走る…走る…走る……
後ろから足音が迫ってくる。
足音の主は歩いているはずなのに、何故か走っているはずの自分との距離を縮めてきている。
走る…走る…走る……
どうしてこの意味のわからない足音から逃げることになったのかよく覚えていない。今日もいつも通りのコンビニの帰り道を歩いていたはずだ。誰かの反感を買うようなことをした覚えもないし、この足音が〝追いつかれたらいけない〟ものなのかもわからない。けれどただ、走る。
気が付くと、周りの景色が知らないものになっていた。こっちで暮らすようになってからまだ少ししか経っていないのだから無理もない。
走る…走る…走る……
今いる場所が知らない場所だろうが関係ない。ただただ追いつかれたらいけないという恐怖心に煽られるままに走る。
日が沈んでから数時間が経過し、日付が変わる間近のこの時間帯には当然ながら出歩く人がほとんどいない。
「あの足音はなんだ?」
わからない。
「追いつかれたらどうなる?」
わからない…
「今自分はどこにいる?」
わからない……
「いつまで走り続ければいい?」
わからない…。わからないわからない!
自分が置かれている状況がわからないことに対する恐怖心。追いかけられることに対する恐怖心。頭の中がぐちゃぐちゃになって吐き気がする。けれども走ることをやめることができない。
走る…走る…走……れない。
追いつかれた。考えることに熱中しすぎたせいで周りに気を配る事ができていなかった。肩を抑えられているのか腕を掴まれているのか、それとも足か……。どこに何をされているのかわからないがとにかく体が前に進まない。自分の背後に何かがいる。それだけで充分不安を感じる。
追いつかれてからたっぷり数分経った。緊張と恐怖による不安のせいで時間が長く感じているだけなのかもしれない。ただ、後ろのナニカは何もしてこない。
もしかしたら、足音も追いかけてくるナニカも存在しないのではないか?高校に入学してから始めたライブハウスの仕事で疲れた自分が勝手に想像した妄想なのではないか?そんな希望を抱いてしまった。
一度抱いた希望は心の奥で膨れ上がり、やがて決めつけに変わった。
「足音なんて聞こえていなかった。ただの気の所為だ。」
「自分のことを追いかけていたナニカなんて存在しない」
決めつけはやがて安易な確信に変わる。
先程まで心に巣食っていた恐怖は押し潰され、無謀な希望に支配されていた。
「なんでこんなに怖がっていたんだ。馬鹿らしい…」そう思って振り返った。
「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
朝一番とは思えない程の叫び声を上げながら布団から跳ね起きる。
「ハァ……ハァ……」
呼吸を整え激しく脈打つ鼓動を落ち着けてから無意識に呟く。
「なんだ夢か……」
「夢じゃねぇよ…」
「ほわぁぁあああああああああああああああああ!!!」
「な〜んてなっ!冗談だよ冗談。」
本来ならば聞こえてこないはずの声が聞こえてた方を向くと、叔父がこちらに指を指してわらっていた。
「心臓が止まるかと思った……」
「はっはっは。高校生にもなって怖い夢を見てうなされるとか大丈夫か?今日から一緒に寝るか?」
「馬鹿にしすぎ!というかなんでここにいるのさ…」
「いつもなら起きてる時間なのに起きて来ないから一応見に来たんだよ。そしたらお前がこわーい夢にうなされてたんで、起きるのを待ってた」
「いや起こしてよ…。起こしてくれれば最後まで見なくて済んだのに……」
「まぁいいじゃないか。とりあえず朝飯だ。早く着替えて来いよ〜」
そう言うと叔父はすぐにリビングの方に行ってしまった。
「はぁ…。なんであんな夢を見たんだろう」
そう疑問に思って思い出すのは昨日のこと。
コンビニで間食用にパンを買っていた時に、最後の一つだったチョココロネを譲り合って仲良くなった可愛い女の子ことだ。
買い物が終わってから少し話して別れたのだが、その時に「このネット小説、すごいおもしろいんですよ。ぜひ読んでみてくださいね」
と言われて寝る前に全文読んだのだ。
おかげでいつもより夜更かしをしたし、めちゃくちゃ怖い夢もみた。名前も知らない少女にトラウマを植え付けられかけるとは情けない…。
今度もし出会うことがあるならその時はたっぷりお礼をしなければ……
小さな決意を固めてリビング向かう。
今日は日曜日でライブハウスの手伝いをすることになっている。基本的に奇数日が休みで偶数日が仕事だと叔父と話し合って決めている。
「今日はどんなバンドが演奏しにくるんだっけ?」
「あぁ、今日は……」
この生活が始まってから数度続いたやり取りを始めながら朝食を食べる。
朝食を終えたら食器を流しに起き、身支度を済ませて家を出る。ライブハウスまでは歩いて通うことにしている。叔父は車で行っているので乗せてもらえば楽なのだけれども、運動は大切だと思っているので歩いていく。
日曜日となると、街中は人で溢れかえっている。人混みに紛れないように歩いていると、人だかりが2つ出来ていることに気がついた。
片方の人だかりの方には何やら「また失神者が〜」とかなんやら聞こえてきたので関わらないようにしよう。
もう片方の人混みの奥からはドラムの音と歌声が聞こえてくる。歌声ははっきりと、ドラムはどこか拙い音だったがどちらも明るく快活なリズムを刻んでいた。
「ふぇぇ…」
「ららら〜♪」
あれ?この声はもしかして…
明るく歌う声とは別の、助けを求めるような声を聞いて人混みに向かって足を進める。
「すいません。通してくださ〜い!」
もしかすると自分の知り合いが演奏しているのかもしれない…。と思いならがら人を避けて進むと案の定ドラムを叩いていたのは花音さんだった。
「ふぇぇぇ……」
「ら〜ららら〜♪」
一体何をしているんだろう……。花音さんはこの前、ドラムをやめると言っていたはずだが考え直したのだろうか。いやそれにしてもいきなり路上ライブとは…。意外と花音さんも大胆だったんだなぁ。
「うっわ…。何あれ……」
とりあえず心配(面白そう)なので見守っていると、自分の右隣にこの様子にドン引きしている女子高生がいた。制服から見て問題の花音さん達と同じ花女の生徒のようだ。
ちょうどいいから、金髪の少女について聞いてみよう。
「すいません。あの歌っている女の子ってどんな子なんですか?」
「えっ?…いや、いきなりなんですか?」
うわぁ。ものすごい警戒されてる…。当然と言えば当然なんだけどすごい傷つくなぁ。
「実はドラムを叩いている女の子が知り合いでして。その彼女はドラムやめるって言ってたのになんで路上ライブなんてやってるのかわからなくて…。怪しい者じゃないです。決して」
「そう…ですか」
まだ警戒心は残っているようだが一応信用してもらえたようだ。
「え〜っとですね…。あの金髪の女の子は“弦巻こころ”といって、花咲川女子学園の『異空間』と呼ばれている人物です。これで大体わかってもらえますか?」
「あぁ。納得。」
「それは良かったです。あたしは同じクラスですけど関わらないようにしてるのでこれ以上の説明ができないので」
「うん。それは正しい判断だと思うよ…?」
「ですよね…。正直、どんなことに付き合わされるのかわかったもんじゃないですからね……」
「確かに…。僕も巻き込まれるのはごめんだなぁ……。あっ。」
などと話していると花音さんと目が合った。
「どうしました?急に黙って…」
「目が合っちゃった…」
「…………。」
女子高生は「諦めろ」と目線と無言で伝えてくる。その音の無いメッセージにこちらも無言で返す。諦めたくない。
「………………。」
花音さんには悪いがこのまま立ち去らせてもらおう。目は合ってなんかいなかった。今度またケーキでも献上すれば許して貰えるだろう。
頭の中でこの場から逃げ出すことが決まった。こちらを泣きそうな顔で見つめてくる花音さんの顔をなるべく見ないように一歩一歩下がって行く。花音さんの顔が更に泣きそうなものに変わっていくがこのままならバレることはないだろう…
「あら?花音はさっきから誰を見ているのかしら…?」
ふと、急に歌が止まった。花音さんが紡いでいた快活なリズムも数秒遅れて鳴り止んだ。
「ねぇ!そこのあなた!あなたも一緒に歌いましょうよ!」
まずい…。何とかして知らん顔で切り抜けなければ!もしかしたら呼ばれているのが自分じゃないかもしれないし。
「あなたよあなた!いまここから立ち去ろうとしていたあなた!」
「oh......」
淡い希望は先程建てた完璧なプランと共に砕け散った。何とか逃げ出す方法がないかと考え、先程の女子高生に視線を向けた。
「あ、あたしはこれからバイトがあるので…失礼します」
逃げられた。
「さぁ、はやく!」
急かす金髪の少女、泣きそうな花音さん、そそくさと立ち去った女子高生、こちらに集まる観客の視線…。
もう逃げ道はない。八方塞がりだ。
心做しか先程家を出た時よりも数倍重たく感じる足を動かして、前に進んだ。