消えることない約束   作:勝家

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第11話 なんでもないや

 

 

 ご神体の中に置かれた二つの瓶子、三葉の話によると、口嚙み酒というらしいのだが、俺たちはまたしても不可解な現場に立ち会ってしまった。

「あれ? 私の持ってきた口嚙み酒の蓋が開いとる…。」

確かに片方の瓶子の蓋が取れ、中の白い液体が見える。三葉はひどく気味悪そうに言葉を続けた。

「な、何で……、はっ! まさか瀧くん、前にここに来た時に飲んだんじゃないでしょうね。」

いやいや、そんな記憶は無い。といっても俺が思い出せたのはラーメン屋のおじさんに連れてきてもらったことまでだけど…。ていうか、さっき聞いた話ではこれって三葉の…。

「んなわけないだろ。何が入ってるのかも知らないのにそんなまねできるかよ。」

「じゃあ…、知ってたら?」

「知ってたら…っておい、飲むわけないだろ。なに聞いてんだ。」

俺は真っ赤になって抵抗する。

「ふーん、飲まないんだ。」

「あ、いや、別に三葉のが嫌だとか、そういう意味では…。」

「まあ、さすがに私も嫌やけどね。」

ダメだ、俺一生三葉に勝てねーよ。どうすればいいんだ。なあ、テッシー…。そんな俺の顔を見て三葉はおかしそうに笑った。

「それにしても…どうして。」

確かに妙だ。不可抗力にしては、瓶子はちゃんと立っていて、その横に蓋がきれいに並んでいるなんて、何より左側の瓶子には組紐がかけられ無事なままだなんて不自然だ。瀧が考えている脇で、三葉がするりと長い黒髪に手をかけた。

「な、三葉何やって…?」

「何か気味悪いし、私の組紐で蓋しちゃおうかなって思って。」

「でも確かそれお母さんにもらった大事なものなんじゃ…。」

「うん。そうなんやけどね。なんていうか…この組紐は私にとってお守りみたいなものやったの。お母さんが死んで、お父さんも出て行ってまって、受け入れられるようになったら、今度は故郷が消えちゃって、その後の8年間はまるで心がどっかに行ってしまったみたいで…、でもね、瀧くんに出会って、心に空いた穴が一瞬で満たされたんやよ。私はもう悲しくない、寂しくない。だからこのお守りは、ずっとどこか寂しがってた、瀧くんに出会う前の私に持っていてほしいなあって。口嚙み酒はその人の半分だっておばあちゃんから聞いたし。」

 何だろう、すごく嬉しい。もちろん好きな女性からこんなにも必要とされるのは嬉しいのだが、それだけじゃない。俺は気づかされた。さっきまでぐるぐる考えていた自分自身への問いの答えに。俺と三葉は運命なんかよりももっと強い何かでつながっていた、そう確信してここに来ようと言い出したのは俺じゃないか。結局、ここに来てまだ何の手がかりも掴めていない。だけど、俺はこの確信を捨てない。この根拠の無い思いは、決して一方通行じゃないから。俺も三葉も、お互いを心から信じ合っているから。

 ご神体の外へ出て、二人は来たときと同じ小川を渡る。滑らないように、水面に出た石の上を慎重に。辺りはもう暗くなり始めていて、遠くの山に今にも沈もうとしている残陽が微かに空を赤く染めている。

「ねえ瀧くん。こういう時間帯のこと、糸守ではカタワレ時って言うんやよ。」

「…え?」

 全身が震えた。その響きは耳を突き抜け、脳の中心に直接突き刺さった。と同時に、瀧の靴は石の表面を捉えきれなかった。

 

 

――ザバン――冷たい、いや暖かい。俺の頭の中に何かが勢いよく流れ込んでくる。

 

 

「三葉のやつ、また無駄遣いしやがって。『三葉てめえ、バカ高いケーキとかドカ喰いしてんじゃねえよ!』」

「『昨日は奥寺先輩と2人でお茶したよ。』って、あの野郎。『てめえ三葉、なにしてくれてんだ! 俺の人間関係勝手に変えるなよ!』。」

「『全部聞いた』って、怖っ。でも夕べのアレはさすがに…。『三葉悪かった。もう二度としない。お詫びと言っちゃあれだけど、もしお前が東京に来たときは、お前の好きなパンケーキ御馳走してやるから。』」

「『明日は奥寺先輩とデートだよ!』って、えええ! 三葉の野郎勝手なことを。」

「『デートが終わるころには、ちょうど空には彗星が見えるね。』って、何言ってんだこいつ。」

 

――あんた今、夢をみとるな――

 

「…3年前に――死んだ?」

「つい2、3週間前に! 彗星が見えるねって、こいつは俺に言ったんです……」

「…あった! 本当に、あった! …夢じゃ、なかった……!」

 

ーー本当に時間が戻るのなら。もう一度だけーー

 

 

カタワレ時と言ったとき、瀧くんの身体は凍りついたかのように一瞬止まった。それと同時に彼はバランスを崩した。私はとっさに彼の手を強く引いたが、支えきれない。水面がもう目の前に、…私は目をつぶった。彼の手を掴んだままで…、いや、つぶっていない。まるでパソコンの画面が暗転したかのように目の前が真っ暗になったのだ。そして、いつの日だったか、絶対に忘れないと心に決めた記憶が、脳の奥底に飛び込んできた。どこにも痛みは感じなかった――

 

 

「『お風呂ゼッタイ禁止

身体は見ない、触らない

座るときは足を開かないように』

あとは…。」

「『バスケの授業で大活躍した』って、ほんとにもう…、私はそういうキャラやないんやってば。あと、あのマイケルも!」

「『ちょっと瀧くん、このラブレターなに!? なんで知らない男子に告白とかされてんの!? しかも「考えとく」って返事したですって!?』。ホントにあの男は…!」

「『俺に人生預けたほうがモテるんじゃね?』って、むかつくー! 私は、いないんじゃなくて作らないの。」

「『瀧くんは親と喧嘩したときどうしてる?』なんて、バカみたい。知るかって言われるに決まっとるもん。」

「『……いつまでこうして入れ替われるのかはわからないけど、会えたら君に言いたいことがあるんだ。瀧くん

私はね』

…ふう、どうしちゃったのかな、私…。」

「今日は奥寺先輩と東京デート……のはずやったんやけどな…。いいなあ…。今頃二人は一緒かあ…。 …あれ? 私、なんで泣いて…?」

 

 

 

ーー目が覚めても忘れないようにさ、名前書いておこうぜーー

 

 

 

……そうだ、この時だ。この時私は誓った。絶対に忘れない。彼の顔を、声を、ぬくもりを、そして名前を。その一心で、彼の名前を繰り返しながら、私は走ったんだ。変電所を爆破し、町のみんなに高校へ逃げてと叫び続けて、それから――

 

 

そのことに気づいたとき、私は恐怖した。そして無性に悲しくなった。あんなに忘れたくないと思っていた名前、こんなにも好きな人の名前が思い出せなくなっている。この8年間、私は何かとても大切なことを思い出せないまま、心にぽっかりと大きな穴を抱えて過ごしてきた。しかし、今は、それが彼だとはっきり分かっている。分かっているからこそ、悲しくて、怖くて、悔しくて、そしてやっぱり悲しい。これが夢ならば今すぐに覚めてほしい。これが夢なら――

「大丈夫やよ。」

そう言ったのは、高校生の姿をした私だった。髪は今と違って短い。しかし、今の三葉にこの状況を整理できる余裕はない。

「これは夢やないから。」

「ゆ、夢じゃないって、じゃあ…私は……。」

「夢は目覚めればいつか消える。私はあの時、ずっと夢を見ていた。それで、もう覚めちゃったんやよ。けど、あなたは違う。ほら、はよ起きない。目覚めれば、目の前に大事な人がおるんやから。」

「待って! あの人の…あの人の名前が思い出せんの!」

「あなたはもう私じゃない。だから大丈夫。あなたはもう彼を知っているやないの。」

「私」の姿がしだいに薄くなっていく。

「ちゃんと幸せになりないよ。私もすぐ追いつくでさ。」

「待って」と言おうとして、私は思いとどまる。もう後ろは向かない。過去を引きずっていた私はもういないのだから。

「うん、絶対、約束する。」

「私」が笑顔になる。

「そうや、あんた、8年前の返事、彼にちゃんとしないよ。」

「…え? どういうこと?」

「手のひらを見れば分かるでさ。」

「私」の姿はもう見えない。一人残された私は、握っていた手のひらを開いた。欠けていた最後のピースが埋まった。

 

 

 目が覚めたとき、日はすでに沈み、空には星が出ていた。俺は小川の此岸で眠っていたようだ。すぐ横で同じようにうつ伏していた三葉と目が合う。その眼には涙の跡が見える。その時、俺自身も泣いていたことに気づいた。

「…三葉。」

最愛の人の名前を呟く。

「…瀧くん? …瀧くん、瀧くん!」

馬鹿みたいに自分の名前を何度も呼ばれたのは5年ぶり、三葉にとっては8年ぶりだ。すべての謎が解けた。すべてがつながった。すべて思い出した。俺たちは微笑み合う。この気持ちを言い表す言葉を俺は知らない。きっと世界中のどの辞書にも載っていないだろう。そして、そのまま俺たちは、世界の端っこで唇を重ね合った。

 

 

 瀧くんの感触が伝わってくる。その間、失っていた8年間が戻ってきたような気がした。こんな大事なことどうして忘れていたのだろう。きっと瀧くんも同じ気持ちのはずだ。でも、そんなことより今は、ど田舎の窮屈な暮らしから私を連れだしてくれて、糸守のみんなを、そして私を救ってくれた8年前の君が、目の前にいることがただ嬉しくて、今はただひたすらに彼のぬくもりを求めた。

 

 

 満天の星空の下、ふたりは8年ぶりに、同じ場所で宇宙を見上げている。

「5年ぶり、いや、8年ぶりだな、三葉。」

「うん! 何から言ったらいいか…。うん、まずは、本当にありがとう。」

「俺からもありがとう。みんなを救ってくれて。そして、生きて俺の前にこうしていてくれて。」

想定外の返しに三葉は真っ赤になる。

「ず、ずるいよ瀧くん。8年前も今回も…。」

「え、俺何かまずいことしたか?」

「…嘘…ついたやん…。」

「…嘘?」

「名前書いておこうぜって言っといて、私の手のひらに何書いたか覚えとるやろ。」

「あ、あれは…。」

「なんやさ。あれは…って。」

「だから、俺はあのときから三葉のことが好きだったんだよ。きっかけはよく覚えてないけど、確か奥寺先輩とのデートの時はもう……、っていうか、お前勝手にデートの約束とか取り付けんなよな。」

「昔のことやもん。それにあの後、私泣いたあげく髪バッサリ切ったんやよ。今思うと、私ももうあのときは……。」

一呼吸おいて、三葉が話し出した。

「瀧くん、8年前の返事……、その…私も好き。そして今は大好き。もうわかってると思うんやけど、言っておきたかったの。」

「俺も、好きだ。この五年間ずっと好きだった。」

瀧も三葉もこれ以上は無いぐらいに顔が熱い。ふたりはしばらく互いの身体を放さなかった。そして、一度味を占めてしまったあの感触をふたりは求め合った。

「それから瀧くん。あと二つ、私に嘘ついてるよね。」

唇を離してから、三葉の追及が始まった。瀧にも心当たりがある。恐る恐る三葉の顔を見ると、彼女は不気味なほど満面の笑みを浮かべている。やばい…、この顔知ってる。前に勝手にデートについてきた四葉に見せたあの笑顔と同じだ。

「まず一つ。私の口嚙み酒飲んだのは、やっぱり瀧くんやろ!」

「あ、あれは仕方ないだろ。ていうか、あれが三葉の半分だって聞いてたから飲んだだけで、中身は本当に知らなかったんだって。そもそも、あれのおかげで助かったんだからむしろ感謝されるべきなのでは…。」

「それとこれとは話が別やもん。」

真っ赤になって反論する瀧を三葉はバッサリ斬り捨てた。

「それから、二つ目。私の胸触ったの、一回だけやないやろ! 四葉の話やと、入れ替わった日は毎日揉んでたんやってね!」

「な! それは……。」

今度こそ何も言い返せない。首筋に冷や汗が流れる。

「ああ! やっぱり、毎回触ってたんやね!」

うわっ、カマかけられた。俺は観念し、ぱちんと両手を合わせて「すまん!」と頭を下げる。目が覚めて女の子になっていたら揉んでみるのが普通だろうだなんて、とても言えない。

「ほんとにこの男は。」

再びバッサリ斬り捨てられる。俺これで一生三葉に逆らえないな。

 一通り言い終えてすっきりしたのか、三葉は元の口調でふと呟いた。

「ねえ瀧くん、私たちがこうして出会えたんも、ムスビなんやよね。神様の力ってすごいね。」

「むしろ神様の悪戯だろ。3年の時間のずれがあって、そのせいでこんなに逢うのが遅くなっちゃったんだからさ。」

瀧は笑って応える。そして、真っ直ぐに三葉の目を見て言った。

「けど、そんなのなんでもない。8年もかかったけど、こうして逢えたんだから。俺さ、あの時、カタワレ時のとき、三葉に言っておきたかったことがあったんだ。お前が世界のどこにいても、俺が必ず、もう一度逢いに行くって。そして、今度こそ約束する。もう二度と、三葉を放さないって。」

真っ直ぐ自分に向けられた瀧の瞳、言葉の一つひとつに、三葉の目からはただただ涙があふれてくる。三葉も言葉にしたいことはたくさんある。。けど、今は瀧の言葉がただただ嬉しい。瀧の存在がただただ愛おしい。

「もちろん、三葉がいいならだけど…。」

その言葉はもはや三葉に届いていなかった。

三葉は瀧の胸に飛び込む。瀧がその背中にそっと腕を回す。

「ねえ、瀧くん…。」

「なんだ? 三葉。」

「…ううん。やっぱり、なんでもない。」




まず最初に、投稿が遅くなってしまってしまい申し訳ありません。11月はとにかく忙しく、気づいたらもう下旬に入っていて、本当にあっという間に感じました、って何言っても言い訳なのですが。
私は、二人が記憶を取り戻してはじめて「再会」といえるのではないかと考え、「再会編」として執筆しました。拙い文章も多々あったことと思いますが、ここまでお付き合いいただいた皆様に改めて感謝申し上げます。
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