マテリアル・シンカロン 作:始原菌
――――流れ星に祈ったことがない。
日が沈んだ帰り道、夜空を見上げる子供の名前は
私立聖祥大付属小学校に通う小学三年生。どこにでもいるような、至って平凡な普通の小学生――ではない。
とはいえ火を噴いたり、放電したり、総てを飲み込む闇の力とかは持っていない。外見だってごく普通の黒髪と黒瞳。極端に背が高くも低くもない。
ただし家族が居なかった。
両親、兄弟はもちろん。親戚だって一人も居ない――らしい。実際はその肩書が本当なのかすら知らない。物心ついた頃に後見人を名乗る男性に、そう教えられた。
そんな紫苑は町外れの一軒家に一人だけで住んでいる。
小学生の一人暮らしは極めて特殊――とまでいくかは微妙だが、まっとう、普通というにも微妙である。身寄りがないのなら施設に入るか、後見人の彼に引き取られる辺りが妥当だろう。
なのに紫苑は
特別扱いをされているのはわかる。
どうしてそうなっているのかはわからない。
気になるから調べようとした事もある。でも小学生には物理的にも情報的にも届く範囲が狭すぎた。結局何もわからないという事実を再認識したくらい。
なので。
まず、もうちょっと大人になるというのが当面の方針。
もしも自分の境遇に『何か』あるなら、ちゃんと知る事ができるように。
知った上でどうするかは、その時に改めて考えるしかない。とはいえ出来るならばきちんと向き合いたいから、そう出来る自分になっておきたいなと紫苑は思う。
これは目標であって、願いでないから祈らない。
とはいえ他に願い事が無いわけでもなく。さすがに小学三年生で『世に望みは無い』とかのたまうほど枯れてはいなかった。
「あちゃあ、また過ぎちゃった」
間に合わないのだ、いつも。
時間が足りないのではない。理由がそれだけなら、『無数の流れ星』に運良く立ち会えた今日ならば願えたはず。願う内容を迷ったのでもなく、そもそも――
「やめだ、やめ!」
ぶるぶると頭を振って、べしべしと頬を叩いて。
よどみ始めた頭の中を強制的にリセット。
「帰ってごはん食べてお風呂入って、寝る! よし!!」
健全な小学生としての予定を声に出して確認。
そもそもよく考えれば、先程の流れ星は数が多すぎた。20個近くあったのは普通におかしい。だとすればあれは真っ当な流れ星ではなかった可能性が高いのではないか。いやそうに違いない。なんか色もやたら青かったし。
ならば願えなくて結果的にはよかった! という事にしよう。
「まただ」
歩き出して間もなく、再度視界の端で光が瞬く。
いくらなんでも数と頻度が本当におかしい。
反射的に見上げた夜空では、流れている光が今度は一つ。
数はおかしくなかった。
速度がおかしいのかは見てはわからない。
ただ、色が。
星というより火の玉のようだ。それは一直線に、切り裂くように、星空の中を突き進んでいる。物凄いスピードで進む。進み、そして。
「あれ、何か近付いてな――近くない? ちょ本当に近くな近ァ゛ッ゛!?」
ぽかんと夜空を見上げていた紫苑に直撃する。
まるで吸い込まれるように、綺麗に顔面へと一直線だった。
▲▼▲
【Capture of the Material】
音のような、文字が点く。
▲▼▲
「が…………」
冷たい。
じわじわと戻る意識が真っ先に拾った感覚がそれ。
「顔面セーフッ!?」
バシャァ、と音を立てて半分以上水に浸かっていた身体を起こす。
流れ星が直撃して、吹き飛ばされて、転がって、川に落ちて――そこから先は曖昧だ。恐らくそのまま流されて、どこぞの岸に流れ着いたのか。
ぐるぐると腕やら腰やら回してみるも、どこも痛くもなければおかしくもない。流星(仮)が直撃したはずの頭も、傷一つなかった。
水をたっぷり吸った制服が重いわ張り付くわで鬱陶しかったが。そのくらい。
「え? 本当に顔面セーフだったの?」
疑問と共に見上げた空にすでに星は無く、昇り始めた太陽といくらかの雲しかない。ずぶ濡れの身体に陽光が心地よい。
「太陽? 夜なのに? ………………朝、え、朝!? 朝だ!?」
時刻を見ようと慌ててポケットから携帯を引っ張り出す。
水没からの必然の死。
「遅刻するかどうかすらわからんのですけど!? でもこの惨状で学校に直行はさすがにまずい! 今が何時であれ一旦家に帰…………そういえばどこだここ?」
見知らぬ場所から自宅へと辿り着いて。
予備の制服を出して着替えて。
鞄と教科書は今日は諦めるにしても明日以降のために干しておいて。
そして始業のチャイムまでに学校へ行く、と。
――どう考えても、無理がある。
▲▼▲
【………………】
▲▼▲
「ぜっ、ぜひゅ、はっ、はっ、ぜひゅー……ぜひゅー……!」
なんか、なんとかなってしまったぞ。
肩で息をして校門前で立つ紫苑を、すれ違う他の生徒たちが怪訝そうに見ている。当然だ。まだ始業まで大分時間がある。こんな時間にここまで急いで来る必要は、普通ない。
それにしても思っていた以上に人間の全力疾走というものは速度が出るらしい。遅刻に備えた覚悟を無駄にしてしまった。
代わりに体力の全てを朝一で支払ってしまったけど。
今日体育が無いのが、不幸中の幸いというべきなのだろうか。どう考えても幸不幸の比率がおかしい。もう少し幸の方にはがんばってほしい。
あとは始業まで教室でじっとしていよう。
と思っていたのだが。
保健室の前を通ったところで思い出した。
そういえば昨日流れ星が顔面に直撃したのだった。
早い時間だったがノックにはすぐ返事があった。これはなかなかの幸運ではないか。はやくも挽回の兆しです、これは期待できるかもしれませんよ。
「実は昨日、流れ星が頭に落ちてきたんですけど」
「――――何か悩みがあるの? なんでも話してね?」
「頭の心配をされてしまった……文字は合っているのに、俺が求めていた反応と何もかもが違う……」
ちょっと一人になりたくてやってきた中庭で、雲ひとつない青空を見上げていたら、なんだか無性に切なくなってきた。
説明は試みたものの、最終的には『そういう夢を見たのね?』に収束してしまった。納得がいかない。すこぶる納得がいかない。
でも頭はちゃんと診てもらえた。
物理的に。
精神的にではない。
決してない。ない……はずである。
「う――ん。でも夢が一番しっくりくるのも確かかぁ……」
試しに顔から頭をさすってみるも、手触りは普段と何ら変わりない。診断通りに、こぶ、腫れ、くぼみ、目立った外傷は何も無し。気分が悪くなったりもしていない。何かがぶつかった痕跡なんて、さっぱり存在していない。
でもどうしても夢とは思えない。
衝撃をしっかりと覚えている。
あの燃え盛るような赤色も、目に焼き付いている。
燃える――そう、炎のような。
そういえば、本当に、炎のように、
「やめだ、やめ」
ぶるぶると頭を振って、べしべしと頬を叩いて。
よどみ始めた頭の中を強制的にリセット。
「おはよう紫宮、今日は随分早いんだな」
「おはようございます先生。ちょっとスタートで盛大に事故ってですね」
「うん?」
「あー、いえ何でもないです」
「そうか。ああ、ところで悪いんだが手伝ってくれるか。プリント運んでるんだがまだ結構残ってるんだ」
「はい。いいですよ」
始まりこそ突拍子無くとも、後はなんともいつも通りなもので。
「紫宮――! サッカーしようぜ、人足りないんだよ!」
「うん。わかった」
特に変わったところもなく。
「後生だ後輩くん! 最後の焼きそばパンをこの情けない先輩に譲ってくれ、頼む、このとーり! もう一週間買い逃してるんだ!」
「ええ。どうぞ」
健全な小学生としての一日が終わる。
今はもう放課後。それも突入直後。
先生が解散を宣言したその直後。教室が騒がしくなる時間帯はいくつもあるが、今この瞬間は上位に食い込むこと間違いない。
とにかく速く帰ってしまう人もいれば、のんびりと談笑しながら仕度する人もいる。遊びに行く約束を取り付けている人も居れば、今ここで遊び始めてしまう人もいる。
こういった騒がしさが、紫苑は結構好きだった。
なんというか、こう、
さておき自身はどうしたものかと、喧騒の中でしばしぼんやり。
「今日どーする?」
「昨日買ったばっかのソフトがあるんだ、対戦しようぜ」
「マジか、よしじゃあ早速――いででっ!」
「あんったは、掃除当番でしょうがっ」
「げっ、そうだった! あ、紫宮! ちょうどいいとこに、変わってくれ当番ー!」
「うん。いいよ」
予定の方から舞い込んできたので、放課後は掃除に決定である。
「紫宮くんさあ、嫌ならちゃんと嫌って言った方がいいよ?」
「大丈夫大丈夫、ダメな時はちゃんと断ってる。何より嫌じゃない」
「でも私、紫宮くんが断ってるの見たこと無い気がするんだけど」
「なんか先月くらいはずっと断ってなかったか?」
「ああ、ハンドボール部の助っ人お願いされたから、そっちに専念してた時だ」
「うん。断れてないねそれは……」
他の当番のクラスメイト二人がなぜか生ぬるい感じで見てくる。
そんなにおかしいのだろうか。
向こうは用があるのだから、当番に時間や余力を割きたく無いというのはわかる。例えそれが遊びであっても、いやだからこそ。小学生にとっては十分に優先すべき『用事』なのではないか。
一方の紫苑は用事も予定も無く、当番を替わっても問題がない。
結果的に誰も損はしていない。それどころか上手く回るように調整された事になるのではないだろうか。ううむ。
首を傾げた紫苑を見て、クラスメート二人は顔を見合わせて溜め息ひとつ。
やや呆れが混じるものの、不快さの現れではない。『こういう性格だった』というもの。
「そういえばさあ、朝何か先生とかが騒いでたの何だったの、知ってる?」
「昨日の夜、近所で飼ってたペットが行方不明になったとかなんとか聞いた」
「え、それだけで?」
「いやなんか小屋とかメタクソに壊されてたらしくて――」
紫苑が長考に入ってしまったので、二人は別の話題を出したらしい。特に興味を引かれる内容でもないので、会話には入らなかった。
「クマとか山から降りてきたのかな?」
「居ないよこの辺には」
「ワイバーンとかかな」
「存在してねえよ」
「えー、じゃあ小豆あらいとかなの?」
「何ですごい勢いで離れてくんだよ! 何がじゃあだ!?」
入らないというか。
迂闊に入れないというか。
▲▼▲
【………………なるほど】
▲▼▲
紫苑に与えられた自宅は、どちらかというと町外れにある。住宅街からは離れているというより、山に近いと表した方がわかりやすい。
学校からはそこまで遠くもないが、かといって近くもない。掃除で帰りが遅れ、夕飯の買い物でスーパーに寄ったからか。そろそろ夕方から抜けて、夜にさしかかる事を空の色が示している。
「さすがに今日はもう落ちてくるなよ」
まだあまり星の見えない空を見上げて、うんざりとした声が勝手に口から出てきた。
すっかり忘れていたが、鞄や教科書は乾いているだろうか。もしダメになっていたら新調せねばならない訳だ。しまった。
まあどの道覚えていても今日の帰りは遅れただろう。なにせもっと
歩く向きを変える。
数年間住んでいれば、地理に多少詳しくもなる。
ちょっと林の中を通るが、こっちが近道なのだ。林といっても人の通りがあるから、道らしいものもある。初めて通る人でもそう迷わないくらい。朝通った全力ショートカット大自然ルートは初心者はちょっと――いや大半の人が迷うかもしれないが。
”いけない”
「う」
”そっちに行っては、いけない”
身体が意識を離れ、脚を地面に突き立てるようにその場で止まる。立ち止まるどころではなく。転んででも、それ以上一歩たりとも進まないとでもいわんばかりに。
(なにか)
『背筋が凍る』という言葉を生まれて初めて体感している。
悪寒が止まらない。冷たい汗がどっと流れて落ちていって、不快だった。身体は冷えているよう感じるのに、頭の奥が妙に
(
なぜわかるのかは、わからない。
なにがいるのかも、わからない。
”向きを変え、立ち去りなさい”
脚を浮かし、下ろす。そのたった一動作だけでどっと疲れたようなきがする。でも止めずに、続ける。焦らず、静かに、確実にゆっくりと後ずさる。
”今なら、気付かれていない”
意を決して、くるりと向きを変えた。このまま一気に駆け出せば、きっとこの『危険地帯』から抜けられる。今ならまだ、走っても捉えられない。何故だかそんな確信があった。
――紫苑の自宅はこの先の、町外れ森寄りにある。
市の中心や住宅街に比べれば確実に少ないけれども、人が全く住んでいない訳ではない。だからこの道が近道でなく、ただの帰り道になっている人も、当たり前に居る訳で。
くるりと振り向いた直後に、
ただならぬ様子の紫苑に怪訝そうな目を向けつつも、
帰りを急いでいると思しき子供が、
紫苑より
「――――ッ、」
このまま走り出せば、自分は安全だ。確信がある。
でも、代わりに、
「だめだ、それは――それはだめだッ!!」
地面の土を抉り飛ばすほど強く蹴飛ばして、跳躍手前の勢いで駆け出した。向きを変える前の方向に。最初に前だった方向に。人の気配の多い街の方ではなく、異質な何かの待つ林の方へ。
声をかける暇が惜しい。あっという間に追いついた小さな背中に、体当たり同然で飛びつく。勢いのままに、二人まとめて地面に転がった。
――その上を、巨大な塊が通り過ぎた。
ごう、と何かが突っ切ったのは見ずともわかった。余波で生じた横殴りの突風が身体を叩くから。薙ぎ倒された進路上の樹がバキバキと砕ける音がしたから。
突然体当たりで転ばされた子供は、がばりと起き上がった直後に固まった。恐らく紫苑に怒鳴るつもりだったのだろうその口が、半開きで止まっている。
何かが通り過ぎた向こう。
倒れた木々や葉で影になった暗闇に、赤い光が二つ見える。
それは、何かの”両目”だった。
立ち上がる。引きずりながら子供も立たせる。次いで顔を両手でつかみ、向きを無理やり変えた。林の逆方向、街の方向に。
「向こう。行って」
「ぅ、――ひっ」
「はやく」
怯えを遮るように、静かでも強い口調で。子供はそのろのろとした動きで、歩き出した。
赤い目はそれを――追わない。
今も紫苑の方を向いている。
紫苑も一歩、動いた。林の方向、街の逆方向に。赤い目はそれを――追った。
ならば、取るべき行動は決まっている。
「走れッ! 振り返るなッ!!」
子供の方が、紫苑の怒号に弾かれるように走り出した。街の方へ。
紫苑も叫びながら走り出した。林の奥へ。
走り出そうとしたのだけれど。
既に赤い両目の何かの巨体が、すぐそこに在った。
ぶつかる。避けられない。視界の端に薙ぎ倒された樹が何本も見える。人間の――子供の耐えられる衝撃でないのは間違いない。
すぐそこに在る、というか。
もう、身体にぶつかってい、
【Archaea Open.】
衝撃でちかちかした視界に、何か映った気がした。
巨大で分厚く、相応の重量を伴う塊が、速度を伴って激突すればどうなるか。その解答を、身を持って知る。
勢いを殺す術など知らぬ紫苑の身体は、紙くずのように乱雑に吹き飛ばされた。宙を舞い途中の樹にぶちあたり、へし折ってなおも止まらず。それを数本分繰り返したところで、ようやく勢いが尽きたのか、幹の一つが折れること無く紫苑の身体を受け止めた。
受身の取り方なんて知らない。知っていても取る余裕なんてない。べちゃりと地面に落ちた体から、だらりと四肢が投げ出される。
「あ――がっ、いって……!」
痛い。痛い。痛い。あとちょっと熱い。
ぐるぐるする視界と思考のままに、幹を頼りに立ち上がる。
そう、
確実に大怪我するはずの衝撃だったというのに。
いや、普通なら――まっとうな人間なら、死んでいなければならないはずなのに。
「か、」
知らない。
こんなの、知らない。
こんなことができるなんて、考えたこともなかったのに。
「
学校の制服はいつの間にか影も形もない。
身に付いているのは裾の長い上着と長ズボン。色は大半が黒で各部に白も見られる。通常の衣服というには各部の見慣れない傾向の装飾が異質さを放っている。
買ったおぼえも貰ったおぼえもない服だ。というか着替えたおぼえがない。そもそもこれは本当に服なのか。
これだけでも事態は紫苑の許容量を大幅に超過しているのだが、まだ序の口なのである。
見慣れぬ服を追った先、袖から出ている見慣れたはずの自身の右手。その中に、一切見慣れていない物が在る。
黒い柄に銀の刀身――――剣だ。
片刃のそれは小学生の紫苑にとって重くなく、長すぎず。それどころか握りやすく、手にしっくりと馴染んでいる。目で見るまで、自分が剣を握っているのと気付かなかったくらいに。
だからこそ余計に気味が悪いのだ。
初めて見る物体のはずなのに、体の方はずっと前から知っていると暗に言っているようで。認識の食い違いが無性に不安を掻き立てる。
そして最後。
最も異常な事態そのものが、ついに沈黙を破る。
【それとなく誘導するつもりだったのですが、上手くいかないものですね】
声ではなかった。
文字でもなかった。
どちらかというと――文字の方が近い、だろうか。
文字そのものというより、文字や文章を『読む』という行程をすっ飛ばして、内容の理解という『結果』だけ直接頭に打ち込まれている、ような。
【過度な干渉はしないつもりでしたが、こうなってしまっては仕方ありません】
これは外からの伝達でなく内側からの発生だ。
別の場所から声や意思が届いているのとは決して違う。紫苑の思考というか意識の
つまり、端的に言えば。
【はじめましてシノミヤ・シオン】
【
お前は誰だ
俺の中の
マジで誰