聖旗と二刀 〜少年と少女の旅路〜   作:誠家

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霊力とは、いわば一種の《生命力》である。
別に特別霊使者のみが持っている力という訳ではなく、この世に存在する()()ならば必ずしも秘めている力。
人間は勿論、犬、猫などの動物に草や木などの植物。更にはただ存在している水や土も、内包量は極少であるが例外ではない。
霊使者というのは、それの《量》や《扱い方》に天性的なセンスを持って産まれた者達のことを言う。
霊使者の家系に産まれた子供は、既に一般人の十~数十倍もの霊力を内包しているのだ。
扱いに関しても、それぞれの神経などとは別に存在する、全身に巡る霊力を通す道・《霊管》を多量に有しているのだ。
他にも《霊感》などの様々な違いがあるが…今はここまでとしておこう。
…さて。
今のジャンヌの状態は極めて深刻なものであった。本来他の生物(空気、食材など)からの補充や、自身の心臓と同じ場所にある《霊核》から製造されるべき霊力が何故か補充されず、持ち前の強大な霊力も底をつきかけていた。
この現象に、この世に生きるもの達は体という《殻》がある故にそのまますぐに天に召されたりはしない。精々霊力不足で気絶するぐらいの症状で済む。
…だが、既に死した存在である霊達なら話は別だ。霊達はその身を霊力を作り出した体と霊力で動かすことの出来る霊核でこの世に体を留めている。
…つまり、霊力のないジャンヌは今、死にかけの状態…いや、成仏しかけといった方が正しいか。どの道、この世界に留まることは困難になっていたのだった。


第18話 開戦

サアアアアアアァァァ…

 

森の中、描かれた巨大な呪印がその赤々とした光で周りの木々を照らしている。

その呪印の外、照らされた木々の影で青年が座禅を組み、静かに瞑想している。

これは一種の精神集中のための動作とも知られているが、霊使者にとっては霊力の自然回復を早めることで知られている。

そんな青年の横から、ひとつの可憐な声が響く。

「修也、ちょっといい…?」

「…なんだ?」

自身に対する呼び掛けであることを理解して、青年…修也はすぐに問い返す。

可憐な声の主、天乃はすぐには答えず、ゆっくりと傍にある木にその体重を預けて、膝を抱え込んだ。

そして、ゆっくりと口を開く。

「…緊張してるかもしれないから、世間話でもって思って来たけど…迷惑だった?」

そんな言葉に、修也は目を閉じたままくつくつと笑う。

「ハハッ、流石次期使媒頭(しばいのかみ)様だ。随分仲間思いなこった。」

「…茶化さないでくれる?」

ジト目で睨む天乃に、修也はさらに笑う(目を閉じてるので見えてはいないだろうが)。

すぐに笑い声を抑えると、修也は微笑みを浮かべたまま、言う。

「ま、有難いけどな。こちとら一国の命運が俺の腕にかかってるって言うから、ビビりまくっててよ。」

軽口のように、そう答える修也。しかし、天乃は見逃さない。彼の額から、少量ではあるが数筋の汗が流れていることを。

恐らく、本音を零したのであろう修也を憐れむことなどなく、天乃は優しい微笑みを浮かべたまま口を開いた。

 

「…私達ってさ、かなり付き合い長いわよね。」

「んー?そうだっけか?」

「そうよ。…初めて会ったのが5歳の頃だったからもう10数年の付き合いになるのね。」

「へー…そんなに…。最初の頃はお前が家に引き篭ってばっかで全然交流なかったから全然記憶ないんだが。あとこの最近も。」

「しょうがないでしょ、それが家の方針なんだから。…というかココ最近は文通でちゃんと交流しようとしてたじゃないッ!」

「そんな拗ねんなって。…あー、まあ、そうだな。その件に関しては俺が悪ぃな。まだ一通も返せてねえし…」

「…その苦虫を噛み潰したかのような顔で、あなたの部屋の隅で静かに積まれてる私の手紙の様子が容易に想像出来たわね。」

「…勝手に推測すんなよ…間違ってねえけど…」

「わざわざそんなに悩む必要も無いのに、ただの気まぐれで書いただけの手紙よ?」

「お前からしたらそうかもしれんが、俺からしたら重大なもんなんだよ。失礼働いたらワンチャン首チョンパだし。」

「安心しなさい、数年前にそれ以上の非礼を働いてるから。」

「…なるほど、それは安心だ。」

 

そんな会話の後、2人は笑う。

かつての思い出を思い出すように、静かに笑い合う。そして、笑うのを止めた後、天乃は修也に問う。

「修也、あなたはどう思ってるの?」

「へ、何が?」

「…そりゃ、ジャンヌ様の《治療》に決まってるじゃない。」

その言葉に、修也は目を閉じたまま片眉をピクリと動かした。

「…今の私の知識じゃ、この複雑な呪印の意味は分からない。それこそとてつもなく高位の呪術を使おうとしているのは分かる。でも、その本質やそれが成功する確率も分からないわ。」

「…だろうな。」

「教えて、修也…!本当にこの作戦は成功するの?本当に賭けても良い賭けなの?もしあなたの身に何かあったら…私は…」

そう言って、顔を伏せて、その後の言葉を紡ぐ。

「…あなたの妹にすら、顔向けできなくなる…」

その言葉に、修也はしばらく黙っていたが、すぐに微笑みを浮かべる。

「そっか、お前って翠と仲良かったな。昔おままごととかしながら遊んでたの、今頃思い出したよ。」

「…最近は、会えてないけどね。」

そんな天乃に修也は笑いながら「そりゃそうだろ」と答える。

「…ま、お前が心配になるのも、よーく分かるけどな。こんな極限状態で、予想外のことばっか起きて、しかも自分の知識範囲外のことを相方がやろうとしてんだ。不安にならない方がおかしい。正直、この作戦不可能なんじゃないかって俺でも少し思ったぐらいだ。」

そう本音をハッキリと言って、修也は閉じたままだった目をゆっくりと開ける。そして、その目で天乃の銀色の目を見据える。

「…ここでなんかのエピソードを交えながら、お前にアドバイスなんか出来たら最高なんだろうが…悪いが俺にそんなペラペラ話せる口上と甲斐性はねえからな。」

「知ってるわよ、そんなこと。」

天乃の即答とも言える、素早い肯定に修也は「だろ?」と笑いながら言う。

「ま、それでもアドバイスっていうか…シンプルに俺がやって欲しいことでも言おうかな。」

そう言うと、修也は本当に短く、端的に天乃に助言を述べた。

 

「俺を信じろ。」

 

「…」

その、あまりにも直球すぎる要望に、天乃はしばらく呆然としてしまう。

「…随分と直球ね。」

終いには、声に出してしまった。しかし、その言葉に修也は「何言ってんだ」と苦笑する。

「シンプルにつったんだから、その通りにすんのは当たり前だろ?」

「…いや、まあ…それは、そうだけど…」

どこか釈然としないような天乃の態度に修也は、クスリと微笑む。そして、

「言っとくけど、俺がジャンヌに言ったこと…成功率が低くて、命も危ない可能性があるって言ったけどな。あれ、マジなんだよ。」

そんな、重大なことを軽口のように、からかうかのように告げる修也。だが、それは天乃も分かっている。流石に冗談だろうと思っていることを、彼女は聞くことなどしない。

「けど…」

「じゃが、わしがしっかりサポートするから、安心せい。」

まるで、修也の言葉に割り入るかのような…いや、引き継ぐとも言えるか。待っていたとでも言いたげなタイミングで琥珀が2人のいる叢に入り込み、そう言った。しかし、修也は良い気はしないのか、どこか文句アリ気な顔で琥珀を見る。

「…お前俺のセリフ持っていくなよ。ただでさえさっきジャンヌと天乃に持っていかれたばっかなんだからさ。」

「フンッ、貴様こそこれから行う術式のための気力を会話で使うでは無い。ほんの少しの不足でさえ、この術は危険を伴うのじゃからな。それより…もう準備は出来ておるぞ。」

「…そうだな、俺の霊力も回復したし時間も無ぇ。そろそろ始めねえとな。…天乃、見張り頼んだぜ。」

「言われなくても…私だって、由緒正しき神宮寺の人間よ。それくらい、難なくこなしてみせるわ。」

それに、修也は「おう」と答えて、軽く笑う。そして…

「それなら、安心だな。」

そう言って、コートを翻した。

 

俺は、ゆっくりと森の土を踏む。それと同時に、張り巡らされた呪印が呼応するように紅く光る。

この呪印は琥珀曰く、俺の霊菅の一部に直結しているそうだ。それ故にまるで脈拍のようにこうして点滅しているのだそうだ。

そうすることで、術の精度も上がるそうだ。

…ちなみに、全て琥珀から聞いた話なので断言は出来ない。ま、あいつが嘘つくことはさすがにないと思うけどね。一応、従霊になってくれてるわけだし。

「無駄なことを考えるでない、我が主よ。…手早く終わらせようぞ。」

おおっと、さすがにバレてた。よく見えていらっしゃる。それに…

「…あぁ、そうだな。」

言ってくるアドバイスも、全部的確だしな。

『ホント、俺には勿体ない奴だな…』

俺は、心からそう感じた。

 

「悪ぃ、待たせたな。」

修也がそう声をかけると、呪印の中心で座り込んでいた金髪の少女…英霊である聖女・ジャンヌは少し弱々しげに微笑んだ。

「あぁ…いえ、特にそこまでは待ちませんでしたよ。ただ、少し…気持ち悪かったですが…」

修也はゆっくりとジャンヌの傍に腰を下ろし、ジャンヌの背を手で触る。琥珀は呪印の最終調整に入る。

「安心しろ。別にこの呪印がお前の毒になってる訳じゃない。ここら辺は瘴気が強いから、それがお前に当たってんだろ。しばらくしてたら治るさ。」

その言葉に、ジャンヌは修也のことを横目で見る。そして、荒い息をしながら、もう一度微笑んだ。

「そう、ですか…なら、安心です…」

「…」

その、ジャンヌの様子と受け答えから、修也は「やっぱりな」と呟いた。

『…この野郎、かなり弱ってきてやがんな…』

修也は少し歯ぎしりをする。

そもそもな話。英霊が空気中の瘴気に当たり、体調を崩すことなど()()()()

なら、何故修也はジャンヌにその話をしたのか。それはひとえにジャンヌの思考能力を試したかったからである。

霊とは霊力量の有無でその個体差が存在する。基本的には知力→基本的能力→霊術といった順に発達していくのだが、霊力量不足などの原因でステータスダウンする時もこれは反映される。

まずは霊術の質が下がり、その次に筋力、敏捷などの低下が起きる。そして、その更に下には…

 

持ち合わせた知力、思考能力の低下が見られるのだ。

 

今のジャンヌは英霊ならば知っておいて当然とも言える事柄においての間違いに指摘せず、むしろ納得さえした。これは、危険な状態であると修也は判断する。

先程までのあの様子。武器を製造しようとしていたが、霊力が足りずにほんの小さなものしか出来てなかった。つまり、あの時からほとんど崖っぷちだったのだろう。

『こりゃ早急に対応しねえと手遅れになるな。』

「琥珀、いけるか?」

「うむ。」

修也の問いに琥珀は迅速に答える。

それに頷くと、修也はジャンヌの後ろにまわる。

「ジャンヌ、今着てる服を消すことは出来るか?」

「え、ええ…?それは…」

「別に邪な考えはねえよ。ただ、この術は出来るだけ肌と肌が直接触れることで抵抗は無くなるし成功率も上がる…んだったよな?」

「うむ。その上特別な聖遺物などもあればよかったが…無い物ねだりをしても仕方ない。」

どこかぎこちない修也の説明にすかさず琥珀がフォローを入れる。

「すいません…私が不甲斐ないせいで…ご迷惑を…」

「お前が謝ることじゃない。俺達だって無理にお前の力を借りようとしてるんだ。これくらいの面倒事は想定内だよ…」

「そう、ですか…とりあえず、服を脱げば、よかったんですよね…?」

そう言うと、ジャンヌは残り少ない霊力で短刀を作りだし(あまり霊力を使ってほしくはなかったが)…

 

ピリッピリリリッ!

 

白いワンピースを切り裂き始める。背後にいる修也からは角度の関係で見えないが、自傷行為をしているわけではないと、修也は理解していた。故に、何も言わずにただ、見守る。

やがて、短刀を持ったままの手が腰あたりにまで降ろされると、

「…」

ジャンヌはゆっくりと、切断面を肩口から抜けさせる。普段誰もが行う、あるいは目にする服を脱ぐというだけの行為。だが、彼女のその行為はそのスローモーションさも相まって、更なる艶めかしさを感じさせる。

「……」

それは、いくら任務中と自身に言い聞かせ、私情・私欲を出さないようにしている修也にさえ、効果を及ぼす。

瑞々しく、年相応の女性らしい小さな背中に、視界を埋める白い肌。そして何よりも、流れる金髪の下に晒され、覗き見える白いうなじは、彼の欲望を存分に刺激した。

欲しい、欲しい、欲しい。

独り占めしたい、と。

修也はその思考…欲望を抑え込むのに必死で身動きが取れなくなる。しかし、しばらくすると…

「おい、どうした主よ?」

「あの…修也、君…?」

しびれを切らした、または心配するように、2人が各々のトーンで修也に声をかける。それに彼は、ピクリと体を震わせた。

「…どうした?」

「あ…いや、すまん。ボーッとしてた…」

「こんな時に惚けておったのか?相変わらず緊張感とは無縁のやつじゃのう。…それとも…」

琥珀は修也にニンマリとした笑顔を向ける。それには、彼でさえぞくりと背筋に走るものがあった。

「その娘の裸体に見蕩れておったのか?」

「……」

「ほう、黙り込むとは…まさか本当に…?」

「違う。そんな訳ねえだろ。からかうんじゃねえ…裸体なんざお前と妹ので見飽きてる。」

「いや、それは色々と問題なのではないか?妹の裸を見飽きているなど下手をすれば軽い犯罪…」

「小学校の頃に一緒に風呂入るのは犯罪じゃねえから!兄妹なら普通だから!」

そう必死に弁明しながらも、体温と心拍数が上昇していることを、琥珀は見逃さない。

「まったく…素直でないのぉ…」

琥珀は微笑んで、そう、小さく呟いた。

 

「…早く始めるぞ。」

どこか微妙な空気をリセットするために、修也は琥珀に迅速な行動を求める。

それに琥珀はまた微笑するが、すぐに修也の背に掌をあてた。

「しばらく儂の担当じゃ。出番になったらお前様に合図するから、しっかり頼むぞ。」

「了解。」

琥珀の指示の後、修也は相槌を打ってから行動に移る。掌を霊術で出した水で洗ってから、その手をジャンヌの背中に近付ける。

ピトッ…

「ひぅ…ッ…!?」

「…」

接触時に発生する彼女の声に少し動揺するも、特に支障なく彼は掌をジャンヌの背に付ける。

それと同時に、琥珀は持ち前の霊術を起動。無属性探知系高位霊術《魔捜(スペル・サーチャー)》。その名の通り、霊力の質が魔(闇属性ともいう)に近いものを探し出すための術である。それを彼女は修也の体経由でジャンヌに起動した。理由は、神の加護が働くジャンヌの体に琥珀が触ると《ピリピリする》らしい。修也はまだ、妖としての割合が少ないためそこまでではない。

「どんな感じだ、琥珀?」

「…特に何もないぞ。お前様と儂の肉体的相性は元々最高ランクじゃ。これなら失敗して暴発しても多少の怪我とお主の他の体が霊力を吸収してそれで終わりじゃろうな。」

「あの、失敗してとかそんな不穏なこと言わないでくんない?俺もさすがに治るとはいえ怪我はなるべくしたくないんだが…」

「そう身構えんでもよいよい。逆に、体を強ばらせると、その分術が失敗する確率が上がるぞ?」

そう言って、小悪魔のような顔で少女はくつくつと笑う。それに、修也は嘆息をつく。

『…そう言われると、むしろ体に力が入るって分かんねえかなぁ…』

修也は起こりうる術の暴発への警戒と、自身の従霊の性格の悪さに、大きくため息をついたのであった。

 

「ふむ、そろそろ良いぞ。既にお前様の腕の掌までの移動は完了した。ここからはお前様の仕事じゃ。」

「りょーかい…っと…」

修也は答えると、他の者の霊力が手の中にあるような、少し不思議な感覚を感じながら、確実にそこにある、霊力の塊を練り上げていく。

《魔捜》は相応の密度の霊力を注ぎ込まれていると、術者がありとあらゆる形に練り上げることが可能となる。今回は琥珀ではなく、修也が行っているが、これはあくまで感情すら共有させている2人だからこそ出来る芸当である。そうおいそれと出来るものでは無い。

「……っし、いいぞ。」

「了解じゃ。…ほう、いい造形じゃ。動かしやすいのぉ…」

琥珀はそう言って修也のセンスに賞賛を送った。彼が練り上げた形は〈魚〉だ。まさしく、動くだけに特化した造形。それを琥珀は性能を余らせることなく巧みに操る。

「背骨を通過……肝臓、クリア…胃、クリア……ッ…!?」

そこで、今まで問題無しと体内を駆け回っていた魚達が急停止。異常ありを示すサイレンが琥珀の頭に鳴り響く。魚達が異常を知らせる部位。それは…

「やはり、心臓か…」

人が生きるために、かつ霊力を生み出すための《核》にもなっているものだった。その後、よく調べてみると心臓近くの霊菅に刻まれた、呪印を発見。どこか凄まじいオーラを放つ《それ》は明らかに、かつて修也の体内に刻まれていたものよりも、強力であった。

「…いけるか?」

その事を確認した修也は、チラリと琥珀を見てそう問う。だが、心配そうな主人を見ても、琥珀は尚も毅然とした態度を取り、

「こんなもの、朝飯前じゃ。」

そう、堂々と言い張った。

それに、修也は信頼を含む笑みを浮かべて、こくりと頷く。そして、琥珀はすぐさま魚達に蓄えていた霊力に、更なる霊力の《粒》を送り込んでいく。こうすることで、魚自身に呪印を封印できる効果を付与することが出来るようになるのだ。

そうすれば、ジャンヌの体を元に戻すことが出来る。

「……ッ」

琥珀は、更なる集中力を注ぎ、魚達の霊力を複雑な術として編み上げていく。あまりの霊力の空間密度で彼女の髪が少しだけ浮かび上がる…

 

「……?」

そこで、ジャンヌの体の異変に、直接触れている修也のみが気づく。

「ハア…ハア…ッ…」

荒い息、薄れた存在感と血の気のなさは先程と変わらない。だが、一つだけ明らかに変わっていく。

『…体温が、上がってる?』

手から伝わる温もりが、どんどんと《熱さ》へと変わっていっているのだ。その感覚に、修也はどこか懐かしさというか、()()()ような感じを覚えるのだ。

何故かは分からない。感覚は分かるのに、答えへと辿り着かない。

そんな、答えに辿り着かない修也を嘲笑うかのような速さで、ジャンヌの体温は上昇していく。凄まじく異常な速度だ。

…そこで、修也は気付く。()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということに。

 

そこで、修也は戦慄する。

 

今、ジャンヌの体内で何が行われているのか。これから起こることが、容易に想像出来たからだ。

「琥珀、切り上げ…!」

ろ。そう言おうとした直前に、それは起きた。

「…ッ!?」

いきなり、琥珀の操っていた魚達が呪印から発生した赤い光に包まれて、消失する。

そして…

 

ピピピピピッ!!

「…ッ!」

 

その直後。複数の傷が琥珀の体を襲い、鮮血を散らす。それなりの割合で五感のうちの1つを共有しており、《式神》にも近くなっていた魚達が散らされたことによって、術の使用者である琥珀にも影響が及んだのだ。

 

だが、そんな状況でも琥珀は先を読むことはやめない。素早くこの後に起こる事態を予測し、最善策を行動に移す。

「…ッ!!」

「うお…ッ!?」

修也は琥珀に後ろ襟を掴まれ、思いっきり引っ張られたことで、背後に10メートルほど吹き飛ぶ。

その瞬間。ジャンヌの体から()()()()()()()、凄まじい速度で琥珀に襲いかかる。

「チィ…ッ!」

琥珀、全力の後方跳躍。だが、それより一瞬速く、《何か》が彼女の肉体を抉った。

「な…ッ!?」

それは、紛うことなき《剣》であった。鈍い光を放つ、黒色の大剣。

「グッ……ゥ…ッ…!」

鮮血を周りに撒き散らしながら、そのまま琥珀はジャンヌの体から距離をとる。着ている着物に血を滲ませながら、彼女は額に汗を流す。

『霊術による、遠距離攻撃…まさか、体内で使ってくるとは…』

琥珀は霊術が使用された瞬間に、魚の周りにあった、攻撃範囲内のジャンヌの肉体をコンマ数秒の速度で防御系霊術でコーティングした。そうしなければ…今、ジャンヌの体はこの世になかったであろう。

体内で使用される霊術とは、もちろんそれなりの被害を肉体に被る。普通そのような事を行うのは、ある人物に寄生している高位の悪霊か、その他の存在であるが…彼らは寄生することで生きられるので寄生している肉体が崩壊するのは、もちろん真っ先に避けるべきことだ。

…だが、ジャンヌに刻まれた呪印の番人となっている存在は、なんの躊躇いもなく霊術を発動。…それが意味することは、つまり…

 

ズズ…ズズズズ…

 

琥珀がそこまで思考した所で、刃しか見えていなかった剣は、ジャンヌの背から更にその姿を表していき…やがて、柄を持つ右手を視界に捉える。そして、頭部、胴、左足、左手の順でジャンヌの体から引きずり出され、最後に右足が出現した事で、琥珀は《それ》の全容を確認できた。

まず目に映るのは黒を基調とした、どこか軍服にも似た服装。襟は首元まであり、前は留め具のようなもので止められている。疎らにある少量の白がその不気味さを一層引き立てる。ブーツも同様。手には真っ白な手袋が嵌められている。

そして、目線を上げれば白く逆立った髪と、同色の顔の肌が見受けられる。その肌からは生気というものを全く感じられなかった。

琥珀が腕の治療を進めながら視線を送っていると、それに気づいたのか、ジャンヌから這い出たその《人物》は、黒色に囲まれた紅い眼で彼女を睨めつける。

その行動だけで、琥珀をかなりのプレッシャーが襲う。肌がピリピリと震え、身体中の細胞が粟立つような感覚。普通の人間…霊使者であっても、動けなかったり霊術の行使が困難になるなどの枷を負うような、そんなレベルの威圧感。

これには、流石の琥珀もいつもの余裕たっぷりの微笑ではなく、苦笑いで答える。

やがて、紅い眼の人物はそれを見て不服そうに眉を寄せる。

 

「…何を笑うておる、痴れ者が。」

 

先程同様、襲い来る威圧。しかも増幅して襲いかかるそれに、しかし琥珀は表情を崩さず返答する。

「なぁに、貴様のような大物が現界しておることに、多少驚いておっただけよ。」

琥珀はそう言うと口に刻む笑みを少し濃くして、言う。

「…まさか、《堕天使》が現界しておるとはな…」

 

堕天使。

神に反逆、または禁を犯すことで天界を追放された天使のことを指す。キリスト教では悪魔と分類される全てが堕天使であるとされ、悪魔の代表格でもある悪魔長・サタンもこれに分類される。

他に代表的な名は、ルシファー、ベルゼブブ、アザゼルなど。

 

「いやはや、貴様ら堕天使は天使であった頃の残滓か、変にプライドが高い故、下界には姿を現さぬのだと記憶しておったが…?」

「…口の達者な小娘だ。」

琥珀の言葉に堕天使と言われた白髪の人物はピクリと眉を動かすも、目立つ行動は取らない。精々、少し腕を上げて指を動かしたり拳を開閉しているぐらいだ。

やがて、拳の開閉を繰り返していた堕天使は、地に刺していた剣を拳を作っていた方の手で引っこ抜くと、体の向きを変える。そして、その向きにあったもの…ジャンヌの体に、彼は刃を向けた。

「…体を動かすのは久々であった故、少し慣れるのに時間はかかったが、もう良い。」

そう言うと、堕天使は剣を高々と振りかぶる。その刀身は、振り下ろされれば間違いなく気を失っているジャンヌの首を刎ねる。

そうなれば、現在のフランス国軍が聖旗軍に敗北することは必至。

間違いなく、阻止せねばならない。

だが、琥珀は動かない。肩も完治し体に傷一つない彼女はしかし、それは自分の役目でないと言っているが如く、片足をついたまま止まっている。

「…死ね、醜い娘よ。」

そう言い放ち、剣を振り下ろす堕天使。

その、瞬き1つほどの目にも止まらない瞬間に…堕天使の他に、動く影が1つ。

赤い、不規則な線を体に刻みながら彼は砂煙をあげて足を踏み込む。跳躍一閃。

一つの閃光と一陣の風が、琥珀の横を時間差を刻んで突き抜ける。

それとほぼ同時。振り下ろされた堕天使の剣が、ジャンヌの首を刎ねるはずだった剣が…呆気なく空を切る。

これには少しの動揺が見られ、堕天使の瞳孔が少しだけ見開かれるが、すぐにその《答え》となる人物の方を向いた。

「…我の邪魔をするか、下民風情が。」

その言葉に、体に赤い線を刻んだ、《臨戦態勢》の修也は、少し間を開けて微妙な角度を残したまま堕天使を見た。

尚もジャンヌを横に抱える彼の手や、頬と額にはうっすらと汗が浮かぶ。

それもそのはず。並の術士ならば基礎霊術ですら行使出来ないほどのプレッシャーの中、短い時間でその状況に順応。すかさず《肉体強化》を駆使してジャンヌを掻っ攫ったのだ。かなりの神経と精神力を消耗したはずだ。

「…修也、君…?いったい…何が…」

目を覚ますジャンヌ。目まぐるしく変わる状況に情報処理が追いついていない。そんな彼女に、疲弊しているはずの彼は…

「…安心しろ、《想定内》のことしか起きてない。」

…そう、優しく微笑みかけたのだ。

だがしかし、ジャンヌには分かった。いくら取り繕おうとも、彼の疲弊は彼女目から見ても明らかであった。

ジャンヌを地面に下ろし、そのままの姿勢で彼は深く息を吸い、そして吐き出す。これを数回繰り返した。

「…我の邪魔をする者は、処罰の対象となる。その度胸あっての行動であろう?小僧。」

修也は立ち上がり、額の汗をコートの裾で拭う。そして、彼はあろうことか口角を上げ、

「俺がアンタの邪魔をした?…いやいや、何言ってんの。」

不敵に笑って、目を細めながらこう言い放った。

()()()()()()()()()()()()んだよ、俺からすれば。…だからこそ、俺もアンタに今一度問おう。」

 

()()()()()()()()()()()()?」

 

その言葉に、やすい彼の挑発に堕天使は不満を覚えたのか煩わしそうに顔を顰めると、剣の切っ先を修也に突きつけた。

赤い眼光を放つ目は、怒りを示すように細められ、眼光は鋭さを増していた。

「言葉を慎め、泥人形風情が。」

「アンタこそ、そんな汚ねえ言葉遣い、天使の名が泣くぜ?…あ、悪ぃ。《元》天使か。失敬失敬。」

その言葉には堕天使が現界して始めて、額に血管が浮き出る。先程まで余裕を出していた雰囲気の彼が、キレていることは簡単にみてとれた。

「もういい。貴様の言葉は、いちいち癇に障る。…グチャグチャにする。骨までこの世に残さぬようにな。」

その威圧は、先程琥珀に向けられたもの以上の迫力を持っていた。修也は少し堕天使を挑発したことを内心後悔する。売り言葉に買い言葉とはまさにこの事だ。

…が、ここで逃げ出すなどとはしない。元々、危険承知で入った舞台だ。ならば最後までやりきるのが、男というものだろう。

「……」

チキッ…

修也は答えず、ゆっくりと刀を構える。

右足を後ろに引き、体を横に向け、柄を両手で握って切っ先を相手に向けた。

それに堕天使はゆっくりと剣を上段に構えることで答える。

間は一瞬。

修也に流れた雫が落ちると同時の跳躍。剣が交錯し火花が散る。その光は2人の顔を同時に白く染め上げたのだ…

 




そして、フランスの領土にあるオルレアン一帯。ここでも、1つの《戦い》が始まろうとしていた。黒く染まり、日の出ない空。冷たい風がフランスの地を駆け巡る。
その状況は否応なしに兵士の士気を下げるような、そんな気させする。
だがしかし、と女王であるサレスは気を引き締める。このようなことで気を落としてしまっては一国のトップとして失格である。
兵士が不安にならず、いらぬ心配をかけぬことも王としての役割だ。
サレスは、遠くで相対する敵軍を見つめ、手を振り上げた。

ジルは落ち着いていた。
戦いの中でこれほどまでに落ち着けるのかと、今更ながらジルは自身に感心する。
戦いとは、勝者と敗者だ。勝てば生き負ければ死す。その定義だけはいつの時代も変わらない。
だからこそ、生前のジルは表には出さず内心では《死》に怯えていたのだ。
だが、霊となった今では違う。なぜなら、死んでも生きても変わらないから。
生きれば幸福は間違いなく、死しても戻る場所は決まっているのだ。何を恐れることがあろうか。
今では、フランスへの復讐心しか頭にないのである。
…ああ、いや。一つだけ存在した。まるで意味もなく、皆の意思ではなく私自身の紛れもない欲望。今ある中での唯一の不純物が。
ジルは遠くに見える王城を見つめて、それに手を突きつけて、邪悪に笑い、呟いた。

あの小僧だけは、我が手で殺さなければ…!

「全軍、突撃ィィィッ!!」
「駒達よ…皆殺しにしなさい。」
2人の指揮官のまるで正反対の合図の後、凄まじい雄叫びと共に軍という2つの《塊》が動き出した。
今日ここで、大量の死が撒き散らされることとなるのだ。
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