国道沿いを歩くこと一時間、ようやく目印である庚申塔が見えてきて
季節は夏、連なる小高い山々は緑でむせ返るようだ。
「ここからが長いんだよ。やっぱりムカデさんに送ってもらえばよかった」
げんなりと肩を落とす良守。
あたりは見渡す限りの田畑と山。まさに長閑な田舎といった風情。
良守はふたたびため息をつくと、目的地がある遥か山奥に視線を注いだ。
「文句言ってないで、ちゃっちゃと歩く」
「なんでそんなに張り切ってるんだよ」
「はあ? 張り切ってないわよ別に。あんたがだらしないだけでしょ」
良守の少し前を歩く少女が一箇所に結った長い黒髪を揺らして振り返った。
――
二人は延々と続く国道を、途中で山のほうへと折れた。
「それで、《綻び》はどのあたりにあるの?」
「ボロい神社があるんだけど、そのちょっと先。いけばわかる」
「ふうん。ていうかあんた、ひとりで塞げなかったのね」
「ばっ、ちげえよ。人助けのために仕方なく一度戻ったの。本当はあの程度の空間、俺には役不足だから。一瞬だから」
「はいはい、じゃああんたひとりでやりなさいよ。私は見てるから」
「おう。余裕だね。マジで余裕だから」
昼なお薄暗い、木々の茂る山道を二人はずんずん進んでいく。時音はいつもと変わらぬ澄ました表情で、良守はどこか嬉しそうに。
「詳しく聞いてないんだけど、人助けって行方不明者だっけ?」
時音の問いに、後ろを歩く良守がにわかに顔を引き締めて頷く。
「昨日、さっき通った畑でおじさんに道聞いたんだけど、休憩するから一緒にどうだってお茶貰ってさ、その時に――」
その中年男性によると、このあたりでつい最近、少女が行方不明になったということであった。なんでも両親と山菜採りに山へ入って、少女だけが消えてしまったのだという。ずっとそばにいた両親によると、ほんの一瞬目をそらしたその隙に、少女は忽然と姿を消してしまったそうだ。
捜索願が出され山狩りが行われたが、今現在、依然として少女の手がかりは見つかっていない。
「熊が出たとかそういうわけでもなさそうね」
「うん。だからさ、関係してるかもしれないだろ?」
「たしかに、他人事じゃないわね」
「で、これが預かったものだ」
懐に手を入れると、良守は写真と紙人形を取り出した。
「真ん中に立っているのが消えた千夏ちゃんで、両隣がお父さんとお母さん」
「まだ小さいのに……絶対見つけないと」
「ああ。それでこれがまじない班の染木さんに貰った呪具。千夏ちゃんの髪の毛と爪が入ってる」
そう言って良守は紙人形を見せた。
「千夏ちゃんの居場所に導いてくれるらしいんだけど、今のところ反応はないな」
「とすると、この辺りにはいないってことかしら」
「かもな」
「急いだほうがいいわね」
二人は最悪の可能性を頭に思い描き、自然と小走りになる。
ゆるやかな上り坂を急いで進む。群生するノウゼンカズラを通り過ぎると、大木の影から忽然と古ぼけた木の鳥居が姿を現した。
「この先だ」
鳥居の向こうには今にも瓦解しそうな茅葺の本殿が佇んでいる。参拝する人間が絶えて久しいのだろう。境内は繁茂する緑に飲み込まれようとしていた。
二人は無言で境内を通り過ぎ、その先の目的地へと急ぐ。
「着いた。ここが空間の綻びだ」
二人の前にはそこだけ不自然に何もない空き地が広がっていた。否、何もないわけではない。木々や草花はなかったが、空き地の真ん中には、大きな穴が穿たれていた。
その大きな穴が異様だった。
穴の中は、まるで真水に薄い墨汁を垂らしたかのような色合いの靄がぼんやり広がっていて、底知れぬ不気味さを湛えている。覗き込めば、そのまま吸い込まれてしまいそうな危うさが芬々と漂っていた。
これが空間の綻び、異界へと続く《神佑地狩り》の残骸である。
その力を狙ったのが神佑地狩りである。これは神佑地の主である神を強引に引きずり出して、代わりの主に力を注ぎ込ませることで、神佑地を奪いとることを意味する。
この空間の綻びは、そんな神佑地狩りによって破壊された異界が露出した部分であった。綻びが広がれば外部にどんな影響を及ぼすかわからない。早々に処置が必要なのである。
そしてその処置――つまり、異界に続く空間を閉じるためにここを訪れたのが、結界師である墨村良守と雪村時音であった。
「結構、大きいわね」
「時音、念糸出してくれ」
「え? どうして?」
「中見てくる」
そう言うと、良守の身体の周りを黒い球が囲んだ。領域内のすべてのものを消し去る結界術、
良守の言わんとする意味を察したのか、時音は手のひらから糸状の結界である念糸を出した。
「何かあったらすぐに戻ってくること。気をつけてね」
「おう!」
威勢よく返事をすると、時音から伸びる念糸を掴んで、良守は異界へと飛び込んだ。
○
「だめだ、いなかった。異界に落ちたんじゃないかもしれない」
絶界を解くと、良守は首を振ってそう言った。
ゆるやかな崩壊を迎えようとしていた異界の内部で、良守は失踪した少女、千夏ちゃんの行方を追っていたのだが、結局見つけることはできなかった。ただ、内部で紙人形が反応しなかったことから、おそらく異界にはいないと考えて問題はないだろう。
「じゃあ一体どこに? この山にいるんだったら紙人形が千夏ちゃんの居場所まで導いてくれるんでしょ?」
「染木さんはそう言ってたけど……」
「ともかく、中にいないとわかったんだからこの空間を閉じるわよ。急がないと、どんどん外に影響が出ちゃうから」
結界師の能力によって、空間の綻びが閉じられていく。
十五分もしないうちに空間のほとんどが閉じ、残ったわずかな隙間も新たな結界を付け足すことによって、完全に閉じられた。
ちなみにこのような空間の綻び、すなわち神佑地狩りの残骸は日本各地に点在しており、今はその対処が全力で進められている最中である。
「よし、これでもう大丈夫」
「すげえな時音。俺、ばばあと一緒にやったことあるけど、全然上手くできなかった」
「あら、余裕とか言ってなかったっけ? まだまだ修行が足りないわね。あと、うちのおばあちゃんのことばばあって言わないで。何度言ったらわかるの」
式神を飛ばして目的のひとつを完遂したと報告すると、二人は薄気味悪い靄の消えた穴を後にした。
「山にもいないとなると、町にいるかも?」
「どうかしらね。町にいるならとっくに見つかってると思うけど」
「だよなあ」
少女の神隠しのような失踪は、異界に落ちたことが真相ではないかと考えていたのだが、二人の推測は幸か不幸か外れたようであった。
では少女はどこへ消えたのか?
二人は頭を捻るが、答えは一向に出なかった。
そのうちに二人は行きがけに通りかかった神社まで戻ってきていた。
ふと時音が足を止めた。境内の中央辺りである。
「なんかここ、感じない?」
「え? なにが?」
「うーん、ちょっと待って」
そう言うと時音は、苔むした石畳を鳥居の前まで歩いていく。
鳥居をじっと凝視すると、時音は意識を集中させた。
「なにしてんだ?」
「ここ、結界があるの。鳥居のところ」
「結界?」
「そう。さっき通らなかったし、急いでたからわからなかったけど、これ結界よ」
「なんでそんなところにあるんだ」
「知らないわよ。ただ、この結界、とても複雑に出来てるわ」
「ふぅん、あっそう。異界にでも繋がってるんじゃねえの」
興味なさそうに時音の後姿を眺めていた良守だったが、次の瞬間、はっとしたように目を見開いた。時音も弾かれたように振り向いて、二人は同時に声をあげた。
「まさかそこに」
「この中にいるのかも」
良守は大きく頷くと、鳥居まで駆けていく。
「千夏ちゃんは何かの拍子でこの結界の向こうに行ってしまったのかもしれないわね」
「それだ! 紙人形が反応しなかったのもそれなら納得がいく」
「私、ちょっと中見てくる」
「切界するのか?」
時音は首を振って否定する。
「中の様子がわからないから、壊して下手に刺激しないほうがいいわ。それにこの結界、そう簡単に壊せると思えない」
「じゃあどうやって……あっ」
「ふふっ、私を誰だと思ってるの? 当代随一の抜け師よ。抜けるだけならこれくらいの結界、余裕よ余裕」
「そうかよ。けっ、俺はひとりで綻びも閉じられないへっぽこ結界師ですよ、悪かったな」
「そう思うなら修行しなさい」
そう言うが早いか、時音は鳥居をくぐろうと足を踏み出した。
「じゃ、行ってくるわ。と、その前に紙人形貸して。反応を見てくる」
「ほらよ。気をつけてな」
良守の言葉を背中で受け止めて、時音は結界の向こう側へと姿を消した。
「頼むぞ、時音」
○
「警察も行き詰っているらしく、あと数日で大掛かりな捜索は終わるんです。そうなったら絶望的で……もう、私たちはどうしたらいいか……あの時目を離さなければ千夏は……全部私たちのせいです……神様がいるならどうか……」
少女の両親は大粒の涙をこぼしながらそう語った。
この春小学校にあがったという少女は、夏休みの今、友人や両親とのたくさんの予定に胸を弾ませていたそうだ。
髪の毛と爪が欲しいと訪ねた良守は、そのオカルト地味た要求にも手放しで応える両親から、娘のためなら藁にも縋る凄絶な思いを感じ取った。かけがえのない大切な存在。少女は二人のすべてなのだろう。
必死に堪えようとする合間から流れる涙を見て、良守はなんとか少女を見つけ出し、この両親のもとへ送り届けたいと強く思った。
「千夏ちゃん、お父さんとお母さんが待ってる。生きていてくれよ……」
写真を見つめながら良守は呟いた。
土を踏む足音が良守を物思いから引き戻す。顔を上げると、鳥居の前に時音が立っていた。
「どうだった!?」
勢い込んで良守が尋ねる。
「異界とはちょっと違うんだけど、まあ似たような場所ね。隠れ里って言ったほうが近いかも。それで千夏ちゃんのことだけど、これ見て」
「ん?」
時音は持っていた紙人形を掲げた。
紙人形の胸のあたりには黒い丸が模様として表れていた。対象者の生存が確認された際に浮き出る印である。
「よっしゃあ! てことは千夏ちゃんは異界のどこかにいるんだな!」
「ええ。でも、かなりの広いのよ。ちゃんと準備してからじゃないと――」
「そんなこと言ってる場合かよ! 早くしないと何が起こるかわからねえ。俺は行くぞ」
「そう言うと思った」
時音は額に手を当てて大きくため息をついた。
「わかってるわよ。ただ、あんたの覚悟を見きわめただけ。でも――」
その必要はなかったわね、と時音は笑った。
良守もつられるようにして不敵に笑う。
「で、あんたはどうやって結界を抜けるつもり?」
「壊しちゃだめか?」
「はあ、ったく馬鹿だねあんたは。だめに決まってるでしょ。それだと、結界を張った者に気づかれちゃうじゃない。ホント馬鹿」
「ば、馬鹿って二回も言うなっ」
「しょうがないわね、ちょっと手を貸しなさい」
良守が差し出した手を握りしめると、時音は呼吸を整えて体の力を抜いた。
「
「あれだろ、なんかスカスカ通り抜けちゃう地味なやつ」
「ぶっ飛ばすわよ」
「ご、ごめん」
「
「なるほど」
「なるほどって、あんたわかってんの?」
「今からその結界を通り抜けるってことだろ」
「……もういいわ。とりあえず、そういうことにしておく。じゃあ、手をつないだ意味もわかるでしょ」
「……時音の力の流れを意識する、か?」
「正解。こういうの得意じゃないのは知ってるけど、あんたも結界師なんだから私と一緒なら抜けられるはずよ」
「お、おう。わかった」
「それじゃあ集中して」
良守は自身の力を極力抑え込んで、時音から流れてくる力に意識を集中する。拒絶せず、かといってすべて受け入れるわけでもない。混ぜ合わせるような感覚で、力と力をつないでいく。
このような微妙な力の操作をひどく苦手としていた良守であったが、今回は、多くの艱難辛苦とそれに打ち克とうと積んだたゆまぬ修行の成果がはっきりと出たようだ。時音のサポートも奏功して、二人は一時的な『波同』を共有した状態となった。
「よし! そのままの状態で行くわよ」
「おう!」
二人は手をつないだまま鳥居をくぐりぬける。
世界を分かつ結界を通り過ぎる際、ぬるま湯に浸かったような感覚に襲われたが、それも一瞬だった。
鳥居を抜けた良守と時音の前には、神社の境内が広がっていた。
辺りに視線を移すと、濃い緑をいっぱいにつけた桜の木が多く立っている。石畳の参道があり、拝殿と本殿、手水舎、高床式の倉庫らしきものもあるようだ。
「さっきの神社とは全然違う」
「伽藍は同じよ。さっきのはここが荒れ果てた姿だと思う」
「へえ……
良守は以前訪れた淡幽という鶴の
「そういやここ異界だよな? 身体に結界張ってねえけど、なんともないぞ」
「だから異界とはちょっと違うって言ったじゃない。この世界の理がどうなっているかはわからないけど、とりあえず人が普通に活動できるみたいね」
先ほど大穴に絶界をまとって飛び込んだように、異界は一般人が安易に入り込めるような場所ではない。異界と自身を分ける空間支配能力がなければ、命の危険があるのだ。その点、この場所は防衛手段が要らないようである。それはつまり、ここが普通の異界とは別物であることを示唆していた。
「人なんかいるのかここに? いるのは妖とか土地神くらいだろ。だから早く千夏ちゃんを見つけないと」
「そうね。紙人形は――」
紙人形を取り出すと、二人で覗き込む。
胸の印は黒丸のままで、右腕の部分が折れ曲がっていた。
「これは?」
「右腕の示した方向に千夏ちゃんがいるらしい。左腕は色がかわる。それで距離を表しているそうだ。青が遠くて、橙が付近。赤はメッチャ近い」
そう言うと、良守は石畳を歩いていく。見晴らしのいい石段の上までやってくると、紙人形を検めた。
紙人形の右腕は遥か先に見える一際高い山の方角を指していた。左腕は真っ青に染まっている。
「たしかに広いなここ……くそっ、一刻を争うってのに」
「ねえ、良守。焦る必要はないと思う」
隣に立った時音が、良守を落ち着かせるように言う。
「どういうことだ?」
「だって考えてもみなさい。千夏ちゃんが消えてからどれくらい経ったのよ。もう一週間以上でしょ。かりに妖やら神やらがいたとして、一般人の少女を放っておくと思う? それに食料だってどうするのよ? 寝床は? 生きているってことは一応安全な環境にいるってことだと私は思うな」
「言われてみれば……」
「でしょう? だから焦らずに、けれどなるべく迅速に行動する。それが一番の近道。余計な焦りは視野を狭めるだけよ」
「……うん、わかった」
良守がしぶしぶといった具合に頷くと、時音は満足そうに笑った。
二人はもう一度、神社からこの世界を展望する。そうして、地形の把握に努めていると、ふいに背後から鋭い声が飛んできた。
「あんたたち、そこで何やってるの? 何者?」
弾かれたように振り返ると、二人は即座に構えた。人差し指と中指を立てた印を結び、いつでも結界を張れるような状態である。
「なによ、やる気?」
二人のやや前方には、参道の上に巫女服をまとった少女が立っていた。顔をしかめてこちらも臨戦態勢といった風情である。
良守はやや後悔していた。ここに来た時点で周辺探査用の結界をめぐらせるべきだった。人型の妖は強力であるというのが定説だ。戦闘になるかもしれない。
「黙ってないで、何か言ったらどうなの」
紅白の特徴的な巫女服を翻して、痺れを切らした少女が詰問する。
「おまえこそ何者だよ」
「コラっ、もっと丁寧に尋ねなさいよ!」
何者かわからぬ相手を刺激しないようにと、小声で時音が注意する。良守はそれを意に介さず、再び声をあげた。
「変な格好してるけど、妖か?」
「巫女よ! 見てわかるでしょ! この神社の巫女! 何よあやかしって。ふざけてんのあんた」
「巫女だってさ、どう思う?」
「怪しいけど、巫女なんじゃない、色的に」
「まあいいや。とりあえず結界張っとく」
そう言うと、良守は、「
すると、二人を囲むように直方体の結界が形成された。これで、ある程度の攻撃は結界が防いでくれる。
「私たちは結界師です。人間の女の子を捜しにここへやって来ました。あなたが何者かはわかりませんが、意思の疎通が出来るとお見受けしまして、まず私たちに敵意がないことを言明しておきます」
「い、いきなり丁寧ね」
時音の滔々とした礼節を重んじる口ぶりに、巫女服の少女はわずかにたじろいだ。
場を支配していた警戒感が急激に緩んだのを三者は同時に感じる。
少女は
「あんたたちは人間でいいのね? それで、結界師ってのはなに?」
「私たちは人間です。結界師というのは結界を張って妖を退治する術者のことです」
時音が模範的に返事を投げた。
少女はふむと頷いて口を開く。
「あやかしってのは妖怪のことよね。ふぅん、まあいいわ。私は
「そうですか。私は雪村時音といいます。で、この隣にいるのが――」
「墨村良守」
自己紹介を済ませた頃には、完全に警戒が解けていた。お互いに危険がないと判断したようだ。すでに良守は結界を解いている。
「それでお聞きしたいのですが――」
「あー、ちょっと待って。女の子がどうとか言ってたわよね。話が長くなりそうだから、ここじゃなんだし、うちに入りなさい。お茶くらい出すわよ」
霊夢と名乗った少女の提案に、二人は顔を見合わせる。
大丈夫かしら、と耳打ちする時音に対して良守は鼻で笑う。
「なんかしてくるようだったら、戦えばいいだろ」
「あんたはすぐそうやって――」
「聞こえてるわよ」
すでに背を向けて歩き出している霊夢の呆れ声が飛んでくる。
二人はもう一度顔を見合わせた。
「それじゃあお邪魔します」
時音は軽く頭を下げてそう返すと、先に歩き出していた良守の後を追った。
かくして結界師と幻想郷の巫女の縁が結ばれた。
物語は加速する。
二話以降は、もう少し文量を減らすつもりです。