いくつもの路地をくぐったり横切ったりして進む最中、私はイェッケルン中尉と話し、彼女が反体制派の同志となった経緯を聞いた。
「武装警察軍に追われている時に彼らに救われた。どうやら同志大尉が手を回してくれたらしい。そしてそのまま仲間になったのだ。
理由は、このままでは国家保安省に東ドイツを支配されてしまうこともあるが、私自身の考えが変わったことも大きい。
『海王星作戦』で西側の戦力を見た時から考えていたが、これからの東ドイツは社会主義の理念に拘るより、西側諸国と手を組まねばダメだろう。故に、東ドイツの状況をを変えるために彼らと行動を共にすることに決めたのだ」
なんとアイリスディーナはすでにイェッケルン中尉の思想を変えることに成功していた!
『海王星作戦』のとき、彼女に『党の理念に拘るより、自分の頭で考えて判断しろ!』などと言って上層部の意向に叛かせて光線級吶喊に付き合わせていたが、あの時から考えが私たちと同じになっていたのだろう。つまり、
『思考せよ、思考せよ。己が生き残り、部隊が生き残り、国が生き残る最善を絞り出せ。
思考の果てに最善を産み落としたならば、リスクを顧みず突き進め!』
と、考えた末の結論ということか。。まぁ社会主義理念など、少し考えれば『地獄へ真っ逆さまの未来しかない』と分かるしな。故に思想統制などをするのだ。
そうして私たちはある廃屋へと案内された。多分ここは反体制派のアジトではなく、外の人間との交渉用のセーフハウスなのだろう。
「ようこそ、ターニャ・デグチャレチャフ上級兵曹。私はここの代表のズーズィ・ツァプ」
そう言って私達を迎えたのは顔の半分をを髪で隠した一人の女。隠している部分には古傷があるようだ。反体制派リーダーにしてはやけに若いが、ダミーなのかもしれない。彼女に危険を集中させ、本物は裏でしっかり采配を取るとか。まぁ私には関係ないな。
彼女は交渉用の机を挟んで座っており、私たちにも対面に座るよう促した。
イェッケルン中尉は『私はいい』と、椅子に座ることを拒否して立ったままだが、私は座らせてもらった。中尉を蔑ろにしているようで恐縮だが、この子供用座席椅子(何故こんなものが有るのだ?)に座らなければ、相手の顔を見て話せないのだ。
「ご丁寧にありがとう、ツァプ女史。しかしよくあなた方が、政治将校である同志中尉を助けたり仲間にしたりしましたね」
イェッケルン中尉はこの国の中枢の一つ、政治総本部に所属する政治将校。反体制派が招き入れていい人物ではないと思うが。
「ズーズィで結構よ。ええ、確かに私たちも最初は難色を示したけど、同志大尉に強く頼まれてね。それに話してみると、この国を変えることにも積極的なようだし。現在、武装警察軍のヴェアヴォロフ大隊と戦っているハイム少将とも、同志大尉に代わって話したようだしね」
ズーズィ女史の言葉にイェッケルン中尉は答えた。
「ああ、私はもう党の理念に拘るつもりはない。BETA襲撃の最中にクーデターを起こし、国家を私物化せんとする国家保安省は我が国の病巣。奴らを倒さん限り我が国に未来はない!」
おお、政治総本部に詳しい彼女が同志になってくれた! これは心強い!
「だが、貴様たちが我が国の社会主義体制までも潰すつもりならば、容赦はしない。私の攻撃目標は、あくまでこの国の恐怖政治と監視システム。それを握る国家保安省だ!」
いや、それは一番に潰さなければダメでしょう。私の攻撃目標こそ、この国の社会主義体制そのもの。故に最終的には政治将校であるイェッケルン中尉とは敵同士になるかもしれんな。
「結構よ。では、イェッケルン中尉の意志も確認できたことだし、あなたと本題に入りましょうか、ターニャ・デグレチャフ上級兵曹。あなたが私達に会う目的は?」
「ええ、ファム中尉から預かっている手紙があります。まずはそれを読んで………」
そう言いかけて、私はピタッと手紙を出す手を止めた。
『交渉において、相手に差し出さねばならないものでも、只で差し出すのは愚か者』か……。
こちらは只でさえ交渉材料が少ない。相手もアイリスディーナを救出する目的が同じとはいえ、只で見取り図をくれるとは限らない。少し出し惜しんでみるか。
「ズーズィ女史、その前に確認させていただきたい。そちらでは、第666戦術機中隊の現状をどこまで把握していますか?」
「あなた達は前日、国家保安省モスクワ派の襲撃を受けた。襲撃は撃退したものの、部隊員は多大なダメージを受け、戦力は半減。しかも我らの同志であるアイリスディーナ・ベルンハルト大尉もさらわれた。
カウルスドルフ収容所は私達の同志も多数収容されていて、常に監視は怠ってないのだけれど、前日の襲撃直後と思われる時間に、厳重な警備のついた護送車が重要人物らしき者を収監しに来た。 これでいい?」
ほう、中々の情報力だ。思うにこれは整備班あたりに監視員がいるな。
アイリスディーナがカウルスドルフ収容所に捕まっているという、裏を取っていることまで教えてくれるなど、中々いい幸先だ。
「結構。では、こちらの目的もおわかりですね。我らの旗頭、ベルンハルト大尉を一刻も早く救い出さねば、この国の変革は大きく遅れることとなります。そちらには、ベルンハルト大尉の収監されているカウルスドルフ収容所の、詳細な見取り図があると聞いています。どうかそれの写しをお譲りいただきたい。
ここに第666戦術機中隊次席指揮官ファム・ティ・ラン中尉の信任の手紙もあります。どうぞ我が国の未来のためによしなに」
ここではじめてファム中尉の手紙を差し出した。さて、現状この手紙でやれることはやった。ズーズィ女史はどう反応する?
ズーズィ女史は手紙をじっくり確認するよう、読んでいった。やがて読み終わると、手紙を脇に置き、再び私と話しはじめた。
「話はわかったわ。ファム・ティ・ラン中尉の意志も確認した。
でもベルンハルト大尉を救出すると言ってもどうするつもり? カウルスドルフ収容所は重要な政治犯を集めて収監しているだけあって、恐ろしく堅固。捕まっている同志たちを救い出そうと、長年狙っている私達にもどうにも出来ないシロモノよ」
夜にまぎれて空中から中心部に侵入。そこで解錠の方法を入手したら、光学迷彩で姿を消してアイリスディーナのいる場所まで行く。対航空魔導師防衛のほどこされていない場所の潜入など、私にとっては『歯ごたえ熱したチーズ』だ。
しかし味方といえど、用心のために私の魔術能力を言うわけにはいかない。こんな他人の志や思想が違うだけで、簡単に粛清など起こる国ではなおさらだ。
そこで私はテオドール少尉の使った交渉テクニックを使わせていただくことにした。
いや~~あれは実に見事だった! 私も倣わねばなるまい。
「そこは我が第666戦術機中隊の武勇を信頼し、任せていただきたい。幾多のBETAの海を渡り、数々の光線級吶喊を成功させてきた我ら。『カウルスドルフ収容所の壁がいかに高く、警備が厳重であろうとも、必ずや我らが中隊長を救い出す!』 その信念を信頼していただきたい」
「手紙には、あなた以外の部隊員はハイム少将と合流するとあるけれど?」
―――――――あぽーん………
何と言うことだ! 東ドイツ最強第666戦術機中隊の武名で押し切ろうと思っていたのに、水の泡となってしまった!
ファム中尉!!! あなたは良き上官ですが、今ばかりはお恨み申し上げますぞ!
仕方ないので状況を整理してみよう。
交渉事において、相手を見極めねばならない要素は二つ。すなわち、
1.相手は嘘を言っていないか。
2.相手に事を為す能力が有るか否か。
世の中には信じられないアンポンタンがいて、出来もしないことを出来ると信じていたり、払えもしない金額を払えると思っている輩がいるのだ。
前世、大戦末期の帝国最高統帥会議はそんな人間の集まりになってしまって、死ぬほど絶望したのは懐かしい思い出だ。
さて、これを今の私にあてはめてみよう。1は、まぁいい。私も一応第666戦術機中隊。他の部隊員もいるよう思考誘導しようとしたのは事実だが、そう断定した訳ではないので嘘は言っていない。
では2は? ズーズィ女史になったつもりで考えてみよう。
『あら、天使みたいなお嬢ちゃん。翼の生えた本当の天使にでもなって、ベルンハルト大尉の元まで飛んでいくつもりかしら?』
くっ! 幼女天使と化した今の格好が憎い!
いや本当に飛んでいくつもりだが、実際『私一人でカウルスドルフ収容所を破れる』と信じる者など、それこそ信用できない者だろう。(正気を)
「どうしたの? ターニャ・デグレチャフ上級兵曹」
おっと、だいぶ長い間考えて、いや苦悩していたようだ。仕方ない、これ以上は時間の無駄だ。夜の潜入に備えて準備でもしよう。
「いや、確かにお互い初対面で要求など、不躾でしたな。ともかくファム中尉の手紙は確かに渡しました。私はこれからベルンハルト大尉を助けるべく、独自に動きます。では、お互い国のために微力を尽くしましょう」
そう言い残して私は去ろうと立ち上がりかけた。すると、
「待ちなさい。はい、これ」
ズーズィ女史は私を呼び止め、机にとある絵図面を広げた。それは、まさか………?