私――加賀型一番艦正規空母 加賀――には、心の底から嫌ってる人がいる。その感情は、凄まじく苛烈。もはや『憎んでいる』という言葉を使っても問題ない、そう思ってしまうほど。
あぁ、今もまた。胸をガリガリと掻き乱されているかのように、イライラとした気持ちが現れた。ちらりと、視界にあの銀髪が入っただけなのに。私は食堂にご飯を食べに来ただけで、彼女の姿を見つけてしまうだなんて。なんて不運なのだろう。昼食の時間は決まっているので、仕方ないと言えば仕方ないのだけれど。
銀髪の少女――翔鶴型航空母艦一番艦、翔鶴。とても忌々しい、五航戦。最初はただ、私の艤装に宿る加賀の魂……正確に言えば、加賀に乗船し死んでいった史実の乗組員たちの魂が、私の心に少しだけ、五航戦に対しての嫌悪感を植えつけただった。それが、憎しみのような熱く、深く、暗い感情に変わってしまったのはいったいいつのころからだったろうか。もはや、よく覚えていない。妹の瑞鶴の方はそれほどでもないのに、翔鶴のことだけはどうしようもなく不快感を覚えてしまう。気がつけば、私は翔鶴を憎み、視界にいる時は胸が痛くなるのについつい目で追ってしまうほどに彼女を嫌悪していた。
「あの……こ、こんにちわ、加賀さん」
ハッ、と私は顔を上げた。いつのまにか……憎き翔鶴が私の目の前まで来ており、そして……よりもよって私に話しかけている。あぁ、本当にやめて欲しい。貴方の姿を目にしただけで心がザワつくというのに、こんなに近づかれて、まっすぐに顔を見せてくるなんて。冷静でいられる自信が、ない。
「……何かしら」
「いえ、その。ボーっとしていらっしゃったようなので、少し心配に」
「そう。大丈夫よ」
今すぐ貴方が私の目の前から消えてくれれば。そう続けてしまいたい。けれど、流石に他の艦娘がいるこの場所でそんなことを言ってしまうと、私のせいで食堂の雰囲気が最悪になってしまう。それは避けたかった。
「……翔鶴さん。あちらで一緒に昼食をどうだい?」
「え? 響ちゃん……えと、えーっと……」
知らぬ間に、駆逐艦の響が翔鶴の傍に近寄っていて、彼女の袖を引いていた。この鎮守府の古参である彼女は、私が翔鶴を嫌っているのを知っているのだろう。空気を読んで、翔鶴と私を離そうとしてくれているみたい。
だというのに。翔鶴の方は、響の行動に戸惑い、ちらちらと私と響の顔を交互に見てくる……。何なのだろう、あの顔は。『加賀さんも一緒に食べませんか』、とでも言うつもりなのだろうか。本当に、本当に腹が立つ。空気の読めない所も、私の気持ちを知りもしようとしないところも。
「では、私はこれで」
これ以上、私の領域に入ってきて欲しくなかった。私の心を乱して欲しくなかった。だから、私は彼女との会話を無理矢理打ち切り、さっさとその場を離れた。
『GL』
イライラが、止まらない。それどころか、日に日に翔鶴への苛つきが、嫌悪感が、憎しみが増して行っているような気さえしている。
彼女の姿を見るたびに胸が燃え上がり、声を聞くだけで思わず振り返りそうになり、顔はもはやまともに見ることすら困難になっている。……これは、本当に憎しみだろうか。ふと、そんな疑問が浮かんだ。憎しみすら超えて。私は彼女に――
※
「にゃー。にゃー? にゃー!」
鎮守府の裏で、独りでそんなことを呟いている翔鶴を発見してしまった。ついに狂ってしまったのか。……本当にそうなら、ここから追い出す口実にちょうどいいのだけれど。
「にゃにゃーん……にゃぁ! だ、誰かいるんにゃすか?」
どうやら、私の気配に気が付かれてしまったよう。壁に向かって気狂いな台詞を呟いていた彼女は、突然こちらを振り向いた。腐っても空母、艤装をつけている状態であれば感覚は人並み以上ではあるということか。
「……何をしているの?」
「か、加賀さん……! ち、違うんです!」
いったい、何が違うというのか。まぁ、狂った人間は自分を狂ったと思えないと言うし。ひょっとしたら力づくで病院に入れなければいけないかもしれない。
「えっと、その、内緒にしておいてください!」
「ダメよ。ちゃんと報告しないと」
『翔鶴が狂いました』。提督にそう報告するつもりだ。
「そう、ですか。提督、許して下さいますかね……」
「え? ……さぁ、どうかしら。貴方次第だと思うわよ」
……許す? なんだか、微妙に話が噛み合っていない気がする。
「そうですね。頑張ります! この子、とっても可愛いですから」
そういって、翔鶴は何かを持ち上げ、私に向かって見せつけた。真っ白でもさもさの毛、三角の耳、玉のような瞳。これは、まさか。
「……ねこ?」
「え? はい、猫です」
……壁に向かってにゃーにゃー言ってたのは、狂ったわけではなくこういうことだったのか。彼女はずっと、猫に猫語で話しかけていたらしい。翔鶴が壁になって、見えなかった。まてよ。となると私の発言は……。
「ありがとうございます、加賀さん! この子、絶対に飼ってみせます」
やはり、応援の言葉と誤解されてしまったよう。そんなつもりは、まるでなかったのに。
……ぐりゅり、と胸の真ん中あたりが痛み出す。顔が熱くなるのを感じる。あぁ、私は本当にこの子が憎いんだな。彼女がにこり、と私に笑いかけただけなのに――こんなにも心が掻き乱されてしまうだなんて。
『G Love』
憎い。憎い。憎い。翔鶴が憎い。いっそ、彼女のことを考えたくない。なのに、ついつい考えてしまう。彼女の姿を、彼女の声を、……彼女の笑顔を思い出してしまう。寝る前に。お風呂の時に。一人でいる時に。彼女を想ってしまう。そのたびに身体と胸と顔が熱くなる。憎しみ。これは憎しみ。イライラする。胸が痛い。頭も痛い。考えたくない。もう、彼女のことを考えたくない。
消してしまいたいとすら、思う――
※
「加賀さん!」
バン、と大きな音を立てて、翔鶴が私の部屋に押し入ってきた。まさか、襲撃か。出撃直後でよかった。まだ艤装をつけたままだから、たとえ翔鶴がナイフを振りかざして来ても問題なく鏖殺出来る。襲いかかってきた所を背負投げで窓から投げ捨ててもいいかもしれない。この部屋は五階、ほぼ間違いなく死んでくれるはずだ。
「見てください、ほら!」
そう言って、翔鶴は私に、数日前と同じように猫を見せつけて来た。この間と違うのは、猫に首輪とドッグタグのようなモノが付いていること。「タイガー」、と下手な字で書かれているようだ。もしかして、猫の名前? 猫なのにタイガーって……。
「提督が飼うことを許可してくれたんです! 名前は、秘書艦の響ちゃんが付けてくれました!」
「そう」
良かったわね、と続けるのは癪だった。本当に飼うことを許可されるとは……まぁ、あの提督は私達に甘い所が多いから、もしかしたらとは思っていたけれど。
「加賀さんのおかげです! ね、タイガー! ほら、貴方も加賀さんにお礼を言って!」
翔鶴のその言葉に、猫のタイガーとやらは、にゃー、と気の抜けた声を寄越してきた。感謝されている気が全くしない。何かよくわからないけど言われたからとりあえず鳴いておいた、とでもいう感じの鳴き声。空気の読めなさは、飼い主と同じみたいだ。
「あっ、しばらくここにタイガーを置いて行ってもいいですか? 餌とかトイレとかを買いに行きたいので!」
「え……」
「お願いします!」
嫌だ。お断り。他の人に頼んで。そう言いたかった。なのに、声が出ない。彼女は頭を下げている。でも、申し訳無さそうにしているわけじゃない。笑顔だ。彼女は笑顔を私に向けている。ニヤニヤが止められないのだろう。猫を飼えることが嬉しくて。それが、わかってしまう。彼女のことが憎くて、彼女のことばかり考えていたから。
「……今日だけよ」
「あ、ありがとうございます!」
断れなかった。こんなにも憎い彼女の頼みを。……何故? 何故なのだろう? ……そう、そうだ。笑顔。あの笑顔のせい。あの笑顔を見るたびに、私は何も言えなくなる。胸が痛くなる。憎しみが強くなる。イライラする。何故?
……何故、私は彼女の笑顔にイライラするの?
※
そうだ。消してしまえ。彼女は邪魔だ。私の心を負の感情で強く掴んで離さない。頭が彼女のことばかりになってしまっている。なんて、邪魔なんでしょうか。もう、耐えられない。
彼女を忘れてしまいたい。無くしてしまいたい。何も見たくない。聞きたくない。
消そう。彼女という存在を。私を惑わす翔鶴を、殺してしまえ。私。加賀。貴方はもう我慢しなくていい。殺してしまいなさい。翔鶴を――
※
『仲を深めるために、お茶会をしましょう』。私は翔鶴にそう提案した。『ふたりきりで、こっそりと。誰にも言わないようにね』その二言を付け加えて。
彼女のために準備をした。部屋を掃除し、少しだけオシャレな装飾品を置いた。そして、お茶もきちんと用意した。どこかの県の名産だとかいう緑茶と――強烈な毒薬を。足が付かないように、鎮守府の研究所の廃棄予定兵器群からこっそりと盗んできたモノ。まぁ、鎮守府の目の前の海に石と一緒に死体を捨てる予定だから毒薬じゃなくても良かったのだけれど。なるべく危険を犯したくはなかった。死体も、海ではなくどこか適当なところに埋めるべきかもしれない。
私は限界だった。翔鶴を、殺してしまいたい。『狂ってくれたのか』だなんて言ってた私がこんな風に決意してしまうとは、なんという皮肉だろう。
けれどもう止められないし、止めようとも思っていない。今だって、翔鶴の名前を頭のなかで出しただけで胸が痛む。ドキドキと心臓が高鳴っている。狂ってしまいそうなほどに、彼女に憎しみを抱いていた――いえ、とっくに狂っているのだ。これは憎しみではなく、殺意。翔鶴を殺す。殺して永遠に私の目の前から消す。その決意を、私は固めている。
ふと、どうでもいいことを想った。もし、違う場所で、違う時間に、違う世界であの子と会っていたら……私は仲良くすることが出来たのだろうか。……ありえない。首を振って、己の愚かな想像を否定する。だって、具体的になぜ私が彼女を殺したいと思っているのか、理由が思いつかないから。私はいつのまにか彼女を嫌い、気がつけばどんどん彼女への憎しみを強め、たったいま彼女を殺すと決めてしまった。これこそが、俗にいう生理的に嫌い、ということに違いない。
笑う顔。悲しそうな顔。喜ぶ顔。ちょっぴり怒る顔。翔鶴の表情が頭のなかで次々と現れては消えていく。そのたびに、ズキズキと胸が痛み続けている。あぁ。本当に。うんざりする。
ぷるぷる、と頭を振る。今日コトをなし終えれば、もう、こんな風に思考に引っ張られることもなくなるはずだ。気がつけば、そろそろ時間だ――そう思い、二人分のお茶を用意し終えた所でこんこん、とドアが叩かれた。すぐにギィ、と扉が開く。
「こんにちわー……加賀さん、いらっしゃいますか?」
「いるわよ。ここに座って」
静かに扉を開けて、顔をのぞかせた翔鶴を部屋の中へと促す。『こっそりと』、と言っておいたのをきちんと守っているみたい。音を立てずにそろり、と彼女は中へ入ってきた。……なぜか、猫を持って。
「……その猫は?」
「えーっと、その……タイガーが寝てくれなくて……どうせなら、と。あ!」
ぴょん、と猫は翔鶴の腕から飛び出した。そのまま部屋のタンスに飛び乗って、タンスの上のタオルでゆったりとし始めている……いや、もう寝たようだ。
「寝たわね」
「……そうですね。ごめんなさい。お茶会が終わったら、連れて帰ります」
「気にしないで。今日はあまり寒くないから風を入れようと思って、窓を開けてたの。だから動き回らずに寝てくれたのはちょうどいいわ。落ちたら危ないもの」
この鎮守府が個室制で良かった。私と赤城さん、彼女と彼女の妹の瑞鶴は別の部屋。翔鶴を殺し終えたら、こっそりと猫を彼女の部屋に戻そう。途中で起きたりしないといいのだけれど。
「とりあえず、座って」
「はい……」
なんとなく申し訳なさそうな顔で、翔鶴は椅子に座った。その彼女の目の前に、お盆の上に乗せておいたお茶を置いた。もちろん、毒は既に入れてある。
「さ、飲んで」
「はい、ありがとうございます! ……あ、そうだ。お茶菓子を持ってきんです」
いいから早く飲みなさい――そう言いたいのを無理矢理飲み込む。焦る必要はない。いずれ必ず飲むのだから。
「ありがとう。緑茶と合うお菓子だと嬉しいわね」
「はい! その点は保証します! いつもお茶を飲みながら食べてるモノですから」
なるほど。ならば問題はない。頻繁に買っているなら、翔鶴が行方不明になった後に調査が入ったとしても、お茶菓子の存在からこのお茶会が疑われることはないだろう。まぁ、たとえいつかバレたとしても、『必要のない情報だと思ったから言いませんでした』と言い張ればいい。なんだったら、行方不明の調査の担当を私が行ったっていい。
「さ、まずは一杯どうぞ」
「お酒みたいですね……では、頂きます」
そういって、翔鶴は湯のみに手を伸ばした――だが、直前で引っ込めた。……思わず舌打ちしそうになる。出してはならない。怪しまれるわけにはいかないのだから。
「どうしたの?」
「いえ。……感謝がしたくて」
彼女は……まっすぐに、こちらに顔を向けた。目と目が合う。初めて、彼女の目を真正面から見た気がする。美しい。その金色の瞳に、吸い込まれそうだ。胸がドキリと高鳴る。これは、……憎しみ。なの?
「私、今日までずっと加賀さんに嫌われていると思っていました」
「そんなことないわよ」
それに気づいていたのなら何故、何度も何度も私に話しかけてきたの? そう問いただしたかったが、押し黙った。彼女がなんと続けるのか、気になったから。
「えぇ。誤解だったみたいです。二人きりでお茶会をしてくれるんですもんね」
むしろ、彼女が私の嫌悪感にまるで気がついていないから誘いに乗ったと思ったのに。本当に、何を考えているのかわからない。
「……加賀さん。私、この佐世保鎮守府に来て初めて貴方に会った時から。ずっと貴方のことが好きだったんです。だから、こうして誘って頂いて。本当に、本当に嬉しかったです」
「……」
『好き』。『好き』。『好き』。その言葉に、胸の鼓動が更に大きく、速くなっていく。ドクン。ドクン。ドクン。なんて、五月蝿いんだろう。心臓が、やかましい。憎い相手から好きだと言われてしまったから、仕方のないことだ。……仕方ない。仕方ない……わよね?
「あっ! いえ、その、恋愛的な意味じゃないですよ! ゆ、友情的な意味です! その、ステキな人だから仲良くなりたい、とか、そういう意味ですよ!」
「……そう」
……なあんだ。……『なあんだ』? 私、いま、残念だと思っ――そんなわけが、ない。そう、そうだ。憎しみ。憎しみを抱いているんだ私は。残念がるはずがない。
「改めて、ありがとうございます、加賀さん。今こうして一緒にいれて。加賀さんが私のことを嫌ってないことがわかって――本当に、嬉しいです!」
ドックン。ドックン。ドックン。ドックン。彼女の笑顔が、ものすごく眩しい。仄かに赤みがかった彼女の少し恥ずかしそうな笑顔が、とても輝いて見える。なんて可愛く、美しいんだろう。なんて。……いま、なんと思った。憎い。憎い。彼女が憎い。それが私の彼女に対する想いのはず。……本当に?
ことあるたびに、彼女の姿を追ってしまっていた。彼女の声を聞き込んでしまっていた。彼女の顔を思い出してしまっていた。憎いから……違う。彼女のことを考えてしまっていた。彼女のことを思い出してしまっていた。彼女のことを、いつも想ってしまっていた。それは、何故。何故?
彼女を想うたびに顔が赤くなった。胸が痛く――胸が熱くなった。ドキドキと鼓動が速くなった。……あぁ、そうか。私は何度も翔鶴を馬鹿にしていた。でも、違った。馬鹿は私だった。
私は、翔鶴のことが――好きだったんだ。
彼女の姿が、彼女の声が、彼女の性格が、彼女の行動が、私を捉えて離さなかった。好きだったから。なんて、なんて単純な話。馬鹿な私は、それを憎しみだと勘違いしていた。実に、馬鹿で間抜けな話だ。
胸が痛い。顔が熱い。頭の中が彼女のことばかりになる。……不思議だ。これらが好意から来るものだと気がついてしまった瞬間。これらに対して、何の不快感もない。それどころか、なんというか、その……嬉しくて、仕方がない。憎んでいたと思っていた時は、あんなに嫌だったのに――殺そうとすら、思った、のに。
「あ……」
思わず声が出る。そう、そうだ。どこまで馬鹿なんだ、私は。忘れて、忘れていた。私は、馬鹿な私は、翔鶴のお茶に毒を。
翔鶴に目を向ける。翔鶴は既に湯のみを掴んでいた。
止めなければ。立ち上がる。腕を伸ばす。間に合わない。駄目。このままでは。愛する貴方を。殺して。しまう。湯のみが唇に。近づいていく。駄目。お願い。止まって。止めなきゃ。止めて。お願い。殺したく。ない。
「きゃあっ!」
腕が止まる。とすん、という音が部屋に響いた。翔鶴が、飲む直前に湯のみを落としたのだ。そして、その胸には……猫がいた。いつのまにか目を覚ましていたタイガーが、彼女に飛びついたらしい。全く気が付かなかった。さきほどまで寝ていたのに、急に飼い主に甘えたがるなんて。どれだけ気紛れな猫なんだ――あぁ。心の底から、タイガーに感謝しなければ。
「ご、ごめんなさい加賀さん! こら、タイガー!」
ふん、と鼻を鳴らしてタイガーは翔鶴の胸から飛び降りた。そのままてこてこと歩いて、部屋の中をうろつき回っている。本当に気ままだ。
「気にしないで。それより、お茶かからなかった? 熱くない?」
「あ、はい。大丈夫です。でも、床が汚れてしまいました……」
しょぼん、と翔鶴が顔を下に向けた。貴方の責任じゃないのに、本当に良い娘だ。ぽん、と彼女の肩に手を置いて、彼女を励ます言葉を口にする。
「いいの。あとで掃除するから、気にしなくていいわ」
そう言って、私はにこりと彼女に笑いかけた。いろいろな理由を込めて。自分でも分かる。今、自分が満面の笑みを浮かべているのが。彼女にはきっと、その訳がわからないだろう。それでもいい。とにかく私は、今は笑いたくて仕方がなかった。
「ねぇ、翔鶴。さっきの話だけど」
「あ、はい」
「私も、貴方のことが好きよ。だから悲しいわ、誤解されていたなんて」
もちろん、恋愛的な意味でだ。それを言葉にはしない。自覚してすぐに告白をするほど、私は積極的な女じゃない。……恥ずかしいし。
今はこれでいい。このまま、二人で過ごせればそれでいい。殺戮の場となるはずだったお茶会を、彼女とふたりきりの楽しいお茶会にしてしまおう。湯のみを拾って、綺麗に洗って……いえ、念のため違う湯のみにして、新しくお茶を入れて。彼女の持ってきたお茶菓子と、私の買ってきたお茶でこの時間を楽しもう。
「……嬉しいです! そして、ごめんなさい!」
「いいのよ。……お茶を入れ直すわね――」
その瞬間。がふ、という音……いや、声が聞こえた。ゆっくりと、ゆっくりと目を下に向ける。そこにタイガーがいた。湯のみの傍に、タイガーが、いた。苦しそうな声を上げて、バタバタと転げまわっていた。
「タイ、ガー……? 加賀さ、ん……? こ、これ、これは……」
翔鶴が私とタイガーを交互に見た。そして、がたんと立ち上がり、私から後ずさった。
「……あ。いや、……ち、ちが、違う」
「何が、違うんですか……?」
震える手を、翔鶴の方へと伸ばす。けれど、彼女は怯えた目で私の伸ばす手を見つめ、更に後ろへと下がった。
「加賀さんは、私の、私のことを、殺そうと……」
「違う。違うの。ちが、違うの。本当に、もう。違うの」
言葉がうまく出てこない。ついさきほどまで殺そうとしていた、それはたしかだからだ。弁明の言葉を。……何をどう、弁明すればいいの?
「お願い、翔鶴。信じて。違うの」
身体を一歩、翔鶴に近づけた。だが、彼女は。
「ち……近づかないでください!」
彼女は。そう叫んで、勢い良く後ろに下がった。でも、あぁ。彼女の後ろには――大きく開かれた窓が。
「あ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
それは、翔鶴の口から漏れた悲鳴だったのだろうか。それとも、私の口から漏れたモノだったのだろうか。分からない。たしかなのは、一つ。勢いの余りに、怯えと驚きで周りが見えていなかった翔鶴が――窓から落ちたこと。
ぐちゃり、という音が遠くに聞こえた。この部屋は、五階にある。そして、翔鶴は艤装をつけていなかった。艤装のついていない適応者など、……ただの人間でしかない。ただの人間が、五階から落ちて……助かるはずがない。
呆然と、口を開けていた。そろり、そろりと足が勝手に後ろに下がる。こつん、と何かが足にぶつかった。そちらに目を向ける。湯のみ。毒入りの茶が入っていた湯のみだった。拾い上げる。全部は溢れておらず、ほんの少しだけ、中身が残っていた。
私はそれを、一気に飲み干した。
『Genocide Love』