『ZOIDS Genesis 風と雲と虹と』第七部「アーカディア」 作:城元太
朝露に煌めく木漏れ日が、白い素肌の水滴に輝く。
射干玉の髪を掻き上げると、無数の雫が珠となって滴り落ちる。
「藤太兄様……」
桔梗はそこにいない兄の名を口遊んだ。
見上げる梢の先に、巨大な
下野
〝
〝藤太様もお盛んな事で。何も妹御などと語らずとも良きものを〟
声を潜めているものの、桔梗自身が驚くほどに明瞭に、市の見せ棚に品を並べる商人の囁きが響いた。
同じ両親より生まれた兄と妹であれば、歳の差が四十を越えるのは確かに稀であろう。だが聞き知った事によれば、片親が違えば齢の差は広がるはず。それを何故殊更に咎められなければならないのか。下卑た笑いが心に篭り、桔梗は思わず大袈裟な仕草で耳を塞いでいた。
「聴覚の調整が過敏であったか。感情の制御もまだ儘ならぬようだな。桔梗よ、不要な言葉を気にしてはならぬ、よいな」
「はい」と桔梗が応えるが早いか、秀郷が睥睨した途端、忽ち市での一切の囁きが途絶えていた。兄の力強い姿に陶然としつつも、桔梗は囁かれた言葉の意味が永く胸に痞えることとなった。
衣の襟を整えつつ、己への問い掛けが繰り返し湧き上がってくる。
(私は、兄の〝妹〟なのだろうか)
幼い時の、そして少女の時の記憶がない。これまで疑問に感じたことはなかったが、突然疑念が生じていた。
「なぜ私はここにいるのだろう」
藤原秀郷の妹として、長く武芸に励んできたはずだ。ゾイドの操縦に精通し、田原の館の上兵達とも対等に渡り合えるほどの技を持つが、なぜ己が強くなったのか、過程の記憶がない。まるで今の姿のまま、この世に産まれ出てきたような感覚だ。
「ゾイドに乗って戦う。俵藤太の妹として、このセントゲイルで」
疑念を断ち切るため、無機質に佇む鵺型ゾイドの名を唱えると、不思議と落ち着きを取り戻していた。
我に返ったその時、潺と風の音に混じって、大地を揺らして突き進む鋼鉄の獣の跫が伝わってきた。
(これはゾイド。それも数十から成る規模の大毅。東山道に向かっている)
操縦席にするすると攀じ登ると、即座にセントゲイルの姿勢を屈め、雑木林の中に身を隠させる。桔梗は扉を開け放った操縦席の中、駆け抜ける跫に耳を欹てていたのだった。
〝殿、誠に宜しいのですか、海賊共が背後から襲って来ることも、或いはこのまま下総で略奪を行うことも出来るはず〟
「案ずるな好立。三郎の剣狼と経明のディバイソン、加えて弾正達のバリゲーターも残っている。海賊衆とて迂闊に手出しはすまい。それに、あの男の言葉に嘘偽りはなかった。息子を人質に差し出してまで、俺と盟約を結ぼうとした者に」
〝その盟約を、殿は
「良いのだ。子どもを道具にするような真似は好かぬ。孰れ多岐と重太丸が成長し、気持ちを判りあえるようになっても互いに惹き合うのであれば、その時こそ姻を結べば良い。純友殿にはちと気の毒ではあったが」
〝納得した上での哄笑であったと察します。海賊頭は実に満足そうでした〟
「互いの自由を貴ぶ以上、強制は出来ない、と申された。敵にはしたくない相手だった。
アーカディア號、志を叶えるその時を見届けたいものだ」
〝成程、どうやら私の懸念は杞憂に過ぎないかもしれませぬなあ……。
間もなくブラストルタイガーとレッドホーンとの接触予定地点です、地上警戒を願います〟
先頭を走る碧き獅子の上空をサビンガが飛び込し、続いて薄紅の燐光を放つ白虎が、村雨ライガーの左側に並走を始めた。
〝信濃の土豪達が貞盛援護の為に参集しているとの噂を聞き付けました〟
「厄介だな。太郎めこのような場所にまで手勢を隠しておったか。
油断するな、信州は山国故、精強な山岳戦用ゾイドを用意しておるかもしれぬ。遂高、狙いはブラストルタイガーのみに絞る。なんとしても太郎の上洛を阻止する」
ソウルタイガーは前肢のソウルバグナウを剥き出しにし、戦闘態勢のまま村雨ライガーを追い越して行く。そして十数機のコマンドウルフ、シャドーフォックス等従類の高速型ゾイドが坂上遂高に続いていった。
ゾイドの大毅を以て国境を越えた時点で、既に国衙の禁令を犯している。それでも太郎貞盛を追わねばならないのには小次郎なりの思惑があったからだ。
先に源家三兄弟を倒した際、その査問のため召喚され上洛した結果、小次郎は脚病を患うこととなった。太郎貞盛が都入りし、再びソラに告訴されれば、追捕官符までではないが都への二度目の召喚も在り得る。貞盛自身が追捕の対象になっていながらも、公儀は常に賽の目の如く揺れ動くものと心得ている。貞盛の左馬允という官位も有利に働くに違いない。
「絶対に、貴様を都には上らせぬ」
小次郎の心中に「傷つけ、例え殺してでも」という暗雲の如き想いが纏わりついていた。
間道を抜け、山野を貫き、ブラストルタイガーはひた走りに走った。常陸から上野、下野に抜ける間、小次郎の配下となった従類、伴類の土豪達が悉く進路を塞ぎ、東山道へ抜けようとする貞盛を妨げたのだ。日によっては一里さえ進むことが出来ず、一刻も早い上洛を願う貞盛を坂東に封じ込めていた。それでも手練れの他田真樹の手配により窮地を脱し、漸く信濃の国境に達したのだ。
昼夜を衝いて走り通しだったブラストルタイガーとレッドホーンの装甲には、ゾイド生命体の疲労の為、薄らと錆が浮き、関節も時折悲鳴をあげていた。
あと僅かで、信濃の国衙という場所に至って、ついに小次郎の部隊に追いつかれてしまった。
谷間を越え、拓かれた盆地の地平が貞盛の目に入る。大河の煌めきが見えた。
「千曲川にてございます。ここまで来れば御安心を」
真樹の安堵の声とともに、目標としてきた国分寺の伽藍が広がって行く。回廊の脇、逃避行の挙句焦点の定まらない貞盛の視界に、千曲川の水面に映る数十のゾイド群が現れた。ライトニングサイクスやメタルライモス、ハンマーロックなどの精強なゾイドが轡を並べている。
「アイアンコングイエティではないか」
その中に3機、純白の装甲にマニューバスラスターを装備した猩々があった。
「下野国衙の一件より、将門は国衙と事を構えるのを避けるはず。であれば我ら信州の軍は国分寺を背後にゾイドを展開し、我らの脱出路を塞ぐよう命じました。追っ手が迫っております。貞盛様、どうかお急ぎください」
「
脇目でブラストルタイガーの後方を睨むアイアンコングイエティを見遣り、貞盛は信濃のゾイド部隊の脇を駆け抜けた。
無事では済むまい。
貞盛は、精強な信濃のゾイド群でさえ、今の小次郎には到底太刀打ちできないことを知っていた。知っていたが、己の身を守るためには止むを得なかった。
背後で硝煙が立ち昇る。小次郎との衝突が始まったのだ。
貞盛は振り返りもせず、東山道から京に向けての街道を、他田真樹のレッドホーンと共にブラストルタイガーで疾駆していった。