「お願いだ!!入国させてくれ!!」
深夜の十時を回った頃ぐらいだろうか。城壁の外から突然大声が響き渡った。
「だからダメですよ!!入国は審査をしっかりと通ってからじゃないと!!」
「分かってる!それくらいは分かってるよ!!だけど、せめてこの女の子だけでも!!」
目の前の少年が、必死の形相で訴える。
その傍らには全身が傷だらけの少女が眼を閉じて横たわっていた。
これだけの大声が響いているにも関わらず、少女が眼を覚ます様子はない。
「だから、我が国の入国には本人の意思が必須だとさっきから———」
「ふざけんな!!じゃあ彼女をこの状態のまま放置しろって言いたいのか!?お前はッ!!」
「言われたって無理なんです!無理なものはどういわれても無理です!例外はありません!!」
「だったら——せめて医者だけでも!!」
「それも無理だと言ったでしょう!!貴方が入国しない限り、我が国の施設、人員による援助は許可されてないんです!!」
「それでも!!っ………お願いだ」
いつの間に集まっていたのだろうか。部屋の外から見知った同僚たちが窓越しに僕と入国者たちを見ていた。その誰もが沈痛な顔を浮かべ、僕と同じ若い入国審査員の中には今にも泣きそうな者もいる。
それでも、少年の懇願に手を貸す者などいない。それがルールだからだ。
少年はついに下唇を噛み、項垂れる。その時——
「入るぞ」
一人の老人が部屋の扉を開け、中へ入ってきた。
「しょ、署長!!?」
「わるいな、少しばかりこの少年と話をさせてくれないか。大丈夫だ、入国させるつもりはない。規則通り即刻この国から出ていかせる」
署長はそう言うと、近くにあった椅子にどっしりと腰を下ろす。
「さて、若者よ。突然じゃが、この国の周囲では旅人による山賊の被害が増加しておる」
「……」
「ワシの言いたいことが分かるか?少年」
「……つまり、俺たちが山賊の一味だって。そう言いたいのか?」
「そうじゃ」
ギリッと歯ぎしりが室内に落ちる。僕は署長を見る少年の瞳から、視線を外してしまう。
怪我はないとはいえ、今の少年が疲労により満身創痍だということは誰が見ても明らかだ。にもかかわらず、少年のその瞳はギラギラと怒りを満たしている。
それを分かっているのかどうなのか、署長は一度大きく咳をすいた。
そして、僕の方に手をポンッと置く。
「君」
「え!?あ、はい!」
突然話題が自分に矛先が向き、僕は驚きながらもピンと背筋を伸ばす。
「少しテストをしよう。この国の入国審査の弱点はなんじゃ?」
「じゃ、弱点ですか?」
僕はチラッと旅人に視線を向け、口ごもる。言ってしまってもいいのだろうか、と。だが、たったそれを考える暇もなく、たった数瞬で、署長は「時間切れじゃ」と答えを締め切ってしまった。
「我が国の弱点は、入国審査の判断に大きなムラがあることじゃ。見知らぬ旅人の審査には厳しいが、見知った人間…身内のこととなった途端甘くなるところがある。例えば、母国を通って商売をするトラックだったりの……——そうじゃったな?」
「は、はい」
僕は署長がこれからすることを察し、口を堅く結む。
署長はそれに満足そうにうなずくと、今度は少年を見て、「おっと、そういえばこの場には旅人がいたの」と困ったように頭を掻いた。
そして、署長が手元に持った紙を見ながら、
「そういえば。今日はこの後我が国の商人のトラックがくるらしい」
と、そんなことを独り言ちた。
そこにはこの国に来る行商人の到着時刻などがぎっしりと書き込まれている。
「さて……、若者よ。これ以上年寄りが独り言で間違いを増やさないうちに、出て行ったらどうかね。ワシらもこの後すぐに仕事があるんじゃ、審査条件を満たせない者は今すぐ出て行ってもらいたいの」
署長のその言葉に少年は、グッと頭を深く下げる。
そして「ありがとうございました」と礼を言って、少女を両腕で持ち上げる。
そして去り際に。
「そういえば、廃城に何人か男が倒れていました。まぁ、だからどうということはないですけど」
その言葉に僕は、手に持った書類をすべて落とした。
「な……っ」
「それは…」
そんな彼らの後ろをあわただしく数人の入国審査員が追う。そのメンツの全員がお人よしで入国審査が甘い連中だ。
署長が手を貸したのだ。実質その行為が許可されたようなものだろう。
彼らは国を出ていく。その少し遠くからは、低いエンジンの音が聞こえてきていた。
× × ×
重い瞼を開けると、気付けばボクは病室にいた。
「ここは……?」
白い天井と明るい光を発する蛍光灯が眼に入り、ボクは思わず瞳を薄める。
そして、ここが城壁の中なのではと推測した。
「あ、起きたみたいですね」
天井だけだった視界に、薄い桃色のナース服を着た女性が入った。
「あの、ここは……」
「ここは、病院ですよ。眼が覚めましたか?」
女性の口から自分の推測通りの言葉が返ってくるが、そのことにボクは眉をひそめる。
どうして?
どうして自分が病院にいるのか分からない。
なぜだかじっとしていられず、ボクは体を起こそうと筋肉に力をいれる。
すると、お腹に焼けるような痛みがはしった。
「んぐ……っ!?」
それが鍵になったみたいだった。
自分の身に廃城で起こった出来事が頭の中で次々と鮮明に浮かんでいく。
胃の奥底から湧き上がる嘔吐感と、喉を焼く酸の臭い。
内臓がひき肉のように潰れるんじゃないかと思う激痛と不快感。
体内から直接脳へと響いてきた鈍い衝撃音。
自分の額がじっとりと濡れていく感覚がする。
服の下の傷跡が、ぶり返すように熱を発し始めた。
ボクは熱を発する傷跡を押えようと、手を伸ばそうとし——
——自分の手に伝わる体温に、それをぴたっと止めた。
「まだ動いちゃダメですよ!安静に、横になっていてください!」
ナースがボクの体を押さえ、ベッドへと横になるよう押し戻してくる。
ボクは従順に横になりながら、自分の視線を右手へと向ける。
そこには——
「あ……」
夢の中で出会った、あの青年がいた。
いや、違う。
「……夢じゃなかった」
彼は木製の椅子に座り、ボクのベットを枕代わりにして眠っていた。
微かに開いた口元からはすぅすぅと規則正しい呼吸音が聞こえてき、さらさらと柔らかそうな黒髪は病室の開け放たれた窓から入ってくるそよ風に、微かにゆれている。
ボクはその姿になぜか、視線が外せなくなった。
彼の手はベットの上のボクの手をゆるく握っている。
いや——それは、どちらかと言えばボクが彼の手をきつく握っているようにも見えた。
その証拠に、彼の手にはまるで強く握った後のような印がついている。
「あたたかい……」
ボクは無意識のうちに、口からそう漏らし、再びその手を握った。
「彼氏さんですか?」
「え?」
見ると、看護師が柔らかい瞳をボクへと向けている。
「……いえ。違います」
ボクがそう返すと、彼女は首をかしげた。
「でもとても親しそうに見えますよ?それに今も手……」
ボクはその言葉でハッとなる。そうだ、ボクはいったい何を——
ボクは慌てて彼の手から自分の手を放す。
冷たい空気が、熱を持った手のひらに触れ、ぬくもりが冷えていく感覚がした。
「違ったんですか? 彼があなたを運んできたらしいんですよ。と言っても、国に入ったまではよかったんですが、その後倒れたらしくて、ここまでは近隣の人たちに運ばれてきたんです。だから、てっきりそういう関係なのかな、と」
「ボクは彼とは初対面です」
「え!? じゃあ彼、初対面の見知らぬ人のためにわざわざ倒れるまで歩いてきたんですか」
看護師さんが信じられないものを見るような目で彼を見る。
そしてそれは、ボクも同じ気持ちだった。
移動手段がトラックなどだと聞いたのなら、親切だと思いながらもまだ納得できる。
でも、彼は歩いてここまで来たと言った。
ボクを助けたところで報酬がでるかどうかもわからない、それに、ボクが善人であった保証もどこにもなかったハズだ。
そもそも、もし国につく前に倒れてしまったらどうするつもりだったのか。
「それに……、彼もうとっくに退院済みですよ?」
「え?」
「退院した後もこの国に滞在して、毎日アナタの病室に顔を出してます。朝早くから来ては、時間ぎりぎりになるまで、この部屋にいます。私たちが理由を聞いてもその度、苦笑いを浮かべながら『ちょっと』ってはぐらかすので……詳しいことは……」
ボクはいまさらながら彼の服装が、ボクの着させられているような患者用の服ではないことに気が付く。
「……なんで」
口からそうこぼすと、看護婦の人も困ったように「さぁ……」と言った。
もしかすれば、報酬の話だろうか。
それを言わないのは、きっと病室にまで押しかけて報酬を強請るのが恥ずかしいから。
べつにボクは、それをがめついだとかなんて思わない。彼はそれを望んでも当然のことをしてくれたのだから。
そうボクは納得する。……納得している。
……でもなぜだろう。
「……」
ボクはデコピンを作り、彼の額に狙いを定める。
そして、ピンッと渾身の一撃をお見舞いした。
× × ×
目の前に美少女がいる。……そう、美少女だ。
大きなお目目に、ぷにぷにほっぺ。華奢な体に小さな、お手て。柔らかそうな薄桃色の唇に、すらっとした鼻筋。黒目、短髪、ボーイッシュ。ぜひとも「先輩!」とその口で呼んでほしい。
そこに、数日前に見た、血液と泥と、砂埃に汚れた少女はもういなかった。
「えーっと、調子はどうだ。てかもう起きて大丈夫なのか?」
「はい、危ない所を助けてくれてありがとうございました。おかげさまでもう大丈夫そうです」
どこがじゃ。
「ああ、どういたしまして」
そう思ったが、俺は一応彼女に向かってペコリと頭を下げ返す。
「そうだ、自己紹介がまだだったな。俺の名前は佐藤。見ての通り人畜無害の一般人。ジョブは大学強制中退させられたから、今はしいて言うなら放浪人、旅人。よろしく」
「ボクはキノ。同じく旅人です。普段は相棒のエルメスと一緒に旅をしています」
エルメス。その単語に、俺の頬が一瞬ピクッとなる。
「あの……?」
「え、いや、何でもないよ」
「はぁ。あのそれで、報酬の話ですが」
「報酬?」
「はい。残念ながらボクは今ほとんど手持ちがありません、だから大したお金も、物も渡すことはできないと思います。なので、できれば報酬は——」
「いや、ちょっとまってくれ!」
俺は勝手に話を進める少女を止める。
「べつに、報酬とかそんなもの全然いらないから!」
もし依頼などだったら俺だって報酬は遠慮なく受け取る。だが、これは自分の独断でしたことだ。言ってしまえば、偽善活動だ。
ていうか、勝手に助けといて、一方的にじゃあ金払えとか俺は悪役か。
「違うんですか?それじゃあどうしてボクの病室に」
「え、いや。それは——」
少女の問いに、俺はさっと顔をそらす。
いやさ、だってまさかエルメス(イケメン白馬の王子様長身手足スラー白い歯キランスタイル、背後に咲き乱れる花畑)とやらの顔面に一撃入れるために来ていただけなんて、言えるわけないじゃん。
俺の中でキノ=完全美少女だという式が完成した瞬間、俺のエルメスへの嫉妬のボルテージは天元突破した。こんな可愛い娘と一緒に旅とかふざけんな。もう、アレだ。アレ。モテない俺への当てつけとしか思えない。
そもそも、手前みたいなモテる男がいるから俺に彼女が出来ねぇんだ!!(暴論)マジでくたばれ!! てか、死ね!!(暴言)ついでだ、ほかのモテ男の首も引きちぎって、さらし首にしてやるぜアーメンッッ!!(暴走)
「……サトウさん?」
「……ああ、その。あー、それはその。キノに会いたかったからさ!」
自分で言ってて、思う。目の前の少女に、そんなへたくそな言い訳に効果があるわけねぇだろ。
「はあ、そうですか」
そう思いながら彼女をみると、わっお仏頂面ぁ。
「あの」
「ん、なんだ?」
「一つ聞きたいことがあるんですが」
「奇遇だね! 俺もあるよ。なんでキノはあんな依頼を受けたんだ?」
「それは——、あの依頼が達成できると思ったからです。報酬も悪くなかった」
「……ああ、それは俺も見たから知ってるよ」
知っているとも。この国以外の報酬金額も。情報も。
そして、この少女が恐ろしいまでの手練れだということは。
「やっぱ数が多かったのか?」
俺の質問に、彼女は首を振る。
「一人だけ、異常に強い人がいました。でも、ほかの男たちは……」
と、彼女はそこまで言いかけ、一度言葉を切った。
その瞳はどこを見ているのか、せわしない。
「あの、ほかの男たちはどうなりましたか?」
「男たち……?」
その言葉を口で転がすと、彼女が俺に聞きたいことはすぐに分かった。
「ああ。大丈夫、殺したよ」
そう言うと、彼女はそっと目線を下げ、「そうですか」と答えた。
毛布の上に置かれた彼女の両手は指をきゅっと絡まされていた。
「その、エルメス君は連れて行かなかったのか?」
俺はさりげなくエルメスのことを彼女に聞く。
冗談を抜いた話、だ。
俺はエルメスに怒っていた。
この少女を独りであんな場所に行かせ、ソイツはいったい何をやっているのかと。
故人である可能性も少し考えたが、彼女の彼に対する言葉の線からいって、べつに死んでいる人間ではないのだろう。
ならば尚更だ。彼女を死地へ向かわせたその意図を。問い詰めてやりたい。その面を口汚く罵ってやりたかった。
「エルメス?」
俺の問いに彼女はきょとんとした表情をする。
そして——
「いても置物にしかならないと思いますけど……」
——そう言い切った。
「……あ、そ、そうか」
エルメス君の評価が思った以上に辛辣だった。俺の中でのエルメスのイメージが白馬の糞野郎から、筋肉のないもやし野郎(ただしベル薔薇風フェイス)に変わっていく。
そうか、もしかしたら。顔か。顔なのか。いや、俺落ち着け。一回落ち着こうぜ。
よく考えたら別にエルメス君が戦闘員だとは限らないじゃないか。こう、インテリタイプだったのかもしれない。
そう思いながらも、俺は口は考えと反して質問を続けていく。
「その、エルメスさんってどんな顔なんだ?人間顔じゃないっていうけど、やっぱイケメンなのか?」
俺がそう言うと、キノはますます意味が分からないという顔をした。
「顔というか、————少なくともエルメスが人間の顔に見える人はいないと思いますよ?」
——惨い。
「ダメだキノ!!人には心というものがあるんだ!!」
「そうですけど」
キノが俺にきょとんとした顔を向けてくる。
ぷりてぃー……——じゃなく。
一体なんてことをいうんだこの娘。なんたってそこまで言わなくてもいいじゃないか! と。もし女の子に面と向かってそんなこと言われたら、俺はもう二度と立ち直れなくなる自信がある。
俺の心に吹き荒れていたエルメスへの怒りはすっかり消え、今はエルメスへの同情心が俺の瞳を濡らした。
ああ、でもこれで分かった。
きっとエルメスは戦闘職ではなく、技術職なのだろう。そして彼は顔なんかじゃない、純粋な愛でキノの心を奪ったのだと。
キノのこの物言いも、きっとクーデレと、ツンデレを合わせたクーツンに違いない。
頭がおかしいくらい語呂が悪いし、なんて需要のなさそうなジャンルなんだ————泣ける。
「……わるい、取り乱した」
俺はエルメスさんが例えどんな仕事であろうと、彼をこのクーツン美少女を落とした男として最大限の敬意を払おう。そう心に決めた。
「それじゃあ、最後だけど、エルメスさんの仕事って——」
こんどこそ、キノの口元が小さな「へ」を書く。その顔は何を当たり前のことを聞いてるんだと言いたげだ。
「————ボクの足代わりです。それと、上に荷物を積んだり」
世間一般では、それを奴隷という。
「…サトウさん?」
「あ、……うん…はい」
俺の中にあった後輩系天使キノの姿が崩れていく。
あれ? 今頃気付いたんだけど、この部屋なんか熱くない?
俺、なんか汗が止まらないんだけど。あれ、この汗目から出てる。不思議。
「エルメスさん、……そんな無理して大丈夫なのか?」
愛する女へと殉ずるその生きざま。だが、儚い。それはあまりにも儚すぎる。
俺は胸に沸いたその想いを、無意識のうちに気付けば口にしてしまった。
「へ? いや、エルメスは走るのが好きですし。乗せる重さもしっかりと注意してます。それにエルメスは大事に乗ってくれる人ならだれでも歓迎だって言ってましたけど……」
世間一般では、それをドМという。
なんだ! 両者合意のお上でしたか! むしろ誰でもっていう分エルメスさんは世界に合意だね!
末永くお幸せに!! あと、キノも!! お幸せに!!
ついでに、お二人さん!
ハードなプレイはほどほどにね!! お兄さんからの約束だぞ。
最後に脳内でそう締め括り————俺は、考えるのをやめた。
「佐藤さん、今からエルメスに会いますか?ボクもエルメスに言わなきゃいけないことがあるので」
おうふ。
「……」
「キノー久しぶりー!!生きててうれしいよー!!」
「ボクもよく生きてられたな、と思うよ。正直死にかけた」
「……」
「それにしても凄い怪我だねー。キノがここまで追い詰められたのなんて、『キノの旅』史上間違いなく初めてだよ!!」
「残念ながら否定できないなあ」
「相手の人、相当手練れだったみたいだねー」
「うん、もう二度と会いたくないかな」
「……」
「そういえば、もう一つ『キノの旅』最高記録を更新したものがあるよ!」
「なんだい……、いや、分かった!一つの国での滞在日数だ」
「正解!!」
「……」
「ところでキノ」
「なんだいエルメス」
「さっきからそこで固まってるお兄ちゃんは誰さ」
「ああ、彼は————サトウさん、……サトウさん?」
「え、あ、おう……」
「どうかしましたか?」
俺は目の前に止めてあるバイクを見る。
どこからどう見ても変哲のないただの二輪車両。おかしなところなんて一つもない。
「いや、その……。すっげぇバイクだなーって」
うん、そうだね。こんなもん戦場に持って行っても置物と化すにきまってる。バイクの顔が人間にみえるわけないよな。——と自分の中の誤解が解けていく。
てかそもそもコレ……なんよ?バイクが喋ってる。ホントなにこれ、付喪神?
そして、それと当たり前のように話しているキノ。
周りの人たちももっとみんな驚いてもいいんじゃない?いやさ、一応驚いてはいるけど、驚いてはいるみたいなんだけどさ、なんかこう……反応が少し、いや、かなり淡白じゃない?
「彼はエルメス。ボクの相棒です」
「よろしくー!!」
「ああ……、よろしく」
こんどこそ———俺は、考えるのをやめた。
――
× × ×
それからしばらくして、俺は設置されていたベンチに深々と座り込んで頭上を仰いでいた。
「歩き回った……」
城門へエルメスを受け入れた(?)、俺とキノは、二人で食べ歩きをして時間を過ごしていた。
なんというか、凄まじい食べっぷりだった。
怪我人だからすぐに病院へ帰らせるつもりだったんだが…。
露店に売られた食べ物を、あまりにも綺麗な目で眺めるものだから、つい一つだけ、とおごってしまった。
「奢ろうか?」と聞いたら、「ぜひ!」と即答だった。
そして、そしてそれをおいしそうに食べること、食べること。
口元がゆるゆるで……頬も。ああ、あれが天使か、と俺は世界の真理の一つにたどり着いた。
おいしく食べる、君が好き。
その後、寄ったベンチでお腹を慣らしていたら、あたたかい空気も相まってか、隣から寝息の音が聞こえてきていた。
その表情はあどけなく、短い付き合いながらも見せられてきた、クールな印象は感じられない。
肩にかかる重みを堪能しつつ、エルメスと生産性のない話で時間をつぶす。
「エルメスさん、エルメスさんや」
「なんだい、サトウさん」
「娘さんを僕に下さい」
「いいよー!!」
「いいのか」
「いいよー!!」
よっしゃあ! 親父さん(仮)認定の仲だぜ!
あとは市役所まで婚姻届けをとってくるだけだね!!
「正直な話、キノが出会ったばかりの人間に、ここまで気を許してるってのはすごく珍しいんだよー! 誇っていいと思う!!」
え? マジで? 何それ普通にうれしい。
「でもなエルメス、そういうことを童貞に言うんじゃない。勘違いしちゃうから」
「でも、もしボクが人間だったら、驚きすぎて天の上まで飛び上がってたよー!!」
「なるほど、心臓が止まるくらいか。ところでエルメスの心臓はどこよ」
「さあねー」
それからどのくらい時間がたっただろうか。
「おや、旅人さんではありませんか!!」
突然城門の方向から、声をかけられた。
「アナタは」
声をかけられた方向を見ると、数日前入国審査を受けた若い審査員と、老人がこっちへ歩いてきていた。
「どうも、数日前はお世話になりました。あと、先日は本当にすいませんでした」
俺はそう言って二人にそれぞれ頭を下げる。
「いやいや、礼を言うのはこちらの方だ。……こちらこそ世話になったよ! 山賊たちを討伐してくれてありがとう。おかげでこの国の商人たちが救われるわい」
老人はそう言って「ははは」と声をあげて笑った。
「ちょうど今、廃城まで出かけて、その死体の確認をしてきたところじゃ」
「え、大丈夫でしたか? 城壁の外ですよね?」
「なぁに、ワシらは一応パースエイダーが使えるように訓練されておるしな。ほれ」
そう言って老人は、着ていたコートの一部を捲る。
その下には最新式のパースエイダーがホルターに吊るされていた。
見ると、横の若者も同様にパースエイダーを腰に掛けている。
「旅人さんは、あの山賊達のことをどれくらいご存知でしたか?」
「え……と、普通に旅人や行商人を狙う山賊だと聞いていましたが。略奪、殺人。強姦。あとは、その中に一人手練れがいて、人数は……」
「はぁ、それくらい知っているのなら。十分です」
「そういえば、前々からすこし気になってたんですが、国の方は討伐隊を送らなかったんですか?」
「討伐隊、ですか……。まぁ、ええ。送らなかった————いや、送れなかったとでも言うのですかね」
「送れなかった?」
その意味深な言い方に、エルメスどうしてなのか、というニュアンスで言葉を返す。
すると老人は、若い入国審査員に「さて、問題じゃ。なぜ国は討伐隊を送らなかったのかな?」と突然話を振った。
「それは、我が国の商人が被害を受けなかったからです。我が国では憲法によって、自身の国での内乱、または自国民たちが攻撃を受けた場合のみ、外部への武力行使が認められています」
「なるほどねー!! つまり逆を言えば自国民が被害にあわない限り、自分の国の外で起きた出来事には関わらないってわけかー!」
「なんかどっかで聞いたことあるような国っすね」
なるほど、自国民に甘いのはこの国の根本そのものからか。
「けど、それがなんで山賊に討伐隊を送れない理由になるんすか?」
昨日の様子からして、たとえば商人であっても自国の人間がいる限りこの国での扱いは厚くなっているハズだ。
——つまり。
俺の思考が答えにたどり着くのと、若い入国審査員が答えるのは同時だった。
「それは、俺たちの国の商人だけが被害を受けていないからさ」
「なる」
「なる……?」
「……なるほどの略です。それより続きを」
「あ、ああ……。あいつら何故か俺たちの国民がいる車両だけ襲わないんだ。逆に、そうじゃない車両は容赦なく襲う。だから攻撃できなかったんだ」
「それは、さぞかし厄介だったんじゃないですか?」
「まったくな。でももう関係ない、旅人さん達が殺してくれたからな!」
そう言って、男は嬉しそうに笑った。
俺はそのままチラリと老人にも目を向ける。
彼はただ静かに笑っていただけだった。
今度は、口を大きく開いてはいなかった。
「そうだ……一応旅人さん達には謝っておかねばな。審査室では時間を取らせて悪かった。コイツは仕事にまじめでな、少し融通はきかぬが良い奴なんだ。許してやってくれないか」
「あの時は…すみませんでした」
老人と若者がそう言って頭を下げる。それにつられて俺もあわてて頭を下げた。
「え、いや、あの時はこちらこそすいません。あの時は頭に血が上っていて————というかあの時のことはお互いなかったことにしましょう」
「はは、そうだな。そういうことにしておいてもらえると助かる」
「はぁ……僕も心残りが一つなくなりました」
なんだかぬっとりとした空気になってしまった。
それに二人も気付いたのかさっさと話題を切り替える。
「そういえば、旅人さんたちはいつ出発するんだ?」
「そうですね……、明日の朝すぐにでも出ようと思ってます」
その言葉に、若い入国審査員が驚いたように声を上げた。
「え!?その女の子の怪我で出国は……」
「それよりも大事な用事があるんですよ。……なぁエルメス。そうだよな」
「そうだね! 用事だから仕方がない!」
その言葉に、二人が信じられないものを見るような目を向けてくる。
「大丈夫ですよ。今もこうして出歩けてるじゃないですか。旅くらい余裕です」
俺はそれだけ言うと立ち上がり、キノの肩を揺さぶる。
「ん……っ」
「キノおはよう。そろそろ戻った方がいい時間だよ?」
「おはようサトウさん……とエルメス」
俺はキノに肩を貸しながら、歩き出す。
「それじゃあ、キノも起きたんで俺らは帰ります。話、いい時間つぶしになりました。ありがとうございます」
「じゃあねー!」
× × ×
「それじゃ、俺はもう帰るよ」
「はい、今日はありがとうございました。エルメスもサトウさんを気に入ったみたいです」
ボクがそう言うと、彼は「そっか」と笑った。
日はすっかり傾いて、窓の外から差し込む夕焼けが部屋を赤く照らしている。
病院の閉館時間も残りわずかとなり、静かだった病院は、ますます静けさを深めていった。
「楽しかったです」
椅子から立ち上がったサトウさんに、ボクは小さく頭をさげた。
それに彼は再び笑って「こちらこそ」とボクに頭を下げる。
楽しかった一日が、もうすぐ終わろうとしている。
彼と一緒にいると、なぜだか唇が勝手に綻ぼうとする。
それが不思議だった。
でも、今はその逆で。
なんだか、心臓がきゅうっとして苦しい。そんな気がした。
「じゃ、またな」
彼がそう言うと、一気に胸の中の空気が重くなった。
自分は今どんな顔をしているだろうか。
ふと、そんなことを思う。
「そうだ、キノ」
彼がボクの傍にそっと近寄る。
「プレゼント」
「え?」
彼は、突然ボクのベッドに片手を置きながら、その顔をボクの方と傾かせた。
夕焼けに染まった空は赤く、灰色の雲が風に乗って薄く、薄く漂っている。
眼前にある彼の顔は赤い。きっと、ボクの顔も赤いだろう。
「———————」
彼がそう言うと同時に、冷たい感触がボクの手のひらを伝わった。
彼はソレをボクの手にそっと置くと、それ以上何も言わずに病室扉を開けて出て行った。
出ていく間際、最後に見えたその両耳は——言うまでもないかもしれない。
× × ×
じきに、夜が来る
いかがだったでしょうか。
あんまりおもしろくなかったかもしれませんね。
始まりの話は次回で終わりです。
更新は三日以内に。
その次から本編開始です。
……ほろ酔いキノが見たい。
佐藤がエルメスをモトラドではなく、バイクって言っているのは仕様です。
ごめんね