以降、書き上がり次第投稿しますので、気長にお待ちください。
ナナリーの矢は、一直線に向かってくるものばかりではない。
それも道理で、全く同時に五射を放つ以上、狙いと軌道が同じならば同一座標に複数の矢が存在することになり、事象崩壊を引き起こすからである。
これが剣ならば相手を事象崩壊に巻き込むことで絶大な攻撃力を得ることもできるが、弓の間合いでは相手に届く前に矢を無駄にするだけだ。
故に、ナナリーの矢はいずれも狙いをずらして多角的に放たれることになる。
まるで蛇の群れに絶え間なく襲い掛かられているようだ、とジークフリートは胸中で独りごちた。
上下左右、しかも前だけでなく横からも、時には後ろに回り込みさえもするその矢を、しかしジークフリートは防ぎきっていた。
否、自分に当たる矢は構わない。ナナリーの宝具は行き着いた武練の果て、逆説的にはそれほどの神秘を含んでいない。
故に、悪竜の鎧を貫くことができず、ジークフリートに傷をつけられていない。
唯一の弱点である背中にも、今は立花がいるため常以上に守りを堅くしてある。
馬を狙った矢も対処は可能だ。
大剣と冠するだけあってバルムンクの刃は長く大きく、カバーできる範囲も広い。
加えて、騎乗スキルBであるジークフリートの恩恵は、乗騎である馬にも及ぶ。常以上の能力と勇敢さを引き出された馬は、まさに人馬一体と称するに相応しい動きを見せた。
問題は、立花を狙う矢である。
普通なら、長身のジークフリートの背に隠された立花を狙うことなど不可能だが、
それをジークフリートは、大剣と馬を巧みに操って凌ぐ。
たとえ一本の矢たりとも、マスターの身に触れさせるわけにはいかない。それはジークフリートの英霊としての矜恃であり、マシュに託された使命でもあった。
「ジークフリートっ、これ、あとどれくらいっ……!」
「顔を出すな、マスター。それに、しゃべると舌を噛む」
悲鳴のような
ジークフリートは馬と動きをあわせて自在に大剣を振るうが、その背にしがみついている立花はたまったものではない。ジェットコースターの方がまだマシだ。
やがて、降り注ぐ矢はジークフリート自身ではなく、その乗る馬へと集中しはじめた。ジークフリートに、そしてその背に守られた立花に矢が通らないと悟ったのだ。
事前にアンナに教わった道のりから考えて、既に道は半ばを越えている。このまま走れば、目指す氷の城へ駆け込むことも可能だろう。
このまま走ることができれば、であったが。
右手に剣を、左手に手綱を握って矢を凌ぎながら、ジークフリートは冷静に状況を把握していた。
馬の口元からは盛大に白い息が漏れ、首筋に泡立った汗を大量にかいている。限界を越えた走りを続けているのだ、鍛えられた馬といえども体力が底をつきかけている。
背中にしがみついている立花も問題だ。しっかりとしがみついている──ように思えて、少しずつ緩んできていた。
こちらも疲労だ。馬の背に乗ってロデオのごとく振り回し続けられるというのは、かなり体力を消耗する。弱音こそ吐かないが、騎手のジークフリートよりもきついだろう。
ジークフリートは、勢いよく手綱を引いて馬首を横に向けた。
「すまない、マスター! 横手の藪に突っ込む、身体を小さくしてしっかり掴まってくれ!」
「えっ、ちょ、わわわわわっ!」
最後の奮起とばかりに高々と跳躍して、ジークフリート達を乗せた馬は道なき繁みの中に飛び込んだ。
無数の枝葉が馬とジークフリートを叩いてガサガサと派手な音を立て、葉に乗せた白い雪を巻き上げる。
一呼吸置いて、ナナリーの矢が追いかけて飛び込んでくるが、振り向いたジークフリートが大剣を一閃、立花に当たらんとする矢を弾き飛ばした。
立花はただ、目をぎゅっと閉じてジークフリートの背中にしがみつくのみだ。馬が高く嘶いて、やがて速度を落とし、足を止めた。
「どう、どう、どう!」
ジークフリートが声をあげ、手綱を引く。
馬はゆっくりとその場にしゃがみこみ、身を伏せた。
「もう大丈夫だ、マスター。馬を降りてくれ」
「う、うん……」
ジークフリートに言われて、いつのまにか止めていた息を大きく吐く。
手足も瞼もひどく強ばっていて、動き出すために力を抜くのに少し手間がかかった。
明日は筋肉痛かな、と思いながら、ひらりと馬を先に降りたジークフリートの手を借りて、立花も馬を降りる。
一息ついて馬を振り返ってみると、馬はお腹を大きく上下させて、真っ白な息を何度も荒々しく吐き出していた。
そのお尻には矢傷が開けられていて、足を赤く染めている。
『先輩、お怪我はありませんか?』
「私は大丈夫。でも、馬が……」
「藪に飛び込んだ時に、矢を受けた。命に関わる傷ではないが……体力ももう限界だ、今までのような走りは無理だな」
幸い、投影魔術で作られた矢はすぐに消えてしまうため、矢を抜く時に返しで傷を抉ってしまうことはない。下手に動かさなければ綺麗に治るだろう。
立花は馬に手を触れて、魔術礼装の応急処置の魔術を起動させた。サーヴァント用のそれは生身の馬にはほとんど効果を発揮しないが、苦しそうだった呼吸が目に見えて安らかになり、立花はほっと胸を撫で下ろす。
「ここには矢は飛んでこないが…… 見られている感覚があるな」
『氷の城から放たれていた矢が止んでいます。先輩達の動向に注目しているはのではないでしょうか』
『ジークフリートの接近で、向こうも気付いただろう。王子達は囮で、注意を引き付けている間に近付くつもりだ、とね。
けれど、氷の城へ続く道はひとつ。左右は岩壁、後ろは崖だ。その道さえ張っていれば彼女の速射なら何人押し寄せても寄せ付けないだろう』
「ああ…… 恐ろしいものだな」
遠く、今は森の木々に遮られて見えない氷の城を見やりながら、ジークフリートはうなづいた。
「
「うん、あとはアーラシュ次第だね」
『アーラシュさん…… 大丈夫でしょうか?』
「大丈夫。信じよう、マシュ」
微笑みさえ浮かべて、立花は言う。
サーヴァントへの信頼が込められた微笑みだった。
「私達は、私達の役目を果たさなきゃ。行こう、ジークフリート」
「すまない、マスター。ここから先は俺一人だ」
ジークフリートはしかし、首を横に振って歩き出そうとする立花を止める。
「彼女の技量はわかった。俺の力では、馬もなしにマスターを守りきることはできない。危険だ」
「危険は覚悟してる。ジークフリートのことは信頼してるし、それに私から離れれば離れるほど、ジークフリートも力を発揮できなくなるでしょう?」
「だとしても、これ以上あの矢の届く所へマスターを連れていく訳にはいかない。すまないがわかってくれ、マスター」
しばらく立花とジークフリートは睨みあったが、すまない、と言いつつもジークフリートの姿勢は強硬だった。
やがて、立花の方が根負けして、大きなため息をつく。
「……わかった。でも、礼装の支援が届くギリギリまでは行くからね」
「くれぐれも、顔を出さないように注意してほしい。……すまない、マスター」
「ううん、わかってる。気をつけて、ジークフリート」
二人は互いに頷きあって、再び山道へと戻っていった。
TIPS
【応急処置】
マスターの魔術礼装による応急処置とは、魔力で構成されたサーヴァントの霊基の損傷を、マスターの魔力で一時的に補うものである。
そのため、肉体的な損傷には効果を発揮しない。
効果が見られるとすれば、それは物理的な損傷ではなく、呪詛などによる霊的な損傷に対してのみである。
k n o w l e d g e i s p o w e r .