かつて怪我人が大勢寝かされ、死が蔓延していた夜戦病院跡地。そこには今、数百名の人員が集められていた。各方面に分裂した姫さまの私兵のうち、所謂近衛に分類される精鋭メンバー。その面持ちは、どこまでも真剣だった。
広場の隅でそれを見る俺たちの前で、金髪碧眼の豪奢な衣装を纏った少女が演台に登った。
「総員傾注!」
その少女の傍らに立つ師匠がそう言い、場の雰囲気が引き締まる。そうして始まった、本来ならば聞く必要があるはずの演説。指揮を高める為にあるそれを一切聞くことなく、始まりを見届けた俺たちは街の裏路地を走っていた。
自己否定ーー雑念を否定しました
「それじゃあ、タイミングを合わせて乗り込むわよ」
そう近くで話すのは、華美な装飾など何もない実用性一辺倒の装備を纏った姫さま。そう、演説している姫さまは所謂影武者というやつなのだ。何故このような状況になっているかは、姫さまが建てた作戦に起因している。
◇
「でも、あなた達にはもうちょっとだけ付き合って貰うわよ?」
そう言って姫さまは、鎖の勇者を追い出して俺たちだけを天幕の中に残した。きっと何か俺たち以外には言えない……いや、正確には王と一度も接触したことのない相手にしか、言えないような内容なのだろう。
自己否定ーー疑念を否定しました
そんなことだろうと当たりをつけていると、姫さまが軽く杖を振った。瞬間、外からの音が遮断された。代わりに僅かに風の音が聞こえることから、なんらかの魔術の効果であることが予想できた。
「さて、これで時間制限は付いたけど気兼ねなく話ができるわ」
「らしいな。で、話ってのはなんだよ?」
気が抜けたような姫さまの言葉に、最初に反応したのはフロックスさんだった。その表情はどこか険しく、真剣さが伺える。
少し遅れて俺も気合を入れ直し、真剣な表情で話しに耳を傾ける。エウリさんもそれに続き、それをみた姫さまが満足そうな表情を浮かべて話し始めた。
「残ってもらった理由は、今回の作戦について話すためよ。まだヘルクト以外には話してすらない作戦をね」
そう姫さまが言った言葉に、僅かに息を飲んだ。このタイミングでそんなことを話されるとなると、確実に何かある。それは間違いないといえよう。
自己否定ーー驚愕を否定しました
自己否定ーー遠慮を否定しました
「俺たちに、何をさせたいんですか?」
だから、問いかけた。俺たちに何をさせたいのか、俺たちは何をするべきなのか。それが分からなければ、何をすることもできないのだから。
「急かさないでも教えるわよ、せっかちね」
はぁ、とため息を吐き、軽く頭を押さえながら姫さまは言う。
「貴方たちには、私と一緒に王城へ侵入して敵を無力化してもらうわ。ヘルクトが率いる私の部下が、王城を攻めてる間にね」
「簡単に言ってっけどよ、仮にも一国の城だろ? んな簡単に侵入できんのかよ?」
「はっ、私はこの国の姫よ? 我が家のことくらい知り尽くしてるわ。舐めんじゃないわよ」
獰猛な笑みを浮かべた姫さまが、フロックスさんにギラギラとした目を向けながらそう言った。その目からは、何が何でも成し遂げると言った強い意志が感じ取る事ができる。
「元々は貴方たちが戻ってくることは期待してなかったのよ、だから私の単騎駆けの予定だったのよね。でも、帰ってきたなら遊ばせておく余裕はないわ。それに、都合上私1人だけだったけど、ぶっちゃけ戦力としては不安だったのよね。あのクソ親父のせいで、一国相手に戦うのと何ら変わりないのだし」
やれやれと肩をすくめる姫さまを見るフロックスさんの表情は、相変わらず険しい。何故だろうかと思っていると、目を細めたフロックスさんが姫さまに問いかけた。
「なあお姫さま。今までわざと聞かないでいたけどよ、こんなご大層な計画立てた理由は何だ? 部下を無謀に付き合わせるのは、あんたの言うクソ親父と変わんねえんじゃないか?」
「そう、ね。幾ら忌み嫌おうと、私の身体に流れる血の半分はクソ親父のもの。それに、普通の人とものの考え方が違うことも、自覚してるわ。だから、私の知らないところで、私はクソ親父みたいなことをしてるのかもしれない、配慮が足りないのかもしれないわ」
そこまで言って姫さまは、でもと言葉を区切る。そして力強くフロックスさんを睨み返して言った。
「それでも、二度と見たくない地獄があるのよ。それを潰せるかもしれないのよ。なら、それを実行しないで止まるわけが、止められるわけがないじゃない!」
「そうかよ。ま、ポッと出のオレに反論出来ねぇならそれまでだと思ってたけど、これくらい言えんならいいだろ!」
今にも掴みかからんとしている姫さまに、何時もの少年のような笑みを浮かべてフロックスさんはそう言った。姫さまの肩をパンパンと叩くその姿に毒気を抜かれたようで、調子狂うわね……ととても小さな声で呟いていた。
「まあいいわ。さっきの作戦を詳しく説明するわね」
コホンと咳払いをして姫さまが語り始める。
「まず最初に、私の影武者に演説をさせて注意を引くわ。クソ親父を騙せるかは分からないけど、現場指揮官と味方を騙すためね。指揮官が現場で指揮を取れば、みんなやる気になってくれるもの」
なるほど確かに。記憶の端にあるサブカルチャーの知識に、そんな感じの話がギリギリ引っかかっていた。
「そして、私の部下には所謂勇者二世……親からチートを継承してる子が多いわ。私含めね。それに、魔族との混血も多いわ。故に、それをとことん利用するわ。つまり──」
◇
作戦をそこまで思い出した時、鎮魂歌の様な歌が街に響き
自己否定ーー吸血欲を否定しました
牙の疼きをチートが否定し、体感で今が夜になったことを実感する。加えて、湧き上がる力に改めてチートは本当にずるいと内心吐き捨てる。
「「「「ウォォォォォォッ!!!」」」」
それに続いて、地の底から揺らす様な雄叫びが上がった。それは人の叫びでなく、獣の叫び。獣人と呼ばれる魔族との混血である人たちが、その本性を解放するためにあげる勝鬨だった。
それに呼応して、一般市民の殆どが避難した街のあちこちから、そんな遠吠えが上がり街中に反響を重ねていく。身体が完全に魔族となった影響だろうか、その遠吠えから『野生を思い出せ』『圧政に屈するな』『我らが主人に勝利を捧げよ』『狩りの始まりだ』と、様々な意志が伝わってくる。そんなものを聞かされたら、嫌が応にも昂ぶるというもの。
自己否定ーー興奮を否定しました
「付いて来なさい!」
そんな中、姫さまが近くにあった水路へ飛び降りた。やるじゃんと思いつつそれに続き、歪んだ鉄格子の嵌められた下水路と思われる場所へ侵入していく。
「私も辛いわ、だから我慢しなさい」
下水路の中は、最悪としか言いようのない環境だった。幸いにして俺は臭いに鈍いから大したことはないが、相当な臭いがしているらしい。更に明かり一切ないため、これまた俺には関係ないが一度足を滑らせると大変なことが起きる。
大丈夫かと振り返れば、エウリさんはマスクの様なものを付けそれでも顔をしかめていた。本当ならどうにかしたいけれど、俺の手は文字通り1つ。愛槍を手放すわけにはいかないので、歯を食いしばりそんな考えを振り払う。出来ることといえば、足元の滑りを収納で回収することくらいしかない。
「ここよ」
そうして走り続けること数分。姫さまは、なんの変哲も無い壁の手前で足を止めた。転倒しないよう気をつけて俺たちも止まると、姫さまが小さな声で呟いた。
「我、イシスガナ王国第二王女マルガレーテが命ずる。開門せよ」
その直後のことだった。なんの変哲も無かった壁が、独りでに動き出し、組み代わり、別の物体を形成していく。そして数秒で、階段が組み上がった。相変わらず光がない先の見えない通路だが、明らかに雰囲気が違う。
汚物が撒き散らされた汚らしい場所から、荘厳な雰囲気が漂う通路へと足を踏み入れる。その瞬間、俺たち全員から臭いが消えた。悪臭も、生来持つものも全て分け隔てなく消滅した。
「この機能が生きてて安心したわ……ひどい臭いだったもの」
「ったくだっての」
「ほんとうにですよ……」
どうやら、相当酷かったらしい。普段は基本的に不快であることが多いが、今だけは鈍った嗅覚に感謝しておく。なんてことを思っている間に背後の空間は壁へと戻り、踊り場のような広めの空間と上に続く階段だけを残し静寂が訪れる。
「それにしても、やっぱり対策されてるわね」
「らしいな。出口にうじゃうじゃいるぜ」
『大凡20人だが、どれもこれも凡俗に過ぎん。汝であれば余裕だろう、英雄よ』
久し振りに喋ったディラルヴォーラのお陰でわかったが、ここは魔力が張り巡らされ過ぎていて左眼がロクに働かない。俺にとって、ここは極めて不利な場所だ。
「わたしだけわからないです……あしでまとい……」
「いえ、俺も分からないので大丈夫ですよ」
『おい、英雄よ』
俺自身はわかってないからとディラルヴォーラに返事しつつ、気を落とすエウリさんにそう声を掛ける。
「なぐさめてくれて、ありがとうございます……」
自己否定ーー吸血欲を否定しました
弱っているエウリさんを見て湧き上がった欲望を否定し、気合いを入れ直す。ここは袋小路で、出口には20人の敵兵。殲滅……出来るだろうか。
『造作もない』
疑問に答えてくれたディラルヴォーラに礼を言いつつ、エウリさんの側から離れる。そして経験豊富であろう2人に話しかけた。
「敵が結構いるらしいですけど、どうするんです? やれって言われれば、ここからでも全滅させられるますけど」
「そんな態々侵入を知らせるような真似はしないわ。というか、私を誰だと思っているのかしら? この国1の魔術師を、舐めないでくれるかしら?」
そう言って姫さまは、堂々と階段を登っていく。
「私が合図するまで、全員隠れていてちょうだい」
そしてそうお願いした後、躊躇いなく扉を開いた。久方ぶり見る光に目が眩み、僅かな間視界が機能しなくなる。ようやくそれが落ち着いて目にした出口には、予想外の光景が広がっていた。
折り重なるように倒れた20人の騎士、その全員が穏やかな顔をして眠っていた。その全員に姫さまが触れていき、最後の1人に触れたところで合図が出された。
「何を、したんですか」
「企業秘密よ。でも、こうすれば私が生きている限り使い物にならないわ」
その言から察するに、魔法か何かで眠らせた後姫さまのチートで『眠っている状態』を固定化したということ……のはずだ。汎用性の高いチートの強さを見た気がする。
「さあ、国を盗るわよ」
因みに姫さまの荒っぽい口調は、クーデター用の影武者に王室や貴族の礼儀を教えるのは面倒なのでそっちの口調に姫さまが合わせ始めたら、荒っぽい方が楽でそっちに慣れたという話。