船だよ」
「なるほど、手も足も出なかったというわけですか。ふふん、所詮一般人」
「何その一般人を見下す魔法少女キャラ?」
とはいえ誤算であった。映画化特典をすべて纏めたうえで、三つも新たなエピソードが増えるなんて。この神に誓って不埒な行いはしていない僕だが、数々の女の子に優しくする好青年の姿が出版されていると思うと、少し照れくさくなってしまう。二話に一話は殺されてたり酷い目に遭っていたりと、あまりいい思い出がないのだが、あれも一つの物語である。『混物語』、好評発売中。
「阿良々木さん、気持ち悪いです。顔が。元から」
「そんなことないよ。なあ空々くん?」
「……阿良々木さん、もしかして心当たりがあるんじゃないですか?」
「え、気持ち悪いことに? なんか静かだなと思ったらそんなこと考えてたの?」
「いえ、そちらではなく」
空々くんは表情を変えずに淡々と続ける。それは英雄というよりは、何処か機械じみた確認作業のように感じられた。
「吸血鬼なんていう荒唐無稽な事柄に対して、阿良々木さんが違和感なく順応するのが少し気になりまして。架空の存在だといわれているのに、まるでいて当然というような態度でいる気がして」
「いやいや空々くん、僕だって半信半疑だよ。ただ、この町では少し前に吸血鬼のうわさが流れたこともあったし、そういうものもあるんだろうなって思ったから信じてるだけさ」
「……なるほど。ちなみに、その春の話を聞かせてもらっても?」
概ね春休みに羽川から聞いたような、鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼の噂をそのまま話す。これが去年の春に語られていたが、いつのまにか噂はなくなったこと。だから本当にいたかわからないし、いたとしてももうこの町にはいないかもしれない。そう二人に伝えた。
「ふむ、なるほどなるほど。ほら、やっぱり私の予想は合ってたじゃないですか空々さん! 吸血鬼なんてどうせいないし無駄骨になるだけだから、行くだけ時間の無駄ですよって」
「君と話すことほど無駄骨を折ることはないし、君と出かけるのに割ける余暇はないよ」
空々くん、意外と辛辣である。あるいはそれは彼らの距離が近いからかもしれない。いい意味でも悪い意味でも、物理的にも。
彼女は今、僕らの片膝ずつの上に座っていた。
「地濃さん、重いからどいてくれると助かるんだけど。というか何してるの?」
「何を仰います空々さん、私は軽いですよ。あなたの膝がやわなだけです。何をしているのかと言われればほら、私はお二人のどちらとも面識がありますので、僭越ながら二人を繋ぐ架け橋になろうかなー、と思いまして!」
「地濃ちゃん、多分やろうと思えば、君は人類みんなを繋げられるよ」
あの教室で僕が、彼女のチームメイトにシンパシーを感じたように。とは口に出さなかったが。
閑話休題。
「そうなると、吸血鬼はいないってことだけ報告して帰るべきですかねえ。左博士も別に、本当に結果を求めていたわけじゃないでしょうし」
「いや、それでも手ぶらで帰るわけにはいかないだろう」
「僕のした話だけじゃ足りないのか?」
「そうですよ、あんなアメリカンコーヒーみたいな薄さの眉唾物の話でも、調査結果には変わりないじゃないですか」
「おい」
「恐らく、左博士はさっきの話を知っていたんだと思います。知っていたからこそ、僕たちを調査に向かわせた」
それは十分にあり得る話だった。確かに予め知りでもしない限り、わざわざこんな町に来る必要性は薄いだろう。
「でもそれならそれで、話の結末まで知ることが出来たんだから、問題ないんじゃないの?」
「阿良々木さんの話で、明確に結末が分かったといえるでしょうか。あれだと、どちらかといえば自然消滅が分かったってだけじゃないですかね」
空々くんの指摘はもっともだったし、十分的を射ていた。当然だが、あれは自然消滅したように見せかけるための偽の話だったのだから。とはいえ、それを知られるわけにはいかない。ここが我慢のしどころだ。おくびにも動揺を出さずに、彼らに平和的にこの町からお引き取り願おう。
「ふむ。だが空々くん、世の中には解決されない出来事は山ほどあるし、解明されない謎なんていくらでもある。だからこの謎も、解決されないまま終わったっていいと思わないか?」
「いえ、そうは思いません。なんていうか、こう……変じゃないですか?」
「何が変なんですか空々さん。私に言わせれば、あなたより変な人はいませんよ?」
「鏡を見てきたほうがいいよ地濃さん。そうじゃなくて、話が自然消滅するのが」
「自然消滅したのは吸血鬼がいたってこと自体が嘘で、実際には存在しなかったからじゃないのか?」
「もしそうであれば、そもそもそんな噂が流れることがないと思います。明確な根拠がなければ、21世紀にもなって、吸血鬼を見たなんて話が広まるとは思えません」
多かれ少なかれ、吸血鬼と思しき人を目撃していたからこそ噂は広がったんじゃないですかね――と、空々くんは核心を突いたことを言った。
「金髪金眼だし、外国人を誰かが見間違えたんじゃないか?」
「それは恐らく噂を聞いた人も考えたでしょう。それでも広まったのは、やっぱりそうは思えないような何かがあったのではないかな――と」
「なかなか鋭い推理をするね、空々くん。確かにそう言われてみると、本当にいたように思えるし、何ならどこかですれ違ったような気すら芽生えてくるぜ」
空々くんは折れなさそうなので、こうなったらプランを変更するしかない。彼の説を否定するのではなく、乗っかって落としどころを探すのだ。
「だけどどうする? 事実として吸血鬼の噂は消えてなくなってる。そんな目立つ風貌をした吸血鬼なら間違いなく噂になるはずなのにだ」
「僕に考えがあります。差し当たって、阿良々木さんにも協力して頂きたいんですが、よろしいですか?」
「それは別に構わないけど……何をすればいいんだ?」
「はい。少々痛い思いをさせてしまうかもしれませんが……」
そういって空々くんが取り出したのは一本の注射器だった――え、注射器?
007
後日談、というか今回のオチ。
注射器を手に取った空々くんは、その針を幼気な高校生、つまりは僕の上腕二頭筋へと向けた。そこまでくれば流石の僕も何をするのか予想できる。まさか今までのやり取りで、僕が吸血鬼であることが割れたのだろうか。
「お、落ち着け空々くん! いくら僕でも男子中学生とお医者さんごっこに興じるつもりはないぜ!?」
「阿良々木さんこそ落ち着いてください。別に変な薬品を注入しようとかそういう訳じゃなくて、ただ単に僕たち以外の誰かの血がほしいんです」
血。人間ならば誰でも流れている、言わずと知れた吸血鬼の主食。
「空々さん、さては阿良々木さんの血液を餌に吸血鬼を釣ろうという魂胆ですか? でも吸血鬼って純潔の美少女の血を好むと聞きますし、阿良々木さんごときの血じゃあ精々蚊がくるかどうか……」
好むかどうかどころか、現状その吸血鬼の主食が阿良々木さんごときの血なのだけれど。地濃ちゃんの無自覚な挑発に乗ってボロを出すわけにもいかないので、無視を決め込む。
「そういうわけじゃなくて……ほら、吸血鬼がこの町にいたなら、誰か被害者がいないとおかしくないですか。だから阿良々木さんの血で、被害者をでっちあげようかな、と」
つまり空々くんは、
「でも空々くん、それは変じゃないか? だって吸血鬼なんだから血は全部吸い尽くすはずだろう。余りが出るのはおかしい気がするけど」
「吸血鬼といえど、お腹いっぱいになってご飯を残しちゃうこともあるんじゃないですかね」
「だとしたら証拠、というか被害者が残っちゃうし、完全に消すのがベターだと思うけど……」
「いやですねえ阿良々木さん、超常の存在たる吸血鬼を現実に当てはめて考えることが、そもそも間違いでしょうに」
魔法少女を現実に当てはめちゃいけないように。
その後、僕は諦めて献血をして、彼らにお引き取り願った。報告に彼らの上司がどんな反応を示したのかは僕の知るところではないけれど、なるべく愉快な結果になっていることを祈る。僕にとっても、彼らにとっても。今の僕の血液からは何も出ないだろうが、それでも万が一は存在する。
万が一、といえば献血の際、空々くんとこんな雑談をしていた。
「押したら誰かが死ぬ代わりに百万円もらえるボタン、ってあるじゃないですか。その誰かに自分が含まれてるかもしれないのに、それでも押す人がいるのって不思議ですよね」
間違っても献血の際の雑談でする話じゃないし、少しも不思議がっているようには見えなかったが、その異質さこそが英雄と呼ばれる資格なのだとしたら、確かに僕なんて平凡な男子高校生に過ぎないのかもしれない。
「何言ってるんですか、死んだときの諸経費が浮くんですからめっけもんですよ。私が生き返らせれば平和的に百万円が手に入って、ウィンウィンですし」
僕らの空気感並に命が軽そうな世界観に、戦慄するのだった。それこそ、空も飛びそうなくらい。
年越しだとかのアニバーサリーって目出度いものとして盛大に祝われるものですが、昨今のメディアを見ていると心の底から祝えているのか怪しいものですよね。クリスマスに恋人がイチャついてるのはどうなんだっていう。まあ騒がしいのも賑やかなのもいいことですし、アレもコレも戯言なのですが。
そんな感じで「交物語 第空話 くうスカイ」でした。いかがだったでしょうか。「混物語」自体は長らく読めていなかったのですが、キャラのリストだけ見て、「推しが何人か足りてない!! くそ、こうなったら僕が書く!!」と勢いだけで書き始めたのがこの作品だったりします。そして勢いの止まっている間に混物語が単行本となり、その上三作書き足され、その中に空々くんもいたので大焦りで書き上げました。空々くんというか地濃ちゃんが暴れてただけな気がしますが大丈夫ですかね。
不定期だとは思いますが書きたいキャラはまだまだいますので、お読みくだされば幸いです。新元号もよろしくお願いします。それでは。