俺の涼風 ぼくと涼風   作:おかぴ1129

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7. 二人で一人(2)

 主機を装備した私の足が海面に立つ。手には久々に持つ小さな主砲。背中には、あの日におんぶしたゆきおよりもずっしりと重く、そして冷たい魚雷発射管が背負われている。

 

『涼風、久しぶりの実戦だ。絶対に無理はするな』

「……わかってる」

 

 不安で一杯の私の耳に、提督からの通信が入った。

 

「いいか。ヤバくなったらすぐに撤退すっからな」

「うん」

 

 先に水面に降り、出撃口近くで私を待っていた摩耶姉ちゃんも私に声をかけた。久々に見る、摩耶姉ちゃんの主砲とハリネズミのような対空砲は、私の記憶の中のものより、さらに大きく、禍々しい物に見えた。

 

「……轟沈だけはしないで下さい。目の前でやられたら気分悪いですから」

「……」

 

 摩耶姉ちゃんよりも私に近いところで私を待ってる榛名姉ちゃんは、いつもと変わらない辛辣な言葉を投げかけた。腕を組み、私に冷ややかな眼差しを向けている榛名姉ちゃんの艤装は、私のものよりもはるかに大きく、そして雄々しい。

 

「……提督」

『ん?』

「ゆきおは?」

『昼飯を食ったら自分の部屋に帰ったな。でもお前の出撃は気にしてたぞ』

「そっか」

『心配するな。敵は近海の偵察部隊だ。お前たちなら、3人でも問題なく殲滅できる』

 

 提督の激励を、摩耶姉ちゃんは鼻で笑っていた。私だけでなく、摩耶姉ちゃんも榛名姉ちゃんも、この鎮守府では練度が高い。それなのに、まるで初出撃のような激励をされることに、違和感を覚えたようだった。

 

「はんッ。言ってくれるぜ。あたしらはブランクがあるとはいえなぁ」

 

 もちろん提督の言葉は、久々の出撃となる私への激励なわけだが。

 

『渡した発信機はつけてるな?』

 

 私の服の裾にとりつけられた、飾り玉に触れた。一見、緑色の水晶のようにも見えるそれには、先ほど提督から渡された発信機が仕込まれている。私の服につけても違和感がないようにと配慮されたものだ。

 

 これはつい最近に実戦配備されたものだ。発信機から得た情報は、執務室のモニターで映像処理された状態で見ることができる。現在位置や戦況、発信機を持つ艦娘の状態までモニターできるスグレモノだと聞いた。

 

『それを使って、お前たちの行動はこっちでずっとモニターしてる。こちらでも異変を感じたら、すぐにフォローを入れる』

「……そんな恥ずかしいことにはならないようにしてください涼風さん」

「うん……」

「いざって時は榛名姉ちゃんが守ってくれるってよ」

「麻耶さん。世迷言を言わないで下さい」

 

 摩耶姉ちゃんが榛名姉ちゃんをからかい、榛名姉ちゃんをそれを涼しい顔で聞き流す。その様子が、なんだか昔の私たちの関係性を少しだけ思い出させた。あの時と違うのは、榛名姉ちゃんの言葉に辛辣さがこもっていることだが……。

 

「よし、いこうぜ涼風」

「うん」

 

 摩耶姉ちゃんの主機が、低い音を上げて回転を始めた。続けて榛名姉ちゃんの主機の音も響き、二人の身体が全身を始める。私も主機の回転数を上げ、発進に備えた。

 

「……第一艦隊、出撃します」

 

 旗艦の榛名姉ちゃんが、静かに、出撃の指示を出した。

 

「「了解」」

 

 榛名姉ちゃんの静かな……とても静かな出撃命令を受け、私は前進を開始した。敵との戦闘を目的とした出撃は、あの日以来はじめてのことだ。

 

「……」

 

 パニックに陥ること無く、私は任務を全う出来るだろうか。不安が私の胸一杯に広がる。ここまでは大丈夫。問題ない。でも、実際の戦場は違う。そんなところでもし、またパニックに陥ってしまったら……

 

―― そんな涼風がさ。出来ないわけないよ。僕は、そう思ってる

 

 ゆきおの声を必死に思い出し、私は自分の心を沈めることに努めた。ゆきおは私を信じてくれた。私ならきっと出来ると、私の背中を信じてポンと押してくれた。

 

 なら、私は出来るはずだ。大好きなゆきおが、そう言ってくれるのなら。

 

 私は主機の回転数を上げた。自身のスピードを上げ、先行していた摩耶姉ちゃんと榛名姉ちゃんに追いつくべく、まっすぐに前を向き、二人の背中を追い駆けた。

 

「おっ。涼風、ふっきったか?」

「まだわかんない。でも、出来ることを精一杯やろうと思う」

「……よし」

 

 二人に追いついた私に対し、摩耶姉ちゃんが笑みを向けてくれた。その微笑みは、いつもの摩耶姉ちゃんの笑顔と比べて、ほんの少し、嬉しそうに見えた。

 

「おい榛名! スピード上げっぞ!!」

「旗艦は榛名です。命令しないで下さい」

「いいから!」

「……船速を上げます」

 

 榛名姉ちゃんの背中のスピードが上がる。私も主機の回転数を更に上げ、二人のスピードに必死に食らいついていった。

 

 

 

 作戦海域は、鎮守府からはそう離れてなかった。とはいえ、以前にゆきおを連れて行った海域に比べて、距離はその何倍も離れている。領海ギリギリのところで私たちは一度船速を下げた。

 

 榛名姉ちゃんが、右手を右耳に当て、静かに佇んでいる。いつの間にか索敵機を発艦させていたらしい。艦載機からの通信を聞いているようだ。

 

「……見つけました。12時方向から、こちらに近づいてます」

 

 私の心臓が、バキンと音を立てた。

 

「編成は?」

「駆逐イ級が4、雷巡チ級が2です。編成そのものは大したことないですが……」

「数が多いな……」

「ええ」

 

 摩耶姉ちゃんと榛名姉ちゃんが、冷静に戦いの段取りを組み立て始めた。二人の会話が、なんだか遠いところでの会話のように、私の耳にはかすかにしか届かない。私の身体を、恐怖が支配し始めたようだ。

 

「涼風」

「……」

「……涼風!」

 

 私が自分のことで精一杯になっているその間、私は摩耶姉ちゃんに声をかけられていたらしい。摩耶姉ちゃんの大声が私の耳にやっと届く。私の意識が別のところに気を取られ、摩耶姉ちゃんの声に気付くことが遅れた。

 

「……な、なに?」

「お前は無理すんな。いざとなったら、アタシか榛名の後ろに隠れてろ」

「う、うん……」

 

 私を気遣う摩耶姉ちゃんの顔から、笑顔が消えた。本格的に戦闘が始まる。あの惨状を生み出した戦闘が始まる……私が仲間を殺してしまった戦闘が……私の身体が少しずつ、自由を奪われていく。仲間を失う恐怖が、私の頭を飲み込んでいく。

 

「……来ますよ」

 

 榛名姉ちゃんの言葉と、私たちの前方に敵影が見えたのは、ほぼ同時だった。パスッという、小さな砲撃音が鳴った気がした。

 

「散開ッ!」

「先に撃ってきやがったか……んにゃろッ!」

 

 榛名姉ちゃんと摩耶姉ちゃんが私から遠ざかる。私は動けない。主機が動かない。身体が言うことを聞かない。

 

「!?」

「涼風!?」

 

――涼風ぇぇ……

 

 私のほっぺたを何かがかすめた次の瞬間、私の背後で水柱が上がり、ドーンという轟音が鳴り響いた。かろうじて動く右手で、ヒリヒリと痛むほっぺたに触れる。ほっぺたに触れた人差し指を見た。血がついていた。

 

「バカッ! 動け涼風!!」

「……」

 

 動きたい。動きたいけど、身体が言うことを聞かない。

 

「摩耶さん! 涼風さんを!! 榛名は敵を叩きます!!」

「くっそ! やっぱこうなるのかよ……!!」

 

 榛名姉ちゃんの主砲が火を吹いた。敵が一体砕けたのが見える。

 

――ソーリーネ……涼風……

 

 不意に、私の左手が誰かに引っ張られた。がんじがらめになった首をやっと動かし、左手を見る。摩耶姉ちゃんが、私の手首を掴んでいた。

 

「バカッ! 動けって!! いい的だぞッ!!」

 

 動きたい。動きたいけれど。

 

――涼風ちゃんは大丈夫? なら……よかった……

 

 私を守って沈んでいく、みんなの声が耳にこびりついて離れない。主機を回したいのに、私の身体が言うことを聞かない。

 

「……摩耶……ねえ……ちゃ……」

「!?」

「ごめ……から……だ……うごけな……」

「クッソ……やっぱ……!!」

 

 口すら満足に動かせない。動きたい私の意識とは裏腹に、私の身体が動くことを拒否する。

 

――だったらさぁ……

 

「摩耶さんっ!!」

 

 榛名姉ちゃんの叫びが聞こえた。直後、私の左手を掴んでいた摩耶姉ちゃんが、後ろに弾き飛ばされる。敵の砲弾が着弾したらしい。勢いで私の手を離してしまった摩耶姉ちゃんは、私の後方に吹き飛んだようだった。

 

「こんにゃろッ……」

 

 私は後ろを振り向けない。でも声は聞こえる。そんなに重大な損傷は受けてないらしい。

 

「榛名ッ!!」

「なんですかッ!?」

 

 言わないで摩耶姉ちゃん。その先を言わないで。聞かないで榛名姉ちゃん。お願いだから……

 

「選手交代してくれ! 涼風を……」

 

 お願いです。摩耶姉ちゃんお願いします。言わないで下さい。あの言葉を言わないで下さい。榛名姉ちゃんにやらせないで下さい。

 

――みんなにさ……

 

「守ってくれ!!!」

 

 私の視界から、周囲の一切が消えた。

 

「!?」

 

 空が黒い。今は昼のはずなのに……昼のように明るいのに、摩耶姉ちゃんが『守ってくれ』と言ったその瞬間から、空は黒くなった。

 

 海は赤くなった。あの日のように……凄惨な戦いの後、みんなの肉片が散らばっていたあの日の海のように、赤く染まっていた。

 

 私の前に、真っ白い制服を身にまとい、真っ白い帽子を目深に被った男が立っていた。ここが海であるにも関わらず、その男は海面をゆっくりと歩き、私に近づいてくる。

 

「あ……あぁ……」

 

 一歩一歩、コツコツと靴の音を響かせて、目の前の男が近づいてきた。目深に被った帽子のせいで顔は見えないが、それが誰かは、一目で分かった。

 

――守ってもらえば、いいじゃあないか……なぁ

 

 私の目の前まで歩いてきたその男……ノムラ提督は、私にその醜悪な顔を見せ、私を優しく包み込んだ。ノムラ提督の身体は氷のように冷たく、私の身体を冷やす。私の身体は寒さに震え、指一本、満足に動かすことが出来なくなった。

 

「ひ……ヒッ……」

 

――涼風ぇえ……

 

 恐怖で引きつる私の頬に、ノムラ提督が自身の冷えきった頬を重ねる。私の耳に、ノムラが口を開くニチャリという音が届いた。背筋に悪寒が走る。全身がノムラの抱擁を拒否するが、同時に恐怖がそれを許さない。私の身体に、動くことを禁止する。

 

『涼風!! 返事しろ涼風!!』

「魚雷来てんぞ!! 避けろ!!」

 

 執務室にいるはずの、今の提督の声が聞こえる。摩耶姉ちゃんの叫びも聞こえる。でも、どこか遠いところからだ。私の身体は反応しない。

 

「涼風ちゃんッ!!!」

 

 榛名姉ちゃんの声も聞こえた。気のせいか……昔の呼び名で呼ばれた気がするけど……でも。

 

 ノムラの極低温の右手が、私の頭を撫で始めた。その感触はとても優しく、そしてとてもおぞましい。気色の悪い右手が、私の頭を愛撫し続ける。

 

――俺の涼風……愛しい愛しい……俺だけの……涼風だもんなぁぁあアアア

 

 逃げられない……この男は、未だに私の身体を支配し続けている。この男のおぞましく醜悪な純愛は、未だ私の身体にべっとりと絡みつき、私以外の誰かを、私の代わりに轟沈させようとしている。

 

 どれだけ距離が離れようとも……どれだけ時が経とうとも、この男の醜悪な愛情から、逃げることが出来ない。

 

 私は今、この男から逃れることを、諦めた。

 

 摩耶姉ちゃんと共に、今のこの鎮守府で、優しく朗らかな提督と、優しく受け入れてくれたみんなと、一緒にずっと暮らしていけば、いつの日か、このノムラ提督の呪縛から解き放たれると思っていた。

 

 でも、どれだけの日々を過ごそうと、私からノムラの歪んだ愛情が剥がれ落ちることはなかった。私の心は今、この場での轟沈を望み始めた。

 

「ちくしょっ!! 涼風ッ!!!」

 

 ずっとずっと離れた場所から、摩耶姉ちゃんの叫びが聞こえた。ごめんなさい摩耶姉ちゃん。もう沈みたいです。沈むことでしか、この男から逃れることは出来ないみたいです。

 

『涼風動け!! 逃げろ!!! 涼風ッ!!!』

 

 提督ごめんなさい……せっかくあなたに助けてもらったのに……でももう沈みたいです。もうイヤです。この男に、こんなふうに愛されたくはないです。もう沈ませて下さい。ごめんなさい。

 

「涼風ちゃん!! だめッ!!!」

 

 榛名姉ちゃんごめんなさい。金剛さんと比叡さんを沈めてごめんなさい。私はもう沈みます。だからごめんなさい。最後に、昔の呼び名で呼んでくれてうれしかったです。

 

――ずっと一緒だよぉ……俺の、俺だけの涼風ぇぇぇえええ

 

 嘔吐を催す呼気を吐き散らしながら、私をただひたすらに抱きしめている、ノムラの身体の向こう側が、透けて見えた。私に向かってまっすぐに進んでくる魚雷の痕跡が見える。あれか。あれが私の願いを聞き届けてくれるのか。あれが、私をあの日のみんなのように砕いて、そして沈めてくれるのか。

 

――そんな涼風がさ。出来ないわけないよ。僕は、そう思ってる

 

 ゆきおの声を思い出した。もう聞くことが出来ない、優しくて柔らかい、大好きなゆきおの声。でも、もう聞く機会はない。私はもう沈む。

 

『すずかぜっ!!』

 

 幻聴かな。ゆきおの声が聞こえた気がした。私はよほどゆきおに会いたいらしい。でも、幻聴でも聞けてよかった。私の胸が、ほんの少し温まった。魚雷の白い痕跡は、止まらず私に向かって直進している。私は目を閉じ、その瞬間を待った。

 

 その直後、私の肩に、優しく暖かい、ふわりとした感触を感じた。

 

 私は目を閉じたまま、どこか覚えがある、この感触を必死に思い出した。この、とても暖かい感触……ノムラの冷たい抱擁すらかき消す、このふんわりと優しい感触は何だろう。この、心がぽかぽかと心地いい、ほのかな消毒薬の香りをまとった、このあたたかいものは何だろう。

 

――それ羽織りなよ。暖かいよ?

 

 ……思い出した。これは、ゆきおが昨日、私の肩にかけてくれたカーディガンだ。鮮明に思い出した。この温かさとこの匂いは、ゆきおだ。この優しさは、笑顔のゆきおだ。

 

「……ゆきお?」

 

 ゆきおの名をつぶやき、目を開いた。その瞬間、パリンとガラスが割れる音が聞こえ、ノムラの幻が砕けた。空の色が戻り、海は青々と輝いていた。私の目の前に、あの日ゆきおと共に見た、どこまでも続く水平線が戻った。

 

『動いて涼風! 避けてッ!!!』

 

 通信機を介して、私の耳にゆきおの声が届いた。私の心が今、ゆきおの声に気付いた。

 

「ゆきお!?」

『すずかぜっ!! 避けて!!』

「なんでゆきおが!?」

『いいから今は動いて!! 魚雷来てるから早くッ!!!』

 

 ゆきおに促され、敵の魚雷が自分に向かって直進していることを思い出した。前を向く。白い線が3本、私に向かってまっすぐ伸びている。右手を握り込む。……私の身体が動く。動かせる。

 

 即座に主機を動かし、私は身体を翻して射線軸を外した。魚雷はすんでのところで私をすり抜け、私のはるか後方まで通り過ぎていく。

 

「ホッ……」

 

 摩耶姉ちゃんが安堵のため息をし、そして主砲を撃った。摩耶姉ちゃんの砲弾は正確に雷巡チ級にまで届き、そしてそれを撃沈していた。

 

 敵が撃沈されたのを見て、私は改めて、自分の右手の平を開き、ジッと見つめる。右手を握り、開く。数回繰り返し、自分の身体が自由に動くことを確認した。

 

「動く……動かせる……」

『涼風ッ!! 砲撃!!』

 

 再びゆきおの声が響いた。私は再び前を向く。駆逐イ級の砲塔から煙が上がっていた。砲弾が飛んでくる音が聞こえる。着弾寸前で身をかがめた。私の髪の毛先をほんの少しだけかすめとり、砲弾は私のはるか後方に着弾した。

 

 左手に持つ主砲を構えた。摩耶姉ちゃんや榛名姉ちゃんの主砲と比べると口径は小さいけど、相手が駆逐イ級なら、充分一撃で倒せる。標準を合わせる。相手はまっすぐこちらに向かってきている。当てるのは容易い。

 

「いっけぇぇええええ!!!」

 

 私は、あの日以来、はじめて主砲の引き金をひいた。久々の砲撃は私の身体にビリビリとした衝撃を与え、轟音とともに砲弾を相手に向けて飛ばしていた。私が発射した砲弾はまっすぐに駆逐イ級に着弾し、一撃で撃沈していた。

 

「ふぅっ……」

「まだだ涼風ッ!!」

 

 今度は摩耶姉ちゃんの声が飛ぶ。敵はあともう二体の駆逐イ級。相手は撤退する気はないらしく、一体はこちらにすべての主砲を向けるべく、私から見て左方向に舵を切り始めたようだった。私の頭の中で、キンと乾いた音が鳴る。私は駆逐イ級に背中を向けた。

 

『すずかぜ! 魚雷ッ!!』

「分かった!!」

 

 ゆきおの指示は読めていた。無線の向こう側は大騒ぎになってるらしく、提督の『部屋に戻れ!!』とか、ゆきおの『やらせて!!』とか、色々声が聞こえてる。でも気にしない。

 

『ごめん涼風!! 予測進路より気持ち前に!!』

「うんッ!!」

 

 たとえ少し間を開けても、ゆきおはこうやって、必ず私に声を聞かせてくれるから。

 

 水面を見た。私がばらまくべき、魚雷の射線がうっすらと見えた気がした。私が思っていた射線よりもだいぶ前。きっとこの射線が、ゆきおが私に教えてくれた、正しい直撃ルート。

 

「涼風! 9時方向ッ!!」

 

 不意に摩耶姉ちゃんの怒声が飛んだ。慌てて左を見る。もう一体の駆逐イ級が、私に砲塔を向けていた。

 

「しまッ……」

 

 イ級の砲塔から私に向かう射線が見えた。まっすぐに私に向かっていた射線は次の瞬間、イ級の爆発とともに、フッと消えてなくなった。

 

「!?」

 

 慌てて後ろを振り返る。榛名姉ちゃんの砲塔がこっちを向いていた。榛名姉ちゃんが私をフォローしてくれた。榛名姉ちゃんが、私を助けてくれた。

 

「撃って下さい!!!」

 

 そして榛名姉ちゃんが、私を叱咤してくれた。その時の榛名姉ちゃんの眼差しは、かつて私と仲良くしてくれてた時と同じだった。

 

「うんッ!!」

 

 改めて、私は残り一体の駆逐イ級に背中を向けた。砲撃と同じく、あの日以来の雷撃だ。

 

『いけぇぇええすずかぜぇぇえええ!!!』

「もってけドロボォォォオおお!!!」

 

 ゆきおの掛け声を受け、私は意を決し、イ級に向けて、背中の魚雷を発射した。放たれた魚雷は、ゆきおが指示し、私の目に映った射線の通りに、水面下を走っていった。

 

 

 

 無事に敵艦隊を掃討した私たちは、そのまま鎮守府まで戻ってきた。我慢しきれない私は、帰投してすぐに主機と艤装を脱ぎ捨て、そのまま執務室へと走る。

 

「おい涼風! どこいくんだよ!!」

「執務室!! ゆきおにありがとうって言うんだ!!」

 

 『ったく……』と呆れる摩耶姉ちゃんと、いつもと比べて心持ち表情が柔らかい榛名姉ちゃんをその場に残し、私はひたすら執務室へと続く廊下を駆ける。

 

「ゆきお……ゆきお……!」

 

 一秒でも早く、少しでも早くゆきおにお礼が言いたい。私の身体にこびりついていたノムラの呪いを、キレイに洗い流してくれたゆきおに、ありがとうを伝えたい。突きあたりを曲がって……食堂の前を突っ切って……執務室の前のドアまで来た。

 

 ドアをノックしなきゃと思ったけれど、それすらまどろっこしい。ゆきおの顔を早く見たい。息切れもマナーも気にせず、ドアノブに勢い良く手をかけそれをひねると、全力でドアを引き開いた。

 

 さっきの私の砲撃音にも似た『ドカン!!』という音を響かせ、ドアが開いた。勢い良く開かれたドアは壁にぶち当たり、ガツンという音を立てていた。蝶番が外れたようでガタンという音とともにドアが床に倒れていたが気にしない。それよりも。

 

「ゆきお!!!」

 

 ゆきおの名を呼び、部屋を見回す。長ソファの横に立っていて、壊れたドアを見て青ざめてる、上着を脱いだワイシャツ姿の提督と……提督の机の上でパソコンを叩いている大淀さん……そして。

 

「……ぁあ、おかえり涼風」

 

 ゆきおがいた。長ソファに寝転んで、頭に冷えピタみたいなものを貼って、提督の上着を掛け布団代わりにしているゆきおがいた。

 

 ゆきおが私の姿を見るなり、ゆっくりと上体を起こす。少し顔色が悪いようにもみえるけど、ゆきおは私に、ニッコリと、柔らかく優しい笑顔を向けてくれた。

 

「作戦成功おめでと」

 

 今の私には、何よりも嬉しい言葉だった。提督と大淀さんが同じ部屋にいたが、私は気にせず、全力でゆきおの元まで走り、華奢で細っこくて、でも温かく優しい、ゆきおの身体に抱きついた。

 

「お、ぉお?」

「ゆきおー!!! あたい出来たよ!! ゆきおのおかげだ! ゆきおのおかげで、ちゃんと戦えたよ!!!」

 

 私が抱きついた途端、ゆきおの小さい身体がさらに縮こまる。ゆきおの両腕がカタカタと震えているが気にしない。私はゆきおに抱きつきたいんだ。私は気にせずゆきおにしがみついた。

 

 その後、一度手を離し、ゆきおの顔を見た。作戦中、あんなに凛々しい声をあげていたゆきおは、今は顔を真っ赤にして、目を白黒させている。さっきの顔色の悪さはウソだったのかと思うほど、今はまっかっかだ。

 

「ん? どしたー? ゆきおー?」

「ちょ……すずかぜ……は、はずかしい……」

「てやんでいっ! なにが恥ずかしいだっ!!」

「でも……」

「あたいはうれしいんだ! ゆきおがあたいを助けてくれた! ゆきおのおかげで、あたいは戦える艦娘に戻れたんだ!!」

 

 目をぐるぐるさせて戸惑っているゆきおに、私はもう一度、しっかりと抱きついた。今度はゆきおの首に手を回して、ゆきおのまっかっかなほっぺたに、私のほっぺたをぴったりと重ねる。ゆきおとくっついた私のほっぺたが、ぽかぽかと暖かい。

 

 この温かさだ。ゆきおのこの温かさが、私をあの冷たい呪いから救ってくれたんだ。何よりも優しいゆきおの温かさが、私を救ってくれたんだ。私の胸に、心地いい温かさが染み入っていく。

 

 ゆきおが震える両手で、私の両肩に触れてくれる。おかげでノースリーブで肌が出ている私の両肩が暖かい。ゆきおの、小さくて暖かい両手が、私の肩にぬくもりを伝えてくれる。

 

「……涼風」

「ん?」

「ぼくは何もしてないよ。がんばったのは涼風だ。僕は……声をかけただけだから」

 

 ほっぺたを一度離し、再びゆきおの顔を見た。相変わらずゆきおの顔は真っ赤っかだけど、私にカーディガンをはおらせてくれた時と同じ、優しいまなざしで、私のことをジッと見つめてくれていた。

 

「落ち込んでたのは、解決した?」

「うん! ゆきおのおかげだ!!」

「そっか。よかった」

 

 そう言って、ゆきおは安心したような笑顔を浮かべた。私が大好きな、見ている私の心をホッとさせる、とても柔らかくて優しい、ゆきおの笑顔。

 

「おーいていとくー。涼風が……おおっ!?」

「あれ……ドアが……?」

 

 タイミングがいいのかどうかはよくわからないが、摩耶姉ちゃんと榛名姉ちゃんが執務室に来たようだ。私の後ろに位置する執務室の入り口から、二人の声が聞こえてきた。摩耶姉ちゃんは私とゆきおの姿を見てだろうか、口角を上げた人特有のニヤニヤした声で、驚きの声をあげていた。

 

「あの……涼風、ドア……壊れたんだけど……」

 

 一方で、すぐそばで私とゆきおを見ていた提督も声を上げた。提督は私とゆきおの邪魔にならないようになのか……それともただ単に呆気にとられているからか、小さな声で控えめに、申し訳無さそうに、ドアが壊れてしまったことを伝えてきた。

 

 でも、私は今、そんなことはどうでもよかった。ゆきおが、私を助けてくれた。私をずっと苦しめていた呪いを、ゆきおが洗い落としてくれた。その事実だけで満足だった。

 

「ゆきお!」

「ん?」

「本当にありがと!!」

「あのー……ドア、壊れてるんですけど……涼風さん……」

 

 


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