異界特異点 千年英霊戦争アイギス   作:アムリタ65536

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11.きみの居ない明日をぼくは生きていけない(記憶)

 ──ナタクは、欠けた夢を見ていた。

 

 

 

 女神アイギスに導かれ、王子とその仲間たちが魔王を討ち果たし、世界に平和が訪れた。

 

 それから数十年の月日が流れ──

 

 英雄王と称えられ、人類に平和と繁栄をもたらしたその人も、時の流れと共に老い、衰え、そしてその命数の尽きるときがやってくる。

 ナタクもまた、最期の別れを告げに王城を訪れた。

 

 王城にナタクの見知った顔は少ない。

 女神の祝福の賜物か、英雄王は永く生きた。王妃カグヤを含め、当時の仲間達はその多くが天命を全うし、そうでないものも一目見てわからぬほどに歳を経ている。

 姿が変わらないのは、天使やエルフといった特に寿命の長い面々だけだ。

 

 二人の子供を連れた女性と、軽く会釈してすれ違う。

 今のは誰だったろうか。女性の方は少しだけ、目鼻立ちが英雄王に似ていた気がする。とすると、子供の方は彼の孫か。

 しかし英雄王が子を成した女性の数は両手の指で足りないし、ナタクがその全てを把握しているわけでもない。誰の子らだったのか、結局ナタクには思い当たらなかった。

 

 部屋に入ると、英雄王は豪奢なベッドに横たわっていた。

 髪は白くなり、顔には皺が刻まれ、もはや身体を起こすこともできない。その姿にナタクの胸は鋭く痛んだが、それを顔に出すことなく、無理はしなくていいよと告げて微笑んだ。

 

 ナタクが彼と話したのは、ごく短い時間だけだった。

 話した内容も、まるで何てことのない世間話ばかりで、年のせいかいつにもまして無口な英雄王にナタクが話してばかりだった。

 

 いつものように、少し遊びに来ただけのように、最後にさよならと告げて部屋を去る、その間際に英雄王がナタクを呼び止める。

 

「──この国を見守ってやってくれ」

「ぼくは仙人だ。俗世のことには関わらないよ」

 

 ナタクが振り返ると、英雄王は目尻の皺を深めて微笑んでいた。

 少しの間、見つめあって、ナタクは部屋を後にする。

 それが、二人の別れだった。

 

 

 

 ──その数日後、英雄王は崩御した。

 

 

 

 ナタクは王国内にある山に居を移し、英雄王と出会う前のように俗世に関わらないように過ごした。

 ただ、時折外に出ては国の様子を見て回り、気が向いた時には村に降り立って簡単な──たとえば井戸を掘るのに良い位置を教えたりだとか──助力をしたりもした。

 

 数十年後、その村を訪れてみると「仙人の湯」という温泉で有名な保養地になっていて、驚きながらも湯治を楽しんだりもしたが。

 

 ともあれ、王国の行く末をただ見守って過ごした。

 

 50年もすれば、英雄王は昔話になった。

 100年もすれば、伝説になった。

 200年で、おとぎ話になった。

 300年もすると、エルフの中にも当時を知る者は少なくなった。

 400年経つ頃には、アイギス信仰が廃れ始めた。

 500年過ぎる頃、自分のことが周辺の村でおとぎ話として伝えられていることに気付いて苦笑した。

 

 ふと気が付くと、当時の面影はもうどこにも残っていなかった。

 千年戦争は伝説として尾ひれがついて、英雄王の本当の顔を知る者も、自分だけになってしまっていた。

 だから、自分だけは彼のことをずっとずっと忘れずに覚えていようと、そう思った。

 

 そんなある日のこと。

 それに気付いたのは、本当になんでもない、日常のこと。

 ふと手に取った髪の一房に、白髪が混じっていた。

 

 

 ──背筋がゾッとした。

 

 

 仙術とは、万物の気の流れを制し、宇宙との合一を図る術。

 仙人にとって、己と宇宙のサイクルをあわせるために己が寿命を伸ばす術は基本中の基本だ。

 仙術の修行を怠らない限り、老いも衰えもしない。

 

 白髪が混じることなんて、あるはずがないのだ。

 

 日々の仙術の修行を怠けたことなどない。それはナタクにとっては呼吸をするような当たり前のこと。

 否、呼吸ひとつ、鼓動ひとつとっても仙術に基づいたもの。己をそういう仙人(もの)に作り替えて久しい筈だった。

 

 始めのうちは、ナタクも軽く見ていた。身を引き締めて修行に専念すれば、また元の姿に戻れるだろう、と。

 しかし、10年経ち、20年過ぎ、50年を迎えた時、鏡を見て、ナタクは耐えきれずに悲鳴をあげることになる。

 

 それから、ナタクは山に引きこもった。

 ただ引きこもっただけではない。幾重もの結界を敷いて、何者も近寄ることのできないようにした。

 

 怖かったのだ。

 己が死ぬことが、ではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と知られることが、何よりも恐ろしかった。

 

 ああ、英雄王が忘れられることを哀しんで、英雄王を忘れないと誓ったのに、自分があの頃と同じ自分でなくなることが、ナタクは老いて英雄王の時代も遥かな過去となったのだと思われることが、何よりも何よりも、死ぬことよりも恐ろしい。

 こんなに辛く、恐ろしい想いをするのなら、英雄王と共に死んでしまいたかった──

 そうすれば、どんなに幸福だっただろう、とナタクは想った。

 

 老いを得るのも当然のこと。ナタクの心は英雄王の時代から歩みを止めて留まっているのに、時は止まらずに進んで、心と肉体の得た時間が乖離しているのだから。

 

 いつしか、ナタクは仙術の修行をしなくなり、一日のほとんどの時間を、過去に想いを馳せて過ごすようになった。

 

 何度か、かつての弟子であり今は独立して仙人となったリーエンが訪れたが、ナタクの結界をくぐり抜けることは叶わず、ナタクも彼女に会うことはなかった。

 

 そうして、英雄王の死から千年が過ぎた。

 

 ある日、ふとナタクは山を降りて外へ出た。

 何故そうしたのか、ナタク自身にもわからない。

 だが、久しぶりに見た外の世界は、ナタクが山にこもった時とはまるで別の世界のように様変わりしていた。

 

 緑あふれる自然は消え、小さな村だった麓の集落は高い建物が立ち並ぶ街となり、ナタクが見たこともないものがいくつも街にあふれている。

 まるで夢の中のようで、ちっとも現実感がなかった。

 

 ふわふわと雲の上を歩くような心地で、しかし実際にはゆっくりと頼りない足取りで、ナタクは街を歩く。

 道行く人々は、まるでナタクが存在しないかのように、目もくれずにナタクを避けて過ぎ去っていく。

 

 ああ。

 この世界に、もう王子はいないんだ。

 この世界に── ぼくはいないんだ。

 

 街を歩きながら、不意にナタクはそう感じた。

 どうしてこうなったんだろう。ぼくはどうすればよかったのだろう。

 王子の幻を探すかのように、ナタクは街を彷徨う。

 

 身元不明の老婆の死が地方紙の片隅に載ったのは、その三日後のことだった。




TIPS

【天使】
神によって創造され、神のために働く種族。
英雄王の元にも何人かの天使がいたが、それらは全て堕天使と呼ばれるものであった。
どころか、街を襲った天使と英雄王の軍が戦ったという記録もある。
神と天使と英雄王に如何なる事情があったのかは、後世には伝えられていない。



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