日も上らぬ内に起きて、早朝に数キロ分ランニングをし、朝ご飯を食べ、魔術の講義を受け、昼ご飯を食べ、戦闘訓練をし、風呂に入り、夜ご飯を食べ、歴史や情勢を学び、眠りにつく。
これが、俺が過ごして来た9日の全てだ。他の皆が王城でどの様に過ごしていたのかは知らないが、密度が異常に濃い日々を俺は送っていた。お陰で、筋肉・スタミナ・魔術・世界についての知識を多少はつける事が出来た。
その証拠に、師匠からは『新兵とタイマンなら負けないだろ』とお墨付きも貰っている。勝てるとは言ってないのがミソだね。魔術? 安定して使えるのは強化と変声だけだ。それも『まあ、及第点ね』との評価だった。けれどまあ、短い修行期間ではあったけれど、少しは自分の力に自信を持っていたのだ。カツラも外してもらえたし。来たばかりの時とは違う、と。
「だけど、流石にこれは予想外だよなぁ……」
警戒し続け、鍛錬を忘れずに馬車で移動する事1週間。俺は当然の様に最前線の、しかも人出の少ない地域に送り込まれた。それは姫様の権限でも止められないし、俺を送り届けた馬車がとんぼ返りする事も予想出来ていた。だが、流石にこんな場所だとは思わなかった。
「ねーねー、勇者のお兄ちゃん。あーそーぼ!」
半袖に制服のズボンという格好の俺の手を、小さな女の子が懸命に引っ張って話しかけて来た。俺としても付き合ってあげたいが、長旅と先程までの会議で疲れてるのだ。休みたいというのが本音である。
「ごめんね、お兄ちゃんちょっと疲れてるからまた明日ね?」
「えー! けちー!」
小さな女の子が、頬を膨らませて俺を叩いてくる。ポカポカと表現出来そうなそれを行う女の子を見て、母親が青ざめて止めようとしているけど気にしないと、笑顔で対応する。お母さんの方は、ちゃんと手で制しながら。
「その代わり、明日になったら遊んであげるから。それでいいかな?」
「うん! いいよ! ありがとう、お兄ちゃん!」
友達と思われる子供の集団に向けて駆けていく小さな女の子を見送り、母親に一礼して、案内された宿屋に向かいつつ考え方を続ける。
だけど、こんなに村に活気があるのは予想外だった。森の中にひっそりと存在しているとは言え、【プラム村】というらしいここは、最前線で取り残された村とは思えないほど暖かい空気に包まれていた。
「じゃあ勇者のにーちゃん、部屋ででいいから何か話してくれよー! 武勇伝とかねーのー?」
「ごめんね。俺、怖い話ばっかりで、あんまり楽しい話は持ってないんだ。頼りない勇者でごめんね」
「来てくれただけで嬉しいからいいぜ!」
子供が楽しそうに笑い、駆け、遊んでいる光景は素晴らしいものだ。先程まで話をしていた大人達の、暗く沈んだ雰囲気の名残を消しとばしてくれるくらいに。
大人達の話によれば、ここら辺一帯は魔王軍の吸血鬼が支配しているらしく、マトモな生活が出来ていないらしい。日々襲撃を恐れ、細々と暮らすのが精一杯なんだとか。
吸血鬼の名前は『ファビオラ=フォミナ』、金髪ナイスバディの別嬪さん(近くにいたおっさん談)らしい。その名前は、お婆さんから習った情勢の話で聞いた事があった。魔王軍の中でも、結構な力を持つ人物と覚えている。
「はぁ……」
それに、そもそも吸血鬼という相手自体が厄介極まりないのだ。人の形をしながら、人を遥かに上回る膂力。蝙蝠に変身する事による、戦闘離脱能力。血を吸った相手を快楽で屈服させ、自分の眷属へと書き換え支配する能力。影や動物を操り、その眼はこちらを惑わす魔眼だ。加えて、銀製か聖別された武器でないとそもそも攻撃すら通らず、それ以外の武器での傷は再生する。
倒す方法は、心臓に杭を突き刺すか日光で焼く事。俺の場合は、姫様が昇華安定化した槍なら可能だし、脳や心臓を抉り取る事でも倒せるだろう。
それもこれも、攻撃を当てられればとの前提付きだが。
無論、俺みたいな半人前には無理である。
俺の様な奴が来たせいで、勝てずにこの人達をぬか喜びさせるだけと考えると……流石に気持ちが滅入る。
「これを解決しろって、殺意しかないだろ」
解決出来ない場合は村人から不満をぶつけられ、万が一解決出来ても疲労で弱っているところなら暗殺が容易に可能。もしくは英雄だなんだと担ぎ上げて、もっと激戦区に投入できる。全くお笑いだ。
だが、こんな事を思える事自体が幸せだったと、俺はこの日の夜に思い知る事になったのだった。
◇
ギィ……という、僅かに木材の軋む音で目が覚めた。浅すぎる眠りが役に立った。状況を改めて認識する。ここは【プラム村】、その案内された宿屋の2階。時間は恐らく深夜帯。状況の変化はなし!
気を引きしめ、開けられた扉に目を向けると、ドアから入って来ていたのは昼間話していた幼女だった。
自己否定ーー眠気を否定しました
どうかしたのと、声をかけようとして異変に気がつく。月明かりに照らされた肌には、血の気が一切なかった。そして、昼間とは違い覚束ない足取りでこちらに進んでくる。
「《収納》《排出》」
嫌な予感を信じ、ベッドを収納し武器を構えて相対する。いつ何が起きても良いように気を張っていると、目の前の幼女が口を開いた。
「お、ニイちャん? なんデ、そンな、こワイ顔、シテるの?』
「っ」
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
それは昼間会った時と変わらないようで、まるで違う声だった。半分生きて、半分死んでいる様な嫌悪感の湧く声。けれど、それでも、目に光がなくとも、目に涙を溜め震える声で聞かれては武器は振るえない。
『ねエ、ナンで、わタしに、ぶキヲ、むけテるノ?」
自己否定ーー躊躇を否定しました
明らかにおかしい。多分吸血鬼が原因だし、倒さないといけないのは分かっている。だけど、その為の覚悟が決まらない。昼間、楽しそうに話していたのだ。俺を、遊ぼうって誘ってくれたのだ。
「ナんデ、なニモはナしてクれなイの?』
自己否定ーー躊躇を否定しました
友達と笑顔で遊んで、はしゃいでいたのだ。明日一緒に遊ぼうって、約束したのだ。そんな確実に生きていた、未来のあった幼い命を刈り取るのは、幾ら理性で分かっていても行動には移せない。
『ネエ、なんデ?」
自己否定ーー躊躇を否定しました
「違う」
自己否定ーー躊躇を否定しました
「今欲しいのは、そうじゃない!」
自己否定ーー躊躇を否定しました
「やめろ」
自己否定ーー躊躇を否定しました
自己否定ーー躊躇を否定しました自己否定ーー躊躇を否定しました自己否定ーー躊躇を否定しました自己否定ーー自己否定ーー自己否定ーー自己否定ーー自己否定ーー躊躇を否定しました
「止まれ、止まれよ!」
informationーー度重なる要請を確認
informationーー宿主の、重大な危機を確認
「やめろぉぉぉぉぉぉッ!!」
自己否定ーー躊躇の感情を否定しました
瞬間、心にポッカリと大きな穴が空いた。なんで俺は、元人間なだけの化け物を殺していないのだろう? なんで、涙が流れているのだろう? なんで、こんなに罪悪感があるのだろう? なんで、なんで、なんでなんで!!
『おにイ、チゃん?」
自己否定ーー混乱を否定しました
左腕が握り潰されるイメージで魔術のスイッチを入れる。全身に走る焼け付く感覚は、俺への罰か何かだろうか?
「力よ来たれ」
槍に強化の魔術を掛け、大きく槍を振り上げる。
「助けられなくて、ごめんね」
『やメ──」
勢いよく斜めに振り下ろした槍は、こちらに喋りかけて来ていた幼女の首を切断した。ゴロン、と切り落とされた首が床に転がり、残された胴体から温かい血が間欠泉の様に吹き出した。
念の為、間違っても復活しない様に頭に槍を突き刺し、倒れて痙攣する胴体と共に部屋の外に出して扉を閉める。
「《排出》《収納》」
先程収納したベッドを排出、シーツだけ回収して扉を封鎖した。
そこまでやってから、何故か最悪な気分を誤魔化す為に、先生の誰かの遺品であるジッポーで、同じく遺品であるタバコに火を付けて咥える。
「なんで、こんな気分なんだろう」
俺は、元人間の化け物を殺しただけだ。ゴブリンやオークを殺したのと、なんら変わる事はない筈だ。変わらない筈なのに、手の震えは収まらないし、流れる涙も止まる気配がない。
「なんで、なんだろう……」
クラスメイトや先生、後輩が殺されてるのを知っても涙が流れる事はなかった。ゴブリンやオークを殺しても、泣く事はなかった。なのに、元が人の化け物1匹殺しただけでこうなっている。訳がわからない。訳がわからないのに、心が何かを必死に叫んでいる。
自己否定ーー悲しみを否定しました
自己否定ーー罪悪感を否定しました
それは、チートが感情を否定しようと消えることはない痛みだった。叫んで居場所を露呈させるのは愚策、そんな無駄な考えが浮かぶせいで言葉を呟く事すら自分が許さない。
「あぁ……」
どうしてもこの感情が消える事はない、それだけがチートによって無理やり心に刻みこまれた。ああ、本当に気持ちが悪い。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
自己否定ーー狂気を否定しました
「ほんと、なんなんだよ……」
何も分からないまま、タバコを咥えて窓際へと足が運ばれていった。
そこから見える光景は、昼間の陰鬱とした空気ではあるが子供がワイワイと遊んでいた優しく暖かいものではなかった。
無骨な武器を持った白骨死体が地面の下から湧き出し、この場所こそが我が領土とばかりに闊歩していた。昼間楽しげに話していた人達は、誰もが服の下に大きな傷や穴を持った死体だった。誰もが血の気のない白い顔で、ふらふらと歩き彷徨っている。空には蝙蝠が舞い、月がその光景を無情にも明るく照らし出していた。
「
自分の口から出たそんな言葉が、思ったよりもストンと胸に落ちた。なんで出てきたのかは知らないが、こんな冷静に物事を考えられる自分が気持ち悪い。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
そんな考えが、一瞬にして頭から消し去られた。
それはどうしても俺に戦えと言っている様で、あの時の学校と同じ様な気分になって、ああ心底嫌になる。
「そんなに、俺に戦えって言うのかよ……」
俺の問いに答えてくれるものは、もうこの村には誰もいない。
こちらを無情に照らす月と、咥えたタバコから立ち上がる煙だけが俺の事を包んでいた。