『ZOIDS Genesis 風と雲と虹と』第七部「アーカディア」   作:城元太

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第八拾参話

 空也が不死山の頂を仰ぎ見ていた同日同刻。

 武蔵国を遠く離れた都の左馬寮に、乞食僧然とした風体の人物が転がり込んでいた。浮浪の民が迷い込んだものと、寮の者が早々に退散させようとすると、その人物は掠れ声で己の名を名乗った。

左馬允(さまのじょう)の平貞盛である。三条大臣(おとど)、藤原定方様に御目通りを」

 よくよく目を凝らして見れば、確かにそれは、(やつ)れ果てた平太郎貞盛であった。

 千曲川での戦いで愛機ブラストルタイガーを失って以来、朝に夕に小次郎の追撃を恐れ、同時にしゅう馬の党やはぐれ蝦夷の襲撃を憂い、野に伏し草を食み、昼夜を通して歩み続け、満身創痍で漸く都に辿りついた姿であったのだ。

「太政大臣藤原忠平様に、平将門への追捕官符を請う」

 貞盛はそのまま、気を失う様に深い眠りに陥っていった。

 

 篝火の下、武芝の昔語りは続いていた。

(むらさき)の君は『瓢が靡く景色が見たい。瓢が靡く大地に立ちたい』と仰せられました。最初の内は姫君の戯れとして聞き流し、身分違いの想い故、叶わぬ願いと諦めておりました。しかし逢瀬を重ねる末に、姫の願いが真摯であり、本気で田舎者の衛士である私を好いておられることを確信しました。

 若さは無謀を承知で人を突き動かすもの。私は姫の願いを叶える為に一計を案じました。朝議の儀仗に際し衛士の立場を利用し、大きな葛篭(つづら)を抱えてジオステーションの宮掖(きゅうえき)(=正門傍の小門)を密かに潜ったのです。門外に待たせておいたバンブリアンに乗ると、衛星軌道より地上に伸びるケーブルを七日七晩走り通し、大気圏に達し地表が見える場所まで到達。ジャイアントホイールを滑車代わりにケーブルを滑り降り、最後に落下傘を展開して勇躍地上へと降下し、一路故郷武蔵へと向かったのです。抱えた葛篭に姫が潜んでいたのは、申すまでも御座いません。

 狭い機内の中で手を取り合って、無限の希望を描き坂東へと向かったので御座います」

 源家の降嫁を強いられていた良子を、叔父良兼の館から略奪同然に娶った小次郎にしてみれば、武芝の行動に己の過去が重なる。あの日レインボージャークより放たれたパラクライズの光芒が脳裏に過ぎっていた。

「惚れた女人との逃避行とは剛胆な。益々武芝殿を見直しましたぞ」

 再びほろ酔い加減となった興世王が酒徳利を傾ける。盃を受けると濁酒を飲み干し喉を潤す武芝の顔には、一向に酔いの紅潮を見せていない。

「ソラより程なく追っ手が迫るのは承知の上のこと。バンブリアンが如何に俊敏なるゾイドとはいえ、デカルトドラゴンやら天空レドラーやらに速さで到底敵う訳は御座いません。追っ手を振り切りたい一心で、止む無く禁断の一手を打ったので御座います。

 近淡海(ちかおうみ)(琵琶湖)に掛かる瀬田の唐橋の一間(橋桁と橋桁の間)を破壊し、要塞型巨大蜈蚣(むかで)ゾイドの封印を解く事によってソラを惹きつけ混乱に乗じる。その隙に、武蔵国まで逃げようとしたので御座います」

 小次郎の盃を運ぶ手が止まり、下総勢の家人一同も同様の仕種となった。空也と、そして純友より語られたゾイドの名が口を告いでいた。

「……アースロプラウネのことか」

「御存知で御座いましたか。終いには田原郷の藤太様、つまり藤原秀郷様に退治されてはしまいますが、私共が逃げ仰せるには充分な時間を稼いでくれました」

 小次郎の中で、多くの謎が次々と数珠繋ぎとなって円環を成していく。欠けた(たま)を補う為、小次郎は問う。

「何故に、瀬田の唐橋を破壊することが、アースロプラウネを解放つこととなるのか」

「橋とは〝(はし)〟に繋がる異界への封印を示します。瀬田の唐橋は元来、龍宮が来るべき事態に備え、数々の金属生命体たる巨大ゾイドをスタトブラスト化(休眠状態)にするための封印施設でありました。現在を以ても、ホエールキングやらタートルシップやらが眠っておるはず。必要に応じてスタトブラスト化を解除し、押領使やら追捕使やらに配備されます。近年では追捕凶賊使の小野好古様に、ドラグーンネストが下賜されたと伺っております。

 デルポイより渡来した天上人達は、当時龍宮を配下に治めており、地上の管理とアースポート建造を委任させていましたが、龍宮は更に部曲民(かきべのたみ)に作業を孫請けさせていたのです。

 我ら丈部は代々造兵司に仕える部曲(かきべ)故、スタトブラスト化を解除するなど造作もない事。ジオステーションへの参内に備え、(あらかじ)めアースロプラウネのゾイドコアに火入れをしておき、我らの降下と共に目覚めるよう段取りを踏んでおきました。

 再起動したアースロプラウネは、制御する者の居ないまま彷徨し、思惑通り建造途中のアースポートを混乱させました。俵藤太様がアースロプラウネを鎮撫する頃、我らは追っ手の届かぬ武蔵郷に到着して居りました。一世一代の逃避行は成功したので御座います」

 過去の佳き追憶を恍惚と語る武芝の貌は、暫し老いを忘れ去っている様であった。

「万事が上手く運んだと思われたのです。思われたのですが……」

 老郡司は深く長い溜息をつくのであった。

 

 武芝と興世王、そして小次郎が待つ宴の篝火を目前に捉えた地点に、赤い眼をした暴竜の機影が現れる。

 追撃体勢にありながら、ゆるゆると進むゴジュラスギガの頭部操縦席の風防を、雨垂れの如く降り注ぐ何かが激しく叩いた。

「雨、いや、(ひょう)か」

 風防を僅かに開き、飛来する雹の欠片を掴もうと、漆黒の虚空に掌を伸ばす。

「なんだこれは! (ひょう)ではないぞ」

 源経基は掌に火箸を差し込まれるような痛みを感じ、雹と思われた欠片を振り払った。遠き駿河の火映が怪しい輝きを一層強めている。経基に随伴して来た郎党衆が口々に悲鳴をあげ、降り注ぐ高熱の礫片を避けようと逃げ惑う。

「さては武芝、そして興世王に平将門め。我を亡きものにせんと、卑怯千万な策を弄したな」

 降り注ぐ熱き細片が、猜疑心に凝り固まっていた経基を激怒させるのは容易であった。

「ソラに訴えてやる。平将門は、興世王、武蔵武芝と共に武蔵介である私に謀反を起したと」

 林立する孟宗竹が炎を上げて破裂する光景を尻目に、ゴジュラスギガは和睦の議を投げ打ち去って行く。

 格闘戦に於いて最強と称される暴竜ゴジュラスギガを以てすれば、村雨ライガーは元より将門ライガーにも充分匹敵した筈である。源経基は紛れも無く、平将門を恐れていた。折しも降り注いだ灼熱の礫片を、都合よく小次郎達の攻撃と解釈し、懐かしの都への逃走理由としたのである。

 飛来した高熱の礫片の正体は、不死山より噴出した火山礫(スコリア)であった。摂氏にして四百から五百℃に達する高熱を放つ噴石であり、短い休眠期間を終え、再び奈落の底の死竜が目覚めようとする前触れでもあった。礫片は次第に噴出量を増し、駿河、相模、武蔵、そして下総や常陸にまで降り注ぎ、坂東全域に大きな被害を齎す。

 だが天変地異の騒動が小次郎達の元に伝わる迄、暫しの間があった。

 

「紫と私は武蔵で夫婦の契りを結び、日々安寧に過すことになりました。姫はソラ育ちでありながら、私の身の回りを甲斐甲斐しく焼き、それはそれは睦まじい暮らしを送りました。

 夫婦として幾年か過ごしたものの、子を成すことはありませんでした。いえ、それは最初の夜から薄々感じていたこと。姫は――紫は――子を宿すことが出来ない身体でありました」

「まことでございますか。女人の身体は女人にしか判らぬものです」

 小太郎を寝かしつけ、新たな酒徳利を運んで来た良子が矢庭(やにわ)に話に割り込んだ。小次郎に同じく、嘗ての二人の馴初めの記憶と重ねて逃避行の末の幸せを願って傾聴していたに違いない。

 武芝は静かに首を横に振る。

「武蔵の取り上げ婆(=助産婦)にも調べてもらいましたので、間違いのない事で御座います。それでも私は紫が(そば)にいてくれるだけで幸せでした。ただ、傍にいてくれるだけで良かった。

 やがて恐ろしき事が起こりました。紫の若き(たお)やかな身体が、急激に老い始めたのです。最初は節々の痛みを訴え出したかと思うと、次第に床に就く時間が長くなり、やがて起き上がることも稀になって、肌艶も老人の如く潤いを失っていきました。

 悪しき病と察し、私は紫を助けたい一心で坂東中を巡り、必死で療法を探りました。ある時はデルポイより渡来したヘリック国の医術を学んだと称する医者にも掛かりました。

 ですが下された診断は残酷なものでした。紫の君の寿命は、もはや尽きようとして居ったので御座います」

「お待ちください。姫の、紫の君の(よわい)は幾つだったのですか」

 悲恋の行く末を憂い、良子が食い下がる。

「歳の頃なら桔梗様と同じ位、まだ二十歳を越えぬ筈でした。但し歳を問うと、紫は不思議なことを申されました。『歳は知らぬ。まだ生まれて間もない』と。

 程なくして紫は、私の前から姿を消しました。ほぼ寝たきりとなっていたのですが、ある日忽然と、(もぬけ)の殻の床を残して。

 急激に老いさらばえて行く身を晒すのが辛かったのでしょう。

 淵に身を投じたか、それとも人の手の届かぬ深山に分け入り命を断ったか、未だ骸を見つけることはできぬままで御座います。

 紫が去った枕元には、力が入らぬ指で記した(ふみ)が乗っておりました。

有難(ありがと)う。幸せでした』とだけ書き残して」

 

 武蔵の静寂を、天変地異が切り裂くのは、長い昔語りが丁度終わった頃である。間もなく武芝の陣にも、不死山の灼熱の火山礫が降り注ぎ、遂にゴジュラスギガと六孫王源経基の到着を見ないまま、和睦の宴は散会する。

 小次郎の坂東の平和を守ろうとする意図は、不死山の噴火によって破砕された。そして平将門は、平貞盛と源経基の両名によって訴えられる事態となった。

 

極楽(アーカディア)。現世が既に末法の世と言うならば、我らは死ぬことによってのみ救われるのか」

〝厭離穢土 欣求浄土〟の文字が、空也の足元の地面に刻まれている。小次郎達に天災発生を知らせることの出来なかった苛立ちを込めて。

 不死は西側の峰の側火口より側噴火を起こし、著しい噴煙と噴石を撒き散らした。激しい火山性地震と共に山体崩壊(セクターコラプス)を生じ、爆風(ブラスト)が山麓を音の速さで駆け降り樹海を焼き尽くしていく。

 延々と伸びる軌道エレベーターのケーブルが、惨状を尻目に無慈悲な輝きを放っていた。

 

              第七部「アーカディア」了

 


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