ノックの音がした。
──王子様──
反射的にそう思ってしまった自分が呪わしいが、不用心に戸を開ける程私は堕ちていない。
(…キャスター)
地下にいた彼は私の呼びかけに応じ、上がってきた。かしいだその顔には"ネズミか何かだろう"とでも言いたげな表情が張り付いている。
建物の特性上、一般人には視認出来ないよう結界を張っているが為、セールスマンは疎か、チラシの一枚でさえやってくる事は無いと言う。それ故に"来客"の意味は推して量る事が出来る。
「気をつけな。大したことはないと思うけど、後ろ手に刃物を持った男が一人。」
頷き、指示を与える。
(外にいて。何かあったら後からゴツンとして良いから)
ゆっくりと玄関に歩み寄る。
「はーい。」
覗き窓を見る。挙動不審の若い男が一人。
『和泉ちゃん?』
パッと、顔色を変え興奮した様子で男が続けた。
『無事だったの!?ねぇ!心配したんだよ!開けてくれ頼むから!』
和泉とは誰の事だ。男は何か勘違いしている様で、ガチャガチャとドアノブを回して泣き叫んでいる。
和泉という女を心配している人間がなぜ刃物を忍ばせ戸を叩くのだろう。甚だ疑問だらけだが開けないわけにはいかない。
「今開けるよ。」
無力化する手段をいくつか頭に浮かべながら鍵を開ける。と、男は自ら勢いよく戸を開け両手を突き出した。抱きつくような形で飛び込んできた男の目には驚きと困惑の情が浮かべられている。私は落ち着いて左腕を男の鳩尾にねじ込んだ。
「おっ…っが…ああッ…」
男は腹を押さえながら膝を折った。呻く男の髪の毛を掴み首にナイフを当て、できる限り低い声で問うた。
「答えろ。お前は誰だ。」
男はなおも腹を押さえ悶えている。
舌打ちをしてキャスターに治癒を指示した。
「うっ…お…お前は…」
男の目に痛みかそれとも恐怖か、由来は定かではないが涙が浮かんでいる。
「私は保科圭子。貴様は何者だ。」
より強くナイフを首に当ててもう一度問うた。
「お…俺は宮下…アンタは…なんでこの部屋にいるんだ」
「宮下。刃物はどこに隠した。」
「お前…ポケットの中だ。」
出せ。と言うと素直に出して床に置いた。ごく普通の折りたたみ式のナイフであった。
「なぜこの場所を。」
「ここは和泉…成田和泉の部屋だ。和泉は俺の彼女で、一週間くらい前から…連絡しても反応がなくて行方が分からなくなっていたんだ。」
「…それで」
ナイフを当てる力を弱める。
「部屋の明かりが付いていたから…」
「なるほどね。」
男から手を離し、ソファに座る。男は部屋の主が私に入れ替わっていたショックで今にも死にそうな表情をしている。
「三浦から何も聞いてないの?」
「三浦?ああ支部長…お前も魔術師だったのか。」
聞くと、三浦に成田が行方不明だと相談しに行ったのだが三浦が留守だったので一度帰ってきたらしい。
「私はロンドンから仕事で日本に来て、三浦にこの部屋をあてがわれた。残念ながら成田和泉の事は何も知らない。」
この部屋に妙に生活感が残っていた理由に合点がいった。
「そうか。いきなり飛び込んで悪かった。」
男はそう言うなりさっさと帰ってしまった。
「意外と、さっぱりしてるね。」
キャスターが玄関の鍵をかけながら呟いた。
「私もそう思う。恋人の家で他人が生活してたら気持ち悪くて仕方が無い。」ここは和泉ちゃんの部屋だぞ!出ていけ!くらいの事は私でも言うと思う。
「気になる?」
調べるつもりか。
「恐らく彼女が三浦の指示で部屋を空けたんだが、何らかの事情で彼に連絡が行かなかったんだろうね。彼の粘着気質に困っていた彼女の雲隠れとか。」
根拠に乏しい。
「何を根拠に、って思ったでしょ。」
素直に頷く。
「意外と、フィクションな脳みそしてるなぁって。」
キャスターは苦笑いして言った。
「そもそも彼の話がデタラメだよ。」
「なにをこんきょに」
「思い出してみな。彼は"明かりが付いていたから"って言ったよね。」
頷く。そう言えば…と、何か引っ掛かりを覚えたが、その正体に気づけない。
「この建物には結界が張ってある。ならば外から部屋の明かりなど見れるはずもない。違う?」
「そっか…彼は魔術師だから建物自体は感知出来るけど"生きている"部屋を確認する事は出来ない…」
この建物には二重の結界が張ってある。一つ目は建物の存在を忘れさせるもの。そこに在るものを無くすことは出来ないが、"在るものを忘れさせる"事は出来る。そうすることで一般人には建物自体、認識する事が出来なくなる。
二つ目は対魔術師、あるいは一つ目を突破した"感の鋭い"一般人用。建物を認識できたとしても、室外機はおろか、ガスのメーターでさえ微動だにしない、もぬけの殻と化した眠るアパートが映るのが見えるのみ。当然、電気が付いているかなどわかるわけが無い。
「確かに、不自然ね。でも、不自然なだけよ。」
それだけじゃ理由にならない。
「もうひとつ。…なぜ、彼女の身を案ずる者がポケットにナイフを忍ばせる?」
「別に不思議じゃない。護身用。」
「ならどうしてそのナイフを置いてゆく?」
キャスターはそう言って玄関と靴箱の隙間に落ちている筒─折りたたみ式のナイフを拾いこちらに放った。
咄嗟にナイフを掴んだ。黒い筒状の柄で、ワンタッチで刃が出るタイプの物だ。
「どうですか?ナイフのプロ様。何かお気づきになりまして?」
何を企んでいるんだ。
疑惑の目を向けつつ刃を出してみる。別にこれと言って違和感のない普通の…あれ?
「柄が軽い。だろう?」
重心がかなり刃の方に傾いている。円筒状で掴みにくいのを踏まえると、振り回すには不向きすぎる。
「何のためにこんなオモチャ作ったのかしら。」
そもそもプラスチック製って…
「全くだ。偽装するならもう少し上手くやってほしいものだ。」
キャスターはナイフを受け取った途端、刃を柄から取り出して、柄の部分を真っ二つに叩き割った。
「は?ちょ、馬鹿!」
咄嗟にキャスターの手首を掴んだ。するとナイフの柄だったプラスチックの破片の中から黒いケースのような物が出てきた。
「ナイフを殺す様なマネを君の前でしたくはなかったんだけどね、"コレ"がそもそもナイフとして使われようとしてないから良いかなって。」
そう言ってさらにケースを叩き壊してこう続けた。
「いわゆる盗聴器ってやつ。宮下は過去に─成田が住んでいた頃から部屋に盗聴器を仕掛けていた。何の為かは知りたくもないけど…」
「ちょっと待て。なら、私が来てからも盗聴してたって事?」
キャスターの言葉を遮って、吐き気を抑えながら問う。
「そういう事。だから彼はここに来た。ああ、安心して、元々あった盗聴器は君が爆睡してるうちに全部細工しておいたから。」
ざっと五個ほど。と、ピースしながら物騒な事を言う。
「……」
聖杯戦争とか、陰陽師とか。もうどうでも良くなりそうな、"プライバシーを侵される"という純粋な恐怖が身を包んだ。
思えば、ロンドンにいた頃はプライバシーについてろくに考えたことがなかった。と言うのも、時計塔内での魔術行為は全て上部に把握される仕組みになっているので(私の結界内は別だが)魔術を利用した盗撮の類を行うことは不可能だし、そもそも女の裸よりロードの機嫌取りに必死な人間しかいない環境で生活を盗み取られることはありえない。もちろん、研究内容と上への本音は丁寧にしまい込んで隠し通さねばならないが。
胃液が逆流してくる予感と、脳に血が上がってきて視界がブレ始めたところでキャスターに問うた。
「宮下が陰陽師の可能性はあるのかしら」
「ないね。」
即答。
「もしそうだとしたら、こんな分かりやすいヘマはしないよ。逆に、ノコノコ出てきてくれたおかげで疑いが晴れたってところかな。」
「…成田は」
一瞬の静寂。この部屋が"成田が陰陽師でない根拠"を必死で探し出している二人を遠巻きに覗き込んでいるような、そんな気持ち悪い間があった。
「成田和泉が陰陽師ではない事を証明するには、三浦が彼女の居場所を知っており、かつ成田自身に問いただす必要がある。」
「もし成田が陰陽師だったら─」
「寝首を、こう、サクッとされるかもしれないね。」
キャスターが首を切るポーズを取っている。そんな軽く言う話ではないが、もしそうなら状況は最悪に近い。後手に回って良い案件ではない。
「とりあえず三浦に確認は取るべきだろうね。問題は成田なにがしが陰陽師だった場合の今夜の行動だ。」
言われるまでもなく端末を操作し三浦に送るメールの作成をしていた。
「寝首を搔かれる云々は冗談抜きで対策した方が良いわよね。と言うより敵陣のど真ん中で私たちは何をやっているのかしら。」
「その辺は問題ない。実はこの部屋も工房化させてもらってるから、部屋の中にトラップが仕掛けられていたとしてもそのトリガーを遠隔で引けないようにさせて頂きましたよ。問題は直接殴り込みに来られた場合と、工房化の維持だ。お恥ずかしい話、僕のスキルだと地下室とこの部屋の工房化は割と出力の許容を超えている。特にこの部屋は完全に他人の持ち物を盗んでいる状態だから、どうしたって安定しない。と言うより正直工房化出来てるか心配で仕方がないですほんとすみません。」
え、やっぱり無能じゃんこの人
「…なら交代で仮眠取るしかないかしらね。あんたは私が寝てる間くらいちゃんと工房化に専念してよね。」
何時間なら維持できる?と聞いた瞬間、私は不意に腕を掴まれベッドに倒された。
「何言ってんだよ…」
キャスターの腕が私の顎に伸びる。
『─今夜は寝かさないぞ』
考えるより先に右手が動いていた。相手が人じゃなくて良かったと、思えるほどの会心の一撃だった。