慣れない女性物の靴で走って転んで靴を片方なくしながらもさらに走った。城下町を抜けて野原を進み森を抜けて、一晩中歩き続けていつもの街に戻る。その頃にはドレスの裾も破れて泥だらけになっていた。きれいに整えられていた髪も乱れて縮れなぜか落ち葉が絡んでいる。
夜明け前の静かな街をとぼとぼと歩き自分の家がある森へ入っていく。そうして帰宅した慶次はボロボロのドレスを捨てた。ただひとつ残されたガラスの靴はどうすればいいのかわからず処分に困り果てる。
ボロボロになってしまったドレスは無理だが、靴は魔法使いたちに返すべきだろうか。そう考え事もあったが、そのために街へ行く気力も残っていなかった。
そして慶次はひとり畑の世話をしながらまとわりつくアヒルに話しかける。
「これで良かったんだよ。真琴に迷惑をかけちゃいけないからさ」
そんなことを言ったとこでアヒルは返事をくれない。そして返事がもらえないといういつもの事が、なぜかもう耐えられる気がしなかった。
痛む胸をぎゅっとつかんだ慶次は涙をこらえるため歯を噛み締める。
「迷惑かけちゃいけないんだ……絶対」
誕生日を迎え成人となった第四王子だが、まだ正式に執務らしいことは行っていなかった。むしろ仮装パーティ以降、王子は思い詰めた顔で庭園にいることが多い。
そんな末王子を見かねた第一王子が側近である近衛隊長を呼びつけた。
「君は知っていると思うけど、真琴はどうやら花嫁との間に問題を抱えているらしいね」
「そのようですが、職務外の事ですので」
第一王子の質問に近衛隊長は片膝を着き恭しく頭を垂れて答える。そんな近衛隊長を見下ろしていた第一王子は緋色の髪を揺らして首を傾けた。
「それはおかしな話だね。真琴の花嫁は君の弟だというのに」
第一王子が指摘した瞬間、頭を垂れる近衛隊長の眉間にしわが刻まれた。けれど第一王子からはその変化を見て取ることはできない。
第一王子は余裕を含んだ笑みをこぼすと近衛隊長に立つよう告げる。
「普通程度の野心を持った人間であれば、身内が王子に気に入れられれば喜ぶものだよ。けれど君はまるで宝物を隠すようにあの広大な森に閉じ込め続けている。あるいは、血の繋がらない弟を疎んであの森に隔離しているのかな」
弟を疎んでと、第一王子が告げれば近衛隊長は素直に顔をしかめた。そうして今度こそ反応を目の当たりにした第一王子は口許を緩める。
「君は本当にわかりやすい男だね」
「弟をどうしようと、それは身内の問題です。殿下が気に病まれるほどの事ではありません」
臣下ながら噛みついてきた近衛隊長は軽く会釈をすると手にしていた帽子をかぶる。この近衛隊長はなぜかその帽子で顔を隠そうとする傾向にあった。
そして第一王子は、牙を隠そうとする近衛隊長と合間見えるのが嫌いではなかった。
「近衛隊長、僕はただ真琴を思いやっているだけだよ。それに僕は悪漢に襲われ貞操を奪われそうだった君の弟を助けた恩がある。君はそんな僕をありがたがって……」
「それはどこの悪漢だ」
へりくだるべきだと言おうとした第一王子に地獄の底から響くような低い声が流れる。同時に帽子の隙間から殺意の眼光が向けられ第一王子は嘆息を漏らした。
「君への恨みを抱えた愚か者があの街にいるんだよ。君も覚えがあるだろう」
少しあきれながらも情報を提供すれば、近衛隊長は舌打ちしながら踵を返す。そうして立ち去る近衛隊長の後ろ姿を第一王子はあきれた目で眺めた。
「あんな野蛮人が僕の親戚だなんて、本当にうんざりするよ」
未来の国王への礼儀を忘れた近衛隊長の態度を大臣たちが見たら何と言うだろうか。しかもそれが血の繋がらない弟の為だなどとあきれ果てて救う気にもならない。
そう考えた第一王子だが、血の繋がった身内を救うため行動に移すことにした。末の弟はまたへあのガラスの靴を抱えて庭園にいるのだろう。
普段は聡明で行動力もあるはずなのに、自分の事となるとそれが半減してしまう。そんな愚かで可愛い末弟の背中を押してやるのも兄の役目だと第一王子は考えていた。
第一王子のもとを離れた近衛隊長は憤然と回廊を突き進んでいた。その威圧感に通りかかる者たちが小さく悲鳴をあげて離れる。そんな中で通りかかった書記官が、近衛隊長の前に立ちはだかった。
近衛隊長よりも上背のある書記官はその時も真面目な顔を見せている。
「どこへ行くんですか」
「慶次に手を出そうとしたヤツを潰しに行くんだよ」
「あなたが今すべきことはそういうことでないと思いますが」
書記官として多くの仕事を抱える弟だが、たまにあの家へ帰ることをしているらしい。そのあたりは、ほぼ城から出ない近衛隊長よりは健全な生活をしているかもしれない。
そんな弟の言葉に近衛隊長は腕を組みどういうことかと問いかける。
「ほとんど帰らねぇ俺が口出しするもんじゃねぇって、前も言ってたよな」
「それ以前に、あなたは彼から悪人だと思われていますよ。街の者から財布を奪い、彼の父が遺した土地屋敷を奪った者として」
「あ? なんだそれ」
「そんな身内がいる自分が王子と共にはいられない。おそらく彼はそう考えたのでしょう。先日帰宅した時は庭先に落ち葉とともに青いドレスの燃え残りが落ちていました。その際にはガラスの靴の捨て方を聞かれましたよ」
「答えたのか」
「とりあえず埋めておくよう伝えました。ガラスであれば腐敗もしませんから、後で取り出すこともできるでしょう。しかしそれは彼が自分の幸せを見いだした時の話です」
若くして書記官となったこの弟は、近衛隊長よりも聡明で優秀な男だった。それは城内の誰もが知ることだが、今はその聡明さが憎らしく感じられる。
「俺はあいつをここに近づかせるのもイヤだって言ったよな」
「それは第四王子では彼を守り幸せにできないと考えていると言うことですか」
「そうは言ってねぇよ」
「言ってますよ。そして彼をいま絶望の底に落としているのはあなたです」
遠慮も優しさもない言葉は突き刺す勢いで近衛隊長に向けられる。そしてその正しさに近衛隊長は反論の余地をなくしていた。
そうして近衛隊長が黙り込むと回廊の奥から足音が近づいてくる。足音を響かせ走ってきたのは渦中の主である第四王子だった。
「近衛隊長!」
きらめくガラスの靴を片手にした第四王子は嬉々とした様子で走ってくる。
「この靴の持ち主を探すぞ! ついてこい!」
先ほどまで意気消沈していた第四王子の変化に驚いた近衛隊長は否とは言わなかった。長身の弟を上目に見やると帽子をかぶりなおして王子の後を追うように駆け出す。