鍵を閉め家から出ると、私は居てもたっても居られなくなり、走り出しました。気持ちが抑えられなかったのです。佐藤くんに会いたいという気持ちもありましたが、何か胸騒ぎを感じたのです。電話越しに久しぶりに聞いた佐藤くんの声がまだ、耳鳴りのように残って聞こえてきます。その声は変な緊張が感じられたと思います。いえ、言葉で説明するのは難しいのですが、なんて言うんでしょうか。焦っていたというか、とにかくいつもと違うように私には聞こえたのです。そんな違和感から、気が付くと走り出していたのです。車に気をつけながら、佐藤くんの家までダッシュで向います。
カチャカチャ――と、腰に差した刀が揺れ動きました。そして、貫を模したお気に入りの冬靴。このスタイルの私には怖いものなんて何も無いのです。そんな最高のお守りです。
走った事もあって、予定よりだいぶ早くに佐藤くんの家の近くまで着きました。残り、50mも無い位の距離になって私は足を止め歩き出します。目印の商店を通り過ぎ、角を曲がるだけになりました。そこを曲がると佐藤くんの家の目の前です。
そこから、顔を出した時でした。佐藤くんの家のドアから佐藤くんが出てくるのが見えました。私は嬉しく思い、早足で駆けつけようとした時です。
「えっ……? み、美月さん……!?」
佐藤くんの家からもう一人、誰か出てきたと思ったらそれはえんじ色のコートを羽織った美月さんだったのです! 私は咄嗟に角に隠れ、顔を覗かせて二人を見ます。二人は楽しそうにお喋りをしながら外に向って歩き出します。その姿は、仲の良い友達……いえ、恋人のようにも見えます。とてもモヤモヤした気持ちになります。
ああ、私は何をやっているのでしょう。気が付けば、見つからないように隠れながら、二人を追っています。だって、目が離せないんですもの。とてもあの二人を知らんぷりなんて出来ません!
壁をつたいながらゆっくりと見失わないように二人の後を追います。まるでストーカーのようです。なんだか、ストーカーさんの心理が少し分かった気がします。気になる人を尾行するというのは、人間本来の本能なのかも知れません。そんな風に自分に言い訳しながらも、私の眼差しは佐藤くんと美月さんの二人を捉えて離さなかったのです。
しばらく付いて行くと覚えのある路地に差し掛かりました。ここは、町に出るときに近道として良く利用している道でした。大きな木が何本も一角に生えている公園が目印の場所です。その路地は公園の左側なのですが、そこを進むと思っていた矢先、急に二人は公園の柵をまたぎ中に入っていきます。
「なぜ、公園に……? なんの用かしら……」
不思議に思った私は、一度、引き返して、木の生えている一角に素早く移動します。あのまま、障害物の少ない公園に付いて行っては簡単にばれてしまいますので木の影から観察しようと思ったのです。一番先頭の木の影からゆっくりと顔を出します。
二人がいました! 向かい合って話をしています!
……その距離はたぶん、5m位でしょうか。声がギリギリ聞こえるかどうかと言った所です。私は耳に神経を集中しました。
「こ……で、お前に……ぶ、して、もら……こと、おぼ……よな?」
とぎれとぎれにしか聞こえませんでした。風で木の葉が揺れる音がかすかに鳴りそれが邪魔をします。分かる事と言えば――美月さんは、いつもよりちょっと、顔を赤らめて……上目遣いで、佐藤くんを見ながら話している……そんな事くらいです。
佐藤くんは、美月さんの方を見て頷いているようでした。少し何か言っているようですが、小さくて聞こえません。
その辺りで、私は異変に気が付いたのです。あんな乙女のような美月さんを見たのは初めてです。女があんな顔になる時は……一つしかありません、恋をしている時の目です! それくらい、私にだって分かります! ……いえ、今だから分かるのでしょうか。
とにかく、これは問題です。美月さんが、佐藤くんに……? そんな、と思いましたが、目の前の現実は変わりません。第一おかしいじゃないですか。なぜ、美月さんは佐藤くんの家に居て……二人で、こうして話しているのでしょうか? お友達にしても仲が良すぎじゃないでしょうか!?
息が切れ、なんとなく顔全体に熱を感じ頬に手の甲を当てると、熱を帯びていました。
「やだ……私ったら、紅くなってる……?」
顔を直接見たわけではありませんが、多分、私の頬は紅くなっていたのでしょう。それを想像すると恥ずかしさがこみ上げて来ましたが、それ所じゃありません。ああ、そう言えば、相馬くんがあの二人は良い感じ、とかそんな事を言っていたのを思い出しました。私はまさか、とあの時はあまり真剣に聞いていませんでしたが、今ならそうかと、傾けます。そして、佐藤くんの電話を受けた時の、あの、胸騒ぎは、これだったのかな……? なんて、そう思うのです。
ふいに、美月さんの口が止まりました。口が止まったのに、佐藤くんの顔を見つめたまま……そのままです。私は違和感を覚えました。佐藤くんの顔は角度的に見えませんが、二人で見つめ合っているように見えます。距離があるのではっきりとは分かりませんが、そうとしか考えられません。
「何をやっているの……?」
思わず、首を伸ばして見入ります。ほころんだ顔を見せる美月さんを確認した矢先でした。急に美月さんの顔が佐藤くんの顔に隠れ見えなくなったのです! 見えるのは、佐藤くんの後頭部……ですが、あれは、どう見ても……
「キ、キスしてるわ……」
まさか、二人が既にそんな関係だったなんて! 信じられない! そんな……まさか……。あう、佐藤くん。はっきりしない私にはもう、愛想を尽かしてしまったのね。
青ざめてショックを受け、その場に膝を突く私。
何てことでしょう。こんなことって……こんなことって……。
そんな風にうなだれていた時、
「お嬢! ……そこにいるんでしょう?」
声が聞こえました。それは美月さんの声で、顔を上げると美月さんは私が居るほうを向いて見ています。
えっ……? なぜ、わたしが居ると……?
気付かれた事に少し疑問を抱きましたが、そんな事よりも、私は言いたい事がありました。美月さんに。
「あ、あなた達!? 何をしているの!?」
つい、パニックになっている私は声を抑えられません。
「何って……見ての通りですよ。私と佐藤は付き合っているんですよ」
なのに、いけしゃあしゃあと言ってのける美月さん。
「付き合っているですって……!?」
そんな、まさか。佐藤くんは今までずっと、一人で居たんじゃないの!? もしかして、その間、美月さんと一緒に!?
「い、いつから……」
佐藤くんの方を見て言います。佐藤くんは何とも言えない微妙な表情をしていて、何を考えているかは定かではありません。
「えと……最近……かな?」
佐藤くんは、髪をかきながら答えました。そして美月さんの表情をうかがっています。
「そんな……! 私……やっと、佐藤くんと付き合おうって、決心したのに……やっと、気持ちの整理がついたのに……」
今まで、佐藤くんに返事を出せなかった自分が悪いのかも知れませんが――私は、深い憤りを感じました。それは誰にでしょうか? 佐藤くんを籠絡した美月さんに? 待っていてくれなかった佐藤くんに? それとも、本当の気持ちに気付くのに時間がかかってしまった自分に? 誰にでしょう……分かりません。自分に、と言えば格好が良いのかもしれませんが、私はそれほど出来た人間ではないのです。
気持ちが抑えきれなくなった私は腰に差した刀を抜きます、鞘ごと。
「美月さん!」
刀を構え私は、
「せめて、私のこの想い……その体で受け止めなさい!」
その矛先を向け告げます。
「その、気迫! まさに、私が求めていたものですよ、お嬢! 私は喜んで受けましょう、その、たぎる想いを!」
美月さんは、全く怯むことなく仁王立ちをしています。まるで、こうなる事が分かっていたかのようなリアクションに戸惑いながらも、私も負けじと刀を強く握り締めます。
「……本当に良いの? 美月さん、冗談で言っている訳じゃないのよ? 手加減なんて出来ないわよ?」
「分かっていますよ、お嬢。大丈夫です。ここは障害物も何もない公園です。暴れるにはうってつけの場所でしょう?」
「どうやら、覚悟は出来ているようね? 美月さん。私が、二人にとやかく言う権利はないかも知れないけど……せめて、私を倒せないようでは安心して佐藤くんは渡せないわ!」
そんな理由はこじつけです。本当はただの嫉妬です。ですが美月さんは、
「その通りです! お嬢! 女たるもの、男の一人や二人守れないようじゃ、逢引する資格なんてありませんとも!」
なんて言うのです。自分に対して言っているはずですが、なぜか私に訴えているような気がしました。
「良いのかしら? そのままで」
「フフ……、立場上、私達はこうして一戦を交える事は無かったですよね、お嬢。……私は、今、凄くワクワクしていますよ! 理由はどうあれ、こうして、大人になったお嬢と戦えるのですからね。二重の意味で、ワクワクしています。純粋にお嬢がどれほど強くなったのか、そして……私に勝利して佐藤にふさわしい……」
その辺りで、佐藤くんが美月さんに焦りながら無言で目を向けると、
「あっ……? えっ……? ああ……あ、今のはなんでもないです!」
なぜか、美月さんは急に焦って前言撤回します。
えっ。何だったんでしょうか? ……まあ、いいわ。
「ああ! なんかごっちゃになってしまいましたが! 私はいつでもOKですよ! お嬢!」
そう、言いながら、美月さんは懐からメリケンサックを取り出し、右手にはめます。
「なんだか、知らないけど準備は良い様ね? 私も実は試してみたかったのよ、私の剣術が美月さんにどれほど通用するかってね!」
言いながら、私は美月さんに刀を振りかぶり突進します。鞘付きの刀が空を切り久しぶりの重さを両手に感じるのでした――。