Fate/EXTRA 奉納殿百二十八層   作:ハチミツ

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第一回戦:天魔失墜
03.目覚め


 泥濘の日常は水底へ消えた。

 

 魔術師による私欲の生存競争。

 

 運命の車輪は奈落の底へ転がり落ちる。

 

 ―――最も弱き者よ、ただ推して進め。

 

 その命を無駄にして得た、己の価値さえをも無駄にしない為に。

 

 * * *

 

 ―――有り体に言うならば。

 其処は、ただの牢獄だった。

 

 闇と深い蒼の天幕以外に、見えるものはなにもない。それだけが、()()に与えられた唯一のもので。だが逆に言えば、それ以外のすべてを自分は一度も目にしたことがなかった。

 

 産まれてからずっと、自分はこの檻の中で飼育されてきた。

 一応、理由は知っている。生まれつき体が弱く、その上不治の病に犯されていたからだ。

 

 余人は皆、可哀想だと自分を哀れむ。―――だが、それだけだ。

 余人は皆、自分を悪魔だと弾劾する。―――一体、何を根拠に。

 余人は皆、助けてくれと自分に縋る。―――何も、しなかった癖に。

 

 檻の扉は開いたまま。しかし、外へ出る手段はない。自分を外へ連れ出そうという“誰か”も、自分の周りには存在しない。あるのは食い合うように絡み合う影絵ばかりだ。

 彼らはいつも、壁を隔てた向こう側で互いを貪り合っている。踊る肉影と響く嬌声には、こちらへ見せ付けるような意図さえ介在しているように思えた。

 

 だが所詮、そんなものは檻の外の出来事でしかない。

 何者も干渉しない、時折愚者が覗き込むだけの鳥篭。それこそが、この伽藍の在り方だ。

 

 誰もが皆、自分を哀れなのだと嘲笑う。

 誰もが皆、自分こそが正しいのだと訴える。

 誰もが皆、自分はここにいていいのだと安心する。

 

 だが、そんな都合は知らない。自分は、この闇と深い蒼の天幕以外は何も知らない。

 居るのは愉快な愚者と、哀れな暴徒と、馬鹿な信徒だけだ。―――だから、きっと。

 

 この世界に人間と呼べるモノは、もう、ドコにも―――――

 

 

 

 “―――――?”

 

 

 

 忘れるな。

 牢獄の中で、自分は産まれた。

 

 その意味を―――

 どうか、貴方だけは覚えていて。

 

 * * *

 

 いつも通り、目覚めは唐突に訪れる。

 しかし、今日のそれは普段のものとは明らかに異なっていた。

 

 ……頭痛が、消えている?

 

 うっすらと目を明けて、呆然とそんなことを呟いてみる。なぜかは分からないが、なんだかそれがとても感慨深いことのように思えたからだ。

 

 無言で上体を起こし、周りを見渡す。どうやら自分はベッドに寝かされていたようだ。それに周囲を区切る白いカーテンから推察するに、此処は保健室であるらしい。

 痛まない頭を摩りながら、どうして自分がここにいるのか考える。意識を失う直前に、確か、自分は―――――

 

 ―――――何も、思い出せない。

 

「ようやく起きたか」

 

 不意に、横から声を投げられる。カーテンによって区切られた空間の内側に、いつの間にか一人の少女が当然のように佇んでいた。

 冷たい光を宿した瞳が、まっすぐに俺を見下ろしている。その姿を目にした瞬間に、息が詰まるような、ひどい圧迫感を胸に感じた。

 そうだ――自分は、彼女のことを覚えている。

 従者(サーヴァント)を自称し、暗殺者(アサシン)と名乗った彼女。その和洋折衷の装いと、どこか色味が薄く感じる佇まい。そしてこちらの魂を見据えるような(くろ)い瞳の眼差しは、忘れようと思っても中々忘れられるものではないだろう。

 

「中々起きないし人形みたいに青ざめてたから、死んでるのかと思ったけど。これで少しはマシになったな。でも空っぽな顔は変わってないままか……おまえ、自分の目的とかちゃんと覚えてる? せっかく聖杯戦争の本戦に間に合ったんだ、もう少ししゃっきりしたらどうだ?」

 

 アサシンはベッドの柵に凭れかかると、横目でこちらを見下ろしながら呆れた風に言った。

 

 ……今の台詞は顔を洗って眠気を覚ませ、的な意味なのだろうか。しかしその割には意味が通じない部分があるような気がする。というか単刀直入に言って、聖杯戦争って、なんだ?

 

 素朴な疑問を正直に口にしてみる。すると、アサシンはいやそうに顔を顰めた。

 

「聖杯戦争を知らない……? 記憶(メモリー)の返却に不具合でもあったのか? いや、ムーンセルがそんな不手際を起こすとは思えない……」

 

 軽く握った手を口元に当て、アサシンはひとり思案にふけってしまった。おかげでこちらは疑問が氷解せずに頭の中に残ってしまうものだから、なんだかとてもムズムズしてしまう。なので状況を打開すべく問いを投げようとして、しかしその直前に躓いた。

 彼女の名を、何と呼ぶべきなのだろう。

 彼女は自らをアサシンと名乗った。その意味は即ち暗殺者である。女の子に対する呼び名としては、あまり相応しいものとは言えないだろう。

 自分は少し悩んだ末に、躊躇いがちに口を開いた。

 

 あの、姐さん……?

 

「……わかってる。面倒だけど、説明はちゃんとする。だからその呼び方は二度とするな」

 

 アッハイ。

 

 アサシンの物理的に射貫かれかねない視線に晒され、自分は一も二もなく全力で頷いた。

 それからアサシンは、聖杯戦争の概要を滔々と語った。

 

 聖杯戦争とは、聖杯を巡る闘争全般を指す、ある分野の専門用語なのだという。

 景品として聖杯を競るのであれば、それが例えオークションであろうと聖杯戦争と呼称される。そんな無数にある聖杯戦争の内の一つに、自分は参加することになってしまったらしい。……いや、実際には自ら参加することを選んだ、と言った方が正しいらしいのだが。

 

「ここは地球じゃなくて月――ムーンセル・オートマトンの内部に造られた、霊子虚構世界『SE.RA.PH』だからな。おまえ達魔術師は自分の魂を霊子化することでここに接続(アクセス)してる。もちろん自分の意志でだ。じゃなきゃここには来られない」

 

 なるほど。自分の意志で、か―――まったく心当たりがないのですがそれは。

 

「知らないよ、そんなのはオレの知ったことじゃない。あとでムーンセルにクレームでも入れろ」

「―――残念ですが、当ムーンセルでは一切のクレームを受け付けておりません。全て試練と思って、受け入れ(あきらめ)ると良いでしょう」

 

 言と重なるように、シャッと鋭い音を立ててカーテンが開かれる。

 木造の内装の中、白く統一された医療設備が目を引く。懐古的でありながら清潔感に満ちた空間。それらを認めた瞬間、ツンと刺すような臭いが鼻先を掠めた。

 部屋中から消毒液の匂いが漂っている。

 清潔な空間。その中でも殊更、穢れとは無縁そうな二人の少女がカーテンの向こう側から姿を現した。

 片方の小柄な少女はアルビノ――というのだろうか。彼女の肌と髪は、陶磁器のように白い。彼女が纏う雰囲気は実に空虚で、色彩に乏しいアサシンと近しいものがある。それが自分と同じく修道服に似た朔良園学院の制服を着ているのだから、ほんの一瞬だけ聖女か何かなのだろうかと錯覚してしまった。

 錯覚――ああ、確かに錯覚だろう。なんたって彼女の瞳にある輝きは、アサシンのそれとは違ってあまりにも嗜虐的に過ぎる。

 

 どちらかと言えば、彼女の隣に立つ人物をこそ聖女と呼ぶべきだろう。

 というか……―――あれ? 彼女って割と本当に本物の聖女なのでは?

 

 瞠目し、白い少女の傍らに従者のように佇む女性の姿を、自分は凝視する。

 紫衣と銀の鎧に身を包み、淑やかに体の前で両手を重ね、じっとこちらを見下ろしている立ち姿。歴史に疎い自分でも、流石に彼女のことは分かる。朔良園学院は聖堂教会(ミッション)系の学園だ。聖杯と同様、彼女の伝説とその容貌は、聖人として美化され学業の一端として語られていた。

 

 聖女、ジャンヌ・ダルク。

 救国の英雄でありながら、最期には魔女として火刑に処された女が―――何故かそこに、いた。

 

「彼女はルーラー。此度の聖杯戦争において裁定者の役割を負った、私のサーヴァントです」

 

 混乱が顔に出ていたのか、白い少女が淡々とその存在を語った。

 彼女に曰く――サーヴァントとは、かつて地球上に存在した英雄達、その再現なのだという。その存在はムーンセルが観測してきた史実を元にして『SE.RA.PH』内部に個人の人格として再現し形作られた、一種の使い魔であるとか。

 そして当然、使い魔を操るのは魔術師(ウィザード)の仕事である。

 

「改めまして―――本戦への出場、おめでとうございます。貴方は聖杯戦争に参加するマスターとしてムーンセルから認められ、サーヴァントを与えられました。よって貴方にはこれから聖杯を巡るトーナメント形式の殺し合いに強制参加して頂くこととなっています。私はその監督役であり、貴方方の健康状態を管理する為に用意された上級AI――言峰花蓮(カレン)と申します」

 

 どうぞよろしく。

 丁寧に頭を下げられ、釣られて自分も礼を返す。その様子を、アサシンとルーラーが無言で見守っていた。

 自分達は下げていた頭を上げ、互いに口を噤む。

 決して短くはない沈黙が場を満たした。到底、軽々に口を開く事が許されなそうにない雰囲気の中、不意に自分はぽかんと口を開けてしまう。

 

 ―――――えっ、殺し合い?

 

 その発言、あるいは自分の顔が余程間抜けだったのだろう。言峰はひどく冷めた目で嘲笑し、アサシンは溜息を吐いた。

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