前を向いて歩こう   作:神崎 しきみ

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島風の艦娘としての初めてのお仕事、研修が始まります。


艦娘

「みんなおっはよー! 元気がないぞ? 挨拶すると幸運になれるぞ? もう一回行くぞ? おっはよー!」

「少しは静かにするネ! 雪風!」

 朝から壊れんばかりのテンションで挨拶をする雪風に連れられて、朝のミーティングに向かうのが島風の日常になっていた。だが、今日の彼女は一味違った。いつもならば島風と雪風の二人だけなのだが、今日はかわいいお供がついてきていた。

「お、おはよう」

 少し恥ずかしそうに雪風の後ろを歩きながら会議室に入った島風に、よちよちと歩く灰色の人形が三体ほど続いて入ってきた。直方体の頭部と円柱の体を持ち、頭に二本の砲塔が生えている。時折ひょこひょこと砲塔と小さい手を動かして「おっ!」と短く声を上げている。

一連の適性検査を受けた島風に下された『級』は駆逐級だった。嘆く必要はない、絶望する必要もない。別段劣っているわけではないのだ。君には速力があるから誇りなさい、と柏木から言われはしたが、さすがの島風もショックを隠し切れなかった。

ドローンに対する操縦技能がゼロである事と、腕の筋力の増強が全く認められなかった。

戦艦級は腕、脚、脳の強化が認められて全ての艤装を扱う事ができる。戦艦級、重巡級、航戦級と順に扱える幅が下がっていき、ドローン特化型として空母級が、逆にドローンを全く扱えないものとして軽巡級、駆逐級という級が与えられる。しかし、駆逐級でも艤装の単装砲や連装砲を腕に装備し扱うことはできた。だが、島風にはそれを持ち上げるだけの腕力すら付いていなかった。

 一時期はこの程度、と意地と気合で乗り切ろうとしていたが片腕分の一つだけでも二十キロを超え、さらに弾の重さもシャレにならない単装砲は腕力の強化が見込めていない島風に装備させるには厳しい代物だった。

 故に、身軽さをウリとした駆逐級しか残されていなかった。

「知ってた? 知ってた? 島風ちゃん! 昔の駆逐艦って被弾率低かったんだって! 小回りが利いて素早く動けるから駆逐艦! 英語で言うとデストロイヤーだって! 超クールだね! かっこいいよね!」

 幸運艦を名乗る雪風は、島風がひどく落ち込んだ時もよくわからない知識を謎の脳内図書館から持ち出しては無駄に、むやみに、やみくもに励ましてくれてはいたが、それで島風の腕力が上がり装備品が変わるという事はなかったのは言うまでもない。

 結局のところ、島風は遠距離攻撃用艤装として試作型自立攻撃ドローン、『連装砲ちゃん』を与えられることになった。凶暴な攻撃性能に加え単独の通信機能を備えている、そして何よりかわいらしい外見を備えている連装砲ちゃんに島風は目を輝かせ、もらった当初はホクホクの笑顔で喜んで、自室で連装砲を抱きかかえて遊んでいた。しかしふと正気に戻った時、気が付いてしまった。痴女のような制服。それにアミューズメントパークで売っている大型ぬいぐるみほどある大きさの連装砲ちゃんを今後は連れて外を歩かないといけないというどうしようもない事実 。

 自分の痛い子度がうなぎ登りである事に気が付いた島風が前日、寝る直前まで枕に顔をうずめて悶えていたのは言うまでもない。

「島風ちゃん、その子が例の?」

 加賀はよちよち歩きの連装砲ちゃんを一体抱き寄せた。短い手足をじたばたさせて連装砲ちゃんは逃げ出そうとしていたが、暴れる猫を無理やり抑え込むように慣れた手つきで加賀は抑え込んでいた。

「うん……こんなに注目引くとは思ってなかったけどね」

「まあ、歩くの遅いし、目立つからしょうがないわね」

 道を歩く鴨の親子のようにほほえましい視線を四方八方から浴びせられて島風の顔は今にも発火しそうなほど真っ赤になっていた。

「あらあらぁ、かわいいわね。これ何かしらぁ」

 島風の後から入ってきた龍田も連装砲ちゃんに興味津々で遊びだし、なんだかんだ言って興味のあった金剛もどんと構えて座っていたが堪えきれずに出入り口でたじろいでいる残り一体の連装砲ちゃんをつまんで遊びだした。

「ナニコレ! めっちゃかわいいネ! 島風! ワタシもこれ欲しいヨ!」

「えっと、欲しいって言ってもらえるようなモノじゃないと思うんだけど……」

「だったら直接技術開発局にお願いしてくるネ!」

「金剛、ダメよ。藤宮くん達に余計な仕事を増やさないで」

「そこは加賀からもお願いしてくれるところじゃないの!」

「駄目よ。藤宮くんの残業を増やすようなこと、私がすると思う?」

「NOOOOO! じゃあ島風! 一匹分けてほしいネ!」

「え、いやです」

「NOOOOO!」

 しかし、金剛が頭を押さえて叫んでいると扉が開いて後頭部に直撃し、盛大に前のめりに飛ばされた。

「ねえねえ聞いてよ!」

 外から入ってきたのは那珂だった。少し期限が悪いらしく、口調が荒い。

「なんかこの鎮守府にあたし以外にアイドルがいるって話! どこの! 誰! 今日出てきた三人組のユニットらしいんだけど何か知ってる?」

 龍田が冷めた笑みを浮かべながら、島風が気まずそうな顔をしながら、加賀が無表情ながらに軽い笑みを浮かべながらそれぞれ連装砲ちゃんを抱きかかえたまま那珂の方を振り返った。

「か、か、か……かわいい。なにそれ」

 那珂も一目惚れしたのは言うまでもない。

「さて、ミーティングを始めたいのだが……お前たち、それはなんだ」

 数分後、定刻通りに現れた柏木は少し仏頂面で艦娘たちを見ていた。テーブルの上で踊る連装砲ちゃんが三体。よちよちとかわいらしくタップダンスを踊っている。連装砲ちゃんがターンするたびに銃口で頭部を狙われて顔をしかめていた提督に、いの一番に説明しだしたのは所有者である島風……ではなく那珂だった。

「連装砲ちゃんですよ提督。知らないんですか! 今話題のアイドルユニット連装砲ちゃんですよ!」

「那珂、それはお前のじゃないはずだが……まあ、仲が良くて何よりだ」

 さて、と空気を切り替えて連装砲ちゃんをテーブルから降ろさせると提督はミーティングを開始した。

「先日、新たな艦娘として配属された島風を含めて合計六人。これで一個艦隊を作るだけの数が揃い、バディによる三交代制を実現することができるようになった。加えて、艤装も全員分完成した事で本格的に鎮守府は始動する事になる」

 さっきまでの空気は打って変わり、口の中ではじける香辛料のような緊張感が部屋の中を包む。

「そして島風には本日から本格的に海での実戦を始めてもらう」

ギョッとした顔で連装砲ちゃんを落としかけた島風に、柏木は苦笑いしながら告げた。

「特段気張る必要はない。一人でやれとは言わない。最初はみんなで行ってもらう」

 そこからは対象海域が説明された。海の深さ、実際に深海棲艦が生息してあるであろう推定場所、周囲を通る一般船舶の状況から、生息生物にいたるまで説明を受けた。ホログラム装置を使い、生物の概要、そして討伐対象の深海棲艦の全貌を見せられる。

 クジラ型深海棲艦の大きさはまちまちだ。大きいものになると大型トラックほど。小さいものだと小型犬と大して変わらない程度の大きさまで。今回、たまたまタイミングよく近海で深海棲艦の反応があったので演習として討伐するという事になった。

「こんな連中と戦うの?」

 映像を見せられて聞いていた話と違う、と思いながら島風は恐怖をこぼした。

「大丈夫、簡単だよ島風ちゃん」

 隣に座る雪風は、そっと島風の手を握って恐怖に飲まれそうな島風を鎮めた。

「みんなやってるし、そんなに難しい事じゃないよ!」

「島風は初めての演習が実戦になってしまったが、早く三交代制を実現して二十四時間体制で深海棲艦と戦えるようにしたい、と神尾会長からの指示があったのでこのような事態になっている。申し訳ない。初めての実戦だが慣れてくれ。深海棲艦に、海上での戦闘に」

 隣で励ます雪風と、見守る加賀と、したり顔で「ガンバルネ島風」と応援する金剛のはざまで、提督だけが深刻そうな顔をしてつぶやいた。

「慣れてくれ、鎮守府という組織に」

柏木は娘を単身で上京させる決断を迫られて送り出してしまった父親のような不安げな表情をしていた。

 

 

 人が海に出るために必要なものは船である。船を構成するものは大きく二つ。浮力と、推進力だ。艦娘たる彼女たちもまた、浮力と推進力を与えられた。

 制服として与えられている靴。そこには海に浮くための浮上装置と、簡単な推進装置が付いている。体重を前に乗せれば前進し、後ろに乗せれば停止するという簡単に使えるもので、マニュアルなどない。取扱説明書もない。あるのは保安点検用の冊子程度だ。

 人が靴を履き歩くように、鳥が空を飛ぶように、魚が海を泳ぐように。艦娘もまた当然のように海を走る事を求められていた。

 海上運送用の無人強襲艇で戦闘近海まで運び、そこから艦娘を六人展開して戦闘を行う事を考慮されている。強襲艇の貨物部には無機質なソファーが壁際に一対並び、そこに艤装を装備した艦娘が座って待機していた。私語厳禁なわけではないが、いつもならば口うるさい彼女たちが今はほとんどしゃべっていなかった。戦前なので緊張しているわけではない。私語ができないほどうるさいのだ。モーターの音、風の音、波の音。すべてが直撃する貨物室の空気は会話が成り立たないほどの轟音で震えつくしていた。

 そんな中でも悲鳴を上げて死にそうな顔をしていた少女がいた。

 速さが怖いわけではない。スピードが恐ろしいわけではない。彼女は陸上では一時的に最速を誇っていた。運動についての知識もあった。科学技術に関する知識も、現代の常識的な知識もひとしきり彼女は備えているつもりだった。だが別方向に進化した艦娘のシステムや艤装という技術に関して、彼女は全くの無知だった。

「待って待って無理無理こんな装備で海の上歩くとか無理無理どういう事なの?」

 一見するとただの靴である。どこからどう見てもハイヒールである。それで、海の上を歩けるという話を聞いて島風は錯乱していた。轟音が支配する貨物室で島風は連装砲ちゃんをぎゅっと抱きしめて、高所恐怖症の人間を無理やり飛行機に乗せたような青白い顔をしていた。

「いーい? 島風ちゃん! 海に出たら、私が手を引くから!」

 それにいち早く気付いたのはバディを組む、と言い出した雪風だった。

「まずはバランスとって立つことから始めようね!」

 にっこりと微笑み、島風の額に自分の額をくっつけて雪風は語り掛けた。

「ありがと、雪風」

 額を離し、雪風を見る。そこには同年代で自分よりも戦闘経験のある凛々しい少女がいた。だが、それ以上にいつも通りののほほんとした雪風が座っているのを見て島風は安心した。

 雪風の右足に目が行ってしまう。

 いつも雪風は人体に偽装した義足をつけていた。しかし、今の右足は違った。足の関節を隠すハイソックスも履いていなければ、肌色すらしていない。船体のような灰色の表皮はごつごつとしていて岩のようだった。膝から下にかけて足を縦割りにできるような線が数本入り、何かを展開できるようになっているのではないか、と想像してしまう。

「大丈夫。やってみせるよ」

 落ち着きを取り戻すと、島風の中に別の感情が沸き立ってきた。なめるな、というのが島風の思いだった。何年陸上をやってきていると思っているんだ、と。ブランクはある。恐れもある。初見だという事もある。だが、海の上でもやることも陸上でやることも変わらない。

走る事だ。

徐々に轟音が爆音程度に下がり、騒音へとランクダウンしたあたりで艦内に放送が流れる。

『戦闘海域に突入。各位、戦闘態勢に入ってください』

聞き覚えのある澄んだ声は、アナウンス担当の大淀の声だった。少しだけ島風の緊張が和らぎ、表情が穏やかになる。

船は進みながら後部ハッチが開く。そこから順に金剛、那珂、龍田、加賀と順に飛行機からパラシュートを背負って降りるように、着水していった。

「いくよ島風ちゃん!」

「はい!」

 雪風もまた、彼女たちに続いて島風を引っ張って海へと降り立った。

 海の上は泥の上を歩く感覚に似ていた。不安定だが安定している。力を入れれば走れそうだ、と島風は思っていた。それ以上に風が強い。波がある。これが陸上との大きな差だった。風に押されそうになるが、脚の動力のほうが強く、手を引く雪風の力がもっと強く、島風は引っ張られるように海を走った。乗ってきていた強襲艇を追い越し、目的の海域へと走る。

 足を動かさなくても体重を乗せるだけで前進できる。

 その感覚に慣れてから、島風は速かった。

 艤装をほとんど積んでいない事もあり、最速で走る事ができる。雪風とともに龍田と加賀に追いつき、陣形を組む。

「あらあらぁ。島風ちゃん沈まなかったのね。すごいわぁ」

「一回目の出撃で沈まないのは上出来よ、島風ちゃん」

 龍田と加賀から賞賛の声をかけられて、自然と島風の顔もほころぶ。やれる、と謎の期待感が島風の全身を包み込んだ。

 連装砲ちゃんもついてきて、スピードを徐々に落としながら戦闘海域に到達した。インカムから柏木提督の声が聞こえてくる。

『これから戦闘訓練を行う。まずは手順通りに爆雷、索敵。そこで浮上してきたやつを砲撃で潰す。以上だ。それと島風』

「はい」

『今回のメインはお前だ。やれるだけやってみろ』

「はい!」

「海の上では絶対に止まってはダメネ!」

 開始の合図はなかった。柏木からの通信が切れたと同時に、落としたスピードを再度あげて金剛は動き出した。重い艤装を付けているはずなのに、その動きは見ているだけで気分がよくなるほど軽快だった。

「はい!」

「索敵は艦載機で行うわ」

 加賀は乗ってきていた強襲艇から飛ばしたドローンで周辺海域を探索していた。

「はい?」

「島風ちゃん? 艦載機が無くても索敵はできるからねぇ」

 龍田の頭部のリングが淡い光を発して、いつも以上の探査を行っているようだった。

「は、はい!」

「島風ぇえええ! いい? 爆雷はこうするの! イッツアショータアアアイム!」

 両手いっぱいに爆雷を持った那珂は、ぱっと空中に爆雷を散布した。彼女の背後にすべて着水し、しばらくして巨大な水しぶきを上げて派手な演出の一部になる。

「え……は、はい?」

「島風ちゃん。敵はしっかり狙って、撃つのが大事だよ」

「……はい」

 雪風は出てきた小型の深海棲艦に急速接近して、ほぼ目の前に陣取ると右腕に装着した単装砲を構えて一発撃った。反動と深海棲艦に命中した爆風で雪風は大きくバランスを崩して沈みかけるも、弾は生物で言うところの頭の部分に命中して一撃で葬っていた。頭部が無くなった深海棲艦は黒い体液を噴水のようにぶちまけながら海の中へ沈んで行った。

「さ、島風もやってみるネ!」

 島風には艦載機がない。レーダーがない。単装砲がない。唯一与えられた武装は十本の魚雷だけだ。そのような状況で、艦載機の使い方を見て、レーダーの使い方をなんとなく見せつけられ、爆雷の適当な投げ方を教わり、持っていない単装砲の撃ち方を見せられた挙句に金剛からやってみろ、と言われて島風ができることはただ一つだけだった。

 魚雷で、殴る。

 これがダメ上司とダメ先輩なのか、と思いながらやけくそになって残り二匹の敵を殺しにかかった。

「うにゃあああああああああ!」

 まずは、手順通り。手あたり次第に爆雷を投げつけ、深海棲艦が浮上してきたら襲いかかる。

「出たな魚あああああああ!」

 元々装備していた唯一の武装、魚雷を手に持って素早く距離を詰めて直接敵の顔面に突き刺した。だが、腕力不足で刺さらない。相手が攻撃体制に移る前に頭部を蹴りつける。軸足にした左足は水面に沈まない。強く踏ん張れば踏ん張るほど、水面はこんにゃくからコンクリートのように硬くなり、しっかりとした地盤となる。

 力強く深海棲艦の頭部を蹴りつけると、ハイヒールが頭部に突き刺さり、切れ目ができて中が露出する。

「死ねえええええええ!」

 もう一度、魚雷の時限信管を入れた状態で深海棲艦の頭部に突き刺し、すぐにその場を離脱した。三秒後、魚雷は爆発し、深海棲艦は木っ端みじんに轟沈した。

 続いて出てきたトラック級の巨体を持つ深海棲艦は大きな口を開けて海中から現れた。海上にいる人間を飲み込もうとしているようだった。

「まだいるのか? ああああ?」

海中から垂直に、ロケットが大気圏外へ発射されるように島風の足元に出てきたそれは悲惨な末路を迎える羽目になる。大きく開いて島風を飲み込もうとしていた口に、背負っていた魚雷の残りをすべてぶち込み、顎を蹴り上げてのけぞらせた。顎は砕けて歯は折れて。口を無理やり閉じられた結果下顎の歯が上顎に刺さり、不恰好な形で口は閉まった。海に沈みながら深海棲艦は魚雷の爆発で吹き飛ばされた。

「ふぅ」

 ため息交じりに振り返ると、撃つタイミングを見失って右往左往している連装砲ちゃんがいた。それでも数発撃っていたのか、砲身が少し焦げ臭い。

「終わったよ。こんな感じでいいのかな?」

 笑みを浮かべていた。

 少しはまともな教育係を付けろという怒りと、なんでいきなり実戦に突っ込んだのだという怒りはすべて敵を模して造られた深海棲艦型のドローンに叩き込まれていたので非常にさわやかな笑みだった。

 柑橘系の果実に砂糖をまぶしたような笑みを浮かべる島風を見て、他の艦娘は全員凍り付いていた。

「い、いいと思うネ」

「ぎょ、魚雷の使い方ってああでしたっけ、龍田さん」

「そこは気にしてはいけないわ、那珂ちゃん」

「ドローンが無いとこういう戦い方になってしまうのね……」

 いつも冷静沈着な加賀までもが呆然としている中、彼女だけが「すっごーい」とはしゃぎ、騒ぎ、軽快なステップで島風に近寄った。

「すごいよ、島風ちゃん! 初めての演習で二機も撃破できるなんて! しかも魚雷を素手で殴りつけるなんてすごい!」

周囲にドン引かれている中、たった一人だけ称賛の声を上げ続ける雪風を見て、初めは不意を突かれて何も言えなかった島風だがすぐにふにゃりと表情を崩して微笑んだ。

「ありがと、雪風」

海上の演習は続いた。

限られたバッテリーで長期間海を渡り続ける方法や、救護用ゴムボートの展開方法、救命信号の出し方まで。戦い方もそうだがそれ以上に生存方法を徹底的に学んだ。艤装が壊れた際の生存方法、海上歩行ブーツの修繕方法と短期間航行方法。島風の中に一抹の疑問が湧いた。

これでは、狩の方法を学ぶのではなく死なない方法を学ばせているみたいだ、と。

「乗ってきた船があるのにこんなことやってどうするの?」

陸に帰ってきた島風の素朴な疑問に答えたのは柏木だった。

「戦いで一番大事なのはなんだか知っているか? 島風」

「相手を仕留めること?」

即答した島風に、柏木は唸るように、威圧するように、無理やり脳に叩き込むように声を捻り出して否定した。

「違う」

真っ直ぐに島風の目を見て、知能の無い赤子にでも魂に刻み込んで覚えこませるように、力強く伝えた。

「生きて帰る事だ」

島風が鎮守府に来て一ヶ月が経つ頃には連装砲ちゃんとの連携を取りながらの戦闘や、他の艦娘と連携を取りながらの危険な接近戦ではなく安全な遠距離戦を行えるようになっていた。

艦娘は二人一組で動く事を基準とされていて、強敵や未知の敵の出現において、提督の判断の元、現状では最大六人での出撃となる。

八時間三交代制で緊急出動当番を行う。そのため、訓練時は誰と組んでも問題ないように様々な艦娘と交流を深めて連携が取れるように二人一組での訓練が増えた。練習から徐々に変わり、実際の深海棲艦の撃破も増えた。警報が鳴るとその時間帯の担当バディが出撃する。本部で相手の数と戦闘能力を測り、また、現地に行った艦娘からの情報を収集して応援が必要かを判断する。島風も一ヶ月経つ頃には戦闘慣れしたと判断されて本物の深海棲艦と戦っていた。

最初にバディを組まされたのは金剛とだった。

「行くヨ! 新人! 付いてくるネ!」

万能型の金剛は火力もスピードも段違いだった。重火力の戦艦用艤装に偵察用飛行ドローンを自在に操り、実際に索敵を行なって数キロ先からでも敵を仕留めていた。島風が急行する前に全てが終わり、深海棲艦の黒い体液が周辺海域に流れてどろりと濁る。

全然敵を狩れずに島風は少し不安だった。

これで、いいのかと。

「いいヨいいヨ! 島風は無理しないでいいネ!」

「え、でも……」

狩の後、島風はよく金剛のお茶会に招待された。以前も戦闘後はこうやってともに出撃した艦娘を誘って開催するほど、金剛はお茶会が好きだった。多くない給与の中から最高の茶葉と茶菓子を東京の店から取り寄せ、提督やバディと楽しむのが彼女の日課だった。お茶会用の猫足のついたテーブルの上には、澄んだ人肌のような白いティーカップが二脚とタワー状になった台の上にお菓子がちょこんと置かれたお皿が三枚並んでいる。

どこか高級そうな喫茶店のような雰囲気を醸し出している金剛の部屋に招き入れられて、島風は困惑しながら席に着いていた。

「島風は、まだ艦娘になって日が浅いネ。あんまり無理は良く無いヨ?」

「無理って言うほどでも無いですよ。足は普通に動くし、武器は無くてもちゃんと狩れます。特に問題は……」

「島風は、足、なのネ?」

つい忘れていたが、自分にも足が不自由だった期間があった事を思い出して島風は顔をしかめた。だが、その話を聴きだした金剛本人はしたり顔で微笑みながら紅茶を飲んでいた。

「気にする事ないネ島風。ここにいる艦娘は、みんな訳あり品。どこかしらに異常を抱えていたヨ。みんな病院で拾われて治療の代償で子宮を提供して、艦娘になってるネ。隠すことも気にすることもないヨ」

「じゃあ、金剛さんも?」

「そう。ワタシは全身がダメだったネ」

ウイルス性の風邪を引いてしまい、それが原因で神経をやられてしまった、と金剛は言った。普通ならばかからないのだが、たまたまその頃の金剛は免疫系統が弱っていたそうだ。それだけならまだ救いようがあったのだが、気がつく頃には脊髄の神経を食われていたらしい。世界でも例を見ない奇病との事で、病院側も延命治療しかできていなかったそうだ。

「バイオセル。アレはスゴイヨ。免疫を高めて体内から病原菌を全滅させた上にダメになってた神経を復活させてくれたネ。今のワタシが動いていられるのは、このバイオセルのおかげだヨ」

重身の母体が胎内の子をさするように、金剛は自分の下腹部をそっと摩った。そこには艦娘の生命線たるバイオセル増殖炉に改造された子宮と卵巣がある。つまり、艦娘の生命線だ。

ひとしきり余韻に浸った金剛は思い出したように「そうだヨ!」と叫んだ。

体を前面に押し出して、そのまま頭突きしそうな勢いで金剛は吠えた。

「島風、まだ油断は禁物ネ。今は言わば病み上がりの状態。しばらくは先輩におんぶにだっこ状態でいいのネ!」

「う、うん。ありがとう」

結局、金剛の過保護っぷりのおかげで金剛とバディを組んだ時は一度もまともに戦闘を行えなかった島風だった。

逆に、龍田と共に出撃した時は共に最前線で戦うことが多かった。

龍田のメインウェポンはミサイルポッドと薙刀だ。同じ軽巡級の那珂とは違い、艤装に砲台を持っていない。中距離用ミサイルポッドという島風には無い火力を持っているはずなのに島風と共に最前線で戦うことを龍田は好んでいた。それに加えて毎回の戦闘で敵を取り逃がすことが多かった。瀕死の敵がかろうじて外海へ逃げようとするのを島風を静止させてまで逃し、その後にミサイルで確実に仕留める。その徹底的で遊び心のある追撃は、逃げるネズミの手足を引きちぎり遊ぶ猫のような不気味さを感じてしまった。

「だってぇ。その方が気持ち良いじゃない?」

深海棲艦の黒い返り血を浴びながら、龍田は嬉々としながら島風に答えた。

「この薙刀で深海棲艦がお豆腐みたいに切れちゃうの、とっても気持ちいいもの。眼球くり抜くのとかすっと心が晴れて脳が満たされるの。乾きが潤う感じがしてとっても気持ちいいのよ! 島風ちゃんはどうなの? 足で蹴り殺していたけど、気持ち、良い?」

走る以外で足をまともに使っていなかった島風にとって蹴りという新たな武器を手に入れたことは正直なところ大きすぎる一歩だったが、龍田のように相手を蹴り裂く事に、眼球をくり抜く事に脳の渇きを潤すほどの快感を覚えてはいなかった。

「まあ、島風ちゃんはいい子なのね」

その意味がわからないまま、龍田とのバディを続けるうちに島風はある一つのことに気づいてしまった。それは龍田が倒した深海棲艦の傷だった。彼らにもクジラ同様に目がある。正しく言うのなら、藻のような暗い緑色の光を放つ『目があるべきところについている器官』だろう。

しかし、龍田が倒した深海棲艦には目がなかった。的確に薙刀で貫き、両目を潰した上で脳天を一撃で貫いて行動不能に追いやっていた。眼球は貫かれただけではこと足りず、そこに何の器官があったのか、最初から何もなかったかのように綺麗にくり抜かれてただの穴になっていることが多かった。

目はない。

そこにあるのはただの虚無。絶望の色が滲み出ていた。虚無を見つめていると吸い込まれそうな感覚になるのと同時に、島風はふと想像してしまった。

龍田の目隠しの下には何があるのか、と。

表情豊かな龍田だが一度も目隠しを外している姿を見たことがない。お風呂も共同浴場ではなく自室の狭いシャワールームを使っているらしく、素肌を人目に晒している事はあまりない。

気になってしまった。

恐怖と興味が入り混じり、その一歩は踏み込まれた。向こうにある未知に会うために崩れそうな吊橋を突っ走る覚悟で島風は龍田に切り出した。

「龍田さん。目隠しの下はどうなっているんですか!」

結果、信頼という吊橋は壊れることがなかった。

龍田は「そうねぇ」と呟くと後頭部に手を回して目を隠している黒い布を外し始めた。

「少し前なら見せる事は出来なかったけど、今なら大丈夫かなぁ」

目隠しを外し終わると、なんら変わらない普通の瞼がそこにはあった。ゆっくりと瞼を開けると、淡いアメジストのような美しい色をした瞳が目に入る。しかし、龍田の目は島風を捉えていなかった。

「眼球そのものはようやく再生したんだけどね、視力は全く戻っていないのよ。一回目の再生の時はカタツムリの触覚みたいなのが生えちゃって、二回目は複眼化しちゃったからその都度切除していたの。今回は上手く行ったって、神尾さんも言ってたわ」

龍田には眼球が無かった。

なぜ眼球が無かったのか。何が原因でそうなったのか、龍田は決して語らなかったが、今でも視力は戻っていないと言っていた。

「元々、ここに来る時に『視力を戻す』っていう話だったのよ。でも私の場合、最初は正常に眼球が再生しなかった。だから別の方法で契約を果たすためにこの輪っかをもらったの。すごいのよぉ、コレ。島風ちゃんが私の後ろでイタズラしようとしても見えちゃうんだからぁ」

 龍田の眼は完全に明後日の方向を見ていたが、頭上の輪だけは不気味に島風を見つめていた。慣れない視線に島風は苦笑いをするにとどめていた。

 結局、龍田と過ごした数日間で島風が得れたものは『龍田を敵に回すと生きて帰れない』という事実だけだった。

「だよね~。龍田ちゃん怖いもんねー。でもご安心! みんなのアイドル那珂ちゃんは全然怖くないのだ!」

 次にバディを組んだ那珂は、いろんな意味で怖かった。島風は出撃の度に顔を青くして彼女の同行を見守りつつ、援護に入っては敵を撃破し。もしくは援護に入らず、那珂を戦闘に参加させることなく戦闘を終えることもあった。

「みんなのアイドル那珂ちゃんだよー! 今日は来てくれてありがとー! いーっぱい、那珂ちゃんの歌、聞いていってね!」

 海上で、足場が悪い中でステップを踏んでミュージカル顔負けの歌とダンスを披露する那珂はとても美しかった。青と白しかない世界。そこに一輪の薄ピンク色のバラが咲き、招き入れるように蝶たちを呼び寄せる。

 島風は思っていた。

 これが本当にステージの上で、集まってくるのがファンだったらどれだけよかっただろう、と。

 集まってくるのは蝶とに使わない真っ黒い深海棲艦のみ。さながら海上に咲いたバラを食いに来たフナムシのようだ。そんなことを気にせず魚雷の爆発音をBGMに那珂は気にせず歌っていた。そして島風が戦い終わるころには那珂も歌い終えていて、仕事をしなかった一部の連装砲ちゃんが拍手してアンコールを要求しているという始末だ。

「ちょっと! 那珂さん! ちゃんと働いてよ!」

 五回目の戦闘が終わった時に新人とは言え、島風の堪忍袋がとうとう爆発した。

「この五回の戦闘で那珂さんが消費したのは何ですか? 燃料と食料しか消費していないじゃないですか! ちゃんと、敵いるから、撃って、倒してください!」

 息を切らしながら魚雷全弾を使い果たし、連装砲ちゃんの残弾も残りわずかになっていた島風は海上で怒鳴り散らした。風が強いがその声はしっかりと那珂に届いた。しかし、当の本人は素知らぬ顔で「いいじゃんべつにー」と笑いながら島風の横を通り抜けて強襲艇へと向かった。

「島風ちゃん、一つ聞かせて。あなたは何のために艦娘になったの?」

「なんのためって体の治療のためにバイオセルを……」

那珂はその場で反転すると急に近づいて、力説する島風を黙らせた。

「それは過程の話じゃないの? 違う?」

「過程?」

「そう。過程」

那珂は島風の手を取り、海上を走り出した。無理矢理引きずられるのだが、体制を崩さない限界ギリギリを責めるような絶妙な力の入れ方で、那珂は島風をリードした。

「バイオセルで体を治すのはあくまで過程なの。別に、そんなの治さなくても良かったとは思わない? それに深海棲艦がいなくなったらどうするの?」

一陣の風のような軽く、だが力強いが跡残りしない那珂の問いに、島風は言葉に詰まっていた。答えに詰まる島風を導くように、那珂は水面を泳ぐ白鳥のような軽い足取りでステップを踏みながら島風に語りかける。

「あたしは喉がだめだった。別に喋れなくたって死にはしない。歌えなくたって、死にはしない。声が出なくても多少不便でも、人間は生きることができる。でも、歌えなかったらあたしは死んでいるの。人間として生きていてもあたしは死んでいる。やりたい事が出来ないなんて、人生じゃないもの!」

那珂は軸足を中心に島風を振り回すようにぐるりと回ると、再び走り始めた。

「バイオセルなんていう危険なものを体に入れて、女の子として一番大事な臓器を捨ててまで、島風ちゃんは何を望んだの?」

振り向いて、那珂は島風に声を飛ばす。その時に喉元にうっすら真横に切った跡と、縦に数本、縫った跡が見えた。

「あたしは歌うことを望んだ! ずっと小さい頃から憧れていたアイドルになるためにね。だから覚悟を決めて喉を治したの」

過去と未来を語る那珂の目は、島風が以前どこかで見た目をしていた。強く輝く希望を宿した目をしている。

「だから、艦娘は所詮過程。戦うことはあくまでオマケなの。だから極力戦いたくない」

「でもだからって言って戦わないのは……」

「ほら、そこはアリと同じよ。働きアリとナマケモノのアリがいるって言うでしょ? 働きアリが働けない時は、ナマケモノのアリが頑張るのと同じ。あたしは他のバディが動けない時に働くの」

前を向き、少し加速すると那珂はスカートの中に仕込んだ魚雷を海中に発射した。魚雷は後方へ一直線に飛んで行き、爆発した。あまりに突然のことで唖然としていた島風は手を引かれたまま後方を見ると、後方の海域が黒く濁っているのを視認した。深海棲艦が死んだ時特有の体液の流出だ。海中に潜んでいたものを那珂が仕留めたらしい。

「こんなふうにね」

那珂はウィンクを島風に飛ばすと、振り返りながら島風と両手を繋ぎ、海上を回るように踊り出した。

「島風ちゃん。あなたは何を望んでその体を手に入れたの? どうしたかったの? 何で人間の身体を手放したの? 人間をやめてまで何になりたかったの?」

欲望を語る那珂は、海上で歌っている時よりも数倍輝いていた。野獣のようにギラついた目が島風の硬く閉ざされた口を和らげる。流されていた願いがふつふつと島風の中で蘇る。全力で駆け抜けて風のようになりたかった事を。走れなくなった絶望感を。何のためにバイオセルに手を出したのかを。

「私は、脚を取り戻したかった。また二本の足で歩いて、走って生きている事を実感したかった。死んだまま生きるのは嫌だった」

「いい。いいね、最高だよ。グレイトだよ。キュートだよ。島風ちゃん。人間は欲望で輝くの。あなたは光り輝くアイドルになれるかもね」

少し歯の間に異物が挟まったような微妙に嫌な感覚を覚えたが、周囲の風に、波に、目の前の輝くアイドルに違和感は吹き飛ばされてしまう。

「そ、そんなの。私、歌えないし、ダンスもできないよ」

「あたしは歌と踊りで『偶像』になる。あなたは最速で『偶像』になればいい! みんな光を強い光を持っているんだから!」

「光?」

「そう。強い欲望を持っていれば人は光り輝ける。あたしも、島風ちゃんも、そして一際輝く太陽のような神尾さんも!」

神尾さん。

その名前を聞いて島風は気付いた。

強い希望を持った目は、神尾の目に似ている事に。

「ああ。那珂ちゃんね。あの子は喉がダメだったけどバイオセルで治した代償として脳みそも失ったから気にしないでいいわよ」

冗談なのか本気なのか見えない言葉を淡々と紡ぐ加賀は、海上での戦闘中でも常に冷静だった。金剛は偵察機を飛ばして遠距離砲撃を行う戦艦級だったが、加賀はドローンを飛ばして敵を直接攻撃する空母級だった。艦載機は強襲艇に二十機ほど搭載されていて、加賀出撃と同時に全て飛び立つ。二十機全てを自在に操り、索敵を行い海上だけではなく海中の敵にまで爆雷や魚雷を落として戦う。加賀は戦闘中にも関わらず、所定の位置から一歩も動かずにスマホをいじっている事が多かった。

「あの子はアイドルなんか可愛らしいものじゃなくて、欲望にまみれて欲望を振りまく欲のケダモノよ。見習っちゃダメだからね」

スマホいじりの内容は特定の相手とチャットを行うアプリだ。アイコン的に先日島風もあった藤宮という技術員だろうと推測していた。

「那珂ちゃんと龍田、それとあなた。たぶんこの三人は程度で言えば軽い方よ。だから那珂ちゃんは艦娘を過程と言えるのね。私と金剛、それと雪風ちゃんは生きるか死ぬかっていうラインで選択を迫られたわ。文字通り、蜘蛛の糸に縋る思いだったわ」

「命の危機!?」

加賀とバディを組んでいる時は金剛と組んでいる時以上に暇になった島風は、自ずと加賀と喋って時間を潰していた。加賀はよく仲間のことを熟知しているらしく、生年月日から家族構成。彼氏の有無から好きな食べ物、過去の経歴までも知っていた。

「そう。命の危機。私は肝炎でね。発覚が遅れたから緩やかに死んでいくしかなかったの。金剛は、彼女の事だからもう話していると思うけどウイルス性の風邪。アレもほっといたら死んでいるわ。治療法が無いのだもの。雪風ちゃんについては……本人から直接聞いた方がいいかもね。彼女も生きるか死ぬかの瀬戸際だったそうよ」

島風は色々考えた末に「そうだったんですか」と消え入るように呟いた。

「……なんか変な空気にさせちゃったわね」

遠くで爆発音が聞こえてドローンが帰還する。着々と強襲艇に着陸させながら加賀は島風に微笑んだ。

「まあ、何が言いたいかっていうとみんな昔は色々あったけど今では元気でやってるよ、って事」

ドローンを収容し終わり、強襲艇に戻る道すがら島風は気になっていた疑問を投げかけた。

「加賀さんは、もし、もしも深海棲艦娘との戦いが終わって艦娘をやめる事になったらどうするつもりですか?」

加賀は何も考えずに、条件反射のように、さも当然と言わんばかりに、それが世界の理であり太陽が東から登る常識を語る口ぶりで答えた。

「決まっているじゃない。藤宮くんのお嫁さんになるわ」

最後にバディを組んだのはバディ制度が始まる前に一番親しく、隣の部屋の駆逐級の雪風だった。いつも通りのテンションで笑いかけてきて、当然のように海に出て戦う。彼女は索敵がうまく、艤装内臓レーダーで敵を見つけては駆けつけて単装砲で撃ち抜いていた。

彼女は海に出ても常に笑っていた。

龍田のようないたぶる事に快感を覚えた歪んだ笑みではなく、那珂のような海上というステージを楽しむような笑みでもなく。記号のように笑みを張り付けていた。

いや、貼りついていたというべきだろう。敵の撃破時に起こる爆風に巻き込まれて負傷を負っても雪風は痛がる素振りも見せず、常に笑っていた。

「雪風ちゃん、痛いところは無いの?」

驚異的なバイオセルとの適合のため雪風が爆風を煽り負った傷や、骨折程度なら十数分のうちに治っていた。だが痛覚まで消え去ったわけでは無い。本来なら苦痛に顔を歪ませながら治癒を待つ状態なのにも関わらず、雪風は平然と笑って見せた。

「この程度大丈夫だよ!」

「大丈夫じゃないよ!」

まだ撃破できていない敵に追撃のため単装砲を向ける雪風の前に出て撃たせないようにする。クジラ型は雪風からの攻撃により満身創痍のため、口を開けることすらできなかった。逃げられないように急速接近すると頭頂部へ右足のかかと落としを食らわせた。頭部が半分に割れて最後の一機は沈黙した。

島風は雪風とバディを組んで、他の艦娘たちともバディを組んで一つのことに気付いてしまった。雪風は壊滅的に戦闘に向いていない。索敵がうまくても狙撃は下手だ。機械任せである程度の照準を合わせることはできても最後は人力での調整になる。それができていない。故に、百メートルほど離れていても狙撃可能な単装砲の装備でも数メートルまで近づいて撃つことで命中率を無理やりあげていた。反動と爆風による自爆特攻もいいところだが、そんなこと厭わず雪風は積極的に攻める戦いをしていた。

「雪風ちゃん。体重私にかけていいから」

雪風を半ば背負う形で島風は強襲艇へ向かっていた。以前から言うことを迷っていたが、今日の怪我や攻め方はいつも以上に酷かったので、心を鬼にして島風はそっと口を開いた。

「雪風ちゃん、前から言いたかったんだけど」

「ん? なぁに?」

真剣な話を切り出そうとしても今までは雪風ののんびりとした声に押し返されていたが、今日は違った。

「雪風ちゃん、もう少し安全な戦い方しよう? あれじゃあ危ないよ」

「そっかなぁ。えへへ。ごめんね」

「ごめんで済んでいるのはまだ雪風ちゃんが重傷を負ってないからだよ」

「ありがと、島風ちゃん。単装砲を至近距離で撃ったら危ないのは十分わかっているけど、やらなきゃいけないんだ」

なんで、と言う疑問を口にする前にその答えは雪風から語られた。

「だって私は幸運艦だから。何があっても不沈なんだよ!」

幸運艦の名をもらった雪風は、自身も幸運であるとどこかずれた認識をしていた。幸運だから、何があっても沈まない。それは過去駆逐艦「雪風」に起こった事実であって、現在「雪風」の名を拝借している少女までもが幸運によって沈まないという話ではない。

「雪風ちゃんは、昔の戦艦の名前をもらっているだけであって、今のあなたが無茶したら怪我しちゃうんじゃないの?」

「違うよ、島風ちゃん。名前だけが幸運なんじゃない。私自身が幸運なんだよ」

「そうなの?」

「だって私は生今、生きている。これってすごく運のいいことじゃない?」

雪風の認識に、笑顔に、笑い声に、島風は背筋に悪寒が走るのを感じた。

どれほど彼女の幸運のハードルが低いのか。生きている事が幸運と感じるほどまでにハードルを下げさせてしまった彼女の過去を想像するだけで恐ろしかった。

「実はね〜交通事故でお父さんもお母さんも弟もお姉ちゃんも死んじゃったんだよ。唯一原型をとどめていた私にみんなの使える臓器を移植して、そこに神尾さんのバイオセルを入れて、今の私があるの。ひき肉みたいな状況から今生きていれるんだよ。すごいでしょ!」

医学の知識が乏しい島風も、バイオセルの事を少しくらいは調べている。臓器を完璧に再生する事はできないらしいが、修復、修繕なら可能という。さらに、本来なら臓器移植時に多少なりとも発生する拒絶反応をゼロに抑えるほどの効力もあるという。

「そうだね……すごいね……」

「家族五人分の体だから、私は人の五倍幸運なんだよ! だから、絶対に沈まない! 絶対に負けないし逃げない!」

嬉々としながら語る雪風を背に乗せて、島風は言葉を出せずにいた。涙を流せずにいた。初めて接触してきた幸運艦を名乗る少女は、元気でおてんばで天真爛漫などではなく、混ざりっ気のない純真百パーセントという狂気の塊である事に気付いてしまった。

交通事故にあった時、後部座席の一番真ん中に座っていた雪風は一人だけ車のフロントガラスを突き破り外に投げ出された事で一命を得たという。その際に右足は断裂して修復不能に陥り、衝撃により各種臓器は破損。本来なら死んでいてもおかしくない状況だが正真正銘運のみで彼女は生き残ったことを語った。

「雪風は本当に運がいいんだね」

強襲艇に雪風を下ろして正面から雪風を見つめた。島風とあまり歳は変わらない。この小さな体のどこにどれほどの不幸を詰め込んで、どれほどの地獄を味わってきたのか見当もつかなかった。なんと言葉をかけていいか、最初は戸惑ったが答えはすぐに見つかった。過去のことを詮索したところで未来は、結果は変わらない。必要なのは今を変える事だけだ。

「でも、だからって言って捨て身の戦闘はよくないよ。運だけに頼るのも、運がいいからって無理やり命中率をあげようとするのもダメだと思う」

まっすぐ雪風を見ると、子供のように無垢で純真しかない瞳が島風を見つめていた。

「わかったよ!」

それからしばらく、命中率は悪いが雪風は遠距離攻撃に努めるようになった。命中率が悪かったのも最初のうちだけで、超近接戦闘を行う島風に当ててはいけないと言う配慮からか、それとも連装砲ちゃんの戦闘データから新たに狙撃支援システムが開発されたからかなのか。島風は知らないが雪風の砲撃精度は徐々に上がっていった。

戦闘が終わり、島風が後方を振り返るとニヤっと、どうだと言わんばかりの笑みを浮かべる雪風が大きく手を振っている。以前のように傷つきながらも強行で戦う事はなくなり、貼り付けたような不気味な笑みも見なくなった。

そして時折、鼻歌混じりに歌うようにもなった。討伐終了後、強襲艇へ戻る間の短い時間。雪風は鼻歌混じりに懐かしいメロディに乗せてちょっと違う歌詞を口ずさむ。

「前をむーいてーあーるこーよ。涙がーこーぼーれてもいいじゃなーい!」

「雪風ちゃん。それ気になっていたんだけど歌詞が違くない?」

坂本九の上を向いて歩こうではなく、雪風がアレンジを加えて前を向いて歩こう、というちょっと変わった曲になっていた。しかしメロディのせいか歌詞のせいか。不思議と気持ちが穏やかになる。そんな歌だった。

「これね! 提督が教えてくれたんだ。別に泣いたっていいじゃないかって。上を向いて涙を堪えなくてもいいって」

島風もその歌詞が気に入っていた。不思議と、討伐後も昂ったままの精神が落ち着き、強襲艇に戻る頃には晩御飯の事を考えられるまで心にゆとりを持つ事が出来るようになっていた。

「柏木提督が?」

「うん! 別に泣いてもいいんだよって。私が初めて鎮守府に来た日に、一人で寝られない時に歌ってくれたんだ」

いつも寂しそうな目をしていた柏木の一面を知って、島風は言葉を出せなかった。他の艦娘には見せない、父が娘に見せる愛情にも似た行動を取っている理由は何なのか。どこか喉の奥に小骨が引っかかるような違和感を覚えた。

雪風が安定した行動をとるようになってから、島風は徐々に踏み込んだ事を雪風に聞いてみた。他の艦娘がそうであるように、彼女もまた何か目的があって艦娘になったのか。艦娘を辞めた後はどうしたいのか。

「うーん。辞めた後のことは考えてなかったなぁ」

緊急出動から帰還し、お風呂上がりに一階の食堂でパフェを食べながら雪風は応えてくれた。

「そうだよね……」

雪風の事だからそうだろうとは思っていた。那珂が言っていた「雪風はアイドルになれない」という意味も今なら理解できていた。雪風には欲がない。生きている事を最大級の幸運と捉えている彼女にはそれ以上の至高の幸福という物を求める欲望があまりないのだ。

「だって艦娘を辞めたら足、没収されちゃうし」

「足?」

「うん。右足の義足は艦娘特注仕様で一般品じゃないんだって。軍事機密的に外に出したらダメなものだから、休暇で鎮守府の外に出る時は預けているんだよ」

「じゃあ休日の時は……」

「うん! 何のからくりもないただの義足だよ!」

「そうだったんだ」

足を失う大変さ、というのは使えない足をぶら下げていた島風もある程度は理解していた。それでも尚、足という機関を失った苦労というのは理解できないものだった。

「でもね」

難しそうな顔をして手元の牛乳瓶を見つめていた島風に、まっすぐ雪風は言葉を飛ばした。

「この義足が無くてもまだ足は一本残っているし歩けないことはないから。もしも艦娘を辞めたらどっか旅行生きたいな。旅行。電車に乗って。山とか海とか見ながら温泉旅館行って、気ままに旅をしたいなぁ」

旅行の行き先として温泉街で有名な草津や別府や熱海、神社巡りの筆頭に入る伊勢や出雲、浅草といった地名を挙げる雪風の顔はどこか晴れ晴れとしていた。場所は転々バラバラ離れているが、それを可能にする時間を彼女は欲しているように見えた。

「足一本でも出来ることっていっぱいあると思うんだ! だから旅行に行ってゆっくりしながらそれを考えるのもいいかもね! もしくは国外を旅してバックパッカーになるのもいいかもね! 私たちそこまでお金ないから!」

「雪風ちゃんはすごいね」

那珂は言っていた。雪風はアイドルになれないと。輝いていないと。ライトのような強くギラついた光を放つ那珂とは違うのは確かだ。しかし彼女は森の中の木漏れ日のような優しい灯りを持っていた。

仮に、自分が足を失っていた時に、走る事を奪われた時にこの言葉を聞いていたらどれだけ救われただろうかという事を島風はふと思ってしまった。たぶん島風は艦娘になるという選択肢を取らず、別の何かになっていただろう。

「可能性を示唆できるのはすごい事だと思うよ」

「えへへへ。ありがと。島風ちゃんはどうするの? 艦娘を辞めたら」

「私は……」

陸上を始める、と言いたかったがあの人間離れした驚異的な脚力を考えると普通の人間と同じフィールドで競い合うことなどできそうにもなかった。走ることはできるがそのための場がない。目的があり、そのための手段として艦娘化を選んでいた島風はとんでもない矛盾があることに気付いてしまった。

「私は、何ができるの」

「時間はある。考えればいい。君たちはまだ若いのだから」

急に頭上から降ってきた声に、島風も雪風も体をびくりと強張らせた。

声の主は柏木だった。遅めの夕食を摂るために食堂へ来ていたらしい。お盆の上にはカレーとサラダが乗っていた。

「隣、いいかな」

「あ、どうぞ」

島風はほっぽり投げていた牛乳瓶の蓋を手元に寄せて少し椅子を右にずらして左側に柏木が座れるスペースを作った。

「提督、お疲れ様です」

島風が頭を下げるのを見習ってか、雪風も「おつかれさまです!」と元気よく挨拶をした。

「おつかれさま。仕事は終わっているんだ。楽にしていてくれ」

提督は帽子を脱ぐと椅子にかけた。

「本来は帽子をかける専用のスペースとかあるんだけどね。その辺は自衛隊とは違うみたいだ」

いつものような厳しく寂しい目ではなく、どこにでもいそうな仕事から解放されて家でくつろぐ父の目を柏木はしていた。

「詳しいんですね」

「まあな。島風。それと雪風。さっきの話に戻るが」

艦娘を辞めた後の話か、と思うと島風は体を強張らせた。部活を辞めたら何をしようと適当なことを述べて士気が下がるとコーチに叱られて停部になった後輩の事を思い出してしまった。

「深海棲艦との戦いはいずれ終わる。その後の事はしっかり考えておくんだ」

だが柏木の予想外の反応に島風はキョトンとしていた。

「仮に、数年で終わったとすれば君たちはまだ二十歳前だろう。そこから大学に行き勉強するもよし、働くのもよし。先ほど雪風が言ったみたいに若い時間を使って旅をするのもいいだろう。数年で終わらない場合は、兵士として引退する事も考えられる。その時にどのような道を歩むか考えないといけない」

「は、はい」

「君たちは艦娘として働いてもらっているけれど、その前に一人の人間である事を忘れないでほしい。これは俺からの私的なお願いだ」

柏木の重く、だがさらりと流れるような言葉を島風も雪風も脳で理解するより前に、心でしっかりと受け止めていた。

「何ができるか、じゃない。何をしたいか、だ。時間はある。考えるといい。悩むといい。それが若さだ」

「提督! 歳の割にすごくジジくさい事いいますね!」

雪風がデリカシーという壁を叩き壊して提督に突っかかるのを止められるはずもなく、いつ堪忍袋が起爆するのかと島風は隣で肝を冷やしていた。

「ジジくさいか。娘くらいの年頃の雪風に言われると少し傷つくな」

「提督娘さんいらっしゃるんですか?」

「ああ。いるよ……たまには帰らないとな」

「単身赴任ですか……大変ですね」

「まあ、そうでもないさ。慣れだよ、慣れ」

島風に笑いかける柏木の顔が、少しだけ哀愁を含んでいたことに島風は気付く事ができなかった。

 

 

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