捨てられない。見捨てられない。迫害されない。
その言葉が俺にとってどれ程重い意味を持つ言葉なのか、それを分かる人なんていないだろう。過去を見たディラルヴォーラにしても、人と竜とでは致命的に価値観が違う為分かるまい。
だからこの思いは、永劫胸に仕舞って忘れてしまおう。いつかこの瞬間を後悔するときが来ても、自分1人で全てを背負うために。
「それじゃあ、もし俺が“モロハ”じゃなくなったらよろしくお願いしますね?」
「任せとけ」
待機してくれているフロックスさんの前で、今までずっと収納の奥底に封じていた『もう一本のファビオラの腕』を取り出した。取り込めば、確実に人であることを辞めることになるが、代わりに力の手に入る劇物。
エウリさんには鎖の勇者の見張りを頼んでいるから、どんな醜態を晒そうが見られる心配はない。だから今、それに魔法を発動させながら噛み付いた。
「
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
途端、急激に萎む腕と頭の中に直接叩き込まれる膨大な情報。ディラルヴォーラの眼程ではないが、それでも溺死しかねない情報の波が荒れ狂い、俺の正気を削っていく。
同時に、身体も変調を開始した。ゴキ、バキ、と骨がズレ変形し変わっていき、全身の肌に針で刺された様な痛みが走り時間が経つ程それは増していく。
自己否定ーー後悔を否定しました
薬で痛みを消している筈なのにこれだ。下手に魔法だけで済ませようとせず、腕に噛み付いた判断は正しかった。こうして噛み付いていなければ、きっと無様に苦痛の声を漏らして心配をかけてしまったことだろう。それはちょっと、1人の男として御免被る。
そんな状態で、どれだけの時間耐えただろうか。無限にも思えるが、きっととても短い時間だったのだろう。普段『痛み』というものを切り離している俺は、アッサリと限界を迎えて意識を飛ばし──
『ここで気を失えば血に呑まれるぞ。しっかりせんか英雄よ』
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
かけたところで、竜の一喝とチートによる否定で意識をどうにか繋ぎ止めた。
そうなってしまえば後は早い。脂汗を流し、なけなしの精神力を振り絞り、痛みに耐え続ける。どうせ壊れかけの俺なんだ、今更これ程度でなんとなる。
「──ッ、ハ! はぁ……はぁ……」
そして、地獄の時間は過ぎ去った。気力の限界に地面に倒れ、月の光を浴びて大の字に転がりながらそれを実感する。体感で、9割が吸血鬼で1割が竜といったところだろうか? 記憶が失われたということはないが、己の人間だった部分が完全に消えたことが分かった。
そうして放心したようにボーッとしていた俺を、見下ろす様にしてフロックスさんが聞いてきた。
「どうだモロハ、魔族になった感想ってのは」
「特に何も。ちょっと夜の空気が心地いいなとか、昼と変わらない感じで見えるくらいです」
そう、変化は本当にそんな些細なものだった。後は、強いて言えば魔力量が僅かに増えたことだろうか。種族ごとの特異性こそあれ、人と魔族の違いなんて大体そんな程度のものなのだ。肌の色が違うことと何ら変わりない。
自己否定ーー高説を否定しました
まあ、そんな如何にも賢しらな考えは今は置いておく。それよりも今は、『チートがコピーしたチートを得られるか』の一点の方が重要だ。それが出来なければ、俺がこうして吸血鬼になったことの意味がない。
「ふっ」
気合いを入れ直し、痛みの感覚が抜けず痙攣する身体を無理やり起こす。手が震えるが、まあ、魔法を使うのには支障はないだろう。そう思って、痛みのせいで切れていた魔術回路のスイッチを入れ直す。
「お、魔法使おうとすると目の色変わんのな」
その瞬間、まじまじとこちらを見ていたフロックスさんがそんなことを呟いた。
「マジですか」
「応よ。宝石みたいな感じの赤だぜ」
言われ愛槍の刃に自分を写してみれば、確かに右目の色が変化していた。ルビーのような……いや、この場合は血のようなの方が正しいか。琥珀色だったはずの右目がワインレッドに変色していた。
まあ、いいんじゃないだろうか。元の俺からはかけ離れた姿になってしまったが、これは
「《排出》、
自嘲の笑みを浮かべながら、排出したコピーの勇者の死体に魔法を発動させる。そうして発動した魔法は、直前までと比べて遥かに練度が上昇していた。他の魔法ならそうはいかないだろうが、『吸血』という種族の根本に関わることだからだろう。
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
先程までの情報の圧が海だとするならば、今感じているこれはそこら辺にある水溜り程度。感覚が壊れている今ならば、そのまま受け流せる程度のものでしかなかった。
informationーーチート《転写模倣》を奪取しました
そしてすぐに、自分の中に異物が流れ込んできたのを感じた。内側から無駄に圧迫して、気持ち悪くて吐き気がする、自分を食い破って出て行きそうな暴力的な力。
以前はそう感じていたものが、空のコップに水が収まるようにすんなりと受け入れられた。と言っても、何かあれば溢れてしまいそうなギリギリの感じではあるのだが。
自己否定ーー《転写模倣》のロックを否定しました
自己否定ーー《転写模倣》の防衛機構を否定しました
自己否定ーー《転写模倣》の所有者登録を否定しました
自己否定ーー《転写模倣》のシステムを掌握しました
そして、余裕があるからか成長したからか、急速に奪取したチートが己のチートに弄られていく。
informationーー《転写模倣》内の精査を開始
informationーー完了。限界までチートが転写されています
informationーーコピー1《竜殺し》のチートを精査しています
自己否定ーー発動条件を満たしていない為破棄します
informationーーコピー2《転移》のチートを精査しています
informationーー破損大 / 修復可
informationーー再生しつつ最適化を実行します
informationーーコピー3《聖剣》のチートを精査しています
自己否定ーー発動条件を満たしていない為破棄します
スッと、溜まっていた負荷の様なものが軽減された。少しだけ楽になった気分で、流れていく文字を見続ける。
informationーー《転移》の再生率75%で停止。
informationーーこれ以上の再生は不可能です
informationーーコピー1《転移》に使用条件が追加されました。1度使用した場合、168時間再使用が不可能となります。
informationーーコピー1《転移》を使用する為、コピー2に『information』を補助専用として転写します。完了しました
自己否定ーーチート《転写模倣》のトリミングが完了しました
informationーー廃棄部分は燃焼回路にてエネルギーへ変換します
informationーーコピー3はトリミングにより、チートを転写する容量を失いました
informationーーよって、以降コピー3部分はバックアップ待機部分として取り扱います
informationーーチート《模倣転写》を習得しました
「はぁ……」
その文字を最後に、流れに流れていた文字群は鳴りを潜めて消え去った。それを見て、いや感じて? 大きくため息を吐く。なんとなく自分が奪った新しい力の使い方は分かるし、これで一安心といったところだろう。
「首尾はどうだ?」
「なんとか。片道切符ですけど、王都までは行けるはずです」
心配そうに聞いてきたフロックスさんに、俺は笑ってそう答える。使用に条件が生まれてしまったが、今回行くだけなら問題ないような感じがしている。多分燃料てして今溜め込んでる黒炎を9割方消費することになるだろうが、それは必要経費として割り切ろう。行けるのであれば、そんなの安い買い物だ。
「行くにしても今日は無理だろうし、ゆっくり休んでろ」
「お言葉に甘えさせてもらいますかね」
今すぐにでも行きたい気持ちはあるが、こんな全身震えてロクに立っていられない状態で行っても意味がないことくらいは分かる。俺はまだまだ子供だが、そこまでガキではない。
「よっこらせっ、とと」
そう思いつつ愛槍を支えに立ち上がろうとしたが、フラついて結局地面に倒れ込んでしまった。愛槍の鞘に納めた刃を顔に強かに打ち付け、なんとも言い難い強烈な痛みに襲われる。
「あががが……」
「こりゃ本格的にダメそうだな……おいエウリ、ちょっとこっち来い!」
「はい?」
パタパタと歩く音と、聞き慣れた愛しい声が聞こえた。それにさっきまで痛みで忘れていた、疲れのようなものが呼び起こされる。邪魔になりそうだし、驟雨は収納しておこう。
「モロハに肩貸してくれ。もう立てないくらい疲れてるみてぇだ」
「わかりました。ちょっと、しつれいしますね」
そう言って手が回され、柔らかさと森のような匂いに包まれた。そのまま僅かな浮遊感を伴い、視線の高さが移動する。
自己否定ーー吸血欲を否定しました
「あるけますか?」
「それくらいなら、なんとか」
返事しつつ見たエウリさんの横顔に、どうしようもなく抗い難い感情が湧き上がった。血を吸いたいという性欲に近いそれは、チートで一旦掻き消されたもののすぐに復活しそうな予感を感じさせた。
「どうかしました?」
フロックスさんが1分ほどで作り上げた野営地に向けて歩きながら、エウリさんの顔を見てボーッとしていたことがバレたのだろう。そんなことを聞かれてしまった。
「いえ、なんでも──」
「もしかして、わたしのちとかすいたくなってます?」
「筒抜けですね」
困ったような笑顔で言われてしまうと、俺も否定なんてできない。本当に内心が筒抜けで、ディラルヴォーラに対しては不快でしかないがエウリさんになら安心感がある。
「でも、大丈夫です。そこまで甘えるわけにも行きませんから」
「そういって、いっかいもわたしのちをすったことないですよね? モロハさん、きゅうけつきなのに」
「ぐうの音も出ませんね……」
大きめの木で仕切られた場所に下ろして貰いつつそう答える。愛している人だから、そういうことをしたくない。確か俺はそう思っていたはずで、間違いではないと信じている。
「フロックスさんのはすったってききましたよ? だから、わたしも」
そう言って首筋をはだけさせたエウリさんを見て、吸血鬼としての本能の様なものが恐ろしいほど刺激された。
自己否定ーー吸血欲を否定しました
自己否定ーー吸血欲を否定しました
チートが否定してくれるが、止まらない、止められない。近くの木に寄りかかるエウリさんに詰め寄り、直近で目を見ながら言う。
「そんなこと言われたら、我慢出来なくなっちゃうんですけど」
「いいですよ、きてください」
それが、理性の限界だった。もう我慢出来ないと、はだけたエウリさんの首筋に噛み付いた。感じる甘い匂いに混ざる、血と汗と森の匂い。そして聴覚に届く、嬌声にも似た甘い声。
「んっ」
押し当てた牙が柔らかな肌を突き破り、甘く蕩けるような香りが溢れ出た。完全に吸血鬼となったからだろうか、血に感じる感覚が今までとは全く違う。実物は知らないが、麻薬のようだ。
手放したくない、失いたくない、このまま延々と味わっていたい。そんな心の奥底から溢れ出る感情に従って、強くエウリさんを抱きしめた。絶対に離さないと、絶対に逃げさせないと言わんばかりに強く強く。
「ぁっ、や」
がっつき過ぎないように、でも必死に求めて、血を吸い上げていく。傷を刺激して、吸い上げて、溢れ出る紅き命を啜っていく。愛する人の血を、全力で味わい尽くしていく。
「こん、な、だめっ……」
力の抜けたエウリさんの身体を抱きしめつつ、それでも吸血を止めることが出来ない。チートが一々感情を消していくが、感情が本能に勝てるわけがないのだ。もっともっと、そんな風に思えて止まない。
「ふぁ、んっ……いい、れすよ。もっと、すっても」
止まらない、止められない。終わらない、終わりたくない。
理性と本能が鬩ぎ合い、二重の螺旋を描きながら思考は己の奥底に沈んでいく。
「わたしはモロハさんのもので、モロハさんはわたしのものです、から。だから、ぜったいにおいていかないで。ひとりに、しないでね……わたしも、ずっといっしょにいる、から……ひゃっ」
そんな無限に続くような幸せの時間は、フロックスさんに見つかるまで続くのだった。