ミセス・ヨーロッパ   作:ふーじん

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ぼちぼち山場を作るスタイル
自分で書いてて好き勝手しすぎだろって思いつつ投降


ヘラの悪意

 

 

 王権エウロペご懐妊。

 その報せが島中に触れ回ってからしばらく、未だエウロペは出産に至らずにいた。

 

「っかしーわねー、そろそろスポーンて産まれてきてもいい頃だと思うんだけど」

「赤子はそんな容易く産まれはしませんよ……。それよりも、安静になさらずよろしいのです? また王が泡を食って説教なさいますよ」

「ずっと寝たきりでいるほうが腐っちゃうわ! それにあたしとゼウスの子よ、動き回る程度でどうにかなるもんですか!」

 

 当初こそ悪阻に苛まれ嘔吐と寝たきりを繰り返していたエウロペだが、一月も経つ頃にはそれにもすっかり慣れて、以前までと変わらぬ調子にまで快復していた。

 とはいえ、胎に子を抱える重い身である。その傍らには常に護衛の兵士が付き従い、身の回りの世話にギュネイが付けられていた。

 

 ギュネイはエウロペとの誼を通じて、今やエウロペの侍従として働くようになっていた。

 経営していた孤児院は王の直属として運営され、ヘスティアの神官としての腕も期待されての大抜擢である。

 

 しかしながら、だ。

 ヘスティアの加護深く、子供たちの指導者として知恵を深くするギュネイでさえも、エウロペに起きている不調を見抜けないでいた。

 

 懐妊が発覚してから数ヶ月。

 本来であればとっくに腹は膨らみ、身体を重くして栄養を摂らねばならぬ頃合いである。

 だがエウロペの腹は子を宿しているとは思えないほどに細いままで、それなのに確かに命は宿っているのだ。

 

 ――まるで母胎の時が止まってしまっているかのよう。

 

 ギュネイは、エウロペの異変に底知れない恐怖を感じながら、せめて心安らかにあれるよう甲斐甲斐しく奉仕していた。

 

「ま、そんなことより今日も出かけるわよ! 一日を太陽を浴びないまま過ごすなんてもったいないものね! それじゃあギュネイ、アステリオス様にはよろしく伝えておいてちょうだい!」

「えっ、あっ、エウロペ様ー!?」

 

 ギュネイが物思いに耽っている隙を突いてエウロペが飛び出した。

 その後を兵士たちがドタドタと追いかけていく。エウロペを連れ戻すのを彼らに期待はできない。

 溜息ひとつ。王にどう言い訳したものかと頭を悩ませていると、ふとヘスティアが物憂げに思い悩んでいるのを感じ取った。

 

(…………)

「ヘスティア様? 一体いかがなされましたか」

(いや、ね……ギュネイくん、ボクはしばらくこっちを見てられないから、くれぐれも彼女のことを頼むよ)

「はぁ……かしこまりました、仰せの通りに」

 

 いつになく真剣味を帯びた様子だった。

 それに不安を覚えるも、神の思惑は諸人には計り知れぬものであると割り切って、神界へ戻っていく神を見送った。

 

 

 

 

「うふ、うふふふふ……あははははははっ!」

 

 遥か天空、神域にて高笑いする女あり。

 黄金の御座、白い腕、牝牛の目と形容される神々の女王、ヘラだ。

 

「あの女……所詮身奇麗なだけの端女が、誰がお前にあの方の子を産ませるものですか……!」

 

 エウロペの身に起こる不調、案の定それはヘラが彼女を呪ったことによるものだった。

 宿る胎児を毒としながら、やがて子のみならずエウロペをも腐らせ死に至らしめる呪い。

 嫉妬に狂うヘラの狂気と憎悪を形にしたような、聞くも悍ましい負の渦。

 

「あの方から神器を三つも賜るなど、人の身には過ぎたるモノ……いっそ罪深くすらある。それを罰することにどうして咎がありましょう……ええ、ええ、せめて痛苦にもがきながら惨めに死ぬことで贖罪と認めましょう。妾は寛大ですからね、冥府の道行きまでは邪魔しませんとも……」

 

 ヘラは陰惨にほくそ笑み、出産の時を今か今かと待ち侘びていた。

 無論、産まれるのはゼウスの血が通った半神ではなく、見るも悍ましい呪毒の塊である。

 股ぐらから産まれようとするそれに身を焼かれ、ヒュドラの毒にも似た痛苦にもがき苦しむ様を想像しては愉悦に浸った。

 

「さて、そろそろ毒が回り始めた頃かしら。どんな顔をして苦しんでいるのか見てやるとしましょうか」

 

 胎児が成長するにつれ毒性を増す呪いは、数ヶ月を経た今こそ真価を発揮する。

 重い腹を抱え毒にのたうつエウロペの姿を一目見ようと、ヘラは下界を覗き込み――

 

 

「――えっ、なんで?」

 

 

 そこには元気に外を走り回るエウロペの姿が!

 毒に侵された様子など微塵も無く、無尽の槍を携えて鹿狩に熱中する元気印がいた。

 

 これにはヘラもびっくり。

 とっくに床に臥せっているべきなのに、まったく翳りも見せず快活な様子のエウロペ。

 心底楽しんでいる彼女の笑顔がヘラの苛立ちを煽る。ヘラは堪らず癇癪を起こした。

 

「なんで、なんでなんでなんでよ!? おかしいわおかしいわおかしいわ……この妾がしくじるなんてあるものですか! 妾は確かにあの小娘を呪ったはず…………まさか!?」

 

 ヘラは再び下界を覗き、エウロペを――その腹を注視する。

 その腹は、初めて悪阻を迎えた頃からなんら変わらず、まるで時が止まったようにぴったりそのままだった。

 否――

 

「母胎の時が止まっている――!? 一体、誰が! このような小細工を……!! さてはヘカテー! そなたの仕業か!!!」

「――如何にも。余の手妻である」

 

 激昂するヘラの叫喚に応えるように、虚空から一柱の女神が現れた。

 死の女神、女魔術師たちの保護者、無敵の女王と呼び慣わされる魔術神。

 およそギリシャで彼女以上に魔術に長ける者はなく、その叡智は全知を司るゼウスに勝るとも劣らず。そのヘカテーの手にかかれば、ひとところの時を止めて変容を阻むなど造作も無い。

 

「いかなる仕儀でこのヘラの邪魔立てをするというか! 事と次第によっては――」

「それは余の言葉でもある、ヘラよ。貴様、一体いかなる仕儀で余の領分を侵したるか」

「何を――」

「女の出産は、余の権能であるぞ」

 

 ヘカテーは夜の如き外套を翻し視線をヘラへやった。

 その眼光にあらゆる魔術を込めるも容易い。神威をも貫く魔術を乗せた視線に射貫かれ、ヘラは思わず身を竦めた。

 

 ここに至ってヘラはヘカテーの言い分を理解する。

 ヘカテーの言った通り、出産を司るは彼女の権能。産まれた後ならまだしも、母胎で揺蕩う頃に手出しするは侵犯と捉えられてもおかしくはない。

 およそ神にあって、互いの領分を侵すことは禁忌の一つでもある。ヘラがそれを知らぬはずもなく、嫉妬に目が曇っていたことを自覚し、自省を深く刻みながら、改めてヘカテーに向き直った。

 

「ええ、ええ……確かに妾の落ち度でしたとも。どうかお許しくださいな。確かに母胎を呪うはあまりに酷、今すぐ手出しはやめましょう」

「分かればよい。貴様が呪いを止めれば、余が貴様を糾弾する謂れも無い」

「ええ、ええ。ですから……母胎を呪うのはやめましょう。もっと単純に、最初からこうしていればよかったのだわ――!!」

「む――?」

 

 ヘラはエウロペを呪う手を止め、代わりに一匹の獣を放った。

 ヘラを象徴する聖獣である牝牛――しかしながら、嫉妬に狂うヘラの鏡写しの如く、幼子を庇う以上に荒々しい、破壊そのものの巨獣を。

 天からクレタ島へ降り立つ魔牛を見送り、ヘラは晴れ晴れとした表情でエウロペを嘲笑った。

 そして同じくヘカテーにも、もはや用は無いだろうと言わんばかりに。

 

「成程……確かに、これならば余が干渉する余地はあるまいな。奴は魔術師でもなくば、余の信奉者でもない。貴様が出産を直接阻む手出しさえしなければ、余は静観するしかなかろうよ」

「理解したのならば疾く妾の前から失せなさい。先までの無礼はそれで見逃してあげましょう」

「是非もなし。しからば余は退散するとしよう」

 

 糾弾の理由を失ったヘカテーがそのまま虚空へ融けていくと、ヘラは鼻を鳴らした。

 そして関心は下界へと移る。放った魔牛がクレタの島を荒らし回り、エウロペを無残に踏み潰す光景を想像して。

 

「ええ、ええ。あのような回りくどい真似をせず、こうしてやればよかったのよ。所詮矮小な虫けら……であれば、虫のように踏み潰されて果てるがお似合いよねぇ……? ふっ、ふふふっ、あは、アッハハハハハハハハ!!!!」

 

 嗤う、哂う、嘲笑う。最も貴き女神が嫉妬に狂って抱腹絶倒する。

 夫を誑かした端女の、それを取り巻く全てが灰燼に帰するを夢見て、感情の昂るままに笑い転げ続けた。

 

 

 

 

「余の想定した通り、あれは強硬手段に出た。やはりあれに自省と自粛を求めるのは酷であったな、姉よ」

「やっぱこうなっちゃったかぁ……まったく愚妹にも参ったもんだね、常々言ってもまるで聞きやしない。ゼウスが知ったらお冠だよ……」

「何度吊るされても懲りぬ女であるな、あれも」

 

 報告するのはヘカテー。それを聞いて苦渋を露わにするのはヘスティア。

 実のところ、ヘカテーに呪いの進行阻止を求めたのはヘスティアであった。

 

 エウロペに自覚は無いが、ヘスティアは彼女に大きな恩義があった。

 それというのも彼女の行動によって愛し子である孤児たちの多くが救われ、その先行きを光に照らされたのだから。

 ヘスティアは誉れ高きオリュンポス十二神である。あらゆる神と栄誉を分かち合い、供物の最も優れたる部分を得る特権を有するが、しかし直接に下界へ手出しできる権能を持ち合わせない。

 そのヘスティアが司る数少ない領分のうち、孤児たちを大々的に助けられたのだ。その恩義に報いねば神の名が廃る。

 

 エウロペがヘラに呪われていると真っ先に察したのは彼女で、その対策のためにヘカテーへ助力を乞うたのも彼女だ。

 ヘカテーは世にも珍しいヘスティアの要請に、快く応えた。とはいえ領分を侵さぬ範疇での協力であり、そうであるがため、今しがたのヘラの暴挙を止める術を持たないが。

 

 当初の予定では、ヘカテーの魔術でヘラの目を誤魔化している間になんとか対処するつもりだった。

 しかし結果はご覧の通りである。事ここに至って対策を見出だせず、ヘスティアは頭を抱えた。

 

「参った困ったどうしよう!? 今からじゃあ英雄を呼び集めるにも時間が無いし……ああもうまさかあの子がそこまで見境なしだとは思わなかった! ヘラもヘラだけどゼウスもなんでちゃんと手綱を握っておかないかなぁ!?」

「焦燥しているな、姉よ。しかしそう危ぶむこともあるまい。余の見立てだが――存外あの小娘は、やりかねんぞ?」

「ど、どういうことだいヘカテーくん!?」

「あれは余程天運に愛されておるようだ。ゼウスの手土産もたまには役に立つらしい」

「ううううう……いざというときはほんとに頼むよぉ! キミに借りを作るのは怖いけどそうも言ってられないし!」

「――まこと甘い御仁よな、姉よ。だからこそ余も損得を越えて協力するのだが」

「エウロペくぅん! なんとか頑張ってくれよエウロペくーん――――!!」

 

 

 

 

 某日未明、クレタ島上空に魔牛顕現す。

 島の如き巨体。嵐の如き嘶き。荒ぶる獰猛は火山の噴火の如く、打ち鳴らす蹄は容易く地震を引き起こした。

 島は俄に混乱に陥り、船を持つ者は少しでも遠く島から離れようと逃れ、残されたのは王とその兵士たち。

 

 そして――

 

「なるほど! 確かに非はあたしにあるわね! だけどね、だからと言ってはいそうですかと泣き寝入りするようなエウロペではなくってよ!!」

 

 ゴルテュンの湖畔、ゼウスとの逢瀬を果たした思い出の地に聳え立つ巨像。

 クレタのどの丘よりも高く、どの湖よりも重く、どの兵士よりも強い青銅の従者は、神の血を滾らせ赤熱している。

 そのタロスの肩に腕組み二の足で立つエウロペは、今まさに破壊を齎さんとする魔牛を仰ぎ見、しかし臆することなく対峙した。

 

 クレタの王権、エウロペ。

 この島が国として成り立つのは彼女あってこそ。であるならば、おめおめと自身が逃げ果せる選択肢など、端から彼女には存在しない!

 

 この動乱の元凶がこの身にあるのなら、それを自ら退治してこそ王道!

 島に住まう人々、すなわち己の子分を守るため。親分として己がやらねば誰がやる!

 そして引き留めながらも最後には自分を信じて命運を託してくれたアステリオス王への恩義に報いるため、エウロペの魂は今まさに熱血していた――!!

 

 

「来なさいヘラ。このあたしが受けて立つわ――!!」

 

 

 後にタロスマキアと称される、エウロペ最大の功績。

 破壊の魔牛と守護の巨像、両者が激突する地上最大級のタイトルマッチ。

 エウロペの足跡に燦然と輝く一大決戦の幕開けであった。

 

 

 

 

 

 




新春クレタスペシャル・タロス「真(チェンジ!!)タロスマキア ~クレタ最後の日~」
ご期待下さい(

ヘカテーがヘスティアの妹って記述はどこにもないけど、ヘスティアはギリシャ神みんなのお姉ちゃんって作者の中で評判だからちかたないね。

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