黒魔女にっき。   作:宇宮 祐樹

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『黒魔女にっき。』

 

「ま、終わってみればこんなもん、ってわけね」

 

 朝日の差し込む研究室で、ウイスティはぱたり、と手に持った本を閉じた。

 

「アイリスと出会う前から、あの子は黒魔法のことを本能的に知ってたのさ。長い時間をかけて、世界そのものを恨んだ結果、あの子自身が黒魔法の本質である『裏』となった。つまり、彼女が望んだものは全て自らの眷属になる、ってわけだ。意味わかんないだろ?」

 

 既に本に埋もれている机の上に本を摘みながら、ウイスティが肩をすくめる。そうして細めた視線の先に座っていたのは、うっすらと笑みを浮かべているローザであった。

 

「では、フリティラリア――ミーシャは、なぜアイリスを殺そうと望んだでしょう?」

「それはそもそも前提が違う。アレの望みはアイリス本人だよ。彼女を自らのモノにしたい、っていう純粋なもんさ。それが行き過ぎて、彼女を死んだ者――つまり、生きている者の裏にしてしまえば、永遠に一緒にいられる、ってわけ。ま、あれは一過性の短い望みだったからね。だからあれだけ過剰に人を殺すものになってしまったんだろう」

 

 床に積まれた本の上へと腰を下ろし、ウイスティが語り続ける。

 

「それに、彼女が記憶を消されたにも関わらず、アイリスを狙っていたのもフリティラリアの影響だと思う。いくら記憶を消されたと言えど、あれだけ強大なものだ。その力が残留していてもおかしくはない。例としてさ、ミーシャは私たちと同じくらいの年なのに、ずいぶんと体がちっこいだろ? おそらくアレ、『アイリスと一緒になりたい』って望んだ当時のままの形を、フリティラリアが維持してるんじゃないかな」

「……では、ミーシャはフリティラリアに動かされていた、ということですか?」

「うーん、それも少し違うんだろうね。ミーシャは一緒になりたい、って願って、フリティラリアはそれを果たすために動いていた。どちらにもただ一つの望みのために動いてたのさ。ただ、少しだけ思いが強かっただけ。それこそあれだけの破壊を尽くすくらいのね」

 

 上手く言い表すことのできない自分に、ウイスティが苦笑を浮かべた。

 

「でもやっぱ、一人の人間がここまでの存在になるとは驚いたな。望んだものの性質を具現化させるなんて、今日び魔術や魔法でも見たことがない。元々私たちは眷属が別の世界のものだと仮定していたんだし、それも大幅に書き換えないと。全く、またアイリスに怒られるな」

「では私も一緒に謝ってあげますよ」

「嬉しいとは思うけどね。そうやって気遣ってくれるくらいなら、少しは手伝ったらどうなのさ。あんたが私の研究室に居る理由、もう忘れたの?」

「十年前の研究資料ならもう渡したはずですけれど……まだ足りませんでしたか?」

「足りない。ぜんっぜん。どうせまだ隠してるんでしょ。ほら、早く出してよ」

「ええと……そうですね、それでもう少しは保つと思っていたのですが……ジオラ、ソフィー」

「ほんとに隠してたのかい」

 

 額に手を当てながら嘆くウイスティをよそ目に、ローザが後ろの本の山へと声をかける。すると名前を呼ばれた二人はその本の山からぴょこりと顔を出し、手に持っている古びた箱をローザへと手渡す。

 

「はい、ししょー」

「……これ、でいい?」

「ええ。ありがとうございます。では引き続き、片付けの方をお願いしますね」

「はーいっ!」

「……りょ」

 

 とてとて、と小さく足音を立てて、ジオラとソフィーが再び本の山の中へと向かう。

 

「……あの二人も、この時のためだけに用意していたんですよ」

「だろうね。夢による願望の具現、それによって持ち上がった記憶の修復。フリティラリアを蘇らせるには、これ以上ない最適解だ」

「ええ。ですが、それを果たすことはできませんでした。もう彼女らに構っている暇などありません。そんな事、分かっているのに……愚かな魔女ですよ、私は」

「ああ。ひどく優しい魔女だね。それを自分で分かってるからなおさらタチが悪い」

 

 人懐っこそうな笑みを浮かべて、ローザが両手に抱えた箱の表面をなぞる。おそらく魔術的な結界でも作用しているのだろう、紅の紋章を描いた箱は、軋んだ音を立てながらひとりでに中身を空けた。

 

「これです。どうぞ、お取りになって下さい」

「あ? うーわ、ぼろっぼろじゃないか」

 

 中に入ってたのは、果たして古びた書類だった。それも、少し黄ばみが見えるような、長らく誰も触っていないという痕跡が見えるほどの、ぼろぼろになったもの。それを吟味するように手に取りながら、ウイスティが訝しげに呟く。

 

「なにこれ。日記……じゃないな。研究日誌? よく分からないけど……」

「十年前に書かれていたものの写しです。読めばわかりますよ」

 

 ぱりぱりと一枚ずつ固くなった紙をめくっていると、ウイスティがはたと気づいたように顔を上げる。

 

「……これ、もしかして」

「はい。フリティラリアを拘束していた際に記した、彼女の経過日誌です」

 

 笑みを浮かべたまま、ローザが淡々と告げる。

 

「本当に細かい所まで書いてありますので、黒魔法の原初についての研究を進めるなら、何かしらの役には立つかもしれません。ですが少々観測者目線のものも入っているかもしれませんから、そこは何とも言えませんね。もっとも、黒魔法ではなく、彼女自身を究めるのなら参考にはなりますが」

「……つまり、これの著者がミーシャの黒魔法を私たちが使える黒魔法にした、ってこと?」

「はい。そうなります。いずれ学会に発表しようかと思っていたのですが、少し内容に問題がありまして」

「だから写し、か」

「ええ、写しですとも。ほら、最後に筆者の名前も書いてありますよ」

「…………これ」

 

 彼女の示したまま、ウイスティが最後の頁へと目を走らせた。

 そうして彼女は、震えるように唇を開き、

 

「アイリス?」

 

 

「あーもう! ぜんっぜん終わらない! なんで本がこんなに沢山あるのよ!」

 

 散らかしたいくつもの本の中、ミーシャが嘆くように叫ぶ。ミーシャは片付けを始めると、気になった本を読み始めるタイプの愚かな黒魔女であった。無駄にした時間は計り知れない。というか計ろうとすると頭が痛くなった。

 時刻は既に昼過ぎを回り、そろそろアイリスがやって来る頃である。彼女の焦りを馬鹿にするかのように、撒き散らされた本はぴくりとも動かなかった。

 

「ってか白魔法の本が多すぎるのよ! なんで本棚三つも食ってるの? バカじゃないの? アホ! ドジ! 嫌い嫌い嫌いぃーっ!」

 

 こなくそっ、と投げつけた本は、彼女の魔力に導かれるようにして本棚の隙間へと入っていく。そのままぽいぽいと積み重なった本を投げていくと、宙を舞う本たちは羽ばたくようにして、空いた隙間へとその体を埋めていった。

 

「黒魔法の本は逆に少なすぎるし。あーもう、なんでこんなに少ないのかしら」

 

 手元にある黒色の本を見開きながら、ミーシャが不機嫌そうに呟く。目に映るのは、長い時間をかけて会得した、黒魔法の基礎だった。それらの記された知識を眺めながら、ミーシャがうーん、と考え込んだ。

 

「……思うに、あれだけ長い時間をかけて、出来た事をもう一度理解しただけなのよね」

 

 記憶を消されたミーシャが習得したのは、ただの黒魔法であった。それも、ミーシャが望めば簡単にできるような、身近なもの。それを改めて学ばせられていたという奇妙な感覚に、ミーシャは眉をひそめた。

 血の滲む――実際は血なんて一滴も出ず、出たのは知恵熱であった――ような努力の末に辿り着いたその真理に、ミーシャが頬を膨らませる。ぽい、と投げると、その本は真後ろの黒い本棚へと吸い込まれていった。

 そしてもう一度手に握るのは、真っ白な本。

 

「白魔法の本も、指南書ってよりはなんだか雑記みたいだし。これ、書いた人以外読めないんじゃないの?」

 

 悪態をつきながら、ミーシャが本を投げる。すっ飛んで行った本は、ミーシャの目の前の白い本棚へと収まった。

 

「あーってかもう本当に多すぎ! なんでこんなに多いのよっ! 研究所じゃないのよ、ここは!」

 

 これだけ効率化してもまだまだ終わらないのである。莫大な本の数に、ミーシャは何度目かわからない溜息をついた。

 わちゃわちゃと目の前に広がる本を掴んでは投げながら、ミーシャがぐぎぎぎ、と声にならない悲鳴を上げる。

 

「あれ?」

 

 と、ミーシャが手にした本に、ふと目を向ける。

 それは本というよりも、ぼろぼろになった紙の束であった。何枚にも積み重なったそれは既に風化して黄ばんでおり、虫にでも食われていたのか、所々に穴が空いていた。止めているヒモもぼろぼろになって今にも千切れそうになっており、その廃れた紙の束にミーシャは訝しげな視線を向けた。

 

「……かんさつ、にっ……き?」

 

 潰れて読めなくなっている文字を読み上げて、ミーシャがぱらりと頁をめくる。

 

「……は、まだ起……ない? あの……は、私を殺す……、望……た。な……ば、私は……されるべき……う。それ……彼女が幸せに……なら、……?」

 

 首を傾げたままで、ミーシャが目に映った文字を読み上げていく。

 

「――私は、彼女に殺されなければならない」

 

 ぽつりと。

 誰かの望みを、彼女が呟いた。

 

「ミーシャ?」

「うわぉあぁぁああ!?」

 

 唐突に掛けられた声に、ミーシャが手にした紙を撒き散らして叫ぶ。図書室に鳴り響くダミ声に、アイリスはあらあら、と困ったような笑みを浮かべていた。

 

「あ、な、なんでアイリスがいるのよ! ってかちゃんと来るときは言ってよ!」

「あら、ごめんなさいね。でもミーシャったら、何かに集中してるみたいだったから、つい」

 

 ふふ、と口元に手をあてて笑いながら、アイリスが足元へと落ちた紙を拾い上げる。

 

「それにしてもミーシャ、こんなのどこで見つけたの?」

「え? 本棚の片づけしてたら、出てきたけど……」

 

 本に包まれたその空間を見渡しながら、アイリスが口を開く。

 

「そうね、ここは本が多いもの。こういったのも混じっちゃうわよね」

「こういうの? アイリス、何かしってるの?」

「ええ、知ってるわ。でも教えてあげない」

「むぅ……何よそれ。気になるわ」

「ふふふ。でもね、ミーシャ。他人の日記って、あまり覗くものじゃないのよ?」

「日記?」

 

 首を傾げるミーシャに、アイリスは思い出したように告げた。

 

「それよりもミーシャ、掃除もそろそろにして、お茶会にしましょう? 今日は限定のケーキを買ってきたから」

「ほんと!? よし、それじゃあ早速準備するわ! すぐに行くから、いつものテラスで待っててね!」

「ええ。待ってるから、ゆっくりね」

 

 どたどたとミーシャが去ってゆき、静寂がアイリスを包む。

 手にした日誌に冷たい視線を向けながら、白魔女は忌々しそうに口を開いた。

 

「まったく、まだ残ってたのね。他人の家に上がり込んで書いた日記なんて、とてもあの子には見せられないわ」

 

 魔力が宿り、光輝がアイリスの手を包む。

 

「でも、これももう必要ない。あの子の望みは――もう、果たされたのだから」

 

 白光はぼろぼろの紙を焼き払い、虚無へと還していく。その紙の一片たりとも残さないように、純白の光が包み込む。 穢れの無い彼女の心を映すように、暗闇に包まれた彼女の心を照らすように。

 

 彼女の望みは、白く、白く――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれっ、もうこんな時間?」

 

「ええ。私もそろそろ帰らなきゃ」

 

「ん、そうだね。次はいつにしよっか?」

 

「ミーシャの好きな時でいいわよ? 明日でも、明後日でも」

 

「うーん……じゃあ、あさって! 明日は眷属さんたちのお世話しなきゃ」

 

「ええ。分かったわ」

 

「よーし、それじゃ、今日も書くとしますか!」

 

「あらミーシャ、それは?」

 

「ん? ああ、これ? 私ね、日記をつけることにしたの」

 

「日記?」

 

「ええ。これでまた記憶を消されても、あなたの事が思い出せるから」

 

「…………」

 

「……もう、そんな顔しないでよ。それに、私はこうして、あなたといられるだけで幸せなんだから」

 

 

「――そう、ね。私も幸せよ。ミーシャ」

 

「うん、私もよ、アイリス」

 

「それにしても日記なんて、ミーシャは続けられるの?」

 

「むっ、何よその言い方。ちゃーんと一週間も続いているもん」

 

「じゃあ昨日はなんて書いたの?」

 

「昨日? ええと……『魔法の研究に失敗した。ゲロが止まらなかった』」

 

「あらあら、それは大変だったわね」

 

「わ、笑わないでよっ! もう、アイリスったら……」

 

「ふふっ、ごめんなさい。それにしてもミーシャ、その日記って名前はあるの?」

 

「名前? 日記に名前なんてつけるの?」

 

「私はそうしたわ。そうすると、自分だけのものになって、少しだけ特別な気持ちになるから」

 

「ふーん……あっ、じゃあ私いいの思いついたわ!」

 

「あら、そんなにすぐ? どんなのか聞かせてくれる?」

 

「ふふふ、もちろんよ! この私、黒魔女のミーシャが記した、偉大なるにっき! その名も――」

 

 

 

 

 

 

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