仮面ライダーハウンド1話 さざめく者たち   作:たかみや

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序章 

  序章  1人目

 

 狭いアパートの部屋の中で腕立て伏せをする。外はひどい雨だ。雨のにおいは嫌いだ。嫌な記憶を思い出すから。汗で髪が首筋にまとわりついて鬱陶しい。今日中に短く切ってこよう。久しぶりの運動なせいか二十回目くらいでもう腕が震えだした。前はもっとできたはずなのに、情けない。とにかく身体を鍛えなきゃいけない。戦う準備をしなきゃいけないのだ。

目を閉じて兄ちゃんの言葉を頭の中で唱えた。

――つむぎ、強く生きろ。

 ふうーと一息ついて片膝をたてて立ち上がった。しばらく呼吸を整える。

ちゃぶ台の上の段ボールを見下ろす。それは昨日と全く同じ場所にあった。見た目は何の変哲もないAmazonの箱。昨日の夜、バイトから帰って家の鍵を開けると誰かにここに置かれていた。送り主の名前は書かれていない。宛名には『つむぎへ』とゴシック体で印刷されている。

段ボールを開けて中の発泡スチロールの梱包材をより分ける。中身は黒い箱型の装置が一つと同色の鍵が一つ。鍵には首から下げられるように黒い紐がついている。何も知らない人だったらこれが何に使うものなのかわからないはずだ。だけど私は、それがベルトのバックルだと知っている。

兄ちゃんの顔を思い出す。記憶に浮かぶのは、いつも、すごく辛そうな顔ばかりだ。彼にとって私は結局何もできない足手まといだった。

そのバックルは、昔、最強の武器だった。そして、これから罪滅ぼしの道具になる。

 

  序章  2人目

 

「大神君とはちょっとの間だけ一緒に暮らしてたよ。あの子は本当に何も知らない子だったから、危なっかしくて見てられなかったんだ。だから男女の仲とかそういうのよりは姉弟って感じに近かったかな。

 あの子は本当に良い子だったよ。わざとらしいくらい良い子だった。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』ってあるでしょ? 東にブチ切れた上司あれば行ってまあまあと煽て、西にぶっ倒れた私あれば行っておかゆをつくってくれる。それくらい馬鹿みたいに良い子だった。あの時のおかゆはゲロマズだったけど、まあそれは置いとくとして。

一回本気で驚いたのが、一緒に買い物に行った帰りに高校生の喧嘩に鉢合わせしたんだよ。それはそれは見事な喧嘩で、ラグビー部でエース張れそうなガタイのいい男の子二人が、今時珍しいくらい本気で殴り合ってた。そしたら大神君はスーパーの袋を私に押し付けて、とことこ彼らに向かっていったんだ。ハラハラとかドキドキとかを通り越して唖然としたよ。その場で見守ってたら大神くんは二人の間に割って入って、二人ともからパンチを食らってた。

まるで三つ巴の大乱闘だったよ。でもよく見てると大神君は殴られるだけで、殴ってはなかった。どうにか二人の喧嘩を止めよう。ただそれだけ考えてるみたいな、無我夢中って感じだった。どうしようもなくておろおろしてたら、いきなり男の子の一人が泣き出したんだ。すると大神君はその子の背中をぽんぽんと叩きながら宥めた。

それで喧嘩は終わり。二人は肩を並べてとぼとぼ歩きだし、大神くんは「やれやれ」とへらへらした笑顔で戻ってきた。何事もなかったかのように私からスーパーの袋を取り上げて、私は、自分でも思ってもみなかったことを言った。「なんでそんな良い子ぶるの?」って。

一つは純粋に、怒ってたんだと思う。君は一体何がしたいんだって、大神君を責めて責めて責めまくりたかったんだと思う。もう一つは悔しかったんだと思う。どうして君は平気な顔でそんなことができるのか、自分がちっぽけな気がして惨めになったんだと思う。

「テンマに教わったんだ」

 大神君は少し寂しそうに肩をすくめた。最初は私に酷いことを言われて傷ついたのかと思った。だけど、彼の心は多分もっと深く、彼にしか分からない秘密の思い出みたいなところにあるみたいだった。寂しそうなのは私に理解されなかったからじゃなくて、もう会えない誰かに思いを馳せてるみたいな、そんな感じ。

 だから私は「テンマって誰?」って突っ込みたくても突っ込めなかった。なんだか他人の家に土足で踏み込むみたいな、もっとしかるべきときにしかるべきタイミングに触れなきゃいいけないみたいな、そんな繊細的な危うさがあった。

 次にテンマって名前を見たのは彼が出ていくときだった。私たちのボロアパートに、大神君宛に白い封筒が届いた。差出人のところには住所はなくて、きれいなボールペンの字で『天馬』って書かれてた。

 やっとテンマ君のことを話題にできると思って嬉しくなったよ。ちょっと中を見てみたかったけど、さすがに怒られる気がしてやめた。誰だって大事な友だちからの手紙を盗み見られるのは嫌だろうし。窓を開けて、下の駐車場を見下ろすと大神君は私が彼の誕生日に買ってやったバイクを洗ってた。「おい!」って声をかけるとあの子は眩しそうに顔を上げた。

 私は何も考えずに「テンマ君から手紙が来たぞ!」と叫んだ。すると大神君はスポンジを放り投げると階段をすごい勢いで駆け上がってきた。その時あんまり乱暴に玄関のドアを開けたもんだから、今でも蝶番の調子がおかしいんだ。大神君は半ば奪い取るみたいに私からテンマ君の手紙を取った。封筒を広げたあの子は、なんて言ったらいいかわからないすごく表現しにくい顔をしてたよ。嬉しそうにも見えたし、悔しそうにも見えた。もしかしたら怒ってたのかもしれないけど、詳しいことは分からない。

大神君は手紙を握りしめたまま、私をハグした。びっくりして窒息しそうになってると彼は耳元で「いろいろありがとうな」と呟いた。その時、ああ、今日がお別れになるんだなって訳もわからず理解した。

 大神君はボロボロのナップサックを背負って、部屋を出た。手紙に何が書かれていたのか見ていないし、テンマ君について聞くこともできなかった。今思い出したけど、「さよなら」も言えなかった。あとで外に出て行ってみると、アスファルトの上に濡れた車輪の跡がついてた。放り投げたスポンジはちゃんとバケツの中に片付けられていた。

 あたし、あの子のこと好きだったよ。でも、あの子が好きなのはきっとテンマ君ただ一人だけだったんだと思う。あの子のはすごく明るくてコミュ力も高かったけど、すごく、独りぼっちに見えた。だから私は願ってる。いつか、あの子のことをもっと理解してくれる友だちが、テンマ君の他にもできたらいいなって。

本当に、心からそう思ってる。

  序章  3人目

 

 これは僕達の戦いの物語だ。だけどその戦いがいつから始まっていたのかわからない。二人の小学生が運命的な出会いを果たした時なのか、それとも第二次世界大戦で日本が負けた時なのか。確かなのは、僕が関わるずっと前から、この戦いは既に始まっていたということだ。

 まずは僕の話から始めよう。物事を整理するためにはそれが重要だと思う。始まりの日ははっきりとしている。当時の僕は高校二年生で、その日は夏休み初日だというのにひどい雨で、僕は自室に閉じこもってただただ鬱屈した気分で宿題を片付けていた。隣の部屋の声が壁越しに聞こえた。姉と母親の声だ。僕は姉と母親が話すのが嫌いで、というのも二人が(実際は母親の方が一方的に)楽しそうに話すとき、大概の話題は姉のテストに関することだった。

 僕の姉は本当に頭がよくて、母親は姉のテスト結果を聞くのを楽しみに生きていた。母親は姉の成績を聞くと「すごいじゃなーい」と歓声を上げる。そして僕はうんざりしてヘッドホンで耳を塞ぎ、スマホでインターネットの海に逃げ込む。既にそれは一連のアルゴリズムとして組まれていて、当時の僕の日常の大部分を占めていた。

当時の僕には一つの心の拠り所があった。僕には少なくとも一つは他者より優れていることがある。それを見るだけで、僕はそのことを確かめることができる。それは全く名前の知られていない団体が主催する、全く無名のコンテストのHPだ。対象は現役の高校生で、ジャンルを問わず何らかの科学に関する論文を募集している。優秀賞には五万円分の図書券が与えられる。

 悦に入る、というのが一番しっくりくる表現なのだろう。僕はそのコンテストのHPをじっと見つめる。優秀賞の『フリーエネルギーで扇風機を動かす』。僕が去年書いた論文のタイトルだ。現時点で唯一、他人に認められた僕の勲章だ。それを眺めていれば、自分のことを正しいと思える気分に浸れた。

 これは完全に自慢になっていしまうのだけど、僕は理科が得意だ。だけどいわゆるテスト勉強的な理科は得意じゃない。どちらかと理科と工作の中間あたり、オリジナルのラジコンとか簡単なロボットを作るのが好きなのだ。

 自己評価ではあるのだけど、僕は多分、これ以外で他人に勝てるところはない。運動はまるでできないし、勉強だって学年で一桁に入るか入らないかくらいの頭だ。コミュ力が高いわけでもゲームがうまいわけでもない。だから自分の興味対象とちょっとだけ手先が器用なことは、かろうじて僕を支えるアイデンティティーだ。

「あ」

 だけど世の中にとって僕の存在なんてとても小さくて取り留めのないものなのだろう。今年の応募要項を見つけてそう思った。内容は去年と全く同じだ。深いため息をつく。結局、自己満足だったのだ。僕は何かを変えるようなことはできなかったし、世界も僕に何かを求めているわけではない。

「つまんないの」

 強がってつぶやいた。僕は感情が表に出にくいと人から評価されるが、きっと本当にそうなのだろう。行き場のないもやもやをとにかく発散したくてベットに転がりツイッターを開く。『世界は何も変わらない』なんて呟いてみる。だけどタイムラインにそれが流れるのを見ると急に冷静になって、こういう突発的な暴走が、後々黒歴史として刻まれていくんだろうなんて自嘲する。

 今ならきっとまだ誰の目にも触れていないはずだ。そう信じてすぐにその呟きを削除しようとした。だけど削除する前に、画面に通知が入った。

「え?」

 身体を起こし、しばらくその通知が嘘じゃないか凝視した。だって、ありえない。さっきのツイートに全く知らない人から返信がきている。アカウント名はシズネ。アイコンは滑車を回すハムスターの写真。とても長い返信文だ。それに全く予想外な内容だ。

『そんなことありませんよ。はじめまして。私はあなたの論文に関心があります。あなたにちょっと協力してほしいことがあります』

 即座に同じアカウントからもう一度返信が来た。

『小さな世界を変えてみませんか?』

「なん……だこれ」

 突如降ってわいた非日常に身震いした。笑うしかない。二回目の返信には電話番号らしき数字の羅列が張り付けられている。得体が知れない。こんなのまるで漫画だ。でも、後から思えば本当にビックリなのだけど、迷ったのはほんの一瞬だけだった。

 ほぼ反射的に、僕はその番号に電話をかけていた。2,3度のコールの後、相手は電話を取った。

「こんにちは。シズネです」

 若い女性の声だ。イントネーションが大人びていて多分年上だと思う。何て返事をしたらいいか思いつかず黙っていると「北関くんですか?」と尋ねられた。

「そうです」 

「『フリーエネルギーで扇風機を動かす』。この論文を書いたのは、きみ?」

 生唾をごくりと飲み込む。落ち着けと自分に言い聞かせ、喉の震えを黙らせながら声を絞り出す。

「あなたは誰なんですか?」

「君の同志だよ。私もフリーエネルギーの研究をしているんだ。君の応募したコンテストの選考に私の知り合いが関わっててね。その時に君の論文を見つけたんだよ。私もね、ちょっとした趣味できみと同じ研究をしてるんだよ。まあ私の場合は扇風機じゃなくてバイクなんだけど」

 ベッドから立ち上がり、しばらく部屋の中をぐるぐる歩く。自分がすごく興奮しているのがわかる。今起きてることは明らかに普通じゃない。おそらくほとんどの人は今後一生経験することがないくらいの異常な出来事だ。

「僕にどうしてほしいんですか?」

「私を助けてほしいの。もちろんお礼はしっかりする」

「具体的には、僕は何をしたらいいんですか?」

 シズネさんは少し黙った後で半ばためらうように「私のところに来てほしい」と言った。シズネさんの言葉で僕の背中に冷たい衝撃が走り、僕は初めて今起きている事態にリアリティを持つことができた。

「X県の清田市って知ってる?」

 シズネさんは尋ねた。

「いえ」

「まあだいたいの人はそうだと思う。とても田舎だから。そこに私のラボがあるの。よかったら、遊びに来てくれないかしら。もちろん交通費は払うよ」

 清田市のことは知らないけれど、X県というだけでそこがとても遠いところだとわかった。下手したら行って帰るだけで丸一日かかるかもしれない。

 だけど一つの核心がある。

「シズネさん、あなたの所属する団体名とその拠点の住所を教えてください」

 これは僕に訪れた最初の、あるいは最後のチャンスだ。今行動を起こすことができなければ僕は恐らく次に似たようなチャンスが来たとしても、同じように何らかの理由をつけて足踏みするに違いない。

 見ず知らずの赤の他人の口車に嬉々として乗っていこうとしているのだ。それがいかに危険で常識外れな所業なのか、重々に承知しているつもりだ。

客観的に見れば僕はとんでもない愚か者だろう。でも、自惚れかもしれないし、大勢の人に笑われるかもしれないのだけれど、僕だって一度は何かの主人公になりたいんだ。

 

 




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