総武高校から歩いて10分の所に小さな喫茶店がある。
女子達がこぞって押し掛けるオシャレな店という感じでは無く、落ち着いた雰囲気が特徴的でゆったりとした時間が店内には流れていた。
俺は夏休みの初日から、この喫茶店でアルバイトとしてお世話になっている。
マスターは今年66歳になるそうで、定年退職後に喫茶店を始めたそうだ。
ここで働き始めて10日が経ち、ある程度の事はこなせるようになった。
今日もマスターから店番を頼まれ、今は1人だ。
あまりお客さんが来ないため、経営の方は大丈夫なのかと心配になってしまう。
時計に目をやる。
時間は午後2時を過ぎた辺り。
「暇だぁ」
これでバイト代が貰えるのは大変嬉しいのだが、罪悪感というか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
店内に流れるクラシック音楽を耳に、ゆったりとした時間が流れていく。
〈カラン、カラーン〉
ドアが開くと鳴るベルの音で、そちらに顔を向ける。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは、黒田君」
「こんにちは、城巡先輩」
彼女はこうやって、よく来てくれる。
お客さんがいない時は話相手になってくれ、お客さんがいる時は読書に勤しんでいる。
「いつもので大丈夫ですか?」
「うん、お願いね」
カウンターの中に入り彼女がいつも注文してくれる紅茶とケーキのセットを用意する。
「様になってきたね!」
「ありがとうございます。城巡先輩がいつも来てくれるからですよ」
「そうなの、えへへっ♪」
はぁー、癒されるー。
「用意できましたよ、お嬢様」
「もう、恥ずかしいよー」
そうやって、2人だけのゆったりとした時間が流れていく。
「紅茶のお代わりは、どうですか?」
「お願いできますこと」
「かしこまりました。お嬢様」
2人で戯れていると、
〈カラン、カラーン〉
ドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
俺は仕事モードに切り換えて入り口の方を向くと、一組の美男美女が店の中に入ってきた。
男性の方は見たことがあった。
葉山グループの中心人物“葉山隼人”君だ。
物語の中と同じイケメンリア充で、勉強もスポーツも完璧にこなす非の打ち所がない男だ。
女性の方は見たことが無いのだが、彼女に似た顔立ちの女の子なら知っている。
たぶんこの女性は、
「ハルさん!」
そう、彼女は雪ノ下陽乃だ。
「あっ、めぐりー!奇遇だね」
「お久しぶりです」
「あの、お席の方はどうなさいますか?」
「じゃあ、めぐりの隣がいいなー」
城巡先輩はカウンター席に座っていたため、陽乃さんを挟んで3人が並んで座る形となった。
「こちらがメニューになります。
ご注文がお決まりになりましたら、お申し付け下さい」
「はーい」
「君は確か、戸部や比企谷とよく一緒にいる・・・・・」
「C組の黒田だよ、よろしく葉山君」
名前を知られていなくても、悲しく無いんだからね。
「そうだった、ゴメン黒田。俺は葉山だ、よろしく」
「私は雪ノ下陽乃だよ。君と同学年に妹ちゃんがいるんだけど、わかるかな?」
「わかりますよ、雪ノ下雪乃さんですよね。彼女は有名ですし、雪ノ下さんと容姿はそっくりなので」
「ふふふ、容姿はそっくりね。雪ノ下さんじゃなくて、陽乃で良いよ」
「滅相もないです!」
絶対に下の名前でなんか呼ばない、恐すぎる。
「さっき比企谷って言ってたけど、入学式の朝に交通事故にあった子だよね」
「えー、そうなんですか。大丈夫なのかな」
「城廻先輩、大丈夫ですよ。彼は一学期の途中で復学して、怪我も完治してますから」
「そうなんだ、安心したよー」
めぐりんはバファリンの比じゃないくらい、優しいんです。
「そういえば今年の入学式って、比企谷君も含めて4人の欠席者と遅刻者がいたんだって」
「そんなにですか」
遅刻者の1人は俺だ。
比企谷君の応急処置を終えてすぐに学校に向かっていたら間に合ったのかもしれないが、事故現場でのんびりとしすぎてしまった。
「そうなのよー。コホン、言い訳はあるのかな?黒田君」
「えっ?」
体が冷たくなっていく感じがする。
「ハルさん、なんで黒田君なんですか?」
「黒田君は、入学式の日に遅刻しちゃった悪い子なんだよね」
「そうなの?」
「・・・・・はい。次の日の入学式の事を考えてたら、なかなか寝付けなくて寝坊しちゃいました」
俺は苦し紛れの嘘をつく。
「私も去年の入学式の前の日は緊張しちゃったなー。えへへ」
城廻先輩の笑顔を見ても、俺の心は癒される事は無い。
「ふふふ、でも遅刻はイケないんだからね。話を戻すけど、比企谷君の事故にはヒーローがいるんだー」
「・・・・・」
「なんですか?ヒーローって」
「どこからともなく現れ、事故で怪我を負った比企谷君を救ってみせるとそのまま名を告げる事なく消え去る。ねっ!まさしくヒーローでしょ♪」
「それって、本当の話なんですか?」
「事故を起こした運転手が警察官に話してた内容によると、見た目は変質者みたいな格好で、所々から見える表情は高校生ぐらいの年齢だと判断されるんだって。それでもって、身長は・・・ちょうど黒田君ぐらいだったかなー」
「・・・・・」
「なんで変質者みたいな格好だったんだろう?」
「さあ、なんでだろうね、それにまだあるんだよ。その運転手は剣道の有段者みたいで、そのヒーロー君も剣道の実力が、かなりあったんじゃないかって言ってるのよ」
「剣道ですか?」
「うん、そうだよね。中学3年生の時に剣道の全国大会を優勝した黒田録君」
「えっ、黒田君?」
彼女の言う通り、剣道の有段者になると相手の所作で実力が解ったりする事がある。
ただ、彼女は嘘をついている。
「・・・・・雪ノ下さんは嘘をついてますよね」
「なんのことかな?」
「実は事故現場にいたんです」
「やっぱり」
「でもヒーローとかじゃ無いですよ、ただの野次馬です」
「ふぅーん」
「遠目からですけど運転手を見てたんですが、あの人は剣道なんかやってませんよ」
「ありゃー、バレちゃったかー」
すんなりと嘘を認めた事に驚きを感じる。
「すいません、ヒーローじゃなくて」
「大丈夫だよ、最後に一つ質問していい?」
「どうぞ」
俺が言葉を発した瞬間、彼女の雰囲気が変わった。
「どうして君は、寝坊して遅刻しそうだっていうのに学校とは真逆の事故現場に居たのかな?」
「・・・・・」
俺は雪ノ下陽乃が本当に恐ろしく感じた。
「どうしてかな?」
「・・・・・」
「陽乃さん、そんなに追い詰めたら彼が可哀想だよ。彼にも言えない事情があるんじゃないかな」
「そうですよ、ハルさん!黒田君は別に悪い事をした訳じゃなくて、誉められる事をやったんです!!」
今まで事故関連の話に加わる事が無かった葉山君と少し怒ってる様な感じがする城廻先輩が助けてくれる。
「えー、これから面白くなるところだったのにー」
「もう部活の時間だから、俺は先に失礼するよ」
「そう、付き合ってくれてありがと♪」
えっ、あなたは帰らないんですか?
「あー!今、帰れって思ったでしょ」
「・・・・・思ってないですよ」
一時間前までホワイトだった職場は、真っ黒々のブラックな職場になってしまった。
「すまない黒田。何も注文せずに」
「いや、こちらこそ」
「また来るよ」
「うん、楽しみに待ってるよ」
「黒田君!めぐりと同じのおねがーい」
「あっ、はい」
俺は彼女に言われた紅茶とケーキの用意に取り掛かる。
「*****なんだ」
〈カラン、カラーン〉
葉山君の声が聞こえた気がして振り向いてみると、ドアベルの音だけがその場に響いていた。