『エネミー反応、消失しました。索敵範囲内に新たな反応は見当たりません』
雪だるま達の奇襲に対して、王子軍の対応は素早かった。
混乱したのも始めのうちだけで、司令塔の役割を果たすケイティとユリアンの指示の下、兵士達は広場の各所に展開していく。
結局、サーヴァントの出る幕は無かった。
馬を守りに行った小次郎の援護に、神官戦士の老人をつけてアーラシュを送り出したが、ジークフリートと立花は、アンナと王子と共に広場の中心に待機していただけだ。
「王子の指揮力もあるが、彼らは随分と戦慣れしているな。これならば、かの
……それに比べて、役に立てないサーヴァントですまない……」
「ううん、私を護衛してくれてありがとう。
それに、私達の本当の出番は敵サーヴァントとの戦いだからね」
「はい、リンネ様が名を上げたデモン・サーヴァントの方々は、いずれもナタク様に勝るとも劣らぬ方ばかり。今の我々では歯が立たないでしょう。立花さん達に頼るしかないのです」
「……………………」
アンナの言葉に、王子もこくりとうなずく。
『それにしても、リンネちゃんの力は凄いね。
最小限の魔力で、見事に吹雪を収めてしまったよ。これも刻詠の業というやつかい?』
「否。吾でなくとも……風水師ならば、容易き事……」
広場を襲った吹雪は、既に晴れていた。
リンネが悠然と進み出て、魔力の流れを整え始めた途端、みるみるうちに吹雪は弱まりだしたのだ。
ダヴィンチちゃんの見立てでは、雪だるま達を殲滅して、さらに一時間は待たないと収まらないような吹雪だったのだが。
ほんの少し。宝具も使わず、ほんの少し、流れを変え、力を加えるだけで、思い通りに環境を操る。
それはさながら、微かな蝶の羽ばたきで狙ったところに嵐を起こすような……いや、したことはその真逆だが……鮮やかな手並み。
仙術を修めた者なら可能だろうが、リンネに匹敵する天候操作が可能な仙人など、この現代に果たして何人いるだろうか。
サーヴァントを含めても、伝説に語られる神仙の中から探さねばなるまい。先日戦ったナタクでも、出来たとしてこれほどの手際ではないだろう。
容易いなどと、とんだ謙遜であった。
「マスター、今戻った。馬達に被害はないぞ」
「あっ、お疲れ様、小次郎、アーラシュ」
アーラシュと老神官戦士を共に連れて、小次郎が戻ってくる。
別の場所で戦っていたケイティやユリアンは、戦闘後の処理、すなわち大量の雪だるまを倒して残った雪の雪かきを行っている。
この三人は、そうした後片付けは面倒とばかりに放り投げてきたのだった。
「──いかん、マスター。そこから動くな」
「へ?」
小次郎の方へ近付こうと飛び出した立花だったが、不意に小次郎に制止され、たたらを踏む。
そして小次郎は一度は納めた刀を抜き放ち、鞘を投げ捨てた。
長大な刀を構え、立花に向けて駆ける。
『小次郎さん、何を──!?』
「秘剣──燕返し!」
突然の行動に虚を突かれ、誰一人身動きをとることができない。
事象を歪め、全く同時に数本の斬撃を放つ対人魔剣。何者も逃れ得ぬ刃の牢獄。無限の極致に開眼せし絶技。
それが、小次郎自身のマスターに向かって放たれた。
ふと、ナナリーは顔を上げた。
耳が痛くなるほどの静寂に支配されたその空間の中で、立ちあがり、歩き出すナナリーの足音と衣擦れの音だけが寒々しく響き渡る。
テラスから外へ出て、冷たい風に流される長い金髪を手で押さえ遠くを眺める。
麓の一角の上空に不自然に厚い雲がたれこめて、局所的な吹雪が吹いていた。
ナナリーは弓兵ではあるが、僅かながら魔術の素養を持っている。魔物達が起こした吹雪の気配を感じ取ったのだ。
この山には、古代の魔物が討伐されて以来、住むものもなければ立ち入る者もいない。ならば今、あえて訪れる者は限られる。
「……王子」
つぶやいて、ナナリーは吹雪の中へと目をこらした。
サーヴァントとして得た膂力、魔力、そして
おあつらえむきに、吹雪が急速に威力を減じて見やすくなった。風水師──リンネの力だろう。
弓を構え、弦を引く。魔力から矢が生み出され、つがえられた。
ナナリーは速射の名手だ。射つべき魔物は多く、矢はいくらあっても足りない。それを補うために覚えた、唯一の魔法だった。
しかし、射つべき相手の姿が見えない。
王子がいるらしいその広場は、ぎりぎりのところで地形や木々に隠されている。ちらほらと兵士の姿は見えているが……ただの兵士を射抜いたところで、大して意味はない。むしろ警戒されるだけだ。
狙うなら、ケイティやアンナといった重臣。あるいはキャスターのサーヴァントであるリンネ。そして──王子。
狙いを定めているうちに、吹雪は止み、雪だるまの魔物どもは殲滅されたようだった。
この場での狙撃は諦め、適した位置へ来るまで待とうか──そう思ったその時、障害物の僅かな隙間に赤毛の少女が姿を見せた。
見たことのない少女だ。
そう思うと共に、カルデアのマスターだ、とも思う。
人類最後のマスター、藤丸立花。その名と存在は聖杯からの知識で知っていたが、目にするのはこれが初めてだ。
異世界の英霊……こちらの世界で言うならば、いずれも
王子と共に戦う──女。
王子の元には誰もが集う。
男も、女も。元は敵であった帝国の者でさえ。あるいは人でさえなくとも。そして──異世界から訪れた者も。
誰もが王子を慕い、王子もまた身分や出自にかかわらず、分け隔てなく皆を愛する。
シビラも。ナタクも。ナナリーも。あるいは……あの娘も?
ずきり、と胸の奥が痛んだ。
ぎり、と弓を引き絞る。
その手の中に新たな矢が生み出された。
その総数、五本。
無力な少女一人の命を射抜くには過剰な殺意。
急速に燃え上がった激情が、ナナリーの唇を開かせた。
「──
それは宝具と呼ぶにはあまりに単純。
弓鳴りの音は一つ。
放たれた矢は五つ。
一度に五本の矢を放つ、それだけのもの。
無論、五本の矢を同時に弦につがえて放つなどという、ふざけたものではない。
最高峰の技量を持つ弓兵が放つ、必中必殺、乾坤一擲、全身全霊、至高の魔弾。
入魂の一射を、五射同時に放つという矛盾。
それは本来、彼女のような少女が放つ業ではない。
その人生を武に捧げ、一心不乱に求め続け、長い人生と修練の涯、その最期にようやく会得しうる、無窮の武練。
異世界の魔術師はそれを、
五本の矢は五通りの軌道を描く。
魔術による索敵範囲の遥か彼方から突然に襲い来る攻撃を、事前に察知する術などない。
そして、察知したその時には既に、回避する余地も防御する余裕も残されてはいないのだ。
察知不能。回避不能。防御不能。
目、喉、心臓、鳩尾、子宮。
全身を射抜かれて絶命するビジョンを、ナナリーは見た。
ただし。
条理を越えてそれを覆す者がいた。
心眼(偽)のスキル──天性の第六感、根拠もないだだの勘によって、察知不能の五射を察知し、割り込まんとするサムライが。
それがただのサムライであるならば、矢のひとつふたつは防げたところで残りの矢が少女を射抜く。
しかし彼は、彼だけは、その運命を覆せるのだ。
彼女と同じ、
TIPS
【風水師】
風水とは、仙術の中でも自然の運行に関して特化した術である。
これを操る風水師は周囲の魔力の流れを操ることにより、同時に複数の対象に治癒魔術を施すことが可能だが、その真価は優れた天候操作技術にある。
流石に摂理を無視して即座に天候を操るようなことはできないが、魔物が引き起こすような不自然な荒天でも、その影響と持続時間を半分以下にすることが可能。
伝説によれば、風水を極め八門風水導師と呼ばれる術者ともなれば、自らの存在を世界に溶かし込んで隠匿することも可能であるという。
k n o w l e d g e i s p o w e r .