1.遠い国から来た戦乙女(初級)
立花がしばらく草をかきわけて進むと、程なくして田園の中を通る道に出た。
田園にしろ、風車にしろ、人が使うものなのだから、道があるのは当然だ。
だが、それも普通の場所の話。
あまりにのどかな田園風景にうっかりと忘れそうになるが、ここは地球上のどこでもない時間と空間の狭間の世界なのだ。
牧歌的で、遥かな昔から変わっていないと思わせるこの風景は、だからこそ異常なのである。
『ふーむ、最初はこの世界は魔神柱によって構築された虚構の世界だと思っていたけれど、それにしては時間の経過を示す特徴がそこかしこに見られるね。
もちろん、最初からそのように作られている、という可能性もあるけれど……』
『あるいは、この空間自体は昔から存在していた、ということはないでしょうか?
たとえば
ひたすら歩き続ける立花をよそに、マシュとダヴィンチちゃんが議論をかわす。
周囲に対比物がないせいか、風車が大きいのか、思った以上に道のりが長い。立花も今更この程度歩くくらいで疲れたりはしないが、誰かライダーでも召喚して馬なりバイクなりに乗せてもらおうか。
そう思ったところで、立花の耳が異常をとらえた。
風に乗って、微かに何かの物音が聞こえてくる。
叫び……悲鳴……金属音……
「マシュ!」
『はい、先輩! あの風車の向こうに人間と、未知のエネミー反応を複数とらえました。戦闘中だと思われます! サーヴァント反応はありません!』
「わかった!」
走る。
人が人ならざるものと戦っている、と知った途端に立花は走り出した。
自らの危険を省みてまずは隠れて様子を見よう、などという日和見な考えは彼女にはない。
大小10を越える特異点を踏破した彼女の健脚だが、あの風車の向こうまで自分の足で駆け抜けるつもりはない。走りながら、サーヴァント達の名前を思い起こす。
船は論外。戦車が走れる道じゃない。
「お願い──牛若丸!」
「お任せあれ、あるじ殿!」
立花の声に答えて、霊子の青い光と共に英霊が実体化した。
立派な黒毛の馬にまたがるのは、肌も露な軽装の小柄な少女。平安の若武者、源義経──の未だ幼き姿である牛若丸だ。
立花のすぐ背後から現れた牛若丸は、立花を追い抜き様に襟首を引っ張り上げる。
勢い余ってくるんと宙を一回転した立花は、そのまますとんと牛若丸の後ろにお尻から着地して馬にまたがった。
「さあ、飛ばしますよ!」
立花が牛若丸にしがみつくのと同時に、ぐんと馬が加速する。
その馬の名こそ、
「すごいね、思ったよりずっと快適!」
「ははは、太夫黒もあるじ殿を乗せて張り切っているようですね!」
快活に笑う牛若丸と立花を背に、太夫黒は風車に向かって最短距離を駆け抜ける。道があっても道がなくても問題ない。地面さえあれば、太夫黒の走りに不足なし。
あっという間に風車の元に辿り着き、そのまま丘を越えて大きく飛んだ。
「あるじ殿、あれを!」
浮遊感を覚える空中で、牛若丸の指し示す方を見た。
丘の向こうでは、何人かの男達──フォークなどの農具で武装した農民を、剣や槍で武装した兵士が守っているように思える──が、紫色の肌をした何かと戦っていた。
小人のようにも思えるが、そのシルエットは不自然だ。頭からは角、背中からは蝙蝠の翼が生え、手には三又のフォークを手にしている。邪悪な笑みを浮かべるその姿は、典型的な悪魔……いや、小悪魔のそれである。
その戦力は兵士達と大差はなさそうだが、若干数が多かった。
『解析完了! 立花ちゃん、あれはデーモンの一種みたいだ。ただし低級も低級だから、サーヴァントの敵じゃない。そのまま蹴散らしてやりたまえ!』
「了解! 牛若丸、このまま突撃!」
「承知!」
ドカカッ! と土煙を立てて着地し、その勢いを殺さぬままに太夫黒は戦場へと突き進む。
横合いから突然現れた立花達に小デーモンが驚く──その一瞬で、もはや趨勢は決まっていた。
いつの間にか抜き放たれていた牛若丸の刀が、陽光にぎらりときらめく。
「素っ首、頂戴
果たしてその通りになった。
にやけているのか、驚いているのかよくわからない顔のまま、小デーモンの首がひとつふたつみっつと飛ぶ。
運の悪いものは太夫黒の蹄に踏み抜かれて、頭蓋や内臓を破裂させていた。
どちらかというと小デーモン側が優勢だった戦況は一瞬にして覆り、人間達もぽかんと口を開けて呆然としたまま、大きく数を減じた小デーモン達はあわをくって逃げ出す。
だが戦の天才である牛若丸が易々と敵を見逃す筈もない。あっという間に太夫黒が追い付き、一人残らず斬り伏せた。
「ふむ…… 先遣隊かはぐれものといったところですね、大将首はいないようです。これではあるじ殿に首を献上できません……残念です」
「いや、首はいらないから…… 心臓ならともかく」
サーヴァントの機動戦に付き合わされた立花は、ふらつく頭を押さえつつひとりごちた。
そんな立花を気遣ってか、太夫黒はぶるると荒ぶる気を静めながら、背中が揺れないようゆっくりと人間達の方へと歩いていく。
牛若丸の凄まじい戦いを見て圧倒され、戸惑う兵士達の中から、萌葱色の服の上から鎧を着込んだ少女が進み出た。
立花よりも年下のように見えるが、あれはかなり鍛えていますね、と牛若丸が小さくささやく。
「どなたか存じないが、助かった。あなたは凄まじく強いワルキューレなんだな」
「
ひらり、と太夫黒の背中から飛び降りながら、牛若丸は答えた。
牛若丸の手を借りて、立花も太夫黒から降りる。
地面に降りても馬上の感覚が抜けなくて、思わずよろけてしまいそうになった。
「それより、先程の怪物は何者です? 我々は遠くからここに来たばかりで、土地のことをよく知らないのです」
「……遠くから? もしや、王国の外から来たのか?」
『王国? 王国って言ったかい? 国なんて社会制度が確立されてるのか、ここは!』
「!? な、なんだ、この声は!? どこから……!?」
驚きのあまりダヴィンチちゃんが発した声に、動揺した少女が叫ぶ。後ろの兵士や農民達もざわざわとざわめいた。
今までは「声だけ飛ばしている魔術師がいる」という説明で大抵あっさりと受け入れられていただけに、その反応は立花にとってはちょっと新鮮だった。サーヴァントになるような奴らはやはり器というものが違っていたらしい。
「心配しなくても平気だよ。これは私達の味方の魔術師なんだ。ここにはいないけど、いい人達だよ」
「そ、そうなのか……? 魔法で遠くと話をするには、特別な装置がいると聞いたことがあるが……」
「私には、詳しい説明はできないけど…… それだけすごい魔術師なんだよ」
笑顔でゴリ押した立花の説明に、少女や兵士達もなんとなく説得されたのか、なるほどな、とうなずいていた。
後ろの兵士や農民からも「魔法ってすごいんだな……」「侮れないって言うしな……」という言葉が漏れ聞こえてくる。
『失礼、見苦しい態度を取ってしまった。許してくれたまえ。
それで、結局さっきのデーモンは何だったんだい? 君たちはいつもあんな奴らと戦っているのかな?』
「さっきの奴らは、魔界のインプ達だ。私たちの敵なのは確かだけど…… でも、本当ならこんな場所に出てくるような敵じゃない」
そこまで言って、ちらっと少女は後ろで不安そうな農民達を見た。
「でも大丈夫さ、ああいう奴らからみんなを守るために、私たちは王子に派遣されてきたんだ。
今回は危ないところだったけれど、すぐに援軍を要請するから、もしまた奴らが襲ってきても問題ないよ」
ことさら明るく、大きな声で言って、少女は大げさな身振りをする。その台詞は、立花達ではなく後ろの農民達に向けて言っているのが立花にもわかった。
「私はそのために一度王都に戻るから、もし君達さえよければ、一緒についてきて王子に会ってほしい。
詳しい話は…… 道中にさせてもらうよ」
「わかった。私は、藤丸立花。彼女は牛若丸だよ。よろしくね」
「私はフィリスだ。牛若丸さんか…… 名前からして、東方の人かな? 立花は、彼女の従者?」
「──あるじ殿が、何ですって?」
「ステイ。牛若丸、ステイ」
ゆらり、と牛若丸が刀に手をかけて一歩踏み出す。
立花がすかさず制止する、それまでの一瞬だけ漏れ出た殺気で、後ろの兵士と農民達が大きく後ずさった。
フィリス、と名乗った少女だけが、思わず身構えつつも踏みとどまる。
「ごめんね、この子ちょっと忠犬度高いだけだから。
牛若丸も、ちょっと間違えられたくらいで普通の人に威圧とかしちゃダメだよ。めっ」
「主君を従者扱いされるとか、武士的には無礼打ち案件なのですが…… いえ、あるじ殿がそう言うのなら許すのもやぶさかではありません。ありがたく思ってください」
「う、うん、ありがとう……?」
先程の殺気など何処に行ったものやら、妙に優しく諭された牛若丸は、むしろちょっと嬉しそうに、何故かどや顔で居丈高に言い放った。
思わず、フィリスも何故かお礼を言ってしまう。
「と、とにかく、一旦拠点に案内するよ。城に戻るにも準備がいるし、いつまでも立ち話もなんだから、ね?」
「はい、それじゃお邪魔します」
兵士はともかく、農民達には先程の殺気は一瞬とはいえ刺激が強かった。隔離の意味も込めて、立花達はフィリスに案内されてその場を後にしたのであった。
TIPS
【悪魔の心臓】
神とさえ崇められる上級デーモンの心臓は、抉られてなお鼓動し多くの呪いを放つ。
当然ながら極上の素材であり、英霊の霊基を強化させる処置などに用いられる重要な触媒。
カルデアにおいては「蛮神の心臓」と呼ばれる。
数多のサーヴァントが集うカルデアでは、これらの貴重な素材は常に求められている。首より心臓が欲しいと言った立花が猟奇的な趣味を持つわけではない。
【ワルキューレ】
ワルキューレとは、馬(稀に虎)に乗って戦う騎士である。
ワルキューレの駆る馬はただの馬ではなく霊馬であり、主たるワルキューレの成長と共にユニコーンへと進化する。
さらなる覚醒を遂げたユニコーンは、神馬となって八本足のスレイプニルに至るという。
霊馬が主として認めるのは女性のみであり、必然的に女性しかワルキューレになれない。
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