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「探検しよう!」
脈略もなく叫んだミーシャに、ルリカラがびくりと肩を震わせる。
「……うん、そっか。行ってらっしゃい」
「違う違う! ルリカラも一緒に行くよ、ってこと!」
「はあ? なんで僕まで……」
「でもヒマでしょ?」
きょとんとした彼女の言葉に、否定することができない。手持ち無沙汰なのを見透かされたのか、ミーシャはずいずいとルリカラへ近づきながら、言葉を続けていく。
「だってルリカラも、宮殿の中で迷ったら困るでしょ」
「それはそうだけど……あれ? でもミーシャは、先に来たのに案内とかされなかったの?」
「案内はされたけど、最低限だけだもん。まだ行ったことないところの方が多いよ。だから、探検!」
ざっと見渡しただけで、ミーシャの屋敷が二つ三つは入りそうな広さである。すべてを見て回るとしても、丸一日はかかるだろう。そのぶん、探検のしがいはありそうだが。
「だからほら、行ってみようよ。なんか見つかるかもしれないし」
「……勝手に出て行って、大丈夫かな」
「だいじょーぶ! バレなきゃ何してもいいんだよ!」
「相当攻めた性格をしてるよね、君は」
何と言われようが、いまのミーシャにそんなことを気にする余裕はない。この宮殿を取り巻く魔力については、未だに謎のままなのだ。それの調査しなければいけないし、だからといってルリカラを置いていくのも危険である。
なので考えた策gア、ルリカラを傍に置きながら探検と銘打って調査を行うことなのだが。
「ねーねーお願いお願い一人じゃ寂しいもんねーねールリカラルリカラ」
「いや、ちょっ……だから服を引っ張るな! これ、一応正装なんだぞ!」
袖をぐいぐいち引っ張るミーシャへ、ルリカラがそう叫ぶ。
「あーもう! わかった! 一緒に行けばいいんだろ! 行くよ!」
「いやったぁ!」
ヤケクソに叫ぶルリカラに、ミーシャがにこりと笑みを浮かべる。咄嗟に口にした寂しいという言葉も、しかしながら彼女の本心であった。
まったくもう、と口をとがらせながら、ルリカラが傍に置いていた青い帽子を頭にかぶる。続けて腰の帯へと刀を差すと、それを見計らって、ミーシャが彼女の手を引いて、
「とりあえず中庭! 中庭から見てみよ!」
「ああちょっと、待ってよミーシャ! そんなに急いだら転ぶよ!」
とたとたと、二つの足音を静まりかえった廊下へと響かせた。
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「ミーシャ……急ぎすぎだよ……」
「ごめんねー」
ぜえはあ、と肩で息を吐きながら、ルリカラがそう言葉を漏らす。対してミーシャはきょろきょろとあたりを見回しながら、ついでとでも言わんばかりに返した。
「にしても、最初にこんなところに来るの? 道に迷うとかだったら、室内とかのほうがよくない?」
果たして、二人があてもなくたどり着いたのは、宮殿の中庭であった。初めに見た玄関よりは手入れが行き届いているらしく、きちんと整えられた低木の茂みには、色とりどりの花の色が見えている。
曲がりくねった小道を歩き、ふと見かけた樹の根本へと腰を下ろしながら、ミーシャがルリカラへと応えた。
「だってここも十分広いもん。私の屋敷、中庭なんてなかったのよ?」
ざっと見まわしただけでも、家が一つは入ってしまいそうなほどに大きな中庭である。四方は宮殿の廊下に囲まれており、その窓の向こうの廊下に、人影はまだ見えない。
「……こんなに広いのに、働いてる人って少ないんだね」
今までに見たのはジークと、今朝に仕事へ向かうのを見た数人のメイドのみ。明らかにこの広さの宮殿には不釣り合いな人数である。
「あまり人が入りたがらないんだよ、この宮殿は」
うんうんと悩むミーシャに、ルリカラがふと答える。そのまま彼女の隣へ腰を下ろすと、何かを思い出すようにして続けた。
「もともと、ここに魔女が住んでたことはアルヴァニアから聞いたよね」
「うん。子供のころにお世話になった、っていう」
「……その魔女、今はどうなったか知ってる?」
「いや? そこは何も……」
「死んだんだ。数年前に」
吹き抜けた風が、蒼い少女の髪を揺らした。
「……え?」
「この国の人間はね、あまり魔女のことを良く思っていないんだ。だってそうだろ? 僕たちみたいな魔女は、人間から見れば恐怖の対象でしかない。魔法っていう得体の知れない力を持ってるからね。ミーシャも、この国を一晩で滅ぼすくらい簡単だろ?」
その問いかけに、ミーシャは否定することができなかった。一晩どころか、一瞬でこの地を消滅させることだってできる、と断言できた。
「でも……私は、そんなことしないよ」
「みんなそうだよ。そんなこと、普通はしない。けれどミーシャ、もし目の前に毒蛇が表れたら、君はなんとかしてそれを遠ざけようとするでしょ? たとえその蛇が、ミーシャに懐いていたとしても」
「……よく、分からない。懐いてたのなら、遊んじゃうと思う」
「そっか。君は、そう答えることができるのか」
青い瞳にあるのは、羨望であった。そしてまた、理解できないものへと向ける、歪な色も混じって見えた。
「でも、この国の人間はそうじゃなかった。目の前にいる蛇を、遊ぼうとも遠ざけようともせず、殺そうとしたんだ」
「そんな……」
「もちろん、ただで殺させるなんてことはなかったさ。その魔女は国王の下に保護されて、王族に仕えることになった。子供のころのアルヴァニアの面倒を見ていたのも、その時期」
「……王様は優しかったんだね」
「うん。その王様が取った選択は正しかった」
けれど、とルリカラが一つ置いて、
「周りの人間はそれを良い事だとは思わなかった。すぐに王様は非難を浴びて、民との信頼も薄れていった。国の運営もまともにできなかったらしい。それだけ、魔女っていう存在をここの人間は恐怖してるんだ」
「……その人は、何もしてないのに?」
「何もしていない。ただ生きているだけで、否定された」
俯いた横顔には、悔恨の色が浮かんでいた。
「……魔女は、ある日に黙ってこの宮殿を抜け出した。誰にも告げずに、この国の外へと逃げた。誰にも迷惑をかけないために、自分から一人になったんだ……それ、なのに……!」
強く握った拳は、すぐに解かれる。ぱたり、と地面に手のひらを落として、ルリカラは木々の隙間に見える青空を見上げ、
「……彼女は、この国に殺された」
そう、言葉を呟いた。
小鳥のさえずりが遠くに聞こえ、再び風が二人の間を通り抜ける。木漏れ日は優しく二人を包み込み、静謐の時間をどこまでも続けていった。
しばらくの時間をおいて、ミーシャがゆっくりと彼女のほうへと顔を向ける。
「……ルリカラは、どこでその話を?」
「この国では有名な話だよ。悪い魔女を倒したっていう英雄譚として」
「そんなの絶対間違ってるよ! その魔女はなにもしてないのに……それに、殺すなんていくらなんでも……!」
「それくらい分かってる。だけど――」
「――この国では、それが正義なのよね」
唐突にそんな声が聞こえてきて、ルリカラとミーシャが同時に振り返る。
見えたのは、庭園の入り口に立つ二人の女性だった。ひとりは紫色のドレスを着る、悠然とした様の金髪の女性。もうひとりはその傍に控えるように立つ、白い衣装に袖を通した茶色の髪の少女。そしてミーシャが次に目を向けたのは、その少女の頭の上にある、純白の三角帽子であった。
固まったミーシャをよそに、ルリカラがその二人を睨む。
「……誰?」
「いきなり話しかけてごめんね、私はロベリア。こっちは魔女のミントちゃん。あなたたちと同じ、夜会の参加者なの」
「よ、よろしくお願いします……!」
ロベリアの言葉に続いて、ミントが頭を下げる。問いかけたルリカラが彼女の方を一瞥すると、ロベリアへ向かって立ち上がった。
「……僕はルリカラ。こっちはミーシャ。どっちも魔女だ」
「大丈夫よ、わかるわ。それに、私はロジェクトの人間じゃないから警戒しなくてもいいわよ」
ひらひらと手を振って、ロベリアが面倒くさそうに答える。そのまま隣に立つミントの方へと向くと、その体を抱きしめながら続けていった。
「私も昨日までロジェクトに泊まってたんだけど、その時にミントちゃんが大変だったのよ~。だよね、ミントちゃん?」
「は、はい……ロベリア様に、助けていただいて感謝してます……」
うつむいて呟くミントに、ロベリアがうんうんと大きく首を縦に振る。
「大変だったって?」
「そうなのよ、街の人がみんなミントちゃんのこと睨んでる気がして。私は何度も悪い魔女じゃないですよ、って言ったのに全然信じてくれなかったの。そのせいでお店とかもほとんど断られたりして、やっと取れた宿でも当たりがキツかったりで、本当に大変だったわ」
「……魔女なんて連れてるから、そんなことになるんだよ」
呆れたようなルリカラに、しかしロベリアは頬を膨らませながら、
「でも、ミントちゃんは私の大切なミントちゃんだもん。離れるなんて考えられないわ。ミントちゃんもそう思うよね?」
「そう、ですね……でも、もし危なくなったら、その時はちゃんと逃げてください。あの調子だと、何があってもおかしくありませんから」
「ミントちゃんったら優しい! でも、そんなことにならないように私、頑張るからね!」
あはは、と少し引き攣った笑みを浮かべる彼女の両手を握り、ロベリアがそう強く口にする。そろそろ面倒くさくなってきたのか、ルリカラは一つため息をついてから、いつまでも向き合う彼女らへと声をかけた。
「それで、あなた達はどうしてここに?」
「それがねー、お部屋が分からなくなっちゃったの。アルヴァニアさんが説明してくれたんだけど、この宮殿広くって。ミントちゃんも分からないみたいだから、迷ってたらここに来ちゃって」
「あー……じゃあ、ちょっと待ってて」
思い出すようにミーシャが立ち上がって、二人のそばへと歩み寄る。
「実はロベリアさんとミントさん、私たちのお部屋の隣なんだ。あそこのドアから四階に上って、突き当りの部屋がそこになるのかな?」
付き添いの魔女――おそらく、アルヴァニアが言っていたその魔女が、ミントのことなのだろう。それならば、部屋の案内は簡単に済ませられた。そしてまた、新たな監視の対象だということも理解できた。
「あら、そうなの。ご丁寧にどうも、ありがとうね」
「ありがとうございます」
「いいのいいの! せっかくだから、送ってこうか?」
「いいえ、そこまで迷惑はかけられないわ。教えてくださっただけでもありがたいもの」
遠慮がちに首を横に振って、ロベリアがそう答える。そのまま彼女らはミーシャの示した順路を進んでいき、直後にふと振り返って、
「さようなら」
ルリカラのほうをじっと見つめながら、そう呟いた。
庭園には再び静寂が訪れて、ミーシャとルリカラが同じ場所へと腰を下ろす。しばらく何も言わないでいると、ルリカラはため息を一つ吐いて、どうにも疲れたように言葉を漏らした。
「……変な人だったね」
「そう?」
「なんだろう、なんていうか……掴みにくい人だったな。僕はうまく付き合えないかもしれない」
「そっか」
樹の幹へと背をもたれさせながら、ルリカラがそうぼやく。対してミーシャは、顎へ手を当てながら、ぐるぐると思考を巡らせていた。
「……ミントさん、って言ったっけ」
「ああ、あの魔女?」
白い衣装に袖を通した、いかにも気弱といった風の魔女。見たところによればロベリアに雇われているようであり、彼女にやたら気に入られているらしい。ミントのほうもロベリアと一定の信頼を置いているようだし、傍から見ればなんてことはない、いたって普通の主従関係である。
だが。
「(ミントさんの魔力量はそこまでなかった……? いや、ルリカラよりは確かにあるんだけど、けれど何か危害を及ぼせるほどの魔力は感じられなかった……)」
どこにでもいる、いたって普通の魔女というのが、ミーシャのミントへ対する評価であった。魔法もいくらか使えるようだが、しかしミーシャかアイリスのどちらか一人で対処できる程度のもの。格としては自分らのほうが確実に上だと言えた。
だが。
「……ベルさん」
『ああ』
小さな呟きに、傍らを飛ぶ蝿が答える。
『……気づけなかった。ごめん』
「いや、大丈夫だよ。あの程度なら私だけでもなんとかできる。問題は、なんでベルさんが気づけなかったか、ってこと」
ルリカラと違い、ミントの魔力量ならばベルゼビュートの感知に引っかかるはずだ。しかしながらミーシャはその知らせを聞いていないし、彼の様子を見るに、ミーシャがミントを視認したと同時に、彼女が魔女だと認識したらしい。
つまるところ、魔力による魔女の判断ができなかった、ということになる。
「(……ルリカラは単純に魔力がなかっただけだけど、ミントさんは魔力があった上で感知を逃れられた。そこが明確な違いで、問題になるところ。一体、どうして……)」
だんだんと思考が凝り固まってきて、ミーシャが頭を抱え始める。心配そうに周囲を飛ぶベルゼビュートに大丈夫、と短く返して、再び木々の隙間から見える空を仰いだ。
「……いずれにせよ、警戒しておかないと」
『そうだね。それに、まだあと一人いる』
「わかってる……たぶん、今日中には……確認でき、るよ」
『……ミーシャ?』
瞼が重い。体がどうにもおぼつかなくて、手や足の先に熱が籠っている感覚。聞こえてくる鳥のさえずりや、眷属の声がどこか遠くに聞こえていて、ミーシャはおぼろげな視界の中を、きょろきょろと見渡していた。
「あ、れ……? なんか、ねむい……」
太陽の日差しは暖かく、そよ風は頬を撫でる。草木のそよぐ音をかすかに聞き取りながら、ミーシャが隣に座るルリカラへと振り向いて、
「ルリ、カラ……?」
いつの間にか、彼女が地面へと伏せているのを見た。
「だめだよ、ルリカラ……こんなところで寝た、ら、風邪ひいちゃう……」
手を伸ばそうとしても力が入らなくて、ミーシャが倒れたルリカラの上へと倒れこむ。視界に移る手のひらはどうしてか痺れているようで、動かすたびにきりきりとした痛みが走った。
非常にまずい。このままでは、ミントの監視もできないし、これから来るもう一人の魔女のことも放っておくことになってしまう。
「……ぅ」
最後の力を振り絞り、ミーシャが杖を手に取って、
「…………え、りくしあ」
地面へ小さく突き立てると同時に、視界が黒く染まっていった。
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