小次郎の刀は、立花に傷一つつけることはなかった。
それは刀の刃が触れなかったというだけではなく、晴天の霹靂の如く飛来した五本の矢を、過たず切り払ったからである。
絶技。対人魔剣。そして──剣の檻。
檻とは時に、囲う者を守る役目も果す。
切り払われた矢はその数を倍に増やして無為に白雪の上に転がったが、いずれもすぐに幻のように消え去ってしまった。
『狙撃!? どこから──!?』
『投影魔術で作られた矢…… 間違いない、敵はデモン・アーチャー! 白の射手ナナリーだ!』
マシュとダヴィンチちゃんが叫ぶ、その直後に再び五本の矢が飛来する。
だが、立花を守るのは小次郎だけではない。小次郎が一本を切り払い、アーラシュが一本を撃ち落とし、ジークフリートが残りの三本をその身で受けた。
しかし矢はいずれもジークフリートに傷一つつけることなく、キンと弾かれて消えていく。
「大道芸ではあるまいし、いつまでもこうしているわけにもいかん。安全な場所に避難すべきだぞ、マスター」
『先輩、南側の木の陰に向かって下さい! 狙撃の角度から計算して、そこなら死角になる筈です!』
「わ、わかった!」
サーヴァントに狙われている、という事実にぞくりと背中に寒気を感じつつ、立花は広場の端、木の陰へ向かって走る。
王子軍の面々も、王子の指示に従って、荷物を放棄しつつ狙撃から身を隠す位置に移動を開始している。
立花の近くにも、モーティマら数人の兵士や山賊が走っていた。
一心不乱に走る立花を、小次郎の刀が、アーラシュの矢が、ジークフリートの剣と鎧が守る。
雨のように降り注ぐ矢は数が多いくせに狙いは正確で、サーヴァントが守っていなければ何十回死んでいたことか知れない。
『安全圏まで、三、二、一……』
「あっ──!?」
だが、あと一歩というところで雪が立花の足を滑らせた。
冷たくも柔らかい雪の上に前のめりに倒れ込む。幸い、雪に受け止められて怪我はないが、突然の転倒にサーヴァント達の反応も一瞬遅れる。
致命的な隙を晒し、立花の背筋がぞくりとした。
『大丈夫です、先輩! ギリギリで安全圏に入ってます!』
「バッカ野郎、気ぃ抜いてんじゃねえ!」
マシュの声にほっとしたのも束の間、大柄な体格のせいかどすどすと少し遅れて来たモーティマが、外套の上から立花の腰のベルトをむんずとひっつかんだ。
荷物のように持ち上げられたと思うのと同時に、ぶんっとアンダースローで前方に投げ捨てられる。
「おっと、マスター!」
「むぎゅっ!」
ジークフリートがしっかりと受け止めてくれたおかげで怪我はないが、はだけられたジークフリートの胸元に顔から突っ込んでしまう。
鎧に鼻をぶつけたせいか、それとも照れのせいか、少し赤くなりながら体勢を立て直し振り向いて、立花は見た。
飛来した矢が燕のごとく弧を描いて、先程まで立花が倒れていたところに突き刺さるのを。
しかも、そのうちの一本の矢がモーティマの肩に突き刺さり、雪の中に赤い血を撒き散らしていた。
『矢が──曲がって──!?』
「おいおいマジかよ、これで魔術なしってんだから、とんでもない技量だな……!」
弓兵の中の弓兵と言われるアーラシュも、これには苦々しく表情を歪める。
モーティマは矢を受けて少しよろめいたものの、肩に矢が刺さったまま走り抜けてジークフリートの背後に逃げ込んだ。
さらに何本もの矢が弧を描いて飛び込んできたが、どうやら見えていないのは確からしく、狙いも甘く全てジークフリートに跳ね返される。
しばらくしてようやく矢が降りやみ、しんとした静寂が訪れた。
「いててててっ、おー痛え、一発もらっちまったぜ……!」
「……モーティマさん、大丈夫?」
「なあに、俺達山賊は丈夫なのが取り柄よ……ふぬっ、ほぎゃああ!」
「大の大人が矢の一本でそう喚くなよ」
「んなこと言っても、痛えもんは痛えんだよ!」
強がって自分の手で矢を抜いたものの、直後に強面に涙を浮かべてのたうつモーティマに、アーラシュが苦笑まじりに言って肩をすくめる。
モーティマはしばらく痛がっていたが、自分で手早く応急処置をして清潔な布を巻き付けていた。なかなか見事な手際だ。
『先輩、お怪我はありませんか!? 申し訳ありません、まさか矢を曲げるなんて……!』
「私は平気だよ。ありがとう、モーティマさん」
「お、おう…… まあ、いいってことよ」
モーティマは虚空に浮かぶマシュのホログラフを興味深げにじろじろ眺めていたが、立花に礼を言われて少し照れたらしく視線をそらす。
「ともかく、ナナリーは狙った獲物を外さねえ。素早い魔物にも、矢が自分から追いかけるみてえに曲がって当たるんだ。
物陰に飛び込んだくらいで安心しちゃいけねえぜ……くそっ、味方なら心強いんだが、敵になるなんてな」
『はてさて、それにしてもこれからどうしたものか……
向こうの視界に入ればまた矢の雨が飛んでくるだろうけど、かといって何時までもじっとしているわけにはいかない。
アーラシュくん、逆狙撃できないかい?』
「無茶言いなさんな。相手の位置もわからん上に、山の下から上ってえなるとな。……宝具を使っていいんなら、山ごと吹っ飛ばしてみせるが」
「アーラシュ」
「……へいへい、わかってるよ、マスター」
咎めるように唇を尖らせる立花に、アーラシュは軽く肩をすくめてみせた。
サーヴァント三人と立花、モーティマも一緒に頭をひねるが、上手い解決策は出てこない。
一方的に狙撃されて動くことができないが、じっとしている訳にもいかない。だが相手がどこから狙ってきているかも判然としない。
どうにも手の無い状況だった。
「えーい、埒が開かねえ! 弓兵なんざ、ガーッと突っ込んでドーンと殴ってやりゃあ済むのによお!」
元々、細かいことを考えるのに向かないモーティマががしがしと頭をかきながら怒鳴る。
「やっぱり、それしかないね」
『そうだね、リスクを避けて通るのは無理そうだ』
うん、と通信を通じて立花とダヴィンチちゃんがうなずきあった。
『えっ…… 本当に突っ込む気ですか、先輩!?』
「危険は承知の上。
『あの時と違うのは、立花ちゃんを守るのはマシュじゃなくてジークフリート達だってこと。いけるかい?』
「無論だ。身命を賭してマスターを守ろう」
間髪いれず、ジークフリートがうなずく。数ある英霊の中でも屈指の防御力を誇るジークフリートなら、マシュにもひけをとらないだろう。
小次郎とアーラシュも、神妙にうなずいた。
『狙撃が必ず飛んでくるだろう。けど、その射撃角度から相手の位置を逆算してみせる。ナビゲートは任せて、立花ちゃんたちは全力で走り抜けてくれ』
「ふむ、ではあれを使うのはどうかな?」
小次郎が指差したのは、先程の戦いで小次郎達が守った馬達である。
いくらサーヴァントでも、馬より速く走るのは難しく、また走り続けることもできない。だからこそライダーというクラスがあるのだ。
そのライダー……たとえば、雪道山道でも確実に踏破できる太夫黒を持つ牛若丸……を喚ぶ手もあったが、同乗する立花を降り注ぐ矢から守ることにかけて、ジークフリートには一歩譲る。
セイバーとして騎乗スキルを持つジークフリートがやはり適任であった。
小次郎やアーラシュは騎乗スキルを持たないが、スキルがないからといって乗れないわけではない。馬上で宝具を振るうまではできずとも、サーヴァントとしての身体能力をもってすれば十分に乗りこなせる。
「……そうと決まったなら、すぐに出るべきだ。
それマスター、またぞろ空模様が危うくなってきたぞ」
小次郎が空を見上げると、晴れていた空に再び暗い雲が集まり、ちらちらと白い雪が舞い始めていた。
雪だるま達が起こしたものほど急激ではないが、再び吹雪を感じさせる雰囲気が漂い始めている。
『いや…… これは自然な天候じゃないぞ。何者かが再び天候を操作しようとしているんだ!』
『確かに、不自然な魔力反応を検出しています。ですが、周囲にエネミーの反応はありません』
「何だかわからねえが、吹雪になりゃあ矢も遠くには飛ばせなくなるぜ。動けるようになるんじゃねえか?」
そうこうしているうちにも、雪が勢いを増し、風が吹き始め、にわかに吹雪の様相を呈してきた。
白いカーテンで遮られたように視界が制限され、広場の反対側も見通せなくなる。
それは、多数の魔物が集まって強引に地の魔力を乱すような力業ではなく、自然の法則に少しずつ手を加えて流れを変えるような、鮮やかな手並みだった。
まるで、リンネが吹雪を収めた手腕を逆回しで見ているような──
『──なるほど、それじゃこの吹雪を起こしたのは……』
何かに納得したかのように、ダヴィンチちゃんがしきりに頷いたその時、吹雪のカーテンの向こうに人影が浮かび上がる。
雪のカーテンに身を隠し、さくさくと雪を踏み鳴らしながら近付いてきたのは、リンネとアンナを側に控えさせた王子を先頭とする一行だった。
TIPS
【投影魔術】
魔力によって物質を編み上げ、一時的に実体化させる魔術。
無から有を生み出し、宝具すら模倣し、絶大な力を発揮する攻防自在の能力──というのは、特殊な環境と状況と才能と経験が備わった稀有なパターン。
実際のところ、模倣したものは実物には及ばず、長持ちもしない。ちょっと足りないものを間に合わせて誤魔化す程度の、効率の悪い魔術。
ただ、ちょっとしたものを少しの間だけ大量に用意したい場合──たとえば矢弾などの消耗品の代用としては便利。
【曲がる矢】
王子軍の弓兵は狙った獲物を逃さない、とされる。
伝説によれば、雷光の如くジグザグに飛ぶ魔物や、疾風の如く駆け抜ける獣にも、その矢は生きているかのように自ら追いかけて命中したという。
時には常の射程距離の限界を越えてまでも追いかけたとされるが、魔術抜きでそれを実現したとは考えがたく、現代では誇張表現であるとされている。
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