第1話 電車に揺られ運ばれる朝に
まどろみの中で半分意識が覚醒しないまま目をこする。指先についた水滴を見て俺は気づく。
朝、目が覚めるとなぜか泣いている。そういう日がときどきある。何か夢を見ていたような、だけど、どんな夢だったかは思い出せない。ただ、「もう少しだけ、あと少しだけ…」見ていたい、そんな夢だったと思う。
歯を磨き、顔を洗い、いまだに慣れない新しいスーツを着て、マンションの一室を出る。大学を卒業し、就職先をなんとか手にしてからは、今までともに暮らしてきた父と離れて一人暮らしをしている。
朝の中央線快速は、まるで日本の通勤ラッシュを象徴するかのような混み具合だ。もっとも、生まれも育ちも東京二十三区の俺にとってはこんなのは慣れっこなのだが。それでも窮屈に感じるのは、いまだに馴染まないスーツのせいだろうか。そんなことを考えながら、俺はふと手のひらを見つめる。いつからか身についてしまった奇妙な癖。そこに何かあるわけもないのに。俺は右手から電車の窓に目線を上げた。黄色い電車が並走している。窓ガラスを2枚挟んで見えるたくさんの人の顔をぼんやりと眺める。「いるわけないか」とため息を漏らす。「誰を?」と聞かれても答えられない。ずっと誰かを探している。俺はいつからかそういう気持ちにとりつかれている。別に誰を探しているわけでもない。そんな人などいるはずないのに…。
その瞬間は突然やってきた。まるで長年探し続けた謎の答えが突然脳内に降ってきたようだった。
「ずっと誰かを…探していた!」
俺はもう一度並走する電車に目を凝らす。「もう少しだけ、あと少しだけ…」そんな感情が脳を支配し始める。俺の目線は、一人の女性に吸い寄せられていた。大きくて丸い瞳、彼女もまた、俺の目をしっかりととらえている。
ーーもう少しだけ、一緒にいたかったーー
「次は、新宿、新宿、お出口は……」と無機質なアナウンスはほとんど耳に入らず、俺は人波をかき分けてドアまで急いだ。電車を降りると無我夢中で改札を出て、駅を飛び出し、それまで乗っていた電車とは逆方向へあてもなく走り出す。ーー前にもあったなーー奥底に眠っていた記憶が俺の脳裏によぎる。こんなにも必死になって誰かを探したこと。今なら断言できる。
「俺があのとき探していたのは、君だった。」
どのぐらい走っただろうか。スーツの中の汗が気持ち悪い。だけど、もう心が身体を追い越してしまってそれどころではなかった。「彼女もきっと、俺を探している」と根拠のない確信が俺の足を前に進めた。住宅街の中の石段の前で俺は足を止める。段差の上には神社でもあるのだろうか。俺は石段の頂上を見上げ、そして目を奪われる。
そこで、俺たちは出逢った。
そこで、私たちは出逢った。
「……せいが、…れとる」
「……うぶ。……きっと……あう」
「……みる。……れどきが、……。」
私ははっと目が覚めた。何か怖い夢を見ていたような、でも、どんな夢だったかはもう思い出せない。目が覚めると私はなぜか泣いていた。こういう朝は別に珍しくはない。
アラームを見ると、セットした時間までまだ1時間ほどある。寝なおす気にもなれず、顔を洗い、朝食を作る。桜色のジャケットに袖を通し、時間に余裕があったため、いつもよりお化粧に時間をかけ、もう何年も使っている組紐で髪を結んだ。この組紐はお母さんが組んでくれたもので、これがないとどうも落ち着かない、ある意味私の身体の一部のようになっている。そういえば、ずっと前に一度なくして、しばらく見つからなかったことがあったっけ。そんなことをぼんやりと思い出しながら、私はいつもより早く家を出た。
朝の総武線の混雑を見ると、ついため息が出る。今年社会人4年目でさすがに慣れたけれども、嫌なものはやっぱり嫌なのだ。こういう時に今は亡き故郷が恋しいと特に強く思う。高校生の時はとにかく早く東京に行きたいとあんなに強く願っていたのに。黄色い電車に揺られながらそんなことを思い出し、ふと自分の手のひらを見つめる。そこに何か大切なものがあったような…。いつからか身についてしまった私の変な癖だ。その大切な何かを私はずっと探しているように思う。手のひらを見るたびにそういう感情が湧き起こる。でもそれだけだ。別に失くしたものも会いたいと思う人もいない。私は手のひらから顔を上げ窓の外を見る。並走するオレンジ色の電車が目に入る。快速なのだろうか、私の乗る総武線を追い越すように進んでいく。
次の瞬間私は目を見張った。並走する電車の中にあの人が乗っている。初めて見る顔だと思う。ましてや名前など知るはずもない。ただ、私の身体が、心が「あの人だ」と言っている。彼もまた目を大きく見開いてこちらを見つめている。ずっと手のひらで掴めなかった何かが今目の前にある。そう私は直感する。
「ずっと誰かを…探していた!」
確かなことが1つだけある。私たちは逢えば絶対すぐにわかる。あの人に会いたい。あの人に言いたい。私は、君をずっと探していたんだよって。
あの人の乗る電車は、私の乗る総武線を追い越してしまってもう見えない。「次は、千駄ヶ谷、千駄ヶ谷、お出口は……」車内アナウンスが響きわたり、私は混み合う車内の中をドアに向かって泳ぐように進む。ホームに降り、改札を出て脇目も振らず走り出した。ーーきっとあの人も私を探して走っているーー理屈ではなく、宇宙の法則で決められた不変の真理みたいな……。自分でも正直よくわからない。ただ、その根拠のない確信が私の足を前に進めた。
どのぐらい走ったのだろう。運動なんてしばらくしてないし、息も切れ切れだ。そういえば前にもこんなことがあったような。あれは8年前、私の故郷に彗星が降った日。世間的には彗星が1つの町を破壊した未曽有の大災害にも関わらず、犠牲者が1人も出なかった奇跡の出来事として認知されている。その時私は、なぜか彗星が落ちることを知っていたらしい。そして、みんなを避難させようと無我夢中で走り回ったそうだ。今考えるとオカルトチックだし、正直私もその時のことをよく覚えていない。というか、この話はあの日の私は特に変だったという話と一緒にサヤちんとテッシーから聞かされたのだ。ただ、何か強い思いに突き動かされて必死に走ったということは、ぼんやりと、でも確かに覚えている。
その記憶に勇気づけられるように私は再び走り出す。路地に入ると、そこは小さな神社だった。突き当たりは石段になっている。私はそこを降りようとして階段の下の方を見て、息を呑んだ。
2人の間を春の風が通り過ぎる。運命の歯車が今再び動き始めた。
はじめまして。勝家です。某有名戦国武将のお名前を拝借しています。以後お見知り置きを。
先日我が家に「君の名は。」のブルーレイディスクが届きまして、この感動を共有したいが余り勢いで筆をとってしまいました。次話を待ってくださる方、早めの更新を心がけますのでどうぞよろしくお付き合いください。