「すぅー、はぁー」
大きく深呼吸をして、軽く握った右手をドアの前まで持ってくる。
しばらくその体勢のまま動く事が出来ず、ドアの前まで持ってきていた右手を元々あった位置まで下ろした。
「はあー」
今度は深呼吸では無く、大きな溜め息を吐く。
なぜ、このような事態に陥ってしまっているのかというと、平塚先生の口から奉仕部の名前が出た後、奉仕部の部活内容が説明された。
そして案の定、悩みを解決するために奉仕部に依頼してみてはどうかという話になってしまったのだ。
俺は「一度持ち帰って検討してみます」と、すぐに断ろうとはせずに大人の対応を見せたのだが、「うるさい、来たまえ」と、先生からガキ大将の様な対応をされ、無理矢理引っ張られていく事になった。
しかし、その途中で先生を呼び出す放送があり、先生は職員室へと戻ることに、俺はそのまま逃げてしまおうと考えていたのだが、去り際に先生が「黒田、行かなかったらどうなるか解っているだろうな」と、鬼の形相で右の拳を力強く握り締めていたため、俺は仕方なく奉仕部の部室の前までやって来たのだった。
「すぅー、はぁー」
もう一度、深呼吸をして、軽く握った右手をドアの前に持ってくる。
少しの間を置いて、今度はノックをするために軽く握った右手をドアに打ちつけようとした瞬間、
「そんな所で、何をしているのかしら?」
後から掛けられた声に驚いて、心臓がドキッとはね上がる。
そしてそのまま後を振り向くと、そこには奉仕部の部長"雪ノ下雪乃"さんが立っていた。
「い、いや、これはその」
「あっ、あなたは、C組の黒田君よね」
名前を知ってもらえていたみたいだ。
いや、彼女なら全校生徒の名前ぐらいなら平気で覚えているかもしれない。
「そうだよ。はじめまして、雪ノ下さん」
「ええ、はじめまして。私の事を知っているのね」
ええ、色々知っています。例えば、姉が魔王様だとか・・・。
「君は、有名人だからね」
「そう、あなたの方が有名人だと思うのだけれど・・・。ところで、ここに何の用かしら?」
例の噂の事を知っているようだ。
「えっと、平塚先生の勧めで、奉仕部に相談するように言われて来てみたんだけど・・・・」
「そうだったの、ごめんなさい。文化祭の準備で遅れてしまって、いま来たところなの。すぐにドアを開けるわ」
案外すんなりと受け入れられてしまった。
物語の中の彼女なら、何か嫌みの1つでも言ってくるかもと思い構えていたのだが、肩透かしを食らってしまった気分だ。
〈ガチャ〉
「どうぞ、そこにある椅子を使ってもらってかまわないわ」
「失礼します」
彼女に促され部室の中へと入る。
他の教室と同じ作りなのに見える物1つ1つに目を輝かせてしまう。
ここがあの奉仕部の部室なんだと感動していたのだが、この奉仕部には比企谷君と由比ヶ浜さんが、まだいない事に寂しさも感じてしまう。
「珍しい物は、何も無いと思うのだけれど」
あまりにもキョロキョロしていたので、不審に思われたのかもしれない。
「いやー、ここからの眺めって素晴らしいよねー。お金を取れるよー」
「そう?」
彼女は外を見ながら、首を傾ける。
そのまま二人で椅子に座り、向き合う形になった。
「早速なんだけど、この奉仕部の活動内容は知っているのかしら?」
「うん、平塚先生から聞いているよ」
平塚先生に聞く前から、知っているんだけど。
「そう、なら話が早いわ。依頼内容を聞かせてもらえる?」
「えっと、・・・・・俺の噂って聞いた事あるよね?」
「ええ、あのくだらない噂なら私の耳にも入ってきたわ」
「くだらない噂?という事は、俺のこと信用してもらえてるのかな?」
「昔の事なのだけれど、あの手の噂で私も迷惑を掛けられたの」
「そうだったんだ」
そういえば物語の中でも、その様な事を言っていた描写があったかもしれない。
「それとも、あの噂は本当なのかしら?」
雪ノ下さんの目が鋭さを増した。
「違うから!二股をかけられて捨てられる様な事はあるかもしれないけれど、俺が二股をかけるとか絶対無いから」
「それはそれで、どうかと思うのだけれど」
彼女は、先ほどまでの鋭い目つきから一変して、呆れたような顔になる。
それからは、噂の内容の事やこれからの対策などの事について話し合いを進めていった。
「時間の経過に身を任せる事は駄目なのかしら?結局のところ、それが一番良い解決方法だと思うのだけれど」
「・・・・・」
「何かあるの?」
「城廻先輩が生徒会長選挙に出るかもしれないんだ。だから出来るだけ早く解決したい」
言うか、言わないか迷ったのだが、言う事にした。
「生徒会長選挙。そうね、それなら早く解決するに越した事は無いわね」
彼女はチラリと壁に掛けてある時計に目をやる。
「時間も遅いから、今日はここまでにしましょう。」
「うん、遅くまでごめん」
「いいえ、明日の放課後にまた来てもらえるかしら?少し噂の事を調べてみるわ」
「お願いします。明日の文化祭の準備は何時頃に終わりそう?」
「明日は無いから、すぐに来てもらっても平気よ」
「それじゃあ、帰りのホームルームが終わったらすぐに来るよ」
俺は立ち上がりドアの方へと歩き出す。
一歩ずつドアに近づくにつれ、このまま彼女に頼ってしまっていいのか不安になってくる。
ドアのところまで来ると彼女の方を向く。
「雪ノ下さん」
「どうしたの?」
「えっと、依頼を受けたく無かったら、受けなくても平気だから」
「・・・・・」
「今さらごめん。でも、関係の無い君にこのまま頼ってしまって良いのか解らないんだ」
「何も気にしないで、この依頼は受けるわ。それに・・・」
一瞬の間が流れる。
「私は、あなたに借りがあるから」
「借り?」
最初は何の事を言われているのか解らなかったのだが、彼女との接点を思い出していたら彼女の言っている事の意味が解った。
借りとは、あの事故現場での事を言っているのであろう。
またまた、雪ノ下陽乃の顔を思い浮かべてしまう。
次に彼女と約束を交わす時は、紙に書き記そうと心に誓う。
「借りって何の事だか解らないんだけど、力を貸してくれるならお願いするよ」
彼女がすんなりと部室に入れてくれ、依頼を引き受けてくれた事に納得した。
そんな融通が利かなくて、馬鹿正直な彼女の気持ちを無下にする事が出来ずに俺は依頼をお願いする。
「ええ、任せて」
この決断が守りたい者を傷つけてしまう事になるとも知らずに。