夜明け前に家へ帰った真琴はこれから忙しくなると言っていた。誕生日が近いから大人になる準備があるのだと真面目な顔で語る。そんな真琴に見とれながら、慶次は自分より年下なのかとぼんやり考えていた。
それから八日後、慶次は仮装パーティの衣装を完成させつつあった。子供の頃に母から聞いた魔法使いに扮する衣装だが黒い帽子は難易度が高い。
苦心しながらとんがり帽子を縫っていると玄関から声が聞こえた。聞きなれない声に驚き作業の手を止めた慶次のもとへ兄が姿を見せる。
「元気そうですね」
分厚い本を手に現れたのは下の兄だった。兄は台所で作業をしていた慶次のもとへ近づき首をかしげる。
「何をしているんですか?」
「仮装パーティの衣装作りだよ。そういうみっちゃんは……」
問いかけようとしたところで土地が奪われた事を思い出して表情を曇らせる。そんな慶次の変化に気づいた兄だが何を聞くこともせず机に本をおいた。あげく棚からグラスを出すと、水瓶の水を注ぎ椅子に腰を下ろす。
「俺はいつも通り書記の仕事をしていました」
「その仕事って、土地の権利をいじったり……」
「それは別の部署ですね」
「みっちゃんはこの家の権利とか知ってる?」
下の兄とは7つ違いだが、それでも上の兄より親しい相手ではあった。幼い頃は本を読んでくれて、今も帰宅する際には本を買ってきてくれる。そんな相手だからこそ慶次は少しの勇気とともに問いかけてみた。
しかし兄はそんな慶次に首を振って返す。
「俺はそういった事には興味がないですし、親が死んだ時はまだ子供でしたから」
「あ、そっか……その時のみっちゃんは14歳か」
父と継母が死んだのはちょうど10年前となる。慶次自身はまだ7歳で下の兄も14だった。だとしたら土地の権利などに関わることはなかったのだろう。
「じゃあ兄ちゃんが父さんの土地を取っちゃったのか。あ、そういえば兄ちゃん街で財布盗ったって」
「それは凄いですね」
「ひどいよな。ホントびっくりしてさ。兄ちゃんそんな悪いヤツだったのかって」
本当に絶望したのだと慶次は作業そっちのけで愚痴る。すると下の兄は慶次に真面目な顔を向けた。
「悪事であるかどうかは、人の主観によって変わるものだと思います」
「へ?」
「兄の行動を悪と取るかどうかは、人によって変わると言うことです」
「ちょっとわからないけど、みっちゃんは人の財布を盗っても悪いと思わないの?」
「状況によりますね」
もしかしたらこの兄たちは自分と同じ正義感を持っていないのだろうか。そう疑念を抱きつつ慶次は首をかしげた。
「もしかしてだけどさ。貧しくて死にそうな子供を抱えたお母さんがパンを盗んだ時は許す、みたいな」
「それは窃盗罪ですね」
「じゃあ兄ちゃんのもセットウザイだよ」
「物事は一片だけ見ても判断できないものです。常に様々な視点で見なければ、真実は見えてきません」
「うーん、どこからどう見ても兄ちゃんが財布を盗ったのはホントのことだと思うけど」
やはり血の繋がった兄弟だからこの兄は上の兄をかばいたいのだろう。兄の話は難しく理解に苦しんだが、そんな印象で片付ける。そんな慶次の目の前で、下の兄はとんがり帽子の形を整えてくれた。
「ここを縫うと、もう少し綺麗になりますよ」
「わかった!」
兄の指摘を受けた慶次は帽子作りの作業を再開させた。帽子の後ろ側を縫って詰める慶次を眺めていた兄はふと目を細めて視点を移す。
すると再び慶次が口を開いた。
「あ、みっちゃん。俺スキな人ができたよ」
弟から向けられた思わぬ告白に、兄は目を見開いて視点を戻す。
「どこの方ですか」
「どこの人か知らないけど、真琴っていうんだ。近くの川で会ったんだよ」
「それは男性ですか?」
「うん、でもすごくかっこよくてきれいだよ。それにほっぺにキスしたから結婚しないとだからさ。そのうちみっちゃんにも紹介するよ」
今時、幼い子供でも頬にキスされた程度で結婚は決めないだろう。そう思いながらも兄は純真無垢な弟に現実を向けられなかった。むしろこの兄自身も恋愛話はあまり得意ではなかったのだ。