立花達が到着すると、そこは既に煉獄だった。
壁や柱は崩れ、絨毯やタペストリの色よりもなお赤い炎がそこかしこを彩っている。
床に倒れた、何か燃えているものによく目をこらせば、それが鎧を着込んだ兵士の成れの果てと気付いただろう。
その中でただ一人、少女が佇んでいた。
背中が大きく開いたミニのチャイナドレスを身に纏い、炎が巻き上げる上昇気流でツインテールにまとめた長い黒髪を踊らせている。
手には少女の身の丈ほどもある赤い穂先の槍。その槍が炎を噴き上げていた。
『先輩、間違いありません。サーヴァントです!』
「ナタクさん!」
アンナが声をかけると、少女はくるりと振り向いた。
まだあどけない、幼さを残す顔をしている。ドレスのセクシーさに反してそのプロポーションは些か残念だが、それが妙に似合っていた。
「久しぶりだね、王子」
炎の只中で、少女──ナタクは華やかに微笑んだ。
その目はただ、他の誰も見えていないかのように、王子だけを見ている。
「……………………」
「ああ…… ああ、懐かしいよ。君の姿。君の瞳。君の声も聴かせておくれ。あの頃のように、耳元で愛を囁いてくれないか」
「……………………」
「ふふ、その無口も懐かしい。──会いたかったよ、王子。ぼくはずっと、ずっとずっと、君に会いたかった。寝ても覚めても君を想って、遂には聖杯なんてものの呼び掛けに応えてしまった」
「……………………」
「愛しているよ、王子。
君に会って、ぼくの愛を伝えたかった。ああ、ああ──叶ったよ。ぼくの願いは、これで叶えられた──」
ナタクの瞳から涙があふれる。
瞳から流れた水滴は、風に煽られ炎に炙られて、頬を濡らすこともなく消えていく。
それでも尽きぬ涙をこぼしながら、ナタクは微笑んでいた。
『すごい…… すごい熱烈な愛の告白です……!
どうしましょう、先輩、なんだかすごく胸と頬が熱いです……!』
「私もなんていうか、口の中が甘くて、全身がむずがゆいよ……!」
こそこそと小声で、しかし頬を赤らめながら、マシュと立花は互いにささやきあって身悶える。
「わ、私も、あんなに情熱的なナタクさんは初めてです……なんていうか、いつもは余裕があって、一歩引いて見ているような方なのですが……
一ヶ月も王子の元を離れていたのが、そんなに寂しかったのでしょうか?」
『いいや、彼女はサーヴァントだ。何らかの事情があって、もっと長く……何年も何十年も彼と会えなかったのかもしれない。愛する人とそれだけ離れ離れになって再会したなら、私だって感激のあまり絵と詩と音楽の三つ四つは捧げるさ』
「でも、この様子なら…… 戦わなくても、仲間になってくれそうだね」
「否」
楽観的な立花の言葉を、リンネが端的に遮る。
リンネは厳しい表情で、炎の中に佇むナタクを見ていた。
牛若丸もまた、表情を凛と引き締めて、前に進み出て腰の刀に手をかける。
「
じゃが…… 魔神どもとて、其れを理解しておる」
「あるじ殿、後ろへ。感じませんか、この……殺気を」
低く押さえた牛若丸の声に、はっ、と立花達はナタクを見る。
そっと目元を拭うナタクの周囲で、炎が踊る。
いや、その炎の勢いは次第に増して、汗が吹き出るほどになってきた。
「──王子、ぼくのもうひとつの願いを、叶えてくれるかい?」
「…………?」
「何、簡単なことさ。ぼくと…… ぼくと一緒に、燃え尽きよう!」
瞬間、ナタクは渦巻く炎となった。
足下からジェットのように激しい風を噴き上げて、その風で炎を巻き上げ、身に纏いながら、王子へと突き進む。
爆発的な加速に、王子は胸元に迫る槍の穂先を目にとらえつつも、かわすことも受け止めることもできなかった。
「はああぁっ!!」
かわりに、牛若丸が割って入った。
このままでは、槍の穂先が王子に届くよりも先に、牛若丸の刀の切っ先がナタクの胸を貫く。絶妙な間合いとタイミングだ。
咄嗟に、ナタクは足を蹴りあげた。
ナタクの足元には、いつの間に現れたのか、炎と風を噴き出しながら高速で回転する金属の輪のようなものが付随している。
その炎を吹き付けられ、牛若丸はダメージを受けて後ろに吹き飛ばされたが、ナタクも後ろに下がって距離を開けた。
「牛若丸!」
「ご心配なく、あるじ殿。この程度、かすり傷です。むしろ死なない程度の傷など全てかすり傷ですとも。
しかし、惜しい。……
「それはこちらの台詞だよ。そうか……君達がカルデアだね。どうやら君達を倒さないと、ぼくの願いは叶わないらしい」
ナタクは足元の輪から放たれる炎と風でホバリングしながら、両手で槍を構える。
牛若丸も刀を構え、じりじりと間合いを量った。
「カルデアを……私達を知っているの?」
「今のぼくはサーヴァントだからね、聖杯からの知識を授けられている。聖杯を作ったのは異界の魔神、その仇敵たる君達のことはよく知っているよ」
言葉を交わしながらも、ナタクの視線は牛若丸……そして牛若丸の後ろに控えるリンネに向けられている。
互いに隙はなく、緊張感だけが炎に炙られて熱されていく。
「何故ですか? 何故、ナタクさんが王子を殺そうとするんです!?」
「王子を愛しているからさ。愛しているから憎らしい。怒りが、憎悪が、ぼくの胸を焦がすんだ。
千年消えぬ愛も怒りも憎しみも、今ここで焼却してみせる!」
「…………!」
「今のぼくは、ランサーのサーヴァント、ナタク。
ぼくの炎で、カルデアも、この国も、何もかもを焼き尽くしてあげよう!」
先に動いたのはナタクだった。
牛若丸に向けて弾かれたように宙を滑り、槍の穂先を突き込む。
対する牛若丸はその穂先を打ち払い、逆に首を狙う。
だが、飛燕のようにくるりと回った槍の石突きが、その刀を打った。
その最初の攻防までが、立花の目で追うことのできる限界だった。
常人にはとらえきれない速度で一合ごとに炎を撒き散らしながら、ナタクと牛若丸は互いの刃を打ち払い、そして切り込んでいく。
槍を防いでもその身を焼く炎の傷は、リンネの放つ治療の魔術によってすぐさま癒されていた。
「焼かれる端から治るというのは、便利ですがむずがゆいですね!」
「我慢するのじゃ……!」
攻防は一見して拮抗しているように見えたが、時と共に増大する熱量と共にナタクの魔力と速度は増していき、対して上昇する気温に立花達は汗が止まらない。
間近で切り結ぶ牛若丸は、尚更その熱に激しく身を焦がされているだろう。
くらり、と熱さに倒れそうになったアンナを咄嗟に王子が支えた。
「も、申し訳ありません、王子……」
『どんどん気温が上昇してる、このままじゃサーヴァントはともかく立花ちゃん達がもたないぞ! 一旦そこから離れるんだ!』
「ここでは、軍を展開することもできません…… 中庭に移動しましょう!」
「逃がすと思っているのかい!?」
「そちらこそ。その隙、逃すと思っているのか?」
アンナの案内を受けながら移動した立花達をナタクが追いかけようとしたが、意識がそれた瞬間に牛若丸の太刀が首筋に迫る。
危ういところで槍が弾いたが、炎に巻かれながらも殺意と冷たさを失わないその瞳に、ナタクは小さく舌打ちした。
「牛若丸も! 退くよ!」
「承知。
ジェットのように炎と風を噴き上げるナタクの速度ならば、逃げる立花達に一瞬で追い付くことは容易い。
だが、ただ一人立ちはだかるその少女こそ、戦の天才、牛若丸。
巧みな遅滞戦闘を繰り広げ、ナタクを立花達に追い付かせることなく、中庭まで撤退することに成功した。
TIPS
今回のTIPSはお休みさせて頂きます。