とある青年ハンターと『 』少女のお話   作:Senritsu

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第19話 襷:追憶の彼方へ(中編)

 

 テハヌルフという少女の指導は難しいものだった。

 反抗的だとか物覚えが悪いとかの理由ではない。それどころか彼女はこちらの言い分を全て信じるし、命令には逆らわない。極めて従順だと言えた。

 その上でこの少女を人として育てていくならば、苦労はいくらか少ないだろう。だが、俺はこの少女を兵器として育てなくてはいけない。それは前例のない試みだった。「使い方の分からない大砲が突然話せるようになった」と言えば少しは伝わるだろうか。

 

 しかしその例えで言えば、その大砲は教え方次第で自分で移動して砲弾を装填し、照準をつけて砲撃を行うことができるのである。自律行動ができるというのはそれだけ強力なのだ。

 無論、自律行動は第一世代竜機兵もやっていたことではある。しかし、テハヌルフはその自由度が桁違いだ。第一世代機は前線まで連れて行って敵にけしかけるくらいがせいぜいだが、第二世代機は索敵から交戦、拠点防衛までこなすことができるように設計されている。

 

 この強みを最大限に活かすには、テハヌルフに対竜、または対龍の戦略や砦の構造、自らの保有する力の使い方を始めとするあらゆる知識を叩き込まなくてはならない。

 期限はテハヌルフに接続する竜機兵本体が完全に完成するまで。予定ではあと約一年だ。正直、かなり短いと言わざるを得ない。

 

 ……彼女に限り、簡単かつ効率的に知識を得させる方法はある。だが、俺はその方法は最低限に留めようと考えていた。

 

「命令も知識も全て演算機へ書き込んでしまえばいいのではないかね? 命じればすぐにその状態に移行するではないか」

 

 当然の如く、ヒガタにはそう問われた。

 彼女の頭の中にある演算機への書き込み。人間のように記憶するのではなく、機械のように記録するやり方だ。蓄音機のようなものである。頭の中に演算機が入っているテハヌルフならではの学習方法だ。

 

「その方法は有効ではあるんですが、大きなデメリットも抱えているんですよ」

「デメリットか。それは何だ?」

「知識や機能を書き込んでいくと、それだけ思考の柔軟性が失われていくんです」

 

 より人間らしさが失われていくと言うべきか。考えずとも答えが用意されているようなもので、翻せば書き込んだ分だけ思考ができなくなるのだ。

 また、命令などをその方法で覚えさせると、彼女の中ではそれが絶対的なものとなってしまうようだった。彼女の解釈次第では、書き込んだ命令のせいで身動きが取れなくなると言ったことも起こりかねない。

 

「思考の柔軟性が失われていくと、自律行動に制限がかかってきます。それは制御機としては望ましいことではないでしょう。だから、演算機への命令の書き込みは最初だけにしようかと考えています。知識はその限りではありませんが」

「ふむ、確かにその通りではある。方針が立てられていればいいのだ。成果を楽しみにしている」

 

 ヒガタはそう言って納得の意を示してくれた。ならば、あとは全力を尽くすのみだ。

 

 

 

 テハヌルフを第二世代竜機兵に搭載するに相応しい制御機にする。

 その目標をもとに、俺は自らに誓約を課した / テハヌルフに最初の三つだけ書き込みをした。

 人のかたちをした兵器を造るための、誓約 / 命令だ。

 

「褒めるな。叱るな。道具を扱うつもりで話せ / 人の代わりに龍を討つために在る」

 

 兵器に感情はいらない / 第二世代竜機兵は人と戦わない。

 

「怒るな。笑うな。感情を見せるな。ただ淡々と接し続けろ / 人間の意志に服従しなければならない」

 

 感情を育ませないために、手を尽くさなければならない / 兵器は人の支配下になくてはならない。

 

「その上で、人間の街の守護を最優先するような価値観を形成させろ / 上記の命令に反するおそれのないかぎり、自己を護らなければならない」

 

 それは、彼女に自らの存在意義を問わせないために。

 万が一にも、彼女が裏切らないように。

 

 

 

 ある日は、彼女の話し方について言葉を交わした。

 

「これからお前の話し方を直していく」

「現状は 不自然 ですか」

「その通りだ。その話し方では、俺以外の人間と交流しにくい」

「シキはなぜ 平気ですか」

「……お前を造ったからだ。これ以上の質問はしないこと」

「了承 しました」

「今のお前は、適切な言葉を引っ張り出すことに時間がかかっている。区切りの入った話し方をしている自覚はあるか」

「はい」

「それを繋げていくには、慣れるしかない。俺の話し方から学べ。俺と会話をしろ」

「了承 しました」

「聞き取りも同様だ。今の俺は、お前が理解しやすいような話し方をしている。人間はさらに抽象的な話し方をする。これから少しずつ話し方を変えていく。分からないことがあったら──」

 

 

 

 ある日は、彼女の持つ力について話し合った。

 

「あの机に置いてある鉄球を持ってこい」

「はい」

 

 俺の命令に従い、テハヌルフは人の指先ほどの鉄球を手に取って持ってくる。

 

「お前は、その場から動かなくてもそれをここまで持ってこれるはずだ。それが分かるか」

「不明 です」

「これから、俺が手本を見せる。見ておけ」

 

 俺は鉄球を机の上に戻し、懐から極龍の鱗が編み込まれた手袋を持ち出して右手にはめた。

 そして、鉄球に向かって手を近づける。と、鉄球はごろごろと転がってやがて手袋にぴたりとくっついた。

 

「今、何の力が働いていたかお前には見えたか」

「はい」

「それが磁力だ。人間には見えない。お前が感覚的に扱えるはずの力だ。その力を使って、動かしてみろ」

「……了承 しました」

 

 彼女はそう言って、俺と同じように右手を鉄球に向かって翳した。そして、力を籠めるような仕草をする──。

 

 破砕音が部屋に響き渡った。

 

 彼女の指の間をすり抜けて、彼女の傍を高速で駆け抜けた鉄球が壁にぶつかったのだ。

 壁には大きな弾痕が出来上がっていた。生身の人にぶつかっていたら、そのまま貫通していたかもしれない。

 

「…………」

「…………今のはお前の力加減を考慮していなかった俺のミスだ。次からは鉄糸を編んだ布を使う」

「……はい」

 

 テハヌルフも流石に驚いたのか、目を丸くしていた。

 俺はその何倍も驚いている。起こったことよりも、彼女が扱える磁力の強さに。

 想定よりも遥かに強い。それは、彼女が俺たちの予想以上に極龍の力を引き出せていることを意味する。この小さな体であの破壊力を生み出せる。やはり、龍の力というのは計り知れない。

 

「今の感覚を覚えておけ。次はどの程度力を籠めるべきか推定できるはずだ」

「はい。記憶 します」

 

 ひょっとしたら竜機兵本体に搭載してから訓練を予定していたあの技術を使えるかもしれない。そう思いつつも、これから書かなければならないだろう報告書と始末書に俺は内心でため息をついた。

 

 

 

 ある日は、彼女と竜機兵本体の接続試験をした。

 

「今日は、竜機兵の右腕の神経系のテストをする」

「はい」

「ケーブルでお前と本体を接続してから数時間は同期に時間を使う。実際に機体を動かすのはそれからだな」

「テストの際に本機に求められる動作はありますか」

「いや、今回は俺が直接指示を出す。それに従うだけでいい」

「分かりました」

 

 テハヌルフとの打ち合わせを経て、俺たちは竜機兵の組み立て棟へと向かった。

 開発室で作り出された肉や装甲は組み立て棟で繋ぎ合わされる。半分骸骨のようで、臓器の入った腹と右腕だけに肉のついた宙吊りの竜機兵が俺たちを出迎えた。

 鉄板敷きの通路をかんかんと靴音をたてながら歩いていけば、何人か作業員が出迎えてくれた。

 

「お待ちしておりました。シキさん」

「出迎えてもらってすまない。そっちも忙しいだろうに」

「いえいえ、シキさんが開発室との橋渡しをしてくれてるおかげで大助かりですから。……そちらにいるのが、制御機ですね」

 

 挨拶に来た作業員がテハヌルフへと目線を向けた。相変わらずの患者衣のような服を着たテハヌルフは、肉と鉄錆の匂いが入り混じるこの場では浮いて見える。

 作業員の視線を受けたテハヌルフは小さく礼をして口を開いた。

 

「初めまして。本機は第二世代竜機兵制御機、個体番号201番です。本日はよろしくお願いします」

「──ああ、こちらこそよろしく」

 

 テハヌルフのその挨拶に作業員は驚きと戸惑いが入り混じったような表情を浮かべた。

 成り立ちが人間と全く異なるこの少女がここまで流暢に言葉を操れるのが意外だったのだろう。そこまでには幾度もの会話や行き違い、爆弾発言があったのだが。

 「制御機は話せるが、別にかしこまる必要はない。貴重な道具程度の感覚で扱えばいい」と事前に言っていたからか、彼らも身構えたりはしていないようだった。それでいいのだ。

 

 テハヌルフは竜機兵の首元に収納される手筈になっている。組み立て棟の中腹辺りで飛び込み台のように突き出たいくつもの通路のうち、ひとつが首元へと伸びていて俺とテハヌルフはそこへ向かった。

 人がようやく一人入れるかという肉の隙間。そこにテハヌルフは戸惑いもなく入っていく。普通の人間ならば生理的嫌悪感が凄まじいだろう。

 今回は入り口が閉じることはなく、聴覚や視覚の神経ケーブルも繋がないので俺と向かい合って話しながらのテストとなる。

 肉から触手のように垂れているケーブルをいくつか手に取って、テハヌルフの頭に埋め込まれたコネクタの番号を照らし合わせていく。

 

「ケーブルを繋いでから同期が完了するまでは右腕の感覚がないはずだ。お前自身の右腕も動かせなくなるから気を付けておけ」

「はい」

「じゃあ、繋ぐぞ」

 

 今回繋ぐケーブルは三本程。それらをテハヌルフの頭にガチリと取り付けた──

 

「──ぁっ……が……」

 

 それは、兵器が初めて上げた悲鳴だった。

 

 竜機兵の肉に埋もれた少女の身体が仰け反り、引きつるように痙攣する。顔はひどく歪み、目は見開かれ、口は半開きになっていた。

 同期失敗かと思い、ケーブルを外しかける。が、思い留まった。

 同期とは言っても、それは物理的なものだ。ケーブルから導線を彼女の頭の中へと直接送り込んでいるのである。彼女がそれに適応するまでは、想像を絶する痛みがあるだろう。さらにそこから巨大な竜機兵の腕を動かすための膨大な情報量が流れ込んでくる。人間ならまず耐えられない。彼女の適応力頼みなのだ。

 

「ぅ……ぐぁ…………かはっ……」

 

 呻き声をあげながら、テハヌルフは外から導線が自らの頭の中に入り込む感覚に耐える。

 彼女の痛みを和らげる手段はない。龍の因子を持つ彼女は麻酔などの薬物に強い耐性を持つのだ。

 下から心配そうにこちらを見る作業員たちに大丈夫だと手で合図をして、俺は彼女の様子を黙って見守った。

 

 そして、二時間ほどが経つとその拒絶反応のような様子も収まってきた。

 彼女は憔悴しきって力なくその身を弛緩させている。浅く息をする口からは涎が垂れ、瞳はぼんやりと虚ろな光を宿している。

 

「同期は終わったな。意識は保てているか」

「……は……い…………」

「なら次は動作試験だ。右手を持ち上げてみろ」

 

 あくまでも冷静に、彼女の意識が保たれていることだけを確認して話を進める。

 そんな俺の様子に不満を抱く様子もなく、テハヌルフは肩で息をしながら俺の命令に従った。

 人が数人で手を繋がなければ取り囲めないほどに大きな腕が軋みながら持ち上がる。おお、という作業員たちの歓声が聞こえる中で、俺は淡々と指示を出し続けた。

 

 その拳を強く、強く握りしめながら。

 

 

 

 そして、ある日は。

 

「お前が都市の防衛拠点から離れて活動をしているとき、俺たちは光信号か狼煙でお前と意思伝達を試みる。簡単な命令、もしくは地形に隠れて互いが見えないときには狼煙を使う。光信号を使うのは言葉で命令を伝えたいときだ」

「どれほどの種類の信号、命令がありますか」

「合わせて百五十くらいだな。纏めて資料を作っておいた。それらについては直接書き込みを使って構わないので完全に覚えておくように……っとと」

 

 テハヌルフの部屋で、壁に取り付けられた黒板とチョークを使って授業を行っていた。と、不意に襲った眩暈に俺は体をふらつかせる。

 

「シキ、心拍と意識に支障が生じています。休息が必要です」

「ああ。分かっている」

 

 単なる疲労と寝不足だ。テハヌルフの指導だけでなく竜機兵本体の開発に関わっているのだから覚悟の上だ。

 テハヌルフの持つ極龍の力を最も引き出せる物質は砂鉄であることが、彼女と訓練を続けている間に分かった。それを竜機兵本体にも反映させ、兵装を最適化していかなくてはならない。その調整は俺の手に委ねられている。

 第二世代竜機兵の本体の製造も大詰めに入った。やるべきことは加速度的に増えていく。気を抜いてなどいられない……のだが、テハヌルフに指摘されるまでになってしまったか。どこかで休息を挟むべきなのかもしれない。

 

「授業を再開する。お前の方から連絡、または受け取った信号に対して返信が必要なときにとるべき行動についてだが、……っ」

 

 いや、今すぐ休むべきだった、か。

 後悔するころにはもう遅い。心臓がぎゅっと収縮したような痛みと共に、俺は立っていられずその場に膝をついた。取り零したチョークが床を跳ねる。

 身体疲労から来る心臓の不調だろう。そんなことを頭の片隅で考えつつ、俺は泥のような眠りへと落ちていった。

 

 …………

 

 夢を見ていた。昔の頃の、まるで走馬灯のような夢だ。

 竜機兵の初号機に憧れて、がむしゃらに勉学に励んだ。学校なんて洒落たものに通えるような身分ではなかったため、独学だ。大陸統一言語を覚えて、数学、物理を学び、歴史、竜学など手に取れる知識はなんでも吸収した。

 竜機兵はこれまでの人間の知識の集大成のようなものだ。どの分野を学んだとしても役立てられる。そう信じてなけなしの金を握りしめては古本を買い、わざわざ銭湯に行って身だしなみを整えて都市の図書館に入り浸った。

 そんな生活を数年続けて、ようやく手に届いた竜機兵の生産施設。秘匿されていた竜機兵の生産技術を学べる機関。俺は一介の技術者として意気揚々とその門をくぐった。

 

 出迎えていたのは、禁忌とされている生物創造の温床だった。

 

「…………っ」

 

 現実へと意識が引き戻される感覚。鉛のように重い瞼を薄く開けると、この施設では定番の白い天井が見えた。

 ここは療養室か、とぼんやりと考える。倒れる前のことも思い出せてきた。大方、テハヌルフが開発室の誰かに俺が倒れたことを伝えたのだろう。自律行動でそれができたなら上出来だ。と思っていたところで、俺の視界に何かが映り込んできた。

 

 テハヌルフだ。

 

 慌てて体を起こしかけるが、憔悴した身体はそれを許さず、身じろぎするに止まった。

 

「……ここは」

「本機の待機室です。意識ははっきりしていますか」

「……ああ。何時間眠っていた?」

「六時間ほどです」

 

 つまり俺は、テハヌルフのベッドで四半日寝ていたということか。それだけでまた頭が痛くなってくる。

 どうして人を呼ばなかったのかと聞けば、眠っているだけの様子だったからだと無表情で彼女は答える。羞恥も何もない彼女らしい対応だったが故に、俺はため息をつきたくなるのを抑えてこういうときの対処法を教えるに留めた。

 ゆっくりであれば、この身を起こして行動することもできそうだ。俺は今までの疲れがどっと噴出したかのように重い身体をベッドから降ろして、ふらふらしながらも立ち上がった。

 

「俺は自室に戻る。授業は中断だ。次の指示があるまでの間、教本を読んでおけ」

「了承しました」

 

 その返事を聞いて部屋から出て行こうとしたところで、背後からテハヌルフに呼び止められた。

 

「シキ。質問が一つあります」

「……なんだ?」

 

 彼女からの自主的な質問はかなり珍しい。然るべき処方を早く受けなくてはと流行る気落ちを抑えて、俺は振り返った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()、というのは本当ですか」

「──なんだと?」

「眠っている間、シキは何度かそう言いました。これは事実なのでしょうか」

 

 少女は俺の目を真っすぐに見つめて、そう問いかける。

 その瞳が、ほんのわずかにだが、揺れているような気がした。

 

 ……最悪だ。

 数時間前の自分を殴り飛ばしたい衝動にかけられる。よりにもよって、なんてことを口走ったのだ。

 彼女にだけは、決して聞かせてはいけない言葉を。

 

 テハヌルフはじっと俺を見つめ続ける。その心の内まで見透かそうとしているかのように。

 もう取り返しはつかない。誰かを頼ることもできない。俺自身がその問いに答えないと意味がない。

 俺は身を屈め、テハヌルフと初めて挨拶をした時のように目線を合わせて、その肩に手を置いた。

 決して目を逸らさないように。

 

「その言葉は、本当だ。俺は竜機兵を造りたくない」

「事実なら、本機は──」

「だが俺は誰よりも、第二世代竜機兵(おまえ)の強さを信じている」

「…………」

「人と龍の戦いに、お前は絶対に必要だと思っているから、俺はお前の指導を続けるんだ」

 

 本心からの言葉だった。取り繕う言葉など考えなかった。

 なぜなら、この少女は嘘を見抜くことができるからだ。いや、本心を感覚で悟るというのが正しいか。そういう特性を持つように彼女はできあがっていた。あの、耳元の特有の感覚器官を用いて。

 俺たちはそれを、龍の感性と言った。

 

「……分かったか?」

「……はい」

 

 彼女もまた、嘘をつくことはできない。だからその言葉は俺を少しだけほっとさせた。

 気の緩みが疲労感を再発させる。このこと以外に寝言は言っていなかったことを確かめた上で、俺は今度こそ彼女と別れた。

 

 急いで療養室に向かう予定だったのだが、どうにもその気分になれず俺は施設の展望台へと向かった。

 山をくりぬいてできている研究施設なので、上の階は地表から露出している。心地いい風が吹く場所だった。

 

 展望台には珍しく誰もいないようだった。時間は夕刻、空がぼんやりと赤く染まっている。

 テハヌルフの部屋に行くときは朝だったので、本当に四半日眠りこけていたということを実感させられる。ため息をついて俺は柵に肘をついた。

 

 空が変わり始めたのはいつごろからだっただろうか。昼は蒼が、夜は星が見えた空はそこにはない。灰のような色の薄い雲が全天を覆い、太陽や月を隠し続けている。

 そんな不穏な空の元でも、街は活気づいていた。喧騒がここまで届いてくるかのようだ。

 この都市は人と竜の生息圏の境界にあり、竜を捕らえて素材を輸出することで成り立っている。竜の捕獲業者、素材を切り出す剥ぎ取り屋、それを買い取って他の街へと運ぶ行商、竜殺しの武器を作る鍛冶屋、不足しがちな穀物や竜の捕獲業者が用いる道具を売る商店など、ここでなければそう会えないだろう人々がここには集っている。俺たちのような竜機兵の技術者などその最たるものだろう。

 

 最近は竜、そして龍の襲撃が以前にも増して頻発していて、その被害者も明らかに増えている。しかし、この熱気は止むことがない。

 竜や龍に頻繁に襲われるということは、それだけ多くの素材が都市に入ることを意味する。素材の需要は尽きることを知らず、俗っぽく言えば金儲けになる。それ故に危険を顧みず竜の捕獲業者に志願したり、別の都市から出稼ぎに来る人が後を絶たなかった。

 欲深い街だと言われるかもしれない。それでも俺は、この街の雰囲気が好きだった。この街で生まれ育ったから、その雰囲気に慣れ親しんでいったのだろう。

 だから、この街の人々を守るのに竜機兵はどうしても必要だと思って、俺はこの技術に関わり続けているのだ。

 

 そこまでが、建前の話。

 目を伏せる。心の奥底を覗き込まれたかのような気持ちの悪さだ。

 技術者となって生産施設へと入り、数々の竜機兵を生み出していきつつも、俺は内心でふと思わずにはいられなかった。

 きっと竜機兵はできれば作らない方が良い、と。それが「竜機兵を造りたくない」に繋がったのだろう。

 別に、生命創造の禁忌に怯えているからとか、素材となる竜が可哀想だからとかではない。そんなに強い感情ではなく、いつも少しばかりの後ろめたさが付きまとうのだ。

 国家の権威を示すため、宗教施設の偶像とするため、そうやって輸出されていく竜機兵を見送るたび、憐憫にも近い気持ちが燻っていた。

 

 ただ、それはテハヌルフにだけは聞かせてはいけない言葉だったのだ。それは俺自身が彼女に課した枷に起因する。

 彼女は人の意志に従う。本来、それは誰か特定のひとりを指すものではなく、集団心理を対象としたものだ。集団心理を直感的に感じ取るなど人にはほぼ不可能だが、テハヌルフは龍の感性でそれを可能にしている。

 ただ、今は状況が違う。彼女を認識している人間は少なく、俺以外との関わりがほとんどない。今の彼女の中での『人の意志』として大きな割合を占めているのは俺なのだ。

 その俺が、竜機兵なんて作りたくなかったと告げたら、それを、自分は不必要な存在だったとテハヌルフが認識したら。

 

 恐らく彼女は、自分で自分を壊すだろう。跡形もなく。()()()()()()()()()()()()()

 それは俺が一番やってはいけないことだ。そう思うとぞっとする。

 

 だが、たとえ建前でも、竜機兵が必要だと思う気持ちは本物だ。ここで自分に嘘をつけるほど俺は器用じゃない。

 ……明日までに、気持ちに整理をつけよう。彼女とのいつもの関係に戻れるように。

 

 考え事をしているうちに日が暮れてしまった。街には次々と明かりが灯り、夜景を形作っていく。

 この夜景のさらに向こうは都市の防衛拠点、いや、今はもう戦場か。第二世代竜機兵があの地へと降り立つ姿を思いながら、俺は展望台を後にした。

 

 

 

 

 

 結局、あの日の出来事は後に響くことはなく、俺とテハヌルフは指導する側とされる側の関係に戻った。

 しかし、それからの日々はまさに怒涛と呼ぶに相応しいものだった。

 

 南方の火山地帯から北上してきたらしき覇竜という龍に匹敵するほどの強大な竜が、何体もの第一世代竜機兵や竜の捕獲業者による防衛ラインを突破して都市の砦を半壊させた。

 その修復作業も頻繁に襲ってくる竜たちのために遅々として進まず、追い打ちをかけるように現れた炎王龍がとうとう都市の内部に舞い降りて甚大な被害を出した。

 

 これに対して都市は非常事態宣言を行い、竜と龍を『敵』とみなして徹底的に抗うことを決めた。これまで以上に大量の素材を輸出することを対価に、国から大量の人材と資材を輸入し、軍隊を編成。これまで以上に苛烈に彼らを倒していった。

 もうこの都市は止まらない。歯止めが効かない。それは、人の歴史上初めての人と竜、そして龍の()()だった。

 世間ではそれを、『竜大戦』と呼んだ。

 

 

 

 

 

 そして、その日は訪れる。

 

「呼吸正常、脈拍安定、磁気放出能力問題なし……いつでもいけます。シキさん」

「分かった。万全の整備を感謝する」

 

 砦内の格納庫で最終調整を行っていた作業員の報告を受け取って、俺は隣にいる少女に声をかけた。

 

「出撃の準備が整った。軍からの要請もすでに出ている。準備はいいか」

「はい。本機は出撃可能です」

「よし、竜機兵本体との接続を許可する。作戦内容は昨日伝えた通りだ。出撃しろ、テハヌルフ」

「了承しました」

 

 緊張も不安も全く感じさせることなく、いつもの声でテハヌルフは応えた。

 それは当たり前というなら当たり前なのだが、何とも頼もしさを感じてしまう。そんな柄にもないことを考えてしまうくらいには、俺はこれからの作戦に緊張していた。

 

 上を見る。そこには、巨大な生命体が静かに息をしていた。

 全長四十メートル、全高十五メートル。まさに巨大だ。第一世代竜機兵でもこの大きさのものはほとんどいない。前脚と後ろ脚、加えて第二世代竜機兵を象徴する部位、一対の翼が背中から生えていた。

 モデルとなった極龍よりも、数倍近く大きい。小型軽量化の技術を取り入れていないのでこうなるのも致し方なかった。おかげで動きは鈍重だが、対モンスターでは相手より大きいことそのものが武器になる。

 

 テハヌルフが竜機兵の首元に取り込まれる。作業員たちの号令と共に、格納庫の扉が開け放たれていく。

 外から差し込んでくる光が、その兵器の色を浮かび上がらせた。

 

 三体の極龍の素材を余すことなく使い、金属で接合した装甲の色は黒。ところどころ金色の逆鱗が生えている。翼は極龍のそれと似たような形状だが、二回りは大きい。翼膜は頑丈さよりも再生することを軸に据えている。

 頭にはいくつもの逆鱗と三本の角が生えていて、その周りを装甲が覆っている。しかし、そこに積まれている頭脳に思考能力はない。制御機たるテハヌルフが接続されなければ植物状態だ。

 

 外の光を浴びて、竜機兵の目に光が灯った。テハヌルフの接続が完了した。竜機兵を繋いでいたケーブルが次々と外されて、それは解き放たれる。翼を一度だけはためかせ、第二世代竜機兵は地響きにも等しい足音を立てながら格納庫の外へと出た。

 

 第二世代竜機兵が実際に動くのを見るのは、実はこれで二回目だ。試運転という名目で、都市の砦がある方向の反対側から訪れていた岩竜を討伐しに赴いている。

 結果は、龍の力を使用するまでもなくの完封だった。第一世代機を遥かに凌駕する耐久力もさることながら、やはり制御機(テハヌルフ)がいたのが大きい。地形を利用し、相手の攻撃を予測し、自らの攻撃だけを当てていく。純粋な力比べになりがちだった第一世代機よりもずっと動きが洗練されている。

 

 その光景を見ているため、今は幾分か落ち着いていられる。ただ、格納庫から歩いて出て行く姿が、俺が初めて竜機兵を見たときの記憶と重なって、少しだけ懐かしさを覚えた。

 兵隊の振る旗信号に応えて、竜機兵は首肯したり翼を動かしたりする。テハヌルフの意識も正常のようだ。「危ないので下がってください」という作業員の指示に従って、俺は塹壕へと身を滑り込ませた。

 しばらくして、巨大な羽ばたきの音と共に突風にも等しい風が吹き荒れ始める。もろにその風を受ければ吹き飛ばされてしまいそうな程だ。格納庫の扉は閉じられ、周囲にいた人々は塹壕や物陰に避難する。

 

 かの巨体が、空へと浮かび上がる。

 

 向かう先は砦よりも先にある()()の最前線。途中の道のりをこの機体のために整備させることなく、空から最短時間で到着させる。

 周囲の風がようやく収まってきたころには竜機兵は空高く、目的地へと飛び立っていた。

 その姿を見送りつつ、俺は付近の山に設置された物見櫓へと向かう。第二世代竜機兵の戦いをこの目に収めるために。

 俺は小さく呟いた。

 

「征け。テハヌルフ。龍に等しく在れ」

 

 

 

 物見櫓は第二世代竜機兵への信号伝達の場を兼ねている。俺はそこに備えられた望遠鏡からその姿を探した。

 見つけた。既に戦場へと辿り着いていたようだ。複数の山に囲まれた盆地のような平野。そこに降り立って静かに佇んでいる。その傍には木組みの巨大な台車が数台置かれていた。

 事前の準備はほぼ完璧だ。

 あとはそこに目標が来るのを待つのみ。あの機体を無視することは絶対にないはずだ。まさに龍に匹敵する存在感をあれは放っている。

 

 周囲一帯にいた竜やその他のモンスターたちが怖気ついて暴れ出したという報告があったが、それらは竜の捕獲業者を束ねて構成された軍隊によって粛々と討伐されていく。

 そうして半日が過ぎようかという頃に、その目標はテハヌルフと同じく空からやってきた。

 

 突如空へと浮かび上がる赤い星。瞬く間に尾を引いて大きくなるその彗星の主は天彗龍。過去に人が住まう土地の空を飛び回って、甚大な被害を出したと記録にある銀色の龍だ。

 この都市に訪れるのはこれが初めてではあるが、大陸の各地に散った観測隊からの情報によって来襲は予告されていた。

 

 前回の龍の襲撃からひと月も経っていない。明らかに異常なペースだ。龍の縄張りは広大で個体数は竜よりもずっと少ないはずなのに、龍はなにかに取りつかれたかのようにここを目指す。

 その意図はわからない。しかし、来るとわかっている災は打ち払わなくてはならない。

 先月の龍との戦いと連日の竜討伐に疲弊している竜の捕獲業者たちとでは被害が大きくなるだろうことは明白で、故にテハヌルフに前倒しで出撃命令が下ったのだった。

 

 彗星が進路を変えた。降下している。テハヌルフを視界に捉えたか。

 しかし、音速を超えているのだろうその飛翔速度を緩める気配が全くない。あれでは地面に激突してしまう──いや、それこそがかの龍の攻撃か!

 あの速度で衝突されれば流石に無事では済まない。テハヌルフは気づけているだろうかと慌てて望遠鏡を向けた先で、竜機兵は既に迎撃準備を整えていた。

 

 開け放たれた荷台。そこに入っていた大量の砂鉄が一帯を漂って黒い霧を作っていた。

 その中心で渦巻く磁力。竜機兵の背中の上、翼の付け根で支えるようにして竜一体分の大きさはあろうかという砂鉄の球が形作られ──

 ──前脚を伸ばし、ぴたり、と空のある一点に向けて背中から首を一直線に伸ばした。

 

 天彗龍が自らを槍として竜機兵に迫る。

 

 瞬間、砂鉄球が背中から空へ向けて豪速で打ち出された。あまりの速さにこの目では捉えられず、音速を超えただろう衝撃波だけを残して砂鉄球が消えたように見えた。

 磁力砲。テハヌルフの主遠距離攻撃だ。

 

 砂鉄球は天彗龍の下腹部を捉えたようだ。跳ね上げられた天彗龍は竜機兵の頭上を飛び越して墜落する。よろよろと起き上がろうとしたが、うまく呼吸ができないのか足取りがおぼつかない。

 恐らく、衝突と同時に大量の砂鉄を体内に取り込んでしまったのだろう。あの速度で飛ぶために呼吸器はかなり発達させているはず。そこに砂鉄が詰まってしまったとするなら、しばらく空を飛ぶことは敵わないはずだ。

 

 砲撃の反動で硬直していた竜機兵が動き出す。砂鉄が地面に落ちて地面を黒く染める。その一帯はテハヌルフの領域だ。竜機兵はあそこからいくらでも武器を生成できる。

 翼を小さくはためかせる。地面から砂鉄が吸い上げられて空中に幾つもの剣が生成される。人間数人分に匹敵するかというほどに大きなそれが天彗龍へ向かって次々と放たれた。

 

 数本は天彗龍の身体に突き刺さり、ほとんどは甲殻や特徴的な形をした翼に防がれ弾かれる。地面に転がったそれらはすぐにもとの砂鉄に戻って地面に落ちた。

 龍の側もただやられてばかりではない。側頭部から紅い気体のようなものを放出させ咆哮し、そのまま先端が大きく尖った翼を片方前へと突き出した。

 槍のように引き絞られた片翼が竜機兵の右肩を穿つ。装甲に孔が開き、そこから血が噴き出した。

 驚異的な貫通力だ。第一世代竜機兵であれば、一撃で胴を貫かれ絶命していたかもしれない。

 竜機兵がよろめく。天彗龍は続けてもう一方の片翼で胴体を狙ったようだが、間一髪で滑り込ませた砂鉄の剣がそれを地面へ叩き落した。

 

 ならばと天彗龍は、なんと翼を翻して飛翔のための気体の噴出孔を前へと向ける。まるで人間が手のひらを向けるかのように。

 翼の機能がかなり独特だ。どちらかと言えば五本目六本目の手と言えるかもしれない。

 竜機兵が再度撃ち出した砂鉄の剣を、翼から光弾を撃ち出して弾幕を張って防ぐ。そして接近戦に持ち込むつもりなのか走って距離を詰めようとする。

 

 しかし、それはもう叶わない。

 目に見えない力で突然跳ね飛ばされた天彗龍は戸惑うように低く唸る。竜機兵の口が赤黒く光ったのを見てその場から飛び退こうとするが、今度は全く距離を取ることができず、さらに困惑した様子を見せる。

 赤黒い光が天彗龍の背中を焼いた。竜機兵の口から放たれたブレスだ。体内の磁力に変換される前の龍属性エネルギーが放たれている。天彗龍は悶えながら翼の噴出機構を使って強引にその場から離脱する。

 

 恐らくあの龍はブレスなどの本格的な遠距離攻撃を持たないのだろう。得意としているのは中距離から近距離の肉弾戦だ。

 その強みが潰されている。テハヌルフは天彗龍に纏わりついた砂鉄に対して引力や斥力を生じさせて、強制的に遠ざけたりその場に縫い止めたりしているのだ。

 その一帯は、第二世代竜機兵に支配されているようなものだった。

 

 そんな圧倒的有利な状況にありながらも、天彗龍は強かった。

 自らに付着した砂鉄が身体の自由を奪っていると気づいてからは、自らの放つ気体を全身に浴びせることでその支配から逃れた。

 特に中距離攻撃はあちらに分があった。その特徴的な翼で自らの眼前を薙ぎ払って剣を打ち払ったり、地面から生やした砂鉄の槍も翼を叩きつけられ潰された。

 第二世代竜機兵はその大きさ故に動きが鈍重だ。要塞のようにその場から動かずに戦う。そのため、動きの速さで天彗龍に翻弄されるような場面もあった。

 

 しかし、やはり最初に磁力砲をもろに喰らっていたのが堪えたのだろう。そうでなくとも地面に積もって空中にも漂う砂鉄は何度払っても纏わりつき、息をするたびに吸い込まれる。

 しばらく時間が経って、息苦しくなったのかふらついたところを、その場で大きく翼をはためかせて飛び掛かった竜機兵が圧し潰す。

 その攻撃は予想していなかったのか、天彗龍はそれを避けることができず、翼が完全にへし折られた。さらにそこへ無数の砂鉄の剣が突き刺さり、膨大な量の血を噴出させる。

 致命傷だ。天彗龍は竜機兵に組み敷かれたまま大きな抵抗もなく動かなくなった。

 

 

 

 最後の瞬間。

 その龍は、哭いた。

 

 高く、高く、汽笛を鳴らすように。

 とても痛切な想いを何処かへと、誰かへと伝えるように。

 

 その龍の断末魔はこの物見櫓まで届いて、超えて、どこまでも響き渡る。

 そして、そのまま灯が消えるように息絶えていった。

 

 

 

「倒した……のか?」

 

 物見櫓で俺と同じように望遠鏡で状況を観察していた兵隊の誰かがそう呟いた。

 竜機兵の下敷きになったまま動かない天彗龍を見て、歓声が伝搬していく。

 

「や、やった……! 201番が(ドラゴン)に勝った!! 龍に等しい兵器(イコール・ドラゴン・ウェポン)の名にふさわしい戦果だ!」

「兵装の損傷も少ない。継続的な運用も可能だ! これからは龍のことはあの兵器に任せておけばいい!」

「都市の本部に伝令を出せ! 第二世代竜機兵一号機は龍に勝利したと!」

 

 物見櫓にいる人々が湧く中で、俺は一人望遠鏡でテハヌルフを見続けていた。

 

「シキ殿! 貴方の竜機兵は本当に素晴らしい。龍に打ち勝つ兵器を造り上げた者として貴方の名は後世に語り継がれるでしょう」

 

 軍隊の少尉の若い男が俺の肩を叩いてくる。

 

「あ、ああ」

「どうしました? 浮かない顔ですね。もしかして、竜機兵に何か問題が?」

「いや。竜機兵の方は大丈夫だ。ただ、それなりに体力を消耗したはずだ。1トン程度の肉と水を手配してくれ。俺は……まだ、実感が湧かないみたいだ」

「ははっ、実感が湧かないというのは分かります。私もまるで夢のような気分です。肉と水の件については既に前線の方に備蓄されていますので、すぐに届けさせます」

 

 青年はそう言うと浮かれている隊員たちを戒め、素早く指示を飛ばした。各々が慌ただしく動き始める音が聞こえる。

 

「しかし、やはり貴方の功績は大きい。改めて感謝を。これで龍迎撃戦の度に多くの人の命を失わずに済みます」

「……そうだな。人の命が、都市の安全が守られるなら……」

 

 望遠鏡から離れて少尉に向けて俺は作り笑いを浮かべた。

 それはいいこと、だよな。

 

「竜機兵に光信号を送る。閃光発生装置の準備を頼む」

「はっ。すぐに準備します」

 

 俺の依頼を受けて、少尉はまた部下に指示を出しに行った。俺は振り返って竜機兵がいる方向を見る。

 天彗龍が最後の叫びをあげている間、テハヌルフは何も行動を起こさなかった。まるで看取るようにじっと龍を見つめていた。

 そして今も、心ここに在らずと言った様子で天彗龍の亡骸と向き合っている。

 

 龍への止めの刺し方まではテハヌルフに指示していない。しかし、それは今までの彼女のことを考えるととてもらしくない行動だった。

 龍の断末魔に対して、それを息絶えるまで続けさせることなく止めを刺せたはずだ。しかし、彼女はそれをしなかった。

 それは、何かそうさせるような理由が彼女にはあったということだ。

 

 龍がもし言葉のようなものを話せるとして、俺たち人間はそれを解することなどできない。

 しかし、龍の感性を持つ彼女ならば。ただの咆哮にしか聞こえなかった龍の断末魔が、何かを伝えていたとするならば。

 

 テハヌルフ、お前は何を聞いたんだ?

 俺は今、それを彼女に問いたい。

 

 

 

 

 

 それはもう叶わないことだったのだと気付くことになる頃には。

 全てが、あまりにも手遅れだった。

 

 

 

 

 

 都市内部の竜の捕獲業者を束ねた軍隊の指令室は怒号が飛び交っていた。

 

「北東方向からこの都市へ飛来する飛翔体を確認……て、天彗龍です」

「二体目だと? 一体目の討伐から数日しか経っていないぞ! ちっ、前線にいる第二世代竜機兵に迎撃準備をさせろ!」

「第二世代竜機兵は獰猛化した竜の討伐任務を遂行中ですが……」

「構わん。第一世代機を竜の対応に充てさせろ!」

「さらに各地の観測隊から報告。竜の獰猛化は都市周辺全域で発生しています。多数の負傷者が出ていて、これ以上の遠方の観測は不可能です!」

「龍のみならず、竜までも……これではもはや災害ではないか」

「さ、さらに報告が入りました。西の都市からの補給線が龍の襲撃によって絶たれました。発表名は司銀龍。この都市に向かってきているようです……」

「……何が、いったい何が起こっているというのだ!」

 

 

 

 人の文明圏の内側にあった西の農耕都市も異変に襲われていた。

 

「走れっ! 早く逃げろ! 見つかったらおしまいだぞ!」

「……っ、なんなのよアレは!? 青色の炎なんて見たことがない。まるで悪魔だわ……!」

「第一世代竜機兵が一瞬で焼き殺されたんだ、アレは格が違う。人が太刀打ちできる相手じゃない!」

「分かってる……分かってるわよ! それでも、どう見たっておかしい! あの畑にも、家にも人はいない。みんな逃げてる。それなのになんで、なんであの龍はあんなに家や畑を燃やしていくの!? あれじゃあ、あの龍がいなくなっても何も残らない。私たちが積み上げてきたものが全部、焼き尽くされる……!」

 

 

 

 人の文明圏の外側、大陸の南に存在した集落も惨劇を免れることはできなかった。

 

「はぁっ、はぁっ……。た、倒してやったぞ! あの化け物を、滅尽龍を! 皆、仇は討ったから……!」

「……結局、十七人もやられちまった……くそっ……」

「……彼らが持っていた龍殺しの武器を回収しよう。弔ってやりたいが今は──ごほっ」

「お、おい。口から血が出てるぞ! 早く村まで戻らないと……」

「──いや、待て。なんだ。アレは」

「えっ、なにがってそっちは村の方向……ひっ」

「蛇竜が空を飛び交って……その真ん中にいるのは、蛸、なのか?」

「じゃ、じゃああの地面の赤いのって────」

「は、ははっ、ははははははは…………もう、終わりだ」

 

 

 

 地獄が舞い降りてきたかのような惨憺たる光景は瞬く間に大陸全土へと広がっていった。

 森は焼け落ち、空は濁り、川は血に濡れた。もはや正常な光景などどこにもない。

 

 これに対し、人は徹底的に抗戦することを決めた。各地に輸出されていた竜機兵を総動員し、龍殺しの武器も大量生産して「竜大戦」を繰り広げていく。

 都市を守るための戦いは、いつしか世界を巻き込んで人類の存続をかけた戦いへと変わっていった。

 

 そして、その只中で都市を、人を守るという命令に従ってひたすらに戦い続けた兵器は。第二世代竜機兵は。

 

 テハヌルフは。

 

 


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